可憐なる愛
23.ネアとの手合わせ
流れた汗を肩で拭い、上がった息を整え、剣を構える。対峙するのは漆黒の聖堂着を改造した不気味なシスター、ネアだ。
木剣を握っているわけではない。こちらが握っているのは本当に命を奪うことができる剣であるのに対し、ネアは両手を自由にしたままで戦闘を続けている。
三日ほど前、ティゼルはネアとの手合わせの末に敗北。寸前にネアが言っていたように弟子となり、以来こうして手合わせと称した命の取り合いをしている。
――と言っても、本気なのはティゼルのみで、ネアにはティゼルをどうこうするつもりはなさそうだった。
あくまで、戦闘経験を積むための戦い……なのだが、手も、気も抜けるほど甘い相手ではなかった。
殺るつもりで、本気で挑まなければ戦いになることもない。ネアにとって、ティゼルとの戦いは暇つぶしの遊びでしかなかった。
「三日もやればさすがに動きも慣れてきたかな?」
「そりゃあ、な!」
駆ける。
ネアは相変わらず、防御の姿勢を見せることなく無防備に両手を開いている。
こちらの動きを捉えているのか、それとも捉えるつもりがないのかもわからない。
ネアの前で踏み込むように地を蹴り、助走の勢いののまま高く跳ぶ。
単調な攻撃が多かったティゼルの動きだが、ここに来て初めて見せる上からの攻撃に、ネアは驚いたように上を見上げる――が、あまりに遠い。
「高く飛びすぎ〜!」
「く、そっ! 調節がぁぁぁ、ああああ!」
ネアの油断を誘えたところまでは良かったが、土壇場で思いついた作戦なだけに力の調節が上手くいかなかった。
そのため、勢いのままに飛びすぎ、相手が油断した隙をみすみす逃す結果になった。が、これで諦めるティゼルではなかった。
ティゼルとネアとの距離は周囲の木々よりも遥かに高い。すなわち、その高さから降りてくるティゼルの攻撃には、当然その自由落下分の力も加算される。
腕力だけで繰り出せる一撃の領域を超えた攻撃。計画とは少しばかりズレてしまったが、構わない。利用できるものは利用してしまえばいい。
「う、ぉぉぉおおおおおお!!!!」
上空からの一撃は速度と体重も加わり、受ければタダでは済まないものになっている。
全身にかかる勢いと、落下時に味わう内蔵が浮かび上がるような感覚は考えものだが。
「うーん、受けてみるかな」
「――はっ、死んでも! 知らねぇぞ!!」
爆発したように土砂が吹き飛び、周囲の草木を大きく揺らす。
「痛っ……てて」
大地を震わせる一撃を受けたとは思えないほど呑気な声。
左手でティゼルの剣を受け止め、そのまま放り投げると手首を振りながら舌を出す。
空中で身を翻し、着地と同時にネアを見上げたティゼルだったが、追撃には行かなかった。
ネアは相も変わらず無傷。
痛そうにしているような仕草をしておきながらも、まるで効いていない様子。
通常時のティゼルが放てる最大打点を受けてなお、ネアは飄々とした態度を崩さないでいた。そのことに内心で悪態をつきながら、姿勢を崩す。
表情に出さないのは、ネアが気分を損ねるとしばらく物理的な意味で振り回されるからだ。
足に糸を巻かれ、一時間もの間遠心力をその身で味わうことはもう二度としたくない。
「まぐれとは言え、威力は高かったね。 力押しなことは直ってないけど」
「し、仕方ないだろ。 剣術、武術、体術……まして魔術なんて俺には使えないんだから」
「そうかなぁ」
「使えるとすれば聖装くらいだけど、あんまり頼りたくない」
「聖装が使えるなら多分だけど、聖術も使えると思うんだけど。 ティゼル君はライラの孫なんだし」
「聖術?」
「そそ。 こればかりは私じゃ教えらない。 聖騎士ちゃんが起きてくれればいいけど、まだ起きそうにもないし」
ティゼルの知らない言葉に首を傾げながらも、まだ戦闘の幅が広がる可能性があることに希望を見出す。
多彩な魔術を扱い、なおかつ基本的にはそれが初見での対応になる魔女との戦いにおいて、剣術などの技術が劣るティゼルは身体能力と動体視力のみでの戦いを強制される。
辛うじて攻撃を躱したり、対応することは可能でも、致命の一撃を与えるには届かない。それはネアとの手合わせで文字通り、痛感した。
「とりあえず、第一段階は突破かな。 それじゃ、第二段階。 ほんのちょっとだけ強めに打ち込むから死なないように気をつけてね」
ネアの姿が掻き消える。
砂の上に描いた絵が波にさらわれるように、身体が揺らいだかと錯覚してしまうほど。
咄嗟に剣を構えたが、見失ってしまっては意味が無い。
「――聖装顕現!」
視界の端。
ティゼルの右から伸びる黒い影を僅かに捉えられたことにより、聖装による防御が間に合う。
勇者である祖父ユーゼルも使っていたという聖装――右篭手のみだが――で防御したと言うのに、ティゼルの身体は容易に宙を舞う。
視界が縦に回転する気持ち悪さの中、姿勢を直すこともできずに地を転がった。
ネアとの手合わせにおいて使うつもりはなかったのだが、今のは確実に防がなければならない一撃だ。
防いでなお、この衝撃。聖装で受けたはずの右腕だが、麻痺したように動きを止めた。
手放していた剣を左腕で拾い上げ、ネアを視線の先に置く。
「硬ったぁ……い」
「……嘘つけ。 聖装なかったら受け切れなかったぞ」
「ふふ、少し力加減間違えちゃった。 次はちゃんとやるから」
ネアの姿が消える、が今度は追えている。瞬時にティゼルの前まで迫り、拳を腰の辺りで溜める。
ティゼルの反射神経を用いれば、対処も容易い。利き手ではない左手では力が半減されるが、構わない。
ぎこちない動きで剣を振り抜く。
「――ちっ」
空振り。
ネアは身を屈めて攻撃を躱す。あまりの姿勢の低さに、ティゼルは頭の中で獣のようだとその姿を被せる。
ネアはその姿勢のまま、ティゼルの軸足である右足を直線的な動きで払う。
「だ――くっ!」
当然、反応することも出来ずに天を仰ぐように背中から倒れていく。
――そして視界から生えてきたネアが拳をティゼルの腹部目掛け、振り下ろした。
◆
「アレでまだ魔術使ってねぇんだよなぁ、ネアは」
「しょうがないわよ。 あの人はなんというか……不気味なの」
「まあ、得体の知れないやつなのは認めるけど、そんなに…………怖いやつじゃないぞ」
「何その間。 ……あの人、人の名前呼ばないの。 アイアスさんと、ティゼルのことしか覚えてないみたいに」
そういえば、とティゼルはネアが誰かの名前を呼ぶ姿を想像できない。
ミーシュの言った通り、アイアスやティゼルの名前しか覚えていないのかもしれない。エイルをここに運んできてくれたときや、先ほどの手合わせのときも名前を呼んではいなかった。
そう考えると、何か裏がありそうな気もしてくるが考えたところで答えが出るはずもない。結局のところ、今までと変わらず警戒する他ないのだ。
「あ、シロちゃん。 甲斐甲斐しくお世話かな? ごめんね、ティゼル君を毎度ボロ雑巾にしちゃって」
「そこまでボロボロにはなってない」
「そう?」
「ボロくらいにはなってるけど」
「たしかに!」
一時姿を消していたはずのネアだが、いつの間にかまた戻ってきており、その手にはギジルの店で貰ったのだろうアイスクリームがあった。
静かにそれを見つめていたミーシュに気がつくと、スプーンの上に乗せて見せつけるように食べる。
「シロちゃんも食べる?」
『シロちゃん』とはミーシュのことだ。
長い白髪や色素が壊れたような白い肌を指してそう呼んでいるのだろう。あまりいい気はしていないだろうが、言い返すこともなく、そう呼ばれることを受け入れているようだった。
先ほどの会話の通り、ネアは人の名前を覚える気はないのかもしれない。
「……別に、あとで貰いに行きますので」
「あ、そう」
そう言うものの、ミーシュはティゼルを手当する手を止めてネアを凝視している。さすがに食べにくいのか、アイスクリームを食べる口を一度止め、もう一度口へ運ぶと、思い出したように……いや、わざとらしくネアは口を開く。
「そういやさ、聖装はやっぱ強いね」
「……俺は弱いって言いたいのか?」
「違う違う。 私の一撃を受けても壊れてないでしょ?」
「それは、たしかにそうだけど」
「やっぱりティゼル君には剣術よりも先に聖術を身につけてもらうことにしよう。 題して、得意を伸ばそう作戦! って言うのはどう?」
「聖術……得意を?」
「そ。 シロちゃん、聖術使えたりする?」
首を横に振るミーシュ。
使える、使えないというより聖術というものを知らない様子だ。
「ま、そっか。 一応聞いとくけど、シロちゃんの系統は?」
「……ケイトウ? それはなんなんですか」
「あ、知らないの。 私たちが使える魔術はそれぞれ、《炎》《水》《氷》《雷》《風》というふうに分類されてるんだよ。 この五つ以外もあるにはあるけど、基本的にこの五つね」
ミーシュが対峙したユウという魔女は 《炎》 に属する魔術を得意とする魔女だという。
対して、イドはこの五つには当てはまらない例外的な魔術を使う魔女。分類するならば 《影》 とネアは言った。
「魔術は分類された系統のモノしか使えない。 シロちゃんが戦ったって言う腕羽魔女ちゃんなら 《炎》 だけだね」
「う、腕羽……」
「……系統のモノしか使えない?」
「そ。 まぁ、例外はいるけどそれは影の魔女君みたいな感じで考えなくていい」
「わ、私は全部使える、けど……それは……」
孤児院近くの森の奥、ミーシュが一人で魔力を発散するために使われるあの森を思い出す。
たしかにあの場はネアに説明されたような、一つの系統で為された技とは思えない。
それに、ティゼルがイドからミーシュを助けた際には焼けたような匂いを感じた。
また、ギジルの店の柱代わりとして使われたのは氷の柱だ。
「へぇ、全部……そう」
声色が変わる。
ミーシュはその声に怯えるように身を縮め、ティゼルを盾にするように背後に隠れる。
「おい、やめろよ」と返しつつ、ミーシュを脅かさないようにネアにも言いつける。
「そっか、そうだよね。 人間の実験が成功するはずもない。 なら、元となった魔女が――っと、そこまで怖がらせるつもりはなかったんだ、ごめんよ」
『実験』という言葉に反応したミーシュの顔色が白を通り越し、青くなっていくのを見て、ネアは言葉を区切る。
面白そうだ、と言わんばかりに笑みを浮かべたままで謝罪すると、スプーンに乗せたアイスクリームをミーシュの口元まで運ぶ。
「少し溶けちゃってるけど」
逡巡の後、口を開ける。
「食べんのかよ」
「甘い物に罪はないじゃないの」
「決めゼリフだな、それもう……」
甘い物であれば警戒している人物からであっても貰うという思想に危ういものを感じる。変な人について行かないことを祈るばかりだ。
「そうそう、甘味に罪はないんだよ、ティゼル君」
「そうよ、ティゼル」
「なんなんだよ……」
警戒とは裏腹に息がピッタリな二人に頭を抱える。
一口貰ったことで恐怖心も薄れ、先ほどの言葉への
「――痣、消えてる」
たしかにあったはずの痣。
ネアから受けたはずのものが綺麗さっぱり、跡形もなく消えていた。
瞬時にイドに粉砕されたはずの左腕に起きた現象と重ねる。
「お、治ってた。 ごめん、大袈裟に騒いでたみたいだ」
「いえ……それは別にいいのだけど」
「――じゃあまだ続ける?」
「当然! 今度はネアの魔術も使ってくれて構わないぞ!」
「言うね。 でもそれはダメ」
「なんだよ、使えないのか?」
「使えるよ。 でもダメ」
「……そか、わかった。 んじゃ、俺から攻撃していいのか?」
「いいよ。 準備出来次第好きなときにおいで」
ミーシュの疑問を遮るようにネアとティゼルがもう一度手合わせに戻ったことにより、それはミーシュの中でのみ渦を巻く。
粉砕されたはずの左腕。
腹部の痣。
それに――聖装を使用していても疲れた様子があまりない。
こんな短時間で治るはずのない怪我だったはずだ。
押し込んだはずの不気味な感覚。蓋が外れたように胸の奥から少しずつ、じんわりと広がっていく。
(考えても仕方ない……)
何度も繰り返し、自分に言い聞かせる。
アレは気にしてはいけないことなのだと。
◆
ルギス村が魔女に襲撃を受け、その復興作業も終わりを迎えていた。
村人たちが忙しなく作業を続けていたその間、アイアスは休む間もなく働き続けている。聖職者としての仕事ではなく、大聖堂――エイルの部隊に連なる者としての仕事だ。
魔女の襲撃があったのは既に一週間近く前の出来事となっていた。
つまり、ネアが聖都崩落の知らせを持ってきてからも同等の時間が流れている。
戦いで受けた傷が原因か、はたまた別の何かによるものなのか、聖都に最後まで残っていたと見られる聖騎士エイルは未だに目を覚ましていなかった。
聖都の状況、魔王について、魔女の襲撃、他の村はなど様々な問題が山積みだ。
ネアの読みが正しいのであれば魔王は自身の配下である魔女たちにこの国――シゼレイアの村や町を襲わせているはずだ。
そのため、懸念していたのは避難民増加による衣食住の不安定化や村民との問題が生じることだったが、今のところそのような様子はない。
と言うのも、その避難民自体がこの村に流れてきていないのだ。
ルギス村周辺の村は襲われていない。あるいは――
「全滅……は考えたくありませんね」
それ以外に考えられることとすれば、大聖堂には不在だったというエイル以外の隊長たちによる守護。
そうであるのならば時期に聖騎士たちからの知らせがこの村にも届くはずだ。
「そうであることを祈るしかありませんね」
一度、聖都に赴くことも考えたが、外がどのような状態になっているのかが不明であり、アイアスが単独行動するには危険が大きすぎる。
ティゼルやミーシュを同行させるのは以ての外。まして、ネアという危険分子が村内部に留まっていることを踏まえると、アイアスがその抑止力となる他なかった。
「……何を企んでいるのでしょうか」
アイアスには少なからずネアへの恩義がある。それはまだアイアスが幼かった頃の記憶で、まだ魔人としての力が残っていた時代の話。
聖堂着の下に隠された液状化した右腕を掴み、唇を噛む。
今はただ、他の聖騎士たちからの連絡を待つ他なかった。
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