22.少しの進展

 ネアと名乗る委細不詳の不気味なシスターから離れること数時間。

 影の魔女との戦い以来、嫌な記憶を引きずり出す茜色の空を見上げながら、蒼く美麗な髪を風に委ねる少年は握った剣の柄をまじまじと見つめる。

 その額には汗が浮かんでおり、よく見れば服も肌に張り付いており不快そうだ。上がった息を整え終えると、もう一度剣を構えて宙へ向けて振るう。


 ティゼルには祖父である勇者ユーゼルから引き継がれた女神の力と、驚嘆に値する身体能力、それに加え人間離れした五感の鋭さがある。

 それゆえ、鍛錬や訓練などと言った通常であれば当然踏んでいるはずの過程を飛ばしてもある程度戦えてしまう。

 故郷を襲った山羊頭や、大聖堂で手合わせした聖騎士たち、それに一応エイルも加えれば戦闘に関して無知であっても相応に実力はあったと言える。



(ただ力を持ってるだけじゃ意味ないんだ)



 影の魔女――イドと名乗るあまりに細い腕から考えられないほど醜く歪に肥大化した手のひらを持つ長い黒髪の魔女を思い浮かべる。

 苦虫を噛み潰したように表情を歪め、必然的に剣筋が乱れる。



「だぁぁぁぁ! くそっ、さすがにしんどいな……」



 並外れた身体能力と動体視力。それを持つティゼルにとって、敵の攻撃を交わしたり、自らの脚で敵を翻弄するのは得意な分野だと言える。

 が、父親であるライゼルに教えられるはずだった剣術や武術、それに伴った槍術や馬術などと言った戦闘における技能面は何一つとして持っていない。

 そのため独学でも構わないから、と思いついたのがこの素振りだ。聖騎士たちの訓練姿を思い出しての見よう見まねでしかないが、何か行動しなければ胸に渦巻いた小さな不安は拭えなかった。



「知識も技術も、経験……経験かぁ」



 山羊頭、イド。

 と、聖騎士やエイルとの手合わせを無視すればティゼルの戦闘経験というのはこの二体の魔女だけだ。

 山羊頭との戦いで得られたことは限りなく少ない。自身の中に眠っている潜在能力への気づきと聖剣と聖装について。どれも経験と呼べるものとは程遠い。

 何より、無我夢中だったため記憶していることも少ない。


 では、イドとの戦いはどうだったのだろうか。

 こちらは敵の行動や攻撃にある程度気づけたりと、ある程度は動けていたはずだ。だが、対応出来ていたとは言えない。



「何か、お困りかい? 落とし子――いいや、ティゼル君」



 仰向けになったティゼルの視界に生えるように現れたのは、目深に被ったベールで素顔を隠したシスター、ネアだ。

 神聖かつ、貞淑であるはずの聖堂着を妖しさを醸し出す作りに改造し、短いスカートから伸びた黒いタイツと、黒い手袋。そして、唯一素肌が見える口元を紅く染めた不敵な女だ。



「う、わ……びっくりした。 ネア…………さん?か」

「私をそんな不気味なものみたいに見ないでくれるかな」

「それは無理があるだろ」

「ふふ、そうかい? それならまあ仕方がない。 君に免じて許してあげよう」



 自らを魔人と呼称し、ここルギス村上空に突如として現れた得体の知れぬ存在だ。

 現れてからの数時間程度の付き合いだが、ネアという人物に対してあまり良い印象は抱いていない。

 自分勝手、とでも言うのだろうか。恐らく、ネアは根本的に自身の興味がある物事への関心しか持っていない。

 そのため、ネアの言葉の端々に出てくる気になる情報について追求したところで、本人の意向に沿わなければ答えてもくれない。

 ティゼルにとって面倒くさい……もとい、やりにくい相手だった。



「で、ネア……さんが何しに来たんだよ」

「ネアでいいよ。 そんな敵意むき出しで敬称とか気持ち悪いでしょ? もっと気軽に、ね?」

「……ネアは何しに来たんだって聞いてんだ」

「簡単。 君に協力しに来たんだよ、ティゼル君」



 不敵な笑みを浮かべ、「ふふ」と小さく漏らす。



「協力って言われてもな。 聖女様を助けに行くにも場所もわからないし、エイルもまだ目覚めない。 まして、魔王の討伐なんて今の俺には到底できそうにない」

「君はどうしたい? 行動から見るに、先の戦いに満足していないんでしょ。 ――強くなりたい。 そうでしょ」

「……そうだよ」



 不貞腐れたように視線を横に動かし、ティゼルは半身を起こす。

「おっと」と微塵も慌てた様子もないのにわざとらしく口に出し、ティゼルとぶつからないように身を逸らしたネアを憎々しげに見つめながら、息を大きく吐く。



「お前が思ってる通り、俺は弱い。 力を持っただけの無力なガキだ」

「案外、自分のことを見れているようだね」

「っ、そりゃそうだ」

「では、君自身に足りないものは? 強さ? 技術? それとも、更なる力?」

「ただでさえ持て余してる上にこれ以上力なんて扱えるかよ。 ……経験と技術だと、そう思う」



「なるほど」と歌でも歌うかのように口ずさみ、ネアはティゼルの額に自身の額がくっつくほど近づく。

 目があると思われるベールの下が不気味に光っているような気がした。



「技術は私には無理だけど、経験なら積ませられる。 どう? 私と一戦、交えてみない?」

「ネアと? 戦えるのか?」

「当然。 魔人って言ったでしょ? そこいらの魔女や魔物なんかとは比べちゃダメだよ。 やる?」



 ネアの姿を見る限り、剣などと言った得物は持ち合わせていない。

 服の下に小型のナイフを隠し持っている様子もなく、女性らしい細腕に戦闘向きの筋肉が着いているとも思えない。



(魔術だよな……)



 周囲に気を配る。

 ティゼルたちがいるこの場所は、ルギス村の中心から少し離れ、ほとんど村の外と言ってもいいほどの平原。

 人の住める建物や馬車が通れるような街道がないことも確認済みだ。仮にネアの使う魔術が広範囲なものであっても被害はないだろう。

 そうあたりを付け、首を縦に振る。



「じゃあ、負けたらティゼル君は私の弟子ね」

「弟子って……。 何もそこまで頼んだつもりもないんだけど」

「ダメ、決めた。 嫌なら精々頑張って勝ってみなよ。 ――無理だけどね」

「やられるにしても、簡単にやられるつもりはねぇぞ」



 頬を紅潮させ、興奮したように息を大きく吸う。ネアはそのまま口元に三日月を浮かべる。



「じゃあ、本気でやるからね」

「――来い」



 ティゼルが間合いを取り、剣を構える。

 ネアは未だ構える素振りもなく、笑った口元のまま。



「果てろ――████████████



 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎―――――――



 ◆



「――何してるの、こんなところで」



 声をかけられると同時に意識が覚醒する。

 怖い夢でも見ていたかのように飛び起きたティゼルは、無意識に自分の身体の無事を確かめる。

 腕、胴、腰、脚……どこにも異常はない。

 記憶が酷く朧気なこと以外、問題ないと言えるだろう。


 安堵の息を漏らし、首を横に向けると、ティゼルの行動に少し引いた様子の真白な少女――ミーシュがいた。

 腰まで伸びた長く、白い髪をローブの中にしまい込み、首元を温めるように膨らませている。不健康そうな白い頬を寒さから赤く染め、白磁の指先にはミーシュが着ているものと同じローブが握られていた。

 ティゼルと同じ金色の瞳を細くさせ、顔を引きらせながら、手に持ったローブを投げる。



「ぶっ……急に、なんだよ。 てか、なんでこんな、ところに……」



 ルギス村の中心から外れた人の気配のない平原……などではなく、ルギス村の入口付近。そこにティゼルは大の字で寝転んでいる形だった。



「どこで寝ようと本人の勝手だけど、風邪引くからせめて何か羽織りなさいよ」

「お、おおう、ありがとう……じゃなくて! なんでこんなところに! ネアはどこ行った!」

「ネア……あのシスターは見てない」

「あいつ、経験をとか言っておいて何やったのか思い出せなきゃ意味ねぇだろ……」



 ネアと戦闘することになった経緯はしっかりと覚えている。が、その後はまるで記憶にない。

 何を感じたかも、どう動いたのかも、何をされたのかも、一切を記憶できていない。

 ただ一つだけわかることがあるとすれば……



「負けたんだよな」



 ティゼルが辛勝し、気を利かせたネアがここまで運んでくれたとは考えにくい。

 完膚なきまでにティゼルを打ちのめし、病室に連れていく途中で興味を削がれ、ここに捨てられたと考えた方が納得が行く。


 どれだけ前向きに捉えようとしても、不思議なことにネアに勝てたという妄想は描けない。



「だぁぁぁぁ! アレが俺の先生になんのかよ!」

「何言ってんのかわかんないけど、こんなところで叫ばないで。 ほら、戻りましょ」

「う、それもそうだな」



 少し先を歩くミーシュの背を眺めながら、ネアについて考えることを放棄しつつもため息は漏らす。

 教会への帰路に着く。人が少なくなったルギス村の道は静かで、夜の冷たい風の音が不気味に鳴り響く。

 歩く速度を落とし、ティゼルの横に並んだミーシュが身を縮めるように身体を強ばらせ、若干ティゼルに近づいたように見えた。



「…………ミーシュって怖がりだったりするのか?」

「悪い?」

「い、いや、別に。 怖がりなのに森の中とかよく入れたな」

「知らないの? 太陽が出てれば怖いものは何も出てこないの」

「……そっか。 そうだな」

「何よ、それ。 何か言いたいの?」



 ティゼルは少し、歩く速度を早める。それに合わせてミーシュも早める。

 徐々に駆け足になりながら、二人は教会まで並んで帰った。



 ◆



「――ティゼル」



 初めて名を呼ばれたような気がして、咄嗟に振り向いた。



「な、何よ。 そんなに、おかしかったの?」

「いや……そういうわけじゃ……」

「いちいち反応しないでよ。 が、頑張ってるの、これでも」



 沈黙が流れ、咳払いを挟み、ミーシュは恥ずかしさで赤く染めた頬を隠すように下を向く。



「ティゼルのこと、教えて」

「俺の? なんでまた」

「なんで、って……」



 ティゼルに与えられた教会の一室。一人用のソファに腰掛けたミーシュはここへ来る途中、ギジルから貰ったお菓子をつまみながら静かに尋ねた。

 孤児院まで送る、とティゼルが提案すると「まだ少しここにいる」と言うので部屋に上げたのだ。

 幸い、孤児院までの道のりはそれほど遠くないため特に問題もないだろう。



「友達……に、なるんでしょ」



 自信なさげな様子で聞き取れるか怪しい大きさの声。



「――もちろん」

「なら、少しくらいあなたのことを教えてちょうだい」

「どういう心境の変化だよ。 あんなに嫌がってた癖に」

「なんでもいいでしょ?」

「たしかに。 なんでもいいや」

「ね? まずは、そうね……子どもの頃のこと、とかかしら?」

「あー、いいけど、おもしろくはないぞ? あと、ミーシュのことも聞かせろよな」

「面白さなんて求めてないから。 ……私の話はいつか必ず話から、今はまだ……」

「ん、わかった。 ゆっくりでいいよ」



 ミーシュに関わる話はきっと、簡単に話せるようなことではない。

 ティゼルはアイアスから聞いた程度のことしか知らない。それは過去話というよりは単なる情報で、そこから何があったのかを推測することしかできないものだ。

 きっとミーシュにはアイアスにも語っていない過去があり、それはきっと、推測などよりも遥かに辛く、苦しいものだ。


『まだ』と本人が言うのなら、いつか来るその日を待つことにしよう。



「じゃあまずは、俺の親父と――爺ちゃんについてだな」

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