21.最強の聖騎士

 エイルの容態は筆舌し難いものだった。

 シスター・ネアと名乗る不気味な女の操る糸のおかげか、致命に至る一歩手前のところでふみとどまっているようだった。

 全身にある火傷の跡や裂傷。右腕はあらぬ方向へ曲がった挙句、二の腕の辺りの筋肉と、その下にある真白な骨が丸見えになっている。

 辛うじて千切れずに済んでいたのは、糸がつなぎ止めていてくれたからだろう。

 すぐに緊急治療としてティゼルが立ち入ることの出来ない部屋の奥へ運ばれていったエイルを、無力なティゼルは棒立ちで見送る他なかった。


 エイルは無事なのだろうか。治るのだろうか。一体何があったのだろうか。


 様々な疑問が頭に過ぎる。が、今はただ無事を祈ることしかできない。

 遅れてやってきたアイアスと冷や汗を浮かべたミーシュに説明をし、ティゼルが使用している病室で治療を待つことになった。

 ルギス村は特別医療に精通した村という訳ではない。そのため、エイルの容態を見せてもティゼルが安心できるような言葉は返ってこなかった。

 本来ならば聖都で治療をするのが正当なはずなのだが、どうしてそうしなかったのか、それはティゼルの横に腰掛けた女から語られることだろう。



「意外と病室って広いね。 もっとギチギチの空間を想定してたよ。 あ、なんか食べられるものある? お菓子でもなんでもいいんだけどさ」



 アイアスと同じく聖堂着に身を包んだ女。

 オーバーサイズの聖堂着のせいか、身体のシルエットがわかりずらく、全身を隠しているかのような手袋やタイツのせいで妖しげ……というよりも怪しげな雰囲気のある女だ。

 唯一何にも隠されていない口元には紅いルージュが塗られており、ティゼルの視線に気づいた女は柔らかく微笑んだ。


 不安の波が押し寄せるような張り詰めた空気の中、女だけは不自然なまでに明るく振舞っていた。

 無論、それはここにいる三人を元気付けるためだとか、少しでも場を和ませようとしているだとかそんな理由ではない。

 もっと単純に生来のものだ。



「それで、ネア。 エイルはどうしてあのような大怪我を」

「ん、人間の身で無茶したからだよ。 炎を操る魔女を追い込んだのはいいけど、自分の力を見誤ったね」

「と、言うと」

「いや、さすがにただの人間が魔王に勝てるわけないでしょ」



『魔王』

 その言葉に三人は言葉に出来ぬ驚愕を表情に出す。

 この世界に生を受けた者として知らぬ者はいないと言えるほど強大な悪。魔女や魔物たちの根源となる存在。

 今から約50年ほど前に勇者ユーゼルとその仲間たちが封印したはずの存在だ。その功績は未来永劫語り継がられると言われ、最早伝説とされているほどだ。


 ティゼルたちが物語の中でしか存在を知らない巨悪。

 それに勝てるわけがない。と言ったのだ。


 まるで、魔王が復活し、エイルの前に現れたかのように。



「ま、魔王……って、嘘だろ? 封印されてんだろ、そいつは。 だから、俺はその封印されてる魔王を完全に消滅させるために……そのために、勇者に……」

「ユーゼルの孫なだけあるね。 その使命感」

「そんなのじゃ、ない……。 俺は勇者なんかじゃ……」

「ははっ、勇者でしょ。 どう見ても。 女神の力を宿し、その意思に背けず、女神のためにただ任務を遂行する落とし子。 哀れな傀儡だよ」

「ネア」

「ごめんごめん。 話を戻すけど――説明めんどいな」



 一人で考え込んでしまったティゼルへ、罪悪感でも抱いたのか、ネアは頭を搔くような仕草を見せる。

 が、またすぐに作ったような笑い声を上げ、「結論から言うと」と前置きする。



「聖都は滅びたよ」



 それは信じられない言葉だった。

 誰もが飲み込めずにいる中、ネアはそんな事お構いなしに話を進めていく。



「魔王も頭いいよね。 自分が出ればそりゃあ簡単に聖都の一つや二つ……いや五つくらいは落とせちゃうもんね。 手下にはシゼレイアの各地を襲わせ、自分が本丸を討つ。 効率的だね」

「こ、効率だとか……そんなの!」

「だって仮に手下がこの村みたいに失敗しても、国の中心が死ねばあとは時間の問題だろ?」



 飄々と、他人事のように語るネアに苛立ちを募らせていく。ベールの奥に隠れた視線は見えなかったが、こちらを嘲笑っているかのように思えてしまう。



「国の中心に各地――っ、聖女様は! ロイロさん……村の人たちは!」

「君の故郷なら大丈夫でしょ、山羊なら君が倒したし。 聖女様の方は知らなーい」

「そん……な! 適当な言葉で!」



 ネアへ掴みかかろうとするティゼルを力づくでアイアスが止める。

 落ち着くように言い聞かせるが、余裕がないティゼルには言葉が響いていない。

 暴れるティゼルの両足に、氷の鎖が生み出される。足枷のように巻き付いたその冷たさで、身体の熱が引いたのか、少しずつティゼルは落ち着きを取り戻していく。

 それでもまだ、ネアへは鋭い視線を向けたままだ。



「ミーシュ、ありがとう……」

「少し冷静になりなさい。 それまで鎖は解かないから」



 膝を抱えるティゼルの足元に付いた氷の鎖を指で突きながら、ネアは聖都での出来事を語っていく。

 炎を操る魔女との戦いや、魔王がもたらした破壊の雨。戦いにもならなかったエイルと魔王との一騎打ちについて。

 一騎打ちと言ったが、実際には勝負にもならなかったという。



「お前……エイルと魔王を見ていながら、助けなかったのか」

「嫌だよ。 魔王に姿は見られたくないし」

「そんな理由で!」

「私にも事情があるんだよ、落とし子君。

 それに、最終的には助けたんだから」



 ネアはそれだけ言うと、無視して話を続けていく。時折、ティゼルを見ては口元に薄く笑みを浮かべ、煽るように見下していた。

 突っかかっていては話が進まないことを頭で理解していながらも、エイルを見殺しにしていたかもしれないネアへの不信感は大きくなっていくばかり。

 氷の冷たさも、もう感じなくなっていた。



「それで、魔王は今どこに」

「さあね。 姿を見られるわけにもいかなかったから、どこに行ったかまでは追えてない。 根城に戻ったんじゃない?」

「根城……当分の間は魔王が動くことはないと考えてもいいのでしょうか」

「どうだろ。 必要ならば自ら動くタイプだからね、そこにいるティゼル君ともう一人の居所に気づけば動くだろうね」

「女神の落とし子ですか」



 話し終えたのか、話に飽きたのか、ネアはベッドからはみ出した足をバタバタと動かし、天井を見上げるように背を倒す。

 聖堂着こそ着ているが、その仕草や言動からはアイアスと比べ、聖職者らしさは感じられない。



「……色々聞きたいことはあるけれど、その、落とし子? とか。 だけどまずは、アイアスさんはネア……さんと知り合いなの?」



 ミーシュはベッドの上でひとりでに笑っているネアを見ることなくアイアスに尋ねた。

 一度答えるかどうか悩んだのだろう、一拍間を置く。口を引き結び、口を開けて息を吐いた。

 躊躇うように視線を横に背け、意を決したように再び口を開いた。



「私たちは、魔人です。 ミーシュには前に説明しましたよね」

「そーそー、魔人。 君たちよりもずっと長く生きてるのだよ。 敬いたえ〜」



 決して敬いたくはない態度だ。ベッドの上で伸びをするように両腕を上げたせいか、大きな欠伸を一つ漏らす。



「ネア、あまり茶化さないでください」

「いいじゃん。 この話すると重たくなるし、めんどいし」

「は? 魔人……魔女……? アイアスさんが? でも、見た目は人間そのものじゃないですか」



 ティゼルの言葉にアイアスは苦笑しつつ、手のひらの上に水の球を浮かべてみせた。手のひらに収まるほど小さなものだったが、その技は明らかに人間ができるものではない。

 それを握り潰すと、申し訳なさそうに顔を伏せ、声の調子を下げる。



「魔人とは、人間と魔女との間に生まれた特異な存在です。 人間の身体でありながら、魔女のように魔術を扱える。 魔女のように異形になることもなく」

「そ。 で、アイアスは体質として――」

「ネア、その話は……」

「あ、言わない? りょーかい」



 ネアが補足するように何かを言いかけたが、アイアスに静止され、その先を語ることはなかった。

 魔人……というよりも自らについてあまり語りたくないのだろう。アイアスは最低限の知識としてそれだけを伝えると、口を閉ざした。



「そうそう、なんで私たちがこんな聖職者なんてやってると思う? 答えはね、そういう契約だからだよ」

「契約?」



 ネアとアイアスに共通しているのは二人とも聖堂着を着た聖職者という点だ。ネアの方は服を改造していて、本来のソレとは大きくかけ離れているが。

「可愛いでしょ?」とベッドの上で回転しているネアを黙って見ていたのはミーシュだ。小さな声で「たしかにそうね……」と呟く。



「シゼレイア聖国に協力的な魔人はこうして大聖堂に身を置くことで、人としての生活を認められる。 つまり、人権が与えられるのね。 この服は私たちが人間であることの証でもあるのよ」

「通りで、アイアスさんはいつも同じ服なわけね」

「ミ、ミーシュ。 ちゃんと洗っていますし、毎日変えていますよ……」



 草臥れた笑顔を浮かべ、頬をかくアイアスに近づき、ミーシュは鼻を鳴らす。臭くはない。いつもと同じアイアスの匂いだった。



「そうみたいね。 ……それで、もう一つ。 落とし子って言うのは?」

「簡単! そこにいる蒼髪の勇者君のように女神の力を扱える人間のことだよ」

「勇者……」

「本来ならば一つの危機に対して一人の落とし子。 だけど、二人の落とし子が確認された」



 ミーシュの頭に浮かんでいたのは、勇者として語り継がれるユーゼルのことだ。

 ネアの言った「一つの危機に対して」というのが本当ならば、ユーゼルは魔王に対するための『落とし子』というわけだ。

 では、それ以前……ユーゼルが生まれる前はどうなのだろうか、と疑問に思う。

 それに加え、という言葉。まるで、今までのことを知っているかのようなそんな言い方だ。



(……私たちよりもずっと生きているらしいけれど、どれほど前から……?)



 ミーシュの心に浮かんだ疑問は解消されることはない。

 既にネアは話すことに飽きたのだろう、またしてもベッドの上に横たわり、立てかけてあったティゼルの剣を弄って遊んでいた。

 ならばと声を潜めてアイアスに尋ねてみる。



「私も詳しくは知らないんです。 ネアはこう見えて、私よりもずっと生きていますから、こういうことに詳しいんですよ」

「そう……なの」



 ネアにも同じことを聞いてみようかとも思ったのだが、やはりどうしてもまだ彼女への恐怖心があるのか、そんな気にはなれなかった。

 子どものような一面を見てからは、最初に出会った頃よりも警戒心はなくなっていたが、それでも得体の知れぬ不気味さは拭えていない。



「それで、もう一人の落とし子ってのは? 知ってんのか?」

「もちろん! なんせ聖騎士だからね」

「聖騎士……。 そういや! 聖騎士の隊長たちは聖都で何やってんだよ! エイルだけじゃないんだろ?!」

「え? あ、それは知らない」



 大聖堂にいたときに、聖騎士についてエイルから少しだけ話されたことがある。

 団長と副団長。そしてその下に各部隊があり、その各部隊をまとめあげているのがエイルたち隊長ということになっている。

 ティゼルが大聖堂で見てきた聖騎士は全て、エイルの隊の者たちで、他の隊の聖騎士や、まして隊長が大聖堂に出入りしているところは見たことがない。



「聖都にいないことだけは確かだね。 消えた団長でも探してんじゃない? ま、どうでもいいや。 で、そのもう一人の落とし子のことなんだけど!」

「いや! 待てよ! 消えたって――」



 ティゼルのその声を無視してネアは自分の話したいことだけを押し付けるようにグイッと身体を動かす。



「現状、聖騎士の中で一番強いとされている子だよ。 名前は――」



 ◆



 シゼレイア聖国・最東端の村。

 人里離れた山の上にある村というよりは集落に近い場所。何かを祀るような祭壇と大樹の下、桃色の長い髪を短くまとめ、団子のように頭に乗せた少女がいた。

 傍らに控えた聖騎士が二人。女が少女の乱れた髪を整え、男が少女に食べ物を渡していた。

 無表情で無機質。口数も少なく、その小さな身体からは考えられないほど落ち着いた印象のある少女だった。

 少女は椅子代わりにしていた魔女の身体から立ち上がると、自分では抱えられないため、男の方の聖騎士にそれを持たせる。



「……この程度」

「こちらはいかが致しますか?」

「焼いて」



 短く、吐き捨てるように言い放つと少女は石畳の上を歩いていく。升目状に組み合わさったその上を、線からはみ出さないように気をつけながら歩幅を調整する。

 不自然に歩幅が小さくなったり、大きくなったりするせいで躓くこともあったが、決して転ぶことなく階段まで歩く。

 背後から流れてくる魔女の身体が焼かれている嫌臭いに顔をしかめながら、一段一段落ちないように階段を下る。

 女の聖騎士が先回りし、転ばないか心配していたが、問題ない。



「これからどちらに?」

「……ミリィはエイルの言われた通りにする」

「ということは勇者様に?」

「うん」

「私たちも同行しますか?」

「ううん」

「では、大聖堂に?」

「ううん」

「では…………どちらに?」

「ここ」

「ミリィ様の故郷に、ですか?」

「うん。 守ってあげて」

「承知しました。 全身全霊、村の人たちを守り抜いてみせます」

「うん。 死なないで」



 無機質だが、意思はある。

 そんな声だ。

 機械的なようにも思える少女の表情だが、見慣れた女聖騎士には違って見える。それは忠誠が見せる幻覚なのか、それとも本当にそうであるのか。それは判別できることではなかった。



「聖装解放――《翼》」



 ミリィと名乗った少女がそう口にすると、背中から自身の身体よりも二回りは大きな翼が姿を見せた。

 物語に登場する空想上の生き物でしかない存在たちのソレを彷彿とさせる神秘と美しさ。その幼い姿も相まってか、女から見たミリィはさながら天使のようであった。



「ミリィ様、迷子にだけは充分お気をつけて」

「大聖堂はここから西――あちらの方角をずっと真っ直ぐです。 どうか迷わずに」



 男と女の聖騎士それぞれに忠告を受け、頷く。

 軽々と宙に浮いて見せ、大きな翼を天で広げると、一度部下である二人の聖騎士を見下ろすと瞬く間に姿を消した。



「何をすべき? ――ひとまず」



 僅かな逡巡の後、すぐに答えを導き出す。

 ミリィの目的はエイルともう一人の落とし子であるという勇者の孫に出会うことに決めた。

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