20.シスター・ネア



「祭りは延期だってさ。 いつやれるかもわかんないって」

「それもそうね。 こんな状況だもの、祭りなんてしてられないわよ」

「ちょっと楽しみにしてたんだけどな」

「私は別に。 無理やり連れてかれなくてよかったって思ってる」



 ティゼルとミーシュは現在、復興作業の中心地になっているとある店の中で寛いでいた。店の中はところどころ破損している箇所や、穴の空いた場所が見られたが、開放的になってしまった入口に比べると可愛いものだった。

 テーブルの上に置かれたクリームと赤い果実で彩られた甘そうなデザートを頬張るミーシュは、その蕩けるような甘さに鼻を鳴らす。

 見ているだけで胸焼けがしそうなほど砂糖とミルクを入れた珈琲にも満足そうで、それを見ていたティゼルと店主の男――ギジルの顔は引きつっていた。



「アイアスが聖都に要請はしたって言ってたから、到着が早ければ祭りができるかもしれないぞ」

「おっ、それ本当? ギジルさん」

「んな、嘘つくかよ。 そんな楽しみだったのか?」

「楽しみ……っていうか。 ミーシュと仲良くなるために行ってみようかなって計画してたからさ」

「意外と積極的じゃねぇか、ティゼル」

「違うの、そうのじゃないから。 なんか色々変な使命感に駆られてるだけなの」

「ほっとけるわけないだろ」



 事実、ティゼルがミーシュと仲良くなろうとしている動機はたしかに使命感によるものだった。

 カイから話を聞き、いてもたってもいられずに駆け出した日のことを思い出す。思い返せば、顔から火が出るほど恥ずかしい気もしたが、あのときの気持ちに後悔はない。



「勇者の孫らしいな、その感じ」

「勇者の孫だからとか、そんなのじゃないって。 俺はただ、人としてミーシュをほっとけなかっただけで……」

「ああ、そうだな」

「な、何も笑わなくたって」



 ティゼルが勇者の孫ということと、ミーシュが魔女疑惑のあった怪しい少女だということは既に村人たちの間で広まっている。

 後者の方はアイアスやギジルの働きかけもあり、誤解は解けつつある。その誤解を完全に解くためにも、ミーシュはこの店で復興作業に携わっている。

 この店の倒壊を防ぐために作られた氷の柱は、ミーシュが魔術によって生み出したものだった。


 魔女の被害を一番に受けたこの店の修復作業を受け持ったミーシュが、柱の代わりにと作り上げたのが現在、店の中央に生えた氷の柱だ。

 気温の高い日であればひんやりとした空気が心地よいものだろうが、そうではない今はあまり近づきすぎると身体が震えてしまう。そのせいか、店の中にはティゼルとミーシュ、そして店主であるギジルの三人だけだ。



「なぁ、ミーシュの嬢ちゃん」

「どうしたの?」

「あの氷ってずっと冷たいままか?」

「そうね。 変えが効くまでずっとあのままね。 寒いかしら」

「寒ぃよ。 なんとかならねぇか?」

「さすがの私でも氷の温度は操れないの。 ごめんなさい」

「いや、謝るようなことじゃねぇよ。 店が潰れるのを防いでくれてんだ、感謝してる。 してるが、寒ぃモンは寒ぃ」

「そんな中、よくアイスなんて食えるな……」



 いつの間にかデザートを食べ終えていたミーシュはギジルに差し出されたアイスに手をつけていた。

 相変わらず甘い物が好きなようで、その表情は幸せそのものだ。



「甘い物は別腹なの。 知らないの?」

「そういうことじゃねぇから、それ」



 恐らくは甘い物なら無限に食べられる上に、寒さや暑さなどは関係ないであろうミーシュがなんだか恐ろしく思えた。



「そういや、聖都に要請って、聖騎士が来るのか?」



 先ほどギジルが言っていたことを思い返し、尋ねる。

 ティゼルの村が山羊頭に襲われたあとも聖騎士たちが怪我人の手当や、行方不明者の捜索など様々な動きを見せてくれた。



「そういう手筈になってるはずだ」

「はず、って来ないこともあるってことか?」

「いや、そうじゃねぇ。 アイアスの知人に聖騎士のヤツがいるんだが、そいつとの定期連絡が途絶えたらしい」

「アイアスさんの……エイルだ。 ちょっと待ってくれ、エイルとの連絡が途絶えた? それはどういうことなんだ」

「落ち着け。 単に任務で聖都にいないだけだろうよ」

「あ、ああ……そっか」



 聖都にてティゼルの帰りを待っているであろう聖騎士、エイルとの付き合いは長くはないが、連絡が途絶えたと聞いて心配しないほど短くもない。

 ティゼルが聖都に来るまでも、来たあとも間違いなく一番世話になっている人物だ。そのエイルとの連絡が途絶えたと聞いて冷静でいる方が難しい。


 ギジルの言葉を聞き、一応の落ち着きを取り戻したティゼルだったが、その内心はあまり穏やかなものではなかった。



(任務で連絡が取れないことくらい前にもあったはずだ。 それなのに、アイアスさんは「連絡が途絶えた」と言ったんだ)



 こういうことは本人であるアイアスから直接話を聞くのが一番いいのだが、そのアイアスは現在、身体の弱い村長に代わり、村の指揮を執っている。

 そのためティゼルやミーシュのように簡単にフラフラと歩き回れる立場にない。



「その、エイルって人のこと心配?」

「当たり前だ。 世話になってる人なんだ」

「安心しなさい、すぐに安否はたしかめに行けるわよ。 予定通りなら三日後に大聖堂に行くはずだから」

「――あ、そういえば」



 ティゼルは当初、この村にきた目的を思い出す。

『大聖堂まである少女を護衛して欲しい』というエイルからの頼まれごとが今回の事の発端だ。

 村に来てから様々なことがあり、目的が変わっていたことで忘れていたが、大聖堂まで行くことになっていたのだ。



「三日後……つまりえっと、大聖堂までの移動で一日くらいだから、五日後くらいには大聖堂に着くのか」

「そうしたらエイルさんの安否は確認できるはずよ」

「そう、だな! そうだな! それなら、少しは安心……なのかな」

「安心よ。 そもそも、聖騎士で大聖堂にいるのなら安全じゃないの。 心配すると疲れるだけよ」



 ミーシュはそう言うが、ティゼルの不安は簡単には拭えない。

 ティゼルよりも数倍強いエイルを心配するなどおかしな話ではあるが、こればかりは理屈ではどうしようもなかった。


 そして、ティゼルの不安は別の形で的中する。


 その気配を感じ取った瞬間に、ティゼルは店の外へ飛び出していた。

 場所は上空。すぐに屋根に飛び乗り、それが現れるであろう箇所を見つめる。風に押され、流れていく雲と自身の髪と同じ色を映し出す空。その隙間から糸のようなものが束になって垂れていた。

 何も無い空に突如として溢れ出た奇妙な糸が、弧を描くように形を作っていく。

 やがてそれは瞼を閉じた瞳のような形に留まる。



「魔女……か?」



 気配は魔女のそれに近しい。が、どこかが違っている。

 間近で山羊頭と影の魔女の二人を見てきたティゼルだからこそ感じ取れた、ほんのわずかな差。

 すぐに剣を持っていないことに気がつくと、舌を鳴らしながら拳を構える。



「武器がなくても――――」



 そんな覚悟はすぐに消えた。

 山羊頭が村を襲ったときも、影の魔女と相対したときにも感じなかったおぞましさ。心の隙間に入り込んでくるかのような絶望。


 空に浮かんでいた瞼が、開いていた。


 液体のように溢れ出る糸が、瞼の奥でさらに蠢いているのを捉えた。そして、その中に人間のような影を見る。

 ゆっくりと、その目の中心から人影が舞い降りる。

 頭上には糸に巻かれた繭のようなものが浮かんでおり、ここからではその全容を見ることは叶わない。

 生唾を飲み込み、己の持てる最大打点――聖装の顕現をティゼルは迷わない。



「聖装――」

「――はじめまして。 落とし子君。 私はネア。 シスター・ネアと呼んでくれても構わない。 ああ、安心して欲しい君の敵ではないよ。 ほら、その証拠に……」



 瞬きはしていない。

 一瞬たりともティゼルは目を離してなどいない。

 不可思議な瞼から舞い降りた人影が動きを見せた瞬間に聖装で攻撃を仕掛けるつもりだった。

 が、現実はどうだ。

 動きを目で追うこともできず、聖装を纏うことすら叶わず、攻撃することも逃げることもできない。身体が固まり、言うことを聞かない。



「――何してるの! はやく逃げて!」



 下から聞こえたミーシュの言葉に弾かれるように身体が動き出す。

 それは攻撃するためではない。ただ、己の身を守るために安全圏まで逃げただけだ。

 ティゼルの行動から遅れて、全身から思い出したかのように汗が吹き出る。呼吸が早い。そのせいか、視界が狭く、揺れているような錯覚に陥る。



(間違いない、こいつは――化け物だ)



 山羊頭も、影の魔女すらも可愛く思えてしまうほど、目の前にいるソレから発せられる気配は常軌を逸していた。



「敵じゃないって。 その逆だよ。 ほら、コレ」



 目と目が合う。

 鼻先が触れ合うほどの距離で。


 おかしい。そんなはずはない。


 脳がそう告げる。だが、今目で見ている光景が現実なはずだ。夢などではない。

 またしても、一瞬にして音もなく目の前に現れた。



「あれっ、聞いてる? 大丈夫?」

「――っ、なんなんだ、お前は」

「なんだ、話できるじゃん……っとそんなこと言ってる場合じゃないや。 ねね、治癒魔術……はいないか、お医者さんはいる? できればすぐに治療してもらいたいんだよね」



 全身を聖堂着で包んだ女……だろうか。

 ティゼルよりも背が高い。エイルと同程度だろうか。その身体を包むのはゆったりとしたオーバーサイズの聖堂着。だが、他のシスターたちとは違い、短いスカートが特徴的だ。

 そうでありながら、肌の露出は少ない。指先を隠す黒い手袋。足は真っ黒なタイツ。首元も黒いフリル調のチョーカーに隠された怪しすぎる姿だ。

 極めつけはその、目深に被ったベールだ。そのせいで女の紅く塗られた口元しか見えておらず、瞳はどこを見ているのかがわからない。

 外見から得られる情報は少なく、シスターであることくらいしかわからなかった。



「警戒心が強いのはいいことかもだけど、早くしないとコレ、死んじゃうよ?」



 女は頭上に浮かぶ繭へ指を向ける。

 不気味に鼓動しており、まるで生き物であるかのようなそれに本能的な抵抗感を覚える。

 ゆっくりと、ティゼルの前に差し出された繭の表面の糸が解け、その中にある物の正体が明らかになる。

 羽化する寸前の幼虫でも、身の毛もよだつようなおぞましい怪物でもなかった。

 そこにいたのは酷い火傷の跡と血に塗れたティゼルがよく知る人物――エイルだった。



「――これはっ……!」

「はい、敵対しない。 状況考えて? どう考えても私が助けた。 そうでしょ? わかったならすぐ行動」



 パンッ、と乾いた音で我に返る。

 たしかに女の言う通りだ。もしも敵対している魔女なのであればすぐにでもティゼルを殺せたはずだ。それに、エイルをこうして助けている理由がわからない。

 頭で考えることをやめ、繭の中からエイルを取り出す。できる限り怪我には触れたくなかったが、全身にある裂傷はさけることができない。

 無意識下にありながら、痛みに喘ぐエイルに謝りながら、ティゼルは丁重に抱き抱えるとすぐに自分たちを治療してくれた病院まで走る。



「転ばないようにね〜」



 脳天気な様子で手を振り見送る女は、すぐ下にいる真っ白な少女――ミーシュを目にする。糸を垂らしてふわりと着地し、口元に薄い笑みを浮かべ近寄る。

 女が近づくとミーシュは後ずさる。そんなやり取りを何度か繰り返すと、耐えきれずに女は笑い声を上げる。



「そんなに怯えなくても、私は無害だよ。 しばらくすれば私の気配にも慣れるさ。 そうだな、アイアスはいる?」



 見知った人物の名が女の口から出てきたことに戸惑いを見せる。それが答えとなったのだろう、女は「さすが私の勘」と呟くと地面に垂れた糸の方へと歩いていく。

 糸の上に立ち、踵を鳴らすと糸は生きていたかのように女のスカートの中へと潜り込んでいった。



「も〜、そんなに怖がられるとさすがに傷つくよ。 全く、人間は少し臆病すぎるん――」

「――ネア。 どうして、ここにいるのですか」

「おぉ! アイアス! 久しぶり〜」



 道の奥、普段の柔らかく優しげな声とは違って、棘のあるアイアスの声。瞳も睨みつけるように細められ、いつも見るアイアスとは別人のように思えた。



「どうしても何も、おもしろそうなことになってるよ! ってのを教えに来たんだよ」

「それは、エイルが傷だらけになっていたことと関係が?」

「そそ。 まぁ、詳しい話は別のとこで。 私、お腹すいちゃっててさ。 なんかない?」

「生憎、余所者に食わせるような余裕はありません。 食べなかったからと言って死ぬわけではないでしょう。 事情を話したらすぐに出て行ってください」



 アイアスの嘘にミーシュは目の前にいるネアと呼ばれた女への警戒を一層強める。

 魔女の襲撃はあったものの、食糧難になるようなことはなかったし、以前からそういった話があったわけでもない。

 だと言うのにアイアスがそう言ったのは、ネアを少しでも村から遠ざけたい一心だったからだろう。



「あ、そうなの。 それは残念」

「で、話とはなんですか」

「こんなところで話すの? 私疲れたし椅子に座りたい。 あ! あの子と同じとこがいいかな、あの落とし子の」

「それは――」

「ダメとか言わないでよ。 いくら仲良しのアイアスでも嫌いになっちゃうから」

「……わかりました。 ですが、一つ約束を」

「何?」

「彼に、何もしないでください」

「りょーかい!」



 背筋を伸ばし敬礼する仕草だけを見れば笑えるものだが、ネアの放つ気配が空気を冷たく淀ませていたせいで笑えるような状況ではなかった。

 ため息混じりにアイアスが案内するために背を向けると、ネアもそれについて行くように歩き出す。が、思い出したかのように声を上げると、スカートの下から尻尾のように束ねられた糸を出す。

 それは人の手の形を作ったかと思えば、すぐにミーシュの身体を掴み上げた。



「この子も連れてくことにする」

「何、これ! 嫌、離……して!」

「ヤダ。 離したら逃げちゃうでしょ」

「ネア、彼女を離してあげてください。 着いてくるように指示しますので」

「だって。 着いてくる?」

「わ、わかったわ。 着いていくから、離してっ!」



 パッと手が開き、糸はまたスカートの中へと戻っていく。

「ごめんね」と差し出された手を見上げると、シスターベールの下にある瞳が妖しく光っていた。


 赤く、紅く、朱く、赫く、緋く――――

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