24.小さな聖騎士

 シゼレイア聖国は現在、国としての機能を失いつつある。

 聖都の崩落。それ即ち国の崩落を示している。

 戦争やそれに連なる非常事態の際であるならば、同盟国である花国かこくフラリィスが駆けつけてくれる手筈となっているが、魔王の手があまりに早く、花国の騎士たちが大聖堂に到着した際には手遅れであった。



「うひゃぁ……魔王ってのはこんなにでっかい都市一つ滅ぼせるほど強いんですかぁ……」

「当たり前だろ。 勇者として名を馳せたユーゼルでさえ討伐できずに封印してるんだ。 ちょっと強いだけの俺たち人間様にゃ、勝てる余地ってモンがねぇんだよ。 わかったんなら手動かせ!」

「足は動かしてますけどね」



 国の象徴である大花と蜂の描かれた鎧。それは花国からの救援部隊であることを示していた。

 彼らが今見ている光景は、かつて訪れたことのあるはずの都市。そうだと言うのに、最早その時の記憶を思い返すことさえ難しいほどの荒れ具合だ。

 辛うじて建物であった名残を感じさせる区画が残されているおかげで、今立っている場所が街道であることを認識できる程度だ。

 瓦礫の山と、燃え尽きた家屋。そしてそのままにされた住民の身体が散乱する凄惨な街並み。

 そして何より、呼吸を蝕むほど濃い瘴気が彼らの足取りを重くさせた。それは街の中心――大聖堂に近づくに連れて濃くなっていく。



「……そりゃあ、いますよね。 魔物」



 恐らくは飼育されていたであろうペットの鳥や犬。そして家畜として育てられていたはずの動物たちが獣とは違う姿で闊歩する。

 爛れた肉からは嗅覚を麻痺させる腐敗臭を放ち、脇腹の骨を羽のように大きく広げた。他の動物たちを喰らったのか、吸収したのかその身体は異常に大きく、群れを成す魔物たちの中でも一際目立つ存在だった。



「ひぇ〜、あんなのに勝てるんすか?」

「バカ、勝つしかないんだよ」



 男の号令でその場にいる者たちは剣を構える。

 見ているだけで痛々しい骨を軋ませると、巨大な犬は他の魔物たちに命令をするように咆哮する。



「気を抜くなよ、お前ら! 聖女サマを見つけて救出しなきゃ、我らが王様にドヤされちまうぞ!」



 いつもの通りならば、その男の声に続くように野太い雄叫びのようなものがあるのだが、今回は違った。

 寂しげな反応に男が振り向くと、全員が上を見上げていることに気がつく。



「ん、あ? ……なんだぁ?」



 大きな羽を持つ鳥。

 目を凝らして見つめていると、次第にそれがこちらに近づいてきていることに気がついた。



「人ぉ!?」



 男の間抜けな声はすぐに瓦礫が弾け飛ぶ音に掻き消える。

 舞い降りてきた羽を持つ人影は、天使と見紛うほど美しい羽をはためかせ、砂煙を払う。

 そこに立っていたのは、小さな少女だった。

 桃色の目立つ髪を頭の上で大きな団子にしてまとめている、愛らしいの瞳を持つ少女。

 少女はシゼレイアにて語られる天使そのものという風貌だが、おとぎ話や伝承の中から突如現れたものではないことを、その鎧が証明していた。


 少女の身体に合わせて特注したと見られる、鎧にしては小さなもの。

 この国の聖騎士であることを意味する羽を模した紋様が描かれたそれに、男は目を疑う。



「……エイル、ライラ」



 少女の悲しげな横顔が、男の帰りを待っているであろう愛娘の姿と被る。仕事でしばらく会えない、とそう伝えたときに見せた表情。

 少女を愛娘と被せてしまった男はすぐに魔物から守るべく剣を取る。

 一人でどうにかなるような量ではなかったが、後ろにいるだろう呆気に取られた騎士たちを鼓舞し、共に走る。


 少女の降臨に身を強ばらせていた魔物たちも咆哮を上げ、駆け出した。

 火を吹き、ヨダレを垂らし、目を血走らせ、まずは目の前に降り立った少女を屠るためその牙を剥く。



「……だから、ミリィも残ると言ったのに」



 少女は襲い来る魔物たちに目も触れず、腕を横一文字に振る。

 薄く白金に輝く幾何学的紋様が五つ。その中心から先が鋭く尖った形状の、空中に浮かぶ矢のようなものを作り出す。



「止まれ!」



 男は咄嗟にそう叫ぶ。

 記憶の片隅に残っていたシゼレイアの聖騎士たちについての知識。あれが魔女の扱う魔術ではなく、女神の術を模したものであると気づけたのは、直前に見た少女の天使のような羽のおかげだろうか。



「穿て」



 少女の小さな号令と共に五つの矢が射出される。

 たった五つしかないはずの光の矢は、万夫不当の英傑のように魔物たちを肉塊へと作り替えていく。

 圧倒的な力の前に、魔物の身体能力も、身を震わせる咆哮も、人の身を焼く炎すら無力だ。



「勇者と、ライラ。 どっちを探すべき。 それとも、やっぱりミリィだけで魔王を――」



 光の矢に蹂躙されている魔物たちの奥、痛々しい姿の巨大な犬が、飛び出した骨を槍のように少女へ向け飛びかかる。

 少女の体躯の数十倍は軽くあるだろう巨体が地面と衝突すると同時に大地が揺れる。辛うじて形を保っていた建物が崩れ、騎士たちから悲鳴が上がっている。



「な……! ぶ、無事か!」



 少女の身を案じ、すぐに飛び込んだのは騎士たちをまとめあげていた男だ。娘と同等かそれよりも幼い少女が魔物に押し潰されたのを見て黙っていられるほど、男は薄情ではなかった。

 魔物が飛びかかったことで大きく沈没した地面に何度も声をかけるが、応答はない。

 中に入ろうにも、岩盤が崩れたせいで舞い上がった煙が邪魔で地面が見えない。無闇に飛び込むことは得策ではないと理解していたが、返事がないことに焦りを覚え、男は飛び込む決意を固める。

 身体が硬い。剣を握る手に力が篭もる。

 喉を鳴らし、意を決したように一歩踏み込んだその時、煙の中に小さな人影を見た。



「犬は、ちゃんとリードつけてないと危ない。 放し飼いはあんまり推奨しない……」



 魔物の頭蓋を踏み砕いた少女が、もう一度背中に羽を生やし飛び上がる。



「あ、グリフィス。 よかった、生きてた」



 少女が上空から見つけたのは自身が姉のように慕う聖騎士エイルの愛馬、グリフィスだ。

 助けに入ろうとした男のことなど最初から見てもいなかったのか、少女は何かを言うこともなくそちらへ飛んでいってしまった。



「……無事なら、いいか」



 説明を求めたかったが、男は思考を放棄した。

 微かに息が残っていた魔物たちにトドメを刺し、作業を続けたが、男の頭にはどうしても先程の少女が離れないでいた。


 本来ならばその聖騎士が筆頭に聖都の立て直しをしなければならないのを、花国の騎士であるその男が引き受ける形になった。

「王の為とは言え……」と小言を言いながらも、他国のために指揮を執る男に、騎士たちは静かに従った。



 ◆



 村の復興作業も滞りなく終わりを迎え、少しずつではあるが元通りの生活を送れるようになっていた。

 元々、被害は特定の箇所にしか広がっておらず、農作物などを栽培している畑などは無傷であったことから危機に瀕するようなものではなかった。

 怪我人こそ出たものの、死者はいなかったことは不幸中の幸いだっただろう。

 ミーシュの協力も合ってか、瓦礫の撤去から崩壊した住宅の補強、新たな住宅の建設も終わっていた。

 村は元通りに戻ったと言えるだろう。



「全然他所から人が来なくなったけどな」

「仕方ないだろう。 アイアスからの話だと聖都が陥落しているかもしれないんだ。 それに、この村は魔女の襲撃を受けた。 誰もそんなところに来ようとは考えないだろうよ」

「だよなぁ……俺もこの村にはいたくねぇもんなぁ。 いつまた魔女が来るかもわかんねぇしよぉ」

「だが、この村はある意味じゃあ最も安全かもな」



 屈強な大男はその体躯に見合わないスイーツを手に、自身の顎髭を撫でる。そのスイーツを置いたテーブルでは爛々と目を輝かせる真白な少女――ミーシュがいた。



「ありがとー! やっぱり甘い物がないと生きていけないのよ、人間は!」

「甘い物好きなのはいいんだが、大丈夫なのか、そんなに食べて」

「体型のこと? それなら別に気にしてないからいいの」

「そういう問題か?」

「いいの、好きな物食べらない方が嫌」

「たしかにな。 食べたいモン食べれない方がキツいか」



 子を見守る父親のような笑みで厨房へと戻っていくギジル。それを恨めしそうに薄い頭の男――クトウが見ていた。

 眉をひそめ、目を吊り上げ、口元は大袈裟に尖らせている。何か言いたげな様子のクトウに視線をやる。

 暗めの木材で作られたカウンターテーブルをリズム良く指で叩き、グラスに入っていた水を飲み干す。



「また俺の奢りかよ」

「ダメ? クトウさん」

「……いいけどよ」



 純新無垢な金色の瞳に穿たれ、クトウは口を尖らせたままそう言った。

 ミーシュがこの店で毎回食べている甘味の料金は毎度クトウが支払うことになっている。初めこそ本当に嫌がっていた様子だったのだが、次第に諦めたのか、受け入れたのかクトウは文句を口にするものの、本気で嫌がる素振りは見せなくなった。



「ちょろいなぁ、クトウさん。 大丈夫? 悪い女の人に騙されないでね」

「騙されるか! こちとら女房一筋だっつーの!」

「えっ、奥さんいたの」

「なんで会う人みんな意外そうな顔すんだよ!」

「そりゃ、お前が結婚してるの知ったら誰でも驚くだろ」

「どういう意味だ!」



 クトウがギジルに掴みかかり、他の客たちに笑われている中、ミーシュも共に笑っている。

 少し前までは一人で、しかも素顔でこうしていられるようになるとは考えもしなかった。

 ユウと名乗る魔女を撃退したことで、ミーシュの見た目とその力についての警戒心は下がってくれたように見える。

 本心ではどう思っているのかまではわからないが、少なくともこの店の常連客たちはミーシュを、『甘い物が好きな少女』として認識している。

 そのためミーシュもこの店では人目を気にすることなく、自由に振る舞うことができる。

 中でも、店主であるギジルとその友人のクトウとは、こうして普通の会話ができるほどだ。



「そういや嬢ちゃん、そろそろ時間だぞ」

「え、もう?」



 ミーシュが今こうして一人で行動しているのは、普段共にいるティゼルがネアとの手合わせに行っているからだ。

 基本的に休む日もなく、ティゼルはネアとの戦闘訓練に挑んでいる。そのためこうしてミーシュは一人でいる時間が増えつつあるのだ。

 そのティゼルを迎えに行くため、そしてボロボロになったティゼルを手当するためにミーシュはこの時間になると二人がいる平原まで行っているのだ。



「じゃあまた! 美味しかった! ありがと、ギジルさん!」

「おう、また来な」



 ギジルと、一応クトウにも手を振り駆け足気味でミーシュは目的の平原まで行くことにした。



 ◆



「ティゼル君はどうしたい?」

「……っ、ぁ? なに……が」



 肩で息をするティゼルとは対照的に、汗ひとつ流していないネアの問いかけの意味がわからず聞き直す。

 ネアとの手合わせも一段落、というよりも体力の限界が訪れた。膝に手を当て、汗で地面を濡らすティゼルの脳はいつもほど回転していない。



「おばあちゃんを助けたい?」

「聖女、様を? そりゃ、助けたい」

「そだよね」

「生きてる……のか?」

「知らない。 けど、ライラを魔王が殺すとは思えないんだよ」

「心当たりは……?」

「普通に考えれば魔王の城だね。 どうする? 目指す?」

「……」



『心当たり』というのはそちらの意味ではなかったのだが、居場所の方も気になってはいるので黙っていることにする。

 聞き直したところで答えてくれるかもわからない。


 何より、ティゼルに残された唯一の家族であり、この国の聖女ライラ。

 そんな人物を助けないという選択肢はあるはずがなく、魔王が聖女に対して何を思っていようと関係ない。



「よし、じゃあティゼル君には――」



 助けたい、とそう思ったティゼルだったが、ネアの飛び切りの笑顔を見てすぐに嫌なものを覚える。

 ネアが笑うときは大抵、ティゼルにとって嫌なことが起こる前触れ……無茶振りや無理な指導、果てはおやつのための使いっ走りなどロクなことがない。

 聖女に関して、救出などの相談事はアイアスにするのが正解であると告げる本能に従い、すぐにその場を離れようと構えを見せたティゼルだが、次の瞬間にはその場に組み伏せられていた。



「では、私と一緒に旅に出ましょう」

「――はぁ?」

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