5.出立
「持ち物はそれだけでいいのか? 食料などはこちらで用意してあるが……」
「俺、別に私物とかもないし、最低限の衣服と、この剣だけで充分」
三方を森に囲まれた小さな村の、小さな門の下、ロイロから渡されたカバンを背負ったティゼルは先に準備をしてくれていたエイルと同行する数名の聖騎士たちのもとへ来ていた。
ティゼルの背後にはロイロやダロス、見送りに来た村人たちが大勢いた。少し、というかかなり気恥ずかしかったが、善意で見送りに来ているのがわかっているので無下にすることもできず、結果あまりそちらを見ないということで誤魔化している。
荷物を聖騎士たちの積荷に乗せ、ティゼルはエイルの馬だという一際体格のいい黒馬に跨がるため跳躍の構えを見せる。
「――っと、賢いなコイツ」
そんなティゼルを気遣ったのか、エイルの馬が足を曲げ、乗りやすいように身を屈めてくれた。
感謝を示そうと首の当たりを撫でると、低い唸り声のようなものを上げた。機嫌が悪いのかと思い、咄嗟に手を離すと近くでエイルが笑っているのが見えた。
「グリフィスはそんなことでは怒ったりしない」
「そ、そっか、それならよかった……」
走っている最中に振り落とされでもしたら、と想像を働かせていたためその言葉はありがたかった。
恐る恐るもう一度撫でてみると、今度は唸り声を上げることはなく、小さく鼻を鳴らすだけだった。
「手網は握っているか?」
「あ、ああ、握ってるけど……」
「ならば大丈夫だ。 それに、私が後ろに乗る、ティゼルが落ちることは絶対にない」
「そうか……そうだよな」
すぐにエイルがティゼルの背後に乗り、共に手網を握る。
遂にこの時が来たのだと、胸の内に様々な感情が湧き上がる。
これから先に広がる世界への期待と、村を離れることへの寂しさ、そしてほんの少しのグリフィスへの信頼。
呆れたように首を振ってみせたグリフィスと、背後で小さく笑うエイルに挟まれ、自分がこんなにも小心者だったとは、と考え込む。
「それでは行くぞ」
「ああ……うん。 行こう」
「いいのか? ロイロ殿や村人たちへの挨拶は」
「もう昨日の内に済ませてるしさ」
「いいのだな」
エイルの指示でグリフィスが村を出るために背を向けた。
手綱を握る手に力が篭もるのはきっと馬に乗るのが初めてだからだ、と自分に言い聞かせる。
晴れ晴れとした空を見上げる。旅立ちの日には持ってこいの晴天。少し……ほんの少しだが滲んだ太陽が疎ましくて、すぐに視線を元に戻した。
決して下は向かない。後ろも振り向かない。
これから、ティゼルにとって初めての世界へと――
「ティゼル」
優しく、撫でるような声。
聞き慣れた家族の声にティゼルの思考は止まる。
「――頑張れよ」
ロイロのその言葉を皮切りに、ティゼルの背後から沢山の声が飛んでくる。
背を押されるようなその言葉に後ろ髪を引かれるが、もう決めたことだ。後ろは振り向かない、と。
「――行ってきます」
エイルの影から手だけを伸ばし、小さく振った。
声が震えないように意識することが精一杯で、気の利いた言葉など出てこなかった。
「では行くぞ」
「……おう、行こう!」
ティゼルのその声とともに、グリフィスが走り出す。
揺れる背の上でティゼルは伸ばしたままのその手をひたすらに振り続けた。
「……遂にティゼルがこの村を出る日が来たか」
「いつの間に大きくなったのかのう。 あんなに小さな子どもだったはずじゃが」
「子どもの成長は早いもんだな」
「ダロス、お前に子どもはおらんじゃろ」
「……うるせぇ」
悪態をつくダロスだが、すぐに豪快な笑い声を上げる。
それに引っ張られるように村人たちも笑う。
「長生きしないと、じゃな」
目頭をぐっと抑えたロイロが小さく、そう呟いた。
◆
馬での旅路は想像以上に疲れるものだった。
普段森で走るのとは大きく異なり、その身に浴びる風に体力を大きく奪われる。揺れる背に跨り続けるのにも集中力や体力を割かれる。
それに加え、グリフィスを御するならばティゼルはすぐに音を上げていたことだろう。
エイルや他の聖騎士たちが大きく見える。
途中、聖騎士から積荷に乗るかと提案されたが、あまりに窮屈そうであったため断った。
それに、こうして馬の背に跨る経験などこの先あるかわからないのだ、乗っておきたいという好奇心の方が勝っていた。
「疲れてはいないか? 聖都まではあと二日は軽くかかる。 次の村までもまだ相当な時間があるぞ、休みたくなったらすぐに言ってくれ」
「いや、大丈夫。 ていうか、二日で着くのか?」
「最短で、天気に恵まれればな。 私たちの乗る馬は普通の種とは少し違い、移動用に最適化された種だ。 村にいる馬よりも数倍速く走れるんだ」
「さ、さすが聖騎士の馬だな」
思えばティゼルの乗るこのグリフィスという馬は村にいる馬よりも二回り以上は大きい。
であれば歩幅も体力も筋肉量も桁違いだろう。ティゼルはグリフィスの背を少し撫で、その頼もしさに心を躍らせた。
「あまり気軽に触れてやるな。 コイツはこう見えても女の子なのだ」
「そ、そうなのか!? 馬もそういうの気にしたりするのか……」
「他の馬がそうなのかは知らぬが、グリフィスは少し自分を人間と思っているところがあるからな」
「へ、へぇ……」
軽々しく触って申し訳ない、と思うと手綱を握るのも少し遠慮してしまいそうになる。
さすがに転落することは避けたいのでその遠慮はすぐに消え去るが。
気持ちよく風を切っていくグリフィスの速度にも少しずつ慣れ始め、周囲の景色を堪能する余裕が生まれてきた。
初めて見る村の外の景色だったが、ティゼルの中に感動はあまり生まれなかった。
グリフィスの速度で見える景色は引き伸ばされたように移り、ティゼルの鋭い五感で辛うじて捉えられた景色も、別段変わったものもない、言ってしまえばただ木々が乱立するようなものばかりだった。
一応次の村までの道のりは示されてはいるが、都心部でもない片田舎に変わった建物や景色などあるはずもなく、少し期待外れ感を抱く。
「そう肩を落とすな。 聖都に着けば面白いものが沢山見れるぞ」
「……そうだな! 楽しみにしておくよ」
聖都。シゼレイア聖国が誇る大都市で、人・物・情報の全てが集まる場所。
各地から来た商人や旅人、村にはいなかった貴族など様々な人々が生活する都心だ。当然、その大きさはティゼルが暮らしていた村とは比較にならないほど大きいだろう。
ティゼルが聖都について知っていることはかなり少ない。
この国の中心で、大聖堂がある都市。その程度の認識だ。
だからこそ、まだ見たことない物や人が広がっているのだろうという期待に胸が膨らむ。
(大聖堂……。 俺のばあちゃんが聖女様、か)
その一点のみ、どうしても拭いきれない不安があった。
考えても仕方のないことだと言うことは理解している。その不安があっても、エイルとともに村の外へ出ることを決めたのも自分自身だ。
だからこうして不安を抱くのも少々お門違いというものだろう。
(祖母、か)
腰に下げた剣に触れる。
衣服以外で村から持ってきた唯一の物だ。山羊頭と戦ったとき、ライゼルが持っていたあの白銀の剣。
武器として、そして形見として持ってきたそれに触れると不思議なことに、これから出会うであろう自身の祖母への不安は薄れていった。
(会ってみないとわからねぇよな)
見たこともないもの、会ったこともないのに人に不安を抱くのは当たり前のことだ。
そんなものを一々気にしてしまうのは余計に疲れてしまう。
今はただ、この風に身を任せるだけでいい。
◆
石造りの舗装がされた綺麗な道に感動し、立ち並ぶ建物に目を奪われふらふらと歩き回っていたティゼルだったが、追いかけてきたエイルに抱えられ、今晩泊まる予定の宿まで戻ってきた。
厩舎の方では聖騎士たちが馬を休ませており、宿の食堂にはティゼルとエイルだけが先に来ていた。
他にテーブルに着いているのは当然だが、エイルのような鎧を着てなどはいなかった。
大きな剣を持った者や、商人らしき格好の者、あとはこの村の住民と思しき人たちだった。
「そうか、ティゼルにとってはこういったものでも珍しいのか」
「そりゃあね。 あの村に旅人なんて来ないし、商人だってあんなに立派そうな人は来なかった」
「だからと言って勝手に動き回られるのは困る。 ティゼルの素顔がバレればどうなるのか、言わなくともわかるだろう?」
「うっ……それはごめん」
魔王を封印した勇者と同じ蒼い髪と金色の瞳。一目見るだけでティゼルが勇者と関係する者、あるいは――
「生まれ変わりだの蘇ったのだのと騒がれてはさすがに面倒だ。 いずれ公表することになるかもしれないが――今はまだできない」
「だ、だからってこんなあからさまに怪しい格好じゃなくてもさ……」
現在のティゼルの格好は不審者そのものと言って過言ではなかった。
この村に入る前にエイルから渡されたのは、明らかにティゼルの体格には合わない大きめのローブだった。
ご丁寧にフードまで着いており、今はそれを深々と被ることで素顔を隠している。
これが嫌なら、と渡されたのは聖騎士たちが着けている鎧の兜だった。顔を隠すことが目的なのだとしても、兜だけ被っていては違和感しかない。
そんなもので注目を浴びるよりはまだこちらの方が幾分もマシだろう。
聖騎士に囲われるローブの男など逮捕された犯罪者にしか見えないが。
「恐らく、今後しばらくはローブ、もしくは兜を被ってもらうことになる」
「げっ、本気かよ」
「本気だ。 少なくとも大聖堂に入るまで騒動は避けたい」
「それは……そうかもだけど」
「すまないが、こればかりは譲れないことなのだ」
「はぁ……いいや、別に。 死ぬまでこのままって訳じゃないしな」
「ありがとう」
そんな会話の中、ティゼルは運ばれてきた料理を口に運ぶ。
豪華なものではなかったが、感嘆の声を漏らすには充分なものだった。
外に出て初めての食事という泊が付いているからか、これまで食べてきた何よりも美味しく感じてしまう。
「豪快な食べっぷりだな」
「そりゃ、食べ盛りだからな」
「そうか」
優しく微笑んだエイルのその表情はまるで弟を見守る姉のようで、周囲で二人を見ていた人々はなんだか少しだけ心が温まる思いをしたという。
厩舎での仕事を終えた聖騎士たちも食事を終えると、それぞれ宿屋の部屋へと戻って行った。
ティゼルも聖騎士の一人に着いて行こうとしたのだが、後ろからまたしてもエイルに抱えられ宿屋二階の大きな部屋へと入れられた。
「素顔は隠さなければならないが、ティゼルはライラ様の孫にあたる存在だ。 部下たちと同じ部屋に泊めるわけにもいかない」
「いや別にそういうの気にしないって」
「そう言うとは思ったのだが、さすがに部下たちの手前、ティゼルをそう扱うのは難しいのだ」
「いー、大人の世界は難しいな」
将来、自身もその世界に入ることを嫌がっているのか口を曲げ、わざとらしく悪態をつくが、エイルの言っていることに納得しているのだろう、素直に部屋へ入っていく。
「……いや、なんでエイルもいるんだよ」
「? 当然だろう。 誰がティゼルの護衛をするんだ」
「いらねぇよ!」
「そう言われても、既に部屋は二人分で取ってある」
「な、なんでそこで気が回らないんだ……」
「何、気にするな。 傍から見れば姉弟としか見えないだろう」
「あー、そういうことじゃないんだわ」
「姉、と言うには歳が離れすぎているだろうか」
「……もういいや」
恐らく、エイルという人物には常識的な何かが欠落しているのだろう。そう思うことにしてこの状況を飲み込んだ。
暑苦しかったローブを脱ぎ捨て、ベッドの上に飛び込んだ。
柔らかな素材でできており、疲れきったティゼルの身体はすぐに微睡みの淵へと誘われる。
「寝るつもりなら先に汗を流しておけ」
「ん、そうする」
簡単に湯浴みを済ませ、再度ベッドに飛び込んだ。
温まった身体と柔らかなベッドは心地よく、先よりも強い睡魔に襲われ、それに立ち向かうことなく瞼を閉じる。
余計なことを考える間もなく、ティゼルは夢の中へと落ちていった。
「ふっ……おやすみ、ティゼル」
鎧を脱ぎ、黒い肌着になったエイルが優しく微笑む。
自然とその手を伸ばし、ふわふわとしたどこまでも広い青空のような髪を撫でていた。
「弟がいればこんな感じなのかもしれないな」
その笑顔は聖騎士としてのエイルではなく、単なる一人の女性としての笑顔だった。
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