6.大聖堂

 村を旅立ってから今日で二日目。

 太陽が丁度頭上に登った頃、ティゼルを抱きしめるように後ろから手綱を握るエイルが、もう少しで聖都に着くと教えてくれた。

 初日に泊まったあの村を出てから、ティゼルの目に映る景色は少しずつ変化を見せた。

 すれ違う馬車が増えてきたのだ。行商人や旅人たち。聖騎士とわかると何人かは声をかけてきたが、ティゼルの素性を明かせない以上長話することもできず、興味はあったがどうすることもできなかった。


 それに加え、少し目を凝らしグリフィスが走る先を見つめれば、巨大な壁が見えていた。その後ろに少しだけ見えた大きな建造物、それが大聖堂であることは薄々ティゼルも気がついていた。


 そんな中、エイルから聖都が近いと告げられたのだ。

 ティゼルの胸中は今までにないほどに騒いでいた。



「遂にここまで来た……!」

「はしゃぐのもいいが、はしゃぎすぎてフードが脱げないように気を付けてくれ。 グリフィスに乗っている今ならまだいいが、もうすぐで聖都の北門だ」

「……任せろ!」

「衛兵には私が話を通す。 ティゼルは顔を伏せたまま何もしなくて大丈夫だ」



 エイルに言われた通り、ティゼルは北門に着くなり俯き、一言も発さずにいるとすぐにグリフィスが歩き出した。

 どうやらエイルが話を通せたようで、特に問題なく聖都に入ることができた。


 待ちに待った聖都に足を踏み入れた。

 すぐに顔を上げ、フードが落ちないように抑えながら周囲の景色を見渡した。



「すっ……げぇ……」



 ティゼルが15年間慣れ親しんできた景色とはまるで文明レベルが違うような気さえした。

 木造でありながら背の高い民家が敷き詰められたように立ち並んでいる。装飾に使われている植物も、心做しか誇らしげに胸を張っているよう。

 舗装された道はこれまで見てきたどの村のものよりも整えられており、人が歩く道と馬車が通る道で材質が少し違っているようだった。

 硬い地面では馬の足に悪いという配慮からだろう、グリフィスも歩きやすいのか、その足取りは軽いように見える。


 そして何よりも――



「人が、多いな!」



 思わず声を大にしてしまうほど人で溢れかえっていた。

 いや、もしかすれば今のこの人だかりは少ない方なのかもしれない。賑わっているのかどうなのかもわからないティゼルではこれが普段通りなのかが判断できないのだ。



(もし、これ以上があるなら……)



 今見渡す限りでも人しか見えていないのではないか、そう思えてしまうほどの光景だが、これ以上の賑わいを見せるときがあるのなら、ティゼルはきっとその中を歩けないだろう。

 見ているだけでお腹が膨れるような人だかりに充てられたのか、ティゼルは少しふらついた。

 グリフィスが心配そうに見ているが、目まぐるしく移り変わる聖都の街並みに対応するのは難しく、戻ってきたエイルに笑われながら大聖堂を目指した。



「人が多くて驚いたか」

「想像より多いなんてもんじゃない。 聖都に来るまでの村も結構人が多かったけど、ここに比べれば少なかったんだな」

「当然だ。 聖都はこの国の中心。 それに、ここは住宅区ではなく大通り区……買い物客なんかで賑わいやすい場所だからな」

「ほ、他の場所は人が少ないのか」

「ああ。 だが、ティゼルが想像しているよりかは多いと思うぞ」

「うげぇ……」



 もう既に移動しているときよりも疲れきった表情をしているティゼルはすぐに大聖堂を目指すようにエイルに言う。

 承知した、と笑いながら言うエイルに憎まれ口の一つでも言ってやりたかったが、そんな余裕もなかった。

 右を見ても左を見ても人ばかり。立ち並ぶ建造物の高さも相まって、息が詰まりそうになる。

 少し気を紛らわせようと遠くの景色を眺めると、そこに現れたのはこの国の象徴――聖女がいる大聖堂だ。

 いくつかの坂を登るのだろう。入り組んだ迷路のような街の中心部、どこにいても大聖堂が目に入るように周りよりも土地が盛り上がった場所にそれはあった。



「あれが、大聖堂なんだよな」

「そうだ。 他国……軍国や花国では王城があるが、シゼレイアではあれが王城の代わりだ」

「軍国に花国……?」

「知らないのか。 この辺りの地理や歴史を学ぶことは大切なことだぞ」

「俺、勉強とかそういうのはロイロさんからしか受けてないし」

「まあ、学ばずともその内理解できることもある。 今は気にする必要はない」

「……あー、父さんがそんな話してた……ような、気もしなくも……」

「全く……」



 呆れた様子のエイルとは対照的に、ティゼルは近づいてくる大聖堂に高揚感を隠しきれずにいた。

 それと同時に大きくなってくるものもあったが、そんな不安よりも興奮が今は勝る。自分の単純な性格に感謝しながら、街並みを堪能していく。



「あまり頭を動かすな。 フードが取れるだろう」

「わかってるよ! でも、気になるんだ!」



 門を通った頃とは街並みが変わってきていた。

 店が並んでいるという点では同じだが、露店ではなくしっかりとした建物を持つ店だ。

 武具を売っている店や、恐らくは薬草と思われる物を売っている店、大きな宿屋や昼間だというのに騒ぎ声が聞こえてくる酒場。

 本当に都市部に来たのだという実感がヒシヒシと湧いてくるのがわかる。



「大聖堂に着いたら後で自由時間をやる。 そのときに見て回りたい場所を今のうちに確認しとくといい」

「見て回る……のはもう少し街に慣れてからでいいや。 今すぐはちょっと……」

「はしゃいでるのか、そうでないのかどっちなんだ」

「こうやって見るのは楽しいけど、人混みに紛れるのはちょっとまだね」

「そういうものなのか」



 坂を登りきるとティゼルは垂直に上を見上げていた。

 大聖堂。そのあまりの大きさにティゼルは間抜けにも口を開けっ放しにし、それを見上げていた。

 明らかに民家なんかよりも歴史を感じさせる荘厳な雰囲気。だと言うのに全く古臭さを感じさせない美しさと神秘を纏っている不思議な建物だ。

 大聖堂の門を抜けるとすぐに視界へと飛び込んで来るのは大きな石像だ。


 女神グヴィレイア


 石像の下にそう名前が彫られている。

 その名はティゼルでも聞いたことはあった。と、言うよりも馴染み深いものだった。


 勇者に力を与えた存在。

 勇者を愛する存在。

 ティゼルの力の根源。

 それが女神クヴィレイアだ。

 父ライゼルの口から何度か語られたことはあったが、その内容をティゼルは思い出せなかった。

 被りを振ると、念の為に女神像に頭を下げた。



(知らなくてすみません)



 罰が当たらないことを祈りながらその前を横切る。

 生暖かな風が頬を撫でる。

 正面を見ると、大聖堂の入口が大きく口を開いていた。



「降りるぞ」

「お、おう」

「私とティゼルは先に戻る。 お前たちは宿舎に戻っていいぞ」



「はっ」と綺麗に揃った声を上げ、ともに来ていた騎士たちはティゼルたちとは別方向へと向かっていった。

 グリフィスもそれに着いていくようだったので、嫌がられることを承知で撫でてみたが、そんなことはなかった。



「またな」



 ティゼルがそう言うと頭を下げ、ティゼルの瞳を見つめた。

 まるで人間みたいな馬だった、と内心で呟き、エイルに続くように大聖堂へと足を踏み入れる。

 不思議と背筋が伸びる。緊張感からか、視線が右へ左へと忙しい。


 まず目に飛び込んできたのは正面の階段を登った先にある巨大なステンドグラスだ。

 太陽の光を浴び、色鮮やかなそれは赤い絨毯の上に神秘的な絵を浮かび上がらせている。

「おお」と声を漏らしてしまうのも仕方がないほどに目を見張る光景だ。


 階段を少しだけ上がれば二股に別れており、左右へと首を振って確かめる。

 どちらから登っても同じ場所に辿り着くことが出来るよう、円を描くような造りになっている。

 物珍しさに感動していたティゼルの先をエイルが先導するように歩き、時折後ろを振り返ってはティゼルの驚いた顔を見て笑っていた。



「楽しいのか?」

「た、楽しいっていうか……」



 上を歩くことを躊躇ってしまいそうになるほど鮮やかな真紅の絨毯を歩きながら、幅の広い廊下を眺める。

 先程から首を回し続けたせいで少々疲れているが、目を引くものが多いせいで自然と視線を奪われてしまう。


 等間隔に飾られた絵画や花の価値はティゼルに推し量ることは出来なかったが、そのどれもが一級品以上のものであることはエイルに聞かずとも理解出来た。

 聖都に足を踏み入れた時も人の多さに驚き、言葉を失ったが、ここ――大聖堂はその時よりも遥かに上回る衝撃があった。



「あまり歩き回るなよ。 迷子になられては探すのも一苦労だ」

「わ、わかってるって。 俺もそこまで子どもじゃない」

「どうかな」



 何度目かもわからない感嘆の声を漏らし、ティゼルたちはようやく足を止めた。

 重厚さを感じさせる薄茶――というよりは黒に近い扉。慣れたようにエイルが手をかけ、ノブを回す。

 よく村の扉を開いたときに聞いたような木の軋む音はなく、静かに扉が開いた。



「私の執務室だ。 疲れただろう、私は少し部屋を留守にするので、自由に使ってくれて構わない」

「気をつける……」



 何に?と自分の心に問いかけたかったが、咄嗟に出てきた言葉がそれだった。

 恐らくはエイルの私物を壊したりしないように、という意味合いなのだろう。


 ずっと着ていたローブからようやく解放され、それを丁寧にテーブルの上に置くと、ティゼルは黒く長い椅子に恐る恐る腰掛けた。

 柔らかい。

 底なし沼なのかと錯覚してしまうほど身体が深く沈んでいく。思わず立ち上がり、手で押し込んでみると、やはり吸い込まれるように沈む。

 感動することにも疲れ始めたのか、ティゼルは小さく息を漏らすともう一度腰を落ち着かせようと膝を曲げた。



「聖都……恐ろしい場所だ……」



 部屋の壁には小難しそうな分厚い本が並べられており、見ているだけで頭が痛くなってくる。

 少し左へ視線を逸らせば外の景色が見える。

 大聖堂が聖都の中でも少し高い位置にある建物ということもあり、そこから見える景色は息を飲むものだった。

 街の全て……と言うほどその全容はさすがに見えはしなかったが、それでも聖都の半分は見えているのではないかと思えるほどの絶景だ。



「来て良かったな」



 素直な感想だ。

 目を瞑り、全てを包み込むような背もたれに全身を預ける。

 今頃、ロイロやダロスたちはどうしているのだろうか。

 村に残った聖騎士たちと協力して復興に勤しんでいるのだろうか。

 そう考えると、ひとつも協力せずに村を出てきてしまった罪悪感が押し寄せてくる。



『自由にするといい。 儂らのことは気にするな』



 村を出る前日、ロイロに言われた言葉を思い出す。

 心の中に生まれた罪悪感が少しだけ楽になる。それと同時に、なんだか寂しいようなそんな気もした。

 永遠に会えなくなったわけでも、帰れないわけでもないが、いつも傍にいてくれた存在が近くにいないと言うだけで、こんなにも心細いものなのか。

 目を瞑ったまま、ティゼルは故郷のことを考え続けていた。



 ◆



「すまない、待たせてしまった――っと、眠っていたのか」



 執務室へと戻ってきたエイルはソファの上に心地よさそうに寝転んだティゼルを見て、声を小さくした。

 本来ならばティゼルに街を自由に散策させたいと考えていたのだが、事前に本人から断られているため、予定していた聖女ライラとの謁見を少し早められるか確認を取りに行っていた。


 ライラの側近の聖騎士に話をつけるつもりだったのだが、聖騎士を押し避けてライラが顔を覗かせたため本人への直接の打診となった。

 無礼な申し出かとも思ったのだが、意外と言うよりも案の定、二つ返事で言葉が返ってきた。

 この国の頂点とは考えられないほど軽々しいその言葉に頭を抱えながらも、道中の報告を済ませ戻ってきた次第である。



「ティゼル、気持ちよさそうに寝ているところ申し訳ないが、起きてくれ」

「――ぁ、ああ……エイル、か」

「疲れているところすまない、これからライラ様が時間を作ってくれる。 着いて早々で悪いが、謁見だ」

「は……謁見って、俺作法とかそういうの知らないんだけど」

「謁見と言っても正式なものではないから気にする必要はない。 場所は玉座の間だが、ティゼルとライラ様の二人きりだ」

「気にするな、って……気にするだろ! 聖女様だぞ、王様と同じなんだろ!」

「ライラ様が直接言っておられたことだ。 ティゼルのやりやすいようにしてくれて構わない」



「うげ」と舌を出したくなる気持ちをぐっと堪えるが、エイルにはお見通しだったようで、呆れたようにため息を吐かれる。



「聖女様に対してそのような態度は不敬と見られる。 私の前では不問とするが、他者の前では絶対にするなよ」

「わかってる、けどさ……聖女様は俺の……」



 ティゼルの歯切れが悪くなるのも仕方がない。

 これから会おうとしているのはこの国の王に当たる人物であり――ティゼルの祖母だ。


 今まで連絡を取るどころか、その存在すら知らなかったティゼルにとって聖女に会うことへの緊張よりも、祖母に会うことへの気まずさが勝っていた。

 どんな顔をして会えばいいのか、何を話せばいいのか、どんな感情を見せるのが正解なのか、一向に答えの出ない問答が頭の中で繰り返される。



「私の後を着いてきてくれ」

「離れたりしないって」



 大聖堂に向かうことを決めたときから、こうなることは理解していた。

 どんな対応をするのかも決めていたはずだった。

 しかし、いざそのときを目前にしてみると、考えてきていたことが全て消し飛んでしまう。

 固めた覚悟も揺らぐ。それほどまでに気まずい相手だ。



「……そんなに畏まる必要はない。 家族なのだからな」

「家族だからこそだ……」



 ティゼルの目の前に現れたのは神々しさを感じさせる白の扉。

 人の背丈よりも遥かに大きなそれを見上げ、ついにこのときが来たのだと、唾を飲む。

 扉の前にはエイルと似た鎧に身を包んだ聖騎士が二名立っており、儀式用と思われる大きな槍を持っていた。



「どうぞ、中へ」



 男の声だ。

 ティゼルよりも確実に歳は上だろうが、その声からはティゼルを敬おうとする気持ちが感じ取れる。

 エイルの部屋に戻りたい、というティゼルの気持ちを無視して扉は開かれる。


 隙間から漏れ出る光は青白く、自然界のものではないそれは人工的なものでありながら、どこか幻想的だ。

「すぅ」と息を吸い込み、「ふぅ」と長く吐き出す。

 一緒に緊張や不安も出て行ってくれたのなら喜ばしかったのだが、どうやらそれらはティゼルからしがみついて離れようとしてくれなかった。


 カツン、カツン、と硬質な足音が耳に届く。

 完全に開かれた扉の先へティゼルも足を動かした。

 階段の上、青と白を基調としたステンドグラスから差し込む光の中から人の影がこちらに近づいてくるのがわかった。

 高まる緊張感に身体がぎこちなく動く。

 まだ後ろにいるであろうエイルに助けを求めようと、後ろを向く直前、扉が閉まる重たい音が響いた。

 助けは呼べない。

 エイルが言っていた通り、二人きりだ。



「本当に――本当にユーゼルの……いいえ、ライゼルの子、なんですね」



 静謐なこの場に、冷たくも優しい温もりを感じさせる声が降る。



「そんなに緊張しなくてもいいのよ」



 ティゼルの縮こまった様子を見てか、その声の主は笑ってみせた。



「聖女である前に――」



 老い、枯れ果てたような老人などではない。

 たしかに顔の皺や、白くなった頭髪は村でも見かけたことがあるような艶のあるものであった。

 全身に伝わってくるこの感覚は年老いた人間から放たれるものとは到底思えないもの。


 若かりし頃の美しさの名残を見せる柔らかな笑み。

 青と白を基調とした威風堂々たる聖女のローブ。シゼレイアの国旗をあしらった金の刺繍と象られた翼の紋様。

 首から下げた両翼のペンダントが光を反射して銀の輪を描いていた。



「貴方のおばあちゃんなのですから」



 慈愛に満ちた笑みを浮かべ、聖女ライラ・ラ・シゼレイアはティゼルの前に立ったのだった。

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