4.選択



「決めるのはお前だ、ティゼル」



 父ライゼルの墓の前で膝を抱えたティゼルの背後、声をかけてきたのはこの村にいる唯一の医者、ダロスだ。

 左右にも前後にも身体の厚いダロスの影が伸びてくる。振り返れば、医者とは思えない強面の顔をティゼルに向けていた。



「ロイロはあの聖騎士様の言うことに反対しなくちゃならないと考えてんだ。 それがロイロの役目だと」

「役目ですか」

「ライゼルを追い出した大聖堂を信用できない。 だが、世界の命運がかかっている今、そんなワガママを突き通すわけにもいかない……」



 ダロスもまた、ロイロと同じく過去の出来事を知っているようだった。



「そして何より、ロイロはお前を何よりも大切に思っている。 お前には自由に生きてもらいたいと考えているんだ」

「……勇者になることを反対している、と?」

「そういうわけじゃねぇと思うぞ。 親っつーのは難しいんだ」

「子どもいないじゃないすか、ダロスさん」

「うるせぇ。 それでもわかるんだよ、この村の連中はお前をそう見てるからな」



 大人の話はいつもわからないことばかりだった。

 曖昧で、言葉を濁して、婉曲で、まるで住む世界が違っているような疎外感すら覚えてしまう。



「親は子どもの幸せを願ってる、っていう話だ。 お前が幸せになれるのなら、ロイロは何も言わない。 お前が決めて、お前が歩いてくんだ。 勇者になれ、なんて言わねぇよ」

「俺が決める……」

「まだまだガキのティゼルには難しいかもな」

「もう15だ。 いつまでも子どものままじゃいられない」

「わかってんじゃねぇか」

「わかってるつもりですよ」



 そう言うと、ダロスはこの場には似つかわしくない豪快な笑い声を上げて、雑にティゼルの頭を撫でた。

 乱雑な撫で方ではあったが、そこから伝わる温もりはたしかに暖かく、ティゼルを思いやっていることが伝わってくる。

 手を振り払い、視線を元に戻すとティゼルは思考するために口を閉ざした。それを察したダロスも口を閉ざし、周囲を見渡し、もう一度ティゼルの頭を撫でるとどこかへと姿をくらました。


 最悪の形で父と向き合い、ティゼルは考える。

 まだ大人になれない子どもの思考では上手く考えがまとめられず、何度も何度も同じことを繰り返す。

 ああでもない、こうでもないと否定を繰り返し、肯定もできずに堂々巡り。



「俺が決める。 自分の道……この先も、この力の使い方も」



 視線を左右に動かせば、そこに広がるのは自分が守れていたかもしれなかった悔いの証。

 この全てをティゼルが背追い込もうとするのは烏滸おこがましいことなのかもしれないが、勇者の力を持つ者として、そう考えざるを得なかった。


 自身の力と向き合えていたのなら、結果は大きく変わっていたのかもしれない。

 後悔しても遅い。かつての自分の選択が間違っていたことは確かだが、その解答を用意できるほど大人でもなかった。

 仕方のないことだった。



「だけど、今は違うよな」



 勇者の力を認識し、その力を振るう者として向き合う必要がある。

 その力をこうして手にしてしまった今、かつての自分のように目を背けることは仕方のないことなのだろうか。


 首を振る。


 もう二度と、後悔のしない選択を。



「父さん、俺勇者になるかはわからないけどさ、少し前に進んでみるよ」



 前を向く。

 月のように丸く、輝く瞳に迷いはなかった。



 ◆



「エイルさん、この村からはいつ出るんですか?」

「そうだな、もう二週間近く滞在しているが、まだ復興の目処は立たないだろう?」

「そうですけど、エイルさんはずっとここにいるってわけじゃないですよね」

「む、ああ、騎士団ではなく私個人への質問だったのか、すまない」



 聖騎士たちが滞在するために建てたテント。その中でもシゼレイア聖国の旗を掲げた大きなテントにティゼルは足を運んだ。

 目的を問われれば単にエイルと会話をしてみたかっただけだ。

 エイルという人物がどういう人物なのか、昨日話ただけではさすがに人となりは見抜けなかった。


 ティゼルの対面に座っているエイルは切れ長の翡翠の瞳を少し上に向けて考え込む。



「魔女の襲撃による魔物の発生もなく、あとの村人の手当や捜索も部下の騎士たちで事足りるだろう。 私は数日で大聖堂に戻ることになるはずだ」

「そうですか。 あと数日」



 エイルがこの村を去るまであと数日。具体的な数字は出ていないが、明日急にということはさすがに考えにくい。

 最速でも二日後と考える。その間、ティゼルは自身の今後について考え込むつもりだ。

 この先を大きく左右することになるかもしれないというのに、二日という期間はあまりに短すぎる。



「何か問題があったか?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」



 エイルが気を利かせて用意してくれた紅茶を喉へと流し込む。

 あまり飲んだことはなかったが、心地のよい香りと味わいが癖になる良質なものだった。



「エイルさんは――」

「言おうと思っていたのだが、エイルで構わない。 ティゼル様のような方に畏まった呼び方をされるのはむず痒い」

「えーと、それなら俺のこともティゼルで構わないですよ。 “様”なんて付けないでください」

「それは……」

「口調は普通なのに呼び方は、って変じゃないですか。 あー……じゃあ俺も普段通り話すから、対等に行こう」

「……そこまで言われて断るのも、失礼な話か」

「そうそう」



 押し込まれる形でエイルがそれを飲み込むと少し呼びにくそうに一度だけ「ティゼル」と呼んだ。



「それで、何か質問があったみたいだが何だ?」

「あー……エイルは俺を勇者にしたいのか?」

「……直球だな」

「回りくどく聞いたら面倒くさいだろ?」



 大きく息を吐いたあと、椅子の背もたれに寄りかかったエイルは本当に小さく唸り声のようなものを上げたあとで口を開いた。



「ああ、そうだ。 ティゼルには勇者として魔王を倒してもらいたい」

「魔王って……。 なんで俺なんだ? そりゃ、勇者の孫ってのはそうだけど、どう見たってエイルの方が強いだろ」

「強い弱いではない。 ティゼルの持つ力が必要なんだ」

「勇者の?」

「ああ。 厳密には女神様の、だが」

「……そういや、父さんもそんなこと言ってたっけ」



 まだ幼く、勇者というものに大きな憧れを抱いていた頃。

 ライゼルから語られていた話を思い出す。

 記憶の奥底に追いやっていたものだが、こうしてライゼルと、自身の力と向き合うことを決めた今、自然と奥底から湧き上がってくる。


 魔物や魔女は魔王の瘴気から産み落とされた存在。言わば魔王よりも種として遥かに劣る存在だ。

 そのため、極端な話そこら辺の村人でも倒せる可能性がある相手だ。


 しかし、魔王は纏っている瘴気の濃さが比にならず、普通の人間は近づくだけで死に至る。

 魔に属する者たちが放つ瘴気は人間にとって毒そのもの。魔物や魔女であっても瘴気による被害があると言うのに、それよりも濃いとされる魔王であればどうなるのかは想像に易い。


 そんな魔王の瘴気に対抗しうる力こそが、ティゼルの中に眠る勇者の力だ。

 今しがたエイルが言った通り、それは女神の力。女神の愛を一身に受けた者の証だ。

 ティゼルにそのような自覚はなく、女神存在を感じ取ったこともない。そのためそんな大層な存在の名を出されたところで、と思っていることは心の中だけに留めておく。



「勇者、ねぇ……」

「ロイロ殿と話をした後で、私も強引に勇者になってくれとは言わない」



 そう口では言っているものの、エイルの表情はそうではなかった。

 難しいことなのだろう。聖騎士としての使命と、人としての理性。もしもエイルが聖騎士としての使命だけを持ち合わせた人物だったのであれば、ロイロの言葉など無視してティゼルを連れて出たはずだ。

 そうしなかったエイルに対して、ティゼルは少なくない好感を抱いている。



「自由に……かぁ……」

「? どうした」

「いや、なんでもない」



 好きなように自由に、というのは案外難しいのかもしれないと天を仰ぐ。

 が、ティゼルの心は既に固まりつつあった。



「どうあれ私はティゼルとロイロ殿の意見を尊重する」

「そっか。 やっぱエイルはいい奴だな」

「私は出来た人間ではない」

「そうかな」

「そうだ」



 ふーん、と鼻を鳴らしティゼルは頭の後ろで手を組む。

 今まで騎士然としたエイルだったが、ほんの一瞬だけ口元を綻ばせ、笑ったような気がした。


 ティゼルはあと一人、話をしなくてはならない人物の顔を思い描きながら笑みを浮かべた。



 ◆



 聖騎士たちの手伝いのおかげで、山羊頭によって破壊された家屋の瓦礫や木々の破片が片付けられ、歩きやすくなった道の先、家を壊された人たちようにと設営されたテントが視界に入る。

 すぐにティゼルの目的の人物――ロイロの姿が目に付き、手を振った。



「お前の考えていることくらいわかるぞ、ティゼル」



 開口一番そう言って、ティゼルに背を向けた。

 その言葉からはエイルに向けられていたような鋭いものはなかったが、いつものような優しいものも感じられなかった。



「聖騎士様に着いていくつもりなのじゃろう」

「……本当にわかってるんだ」

「当たり前じゃ」



 ティゼルの心内を読み解かれ、驚いた様子もなくティゼルはそう返した。



「聖騎士様が来た時点でこうなることはなんとなくわかっていた」

「うん」

「自分で決めたんじゃろ?」

「もちろん。 けど、勇者になるかはまだわからない」

「そうか」

「勇者の力を持つ者として、この力をどう使うかは俺自身で決めたい」



 自身の内に秘められているあまりに強大な力に意識を向ける。

 ほんのりと暖かく、誰かに優しく抱きしめられているようなそんな感覚。不思議とその大きすぎる力に恐怖はない。



「それなら儂が反対する理由もない。 お前の好きなように生きればいい」



 背を向けたまま、ロイロはこちらを見ることはなかった。

 滅多に吸うところを見たことのない煙草の煙が宙に舞う。

 健康に悪いから、と少し昔にティゼルが辞めさせたものだ。キセルを置くと、真剣な表情でこちらを向いた。



「お前は儂の大切な孫じゃ。 何かあればいつでも帰ってくるといい。 どんなことでも力を貸してやろう」

「ありがとう――じいちゃん」

「――さっ、儂は色々とやることが多い。 まだ身体は本調子じゃないのじゃろう。 戻っておれ」



 もう一度背を向けたロイロの声は少しばかり震えていた。

 口元に薄く笑みを浮かべたティゼルは静かに、その場を後にした。



 ◆



「という訳で、俺も聖都に連れて行ってくれ。 エイル」

「それは……この国の聖騎士として喜ばしいことだが、いいのか?」

「ああ、大丈夫。 もう話はしてきた」

「そうか。 決めたのか」

「おう! 自分で決めたことだ!」



 椅子の軋む音が小さく響く。

 エイルがティゼルの金の瞳を見つめ、その決意が決して気まぐれなどではないものであると確かめる。

 そのエイルの瞳がほんの少し淡く光を持ったような気がしたが、光の加減だろうとティゼルはあまり気に留めなかった。



「善は急げ、か。 そうと決まれば明日、聖都へ向けて馬を出そう。 ティゼル、お前は馬に乗ったことは?」

「犬ならあるけど、馬はない」

「それならば私の馬に共に乗せよう」

「大丈夫なのか? 二人分だろ?」

「ああ、問題ない。 私の馬はそんなヤワではないよ」

「そっか。 それなら、お願いするよ」



 他の村人たちにも話を済ませておけ、とそれ以上余計な話をすることもなくティゼルはテントから出る。

 ほんの少し前までは村の外に出ることも叶わなかったティゼルだったが、明日になれば広い世界をこの目で見ることができる。

 胸を満たしていく期待と不安。大きく息を吸い込み、一気に吐き出すと生まれた不安はどこかに消えていく。



「ここからだ。 ここから、俺の人生が始まる! 見てろよ、父さん!」



 高々と拳を掲げ、天に叫ぶ。

 足取り軽く、ティゼルは村を駆け回った。

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