3.聖騎士

 痛いと思えてしまうほど眩い光が瞳を刺激する。うなされるように声を上げたあと、押さえつけられているように重たい瞼をゆっくりと開いた。

 カーテンは締め切られていたが、僅かに開いた隙間から漏れ出た光にやられていたようだった。

 それを疎ましく思いながらも、なんとなく周囲を見渡した。



「…………だ、れ」



 そこにいたのは見知った顔――ティゼルと共に過ごすロイロや診療所で医者として働いているダロスではなかった。この村の中でも見たことのない顔。

 知らない人物がすぐ側にいるという恐怖からか、ティゼルの脳はすぐに覚醒する。



「だ、誰……ですか、あなた」



 診療所のベッドの上に立ち上がったティゼルが、その口調に警戒心を残しながらも丁寧だったのは部屋にいる人物の格好が怪しい者ではないことを語っていたからだ。

 ティゼルたちの住まう国、シゼレイア聖国の国旗を象った鳥の羽を模した紋様が描かれたその鎧はこの国の守護者である聖騎士にのみ許されたモノ。

 つまり、今ティゼルの目の前にいるこのは――



「すまない、驚かせるつもりはなかったのだ。 ロイロ殿に言われ、少しの間貴殿の様子を見守っていた」



 凛とした佇まいと同様、少し堅苦しさを感じさせる声で女はそう言った。

 肩口で切りそろえられた短めの金色の髪に、誠実さを感じさせる凛々しく、美しい顔立ち。

 そんな彼女の真っ直ぐと見開かれたその翡翠の瞳に見つめられ、ティゼルは視線を左右に動かした。


 当然、何度か見たことのある診療所の部屋だった。

 左壁に並べられた棚にはいくつかの種類の薬や簡易的な治療道具が置かれており、ティゼルのすぐ側には面会者用の椅子が重ねて置かれていた。



「私の名はエイル・ラ・ルイスラード。 聖女ライラ様からの命により、この村の魔女騒動の鎮圧に馳せ参じた……のだが、どうやら貴殿が魔女を討伐してくれたようだ。 感謝を」

「……感謝とか、そんな。 俺はただ、この村を守りたかっただけです」

「それでも――いや、よそう」



 エイルはティゼルの表情から、これ以上何かを言われることを嫌がっている様子を悟ったのだろう、続く言葉を飲み込んだ。

 見知らぬ人との間に流れる気まずい沈黙がしばらく続いた後、エイルが口を開く。



「目が覚めたこと、ロイロ殿とダロス殿に報告に行ってこよう。 貴殿はまだこちらで休んでいてくれ」

「あ、ありがとう、ございます」



 そう言うと綺麗に伸びた背筋のままエイルは部屋を後にした。

 村人以外との会話は初めてであったティゼルは、まだ少し早い鼓動を鎮めようと、深く息を吸い込んだ。



 ◆



 ダロスによる軽い診察を終えたティゼルはロイロ、エイルと共に村から少し離れたところまでやってきていた。

 木製の簡素な柵を開き、ロイロの後を歩く。この場所に、ティゼルは来たことがなかったが、何がある場所なのかは理解している。


 感覚の鋭いティゼルの耳に届くのは何人かの啜り泣く声。

 土で服が汚れることを気にすることなく、膝を着き泣き崩れる者たちが目に飛び込んでくる。



「……俺が、もっと早く気づけていれば」



 村を襲った山羊頭の怪物。

 エイルの説明によれば魔女と呼ばれる人の形をした魔物なのだという。人語を操り、魔術を行使する人間の天敵。その姿は決まって、人間を嘲笑うかのような異形の見た目をしているという。

 ここに来る過程で少し話をした範囲だが、ティゼルが倒した怪物も魔女で間違いないとのことだった。



「これが、ライゼル様の」

「聖騎士様たちには悪いが、私たちの方で弔わせてもらった」

「いや、構わない。 ライラ様もそれを望んでおられた」

「そうか……」

「ライラ様は――っ」

「わかっておる。 嫌味に聞こえてしまったのなら謝ろう」

「……私の方こそ」



 二人の会話の内容はティゼルにはわからなかった。

 ただ、いつになく神妙な面持ちで父ライゼルの墓を見つめるロイロに、横から何かを言えるような雰囲気はなかった。

 ティゼルは黙って膝を着いた。


 周囲を見れば新しく作られたであろう墓標の近くにはその家族や知人が涙を流して佇んでいる。

 誰もティゼルを攻めたりはしない。ティゼルに責任があるとも考えていない。

 それでも、ティゼル自身はどこか責任を感じずにはいられなかった。



「ごめん、なさい……父さん」



 あまりに遅すぎる謝罪の言葉に、ティゼルは顔を伏せた。

 エイルにはその表情を見せることはなかったが、小さく震える肩が全てを語っていた。



「俺、父さんの願いを――」

「ティゼル、お前がライゼルの遺志を尊重する必要はない。アイツが最期に言ったことを思い出せ、お前は好きに生きていいんだ」

「でも、俺は!」

「お前が勇者の孫で、世界を救う命運があるのだとしても、道を決めるのはお前自身だ」

「――っ」



 果たすことの出来ない親孝行。

 それがどういう形で成せばいいのか、今のティゼルには思い浮かばない。

 父の言葉の通りに生きることがソレだと思っていたが、そうではないのだろうか。



「……それで、聖騎士様。 ティゼルに用とは」



 ロイロの纏う空気がいつもよりも鋭いものに変わる。

 嫌悪……いや、拒絶だろうか。少なくとも、横にいるエイルに対して好意的な感情を持っているとは思えなかった。



「今のを聞いたあとだと……いや、なんでもない。 ここで話すことではないだろう、場所を移しても構わないだろうか」



 エイルがそう言うとロイロもティゼルも黙ってそれに従い、その場を後にした。

 ロイロの家を目指す道中、エイルと共に来たであろう聖騎士たちと数名すれ違ったが、そのどれもがティゼルを見るなり頭を深々と下げた。



(勇者の孫ってのは周知されてんのか。 そりゃそうか)



 その意味がわからないほどのティゼルではない。慣れないながらも、ぎこちなくティゼルも頭を下げ返したが、特に声をかけられるようなことはなかった。


 騒動の鎮圧と言っていただけあり、村に送られてきた聖騎士たちの数はそれなりのものだった。

 そのほとんどが村の復興や行方不明者の捜索、怪我人の手当に尽力してくれていた。


 変わり果てたまだ少し灰の匂いが残る道を歩いて行くと、記憶の中にあるものとはまるで違うロイロとティゼルの家に着いた。

 火に襲われ、燃えてしまった家屋と比べればまだ可愛いものなのかもしれないが、山羊頭が暴れた結果なのか、ロイロの家は半壊状態であった。



「ここならば人も少ない。 聖騎士様、腹を割って話そう」

「お気遣い、痛み入る」

「ロイロさん、そんな邪険にしなくても。 エイルさんたちがいなければ村は……」

「その件に関しては感謝してもしきれない。 じゃが、それとこれとは話が別なんじゃ」



 ティゼルに見せたその表情はとても優しいものだ。先までの剣呑な気配など感じさせないほどに穏やかで、まるで孫を思う祖父のようであった。



「……単刀直入に言おう」



 そうは言ったものの、エイルは言葉を選んでいるのか、慎重に口を開く。



「ティゼル様をこちらに――大聖堂、引いてはライラ様のお近くに引き取らせて頂きたい」

「まあ、そんなことだろうと、思っていたよ」

「な、どういうことだよ、それ……」



 戸惑っているティゼルとは正反対な二人を見比べるように視線を送り、ロイロに答えを求めるように近づいた。



「……本来いるべき場所に戻るという話じゃ。 じゃが、今さらティゼルをというのは虫のいい話じゃな」

「それはわかっている……が、魔女たちが活動を再開し始めた今、勇者様の血を引くティゼル様の力が必要なのだ」

「ティゼルに勇者になれ、そう言いたいのじゃな」



 その問いに、エイルは答えなかった。

 本来いるべき場所、という言葉もティゼルの中では上手く処理できなかったが、勇者として国を――世界を守護する役割を果たすために必要な場所が大聖堂であるというのなら、少しだが意図が理解できるような気がした。


 この国の中心部、聖都にそびえる歴史を感じさせる巨大な教会。

 国を治める聖女、国を守護する聖騎士たちが身を置く場所だ。

 その程度の知識はいかに辺境の村に住んでいるティゼルと言えど、常識の範囲内だった。



「ティゼル様の力は人々を救うのに必要な力。 魔物を、魔女を、そして魔王を滅するためには欠かせない力なのだ」

「それは理解しているよ。 しかし、これまで目にも止めていなかったティゼルを今になって、というのは虫のいい話じゃと言っているのじゃよ」

「目にも止めていなかったなど……そういう訳では――」

「ライゼルがいたからか」



 またしてもエイルは口を噤む。

 ティゼルはライゼルの過去を知らない。

 知らないが、考えたことがないわけではなかった。


 勇者の息子として生を受けたはずの父が、どうしてこの辺境の村にいるのか。

 そして、どうしてティゼルに固執したのか。



(きっと、父さんに力はなかった)



 山羊頭との戦いにおいてティゼルの窮地を救ったライゼルだったが、その力は決して山羊頭に敵うものではなかった。

 それを知った今ならば、ライゼルの背景にあっただろう出来事が想像できる。



「ライラ様はいつも苦悩しておられた。 ご子息であるライゼル様のこと、聖女という立場でありながらライゼル様を救えなかったことを……」

「そう、か」

「――ちょっと、待ってくださいよ」



 大人しく話を聞いていたティゼルだったが、今エイルから語られた言葉には口を挟まずにはいられなかった。

「ご子息であるライゼル様」と、エイルは確かにそう言ったのだ。



「父さんが、聖女様の子ども……?」

「――知らせていなかったのか」

「ライゼルにとって、そのことは語りたくないことじゃったからな」



 ライゼルは決して自身の過去を語ることはなかった。

 話をするときは決まって勇者の偉業のこと、ティゼルの将来のことばかり。

 祖父が勇者であることは語っていたが、祖母や母のことを語ることがなかった。ライゼルにとってそれは語りたくのない出来事、思い返したくないことだったのだろう。


 エイルはバツが悪そうに表情を歪め、言葉を詰まらせた様子でロイロから視線を逸らしていた。

 一方のティゼルは語られた事実にまだ身体が固まったまま、何かを口にすることもできなかった。

 ライゼルが聖女ライラの子どもであるということは、そのライゼルの息子であるティゼルは聖女の孫にあたる存在だということだ。

 勇者の孫であり、聖女の孫。

 ロイロは元からそれを知っていた様子だが、一度たりともティゼルにそれを語ったことはない。



「この話はやめにしよう。 ティゼル、お前も身体に障る、ダロスの元へ戻っておれ」

「ロイロ殿……」

「すまぬな、聖騎士様。 ティゼルは儂にとって孫同然なんじゃよ」



 そう言うとロイロは踵を返した。

 エイルはその背にかける言葉を失い、行き場なく伸ばした手は空を切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る