勇者の孫は勇者になるか
遍 ココ
序章
プロローグ
かつてこの世界には魔王と呼ばれる一体の怪物が存在していた。
その者が支配する大陸の空が紅に染まるほど強大な力を持ち、人間は抗う術――それどころか、抗おうとする気力さえも失った。
光の見えぬどこまでも続く暗闇の歴史が続く中、天からの与え物として一人の男が誕生した。
空を映し出したような青く透き通るような輝きを持つ髪。
夜の空に浮かぶ大きな月のような優しい瞳。
整った顔立ちは見る者全てを魅了していくかのようで、彼と四人の仲間たちはたちまち名を馳せた。
無論、それには容姿や彼の性格、実力もあった。しかし、それ以上に彼は――
――天から愛されていた。
「聖剣。 勿論、それ以外にも様々な力があったが、それが最も有名な力のひとつ」
女神の寵愛を一身に受けたその男は、銀輪の光を放つ聖剣を片手に、白銀の鎧を身にまとい、世界を救ってみせたのだ。
魔王が率いる軍勢も、彼の前では無力に等しい。
選ばれし者だけが使えるその力で、彼は手を伸ばしてきた全ての人を救い、笑いかけた。
「いいか、ティゼル」
やつれた頬が印象的な白髪混じりの男が小さな少年に向けて語りかけていた。
ティゼルと呼ばれたその少年は何も宿らない虚ろな瞳で、その男の顔を見上げていた。
父と子。二人の間柄はそうであったが、この瞬間、それを傍から認識できる者は誰一人としていないだろう。
それほどまでに不気味な光景だった。
「お前はいつか勇者になる。 いや、ならなければいけない!」
拳を握り、声を大にして男が言う。
もう何度も目にしてきた光景。その度に父親というものに対しての感情が抜け落ちていく。
物語の主人公。その存在の孫であることが嬉しいことではなくなったのはいつからだろうか。
目の前にいる父を狂わせ、自分自身の人生さえも狂わせた存在をどうして好きになれるのだろうか。
「いつか、魔王を完全に討伐し、お前は世界をもう一度救うのだ。 それはお前にしかできない。 ティゼル、この世界は――」
お前が救うのだ。
◆
嫌な夢を見た。最悪な目覚めだ。
心の中でそう呟きながら、カーテンの隙間から差し込む光に、腕で目元を覆い背を向ける。
夢など起きてしまえば朧気なものに変わってしまうもの。けれど、今しがた見たものだけは違っていた。
「クソ親父が……」
二度寝するような気分にもなれず、半ば強引に眠気を覚ますように起き上がる。
陽の光でも浴びれば、とカーテンを開くと飛び込んでくるのは朝の霧がかった森。
窓を開け、寒気に身を震わせる風で微睡みの淵から完全に解放され、少年はいつもと同じ適当な衣服に身を包む。
「早いな、ティゼル」
「おはよう、ロイロさん」
幼少の頃とは違う爽やかな一日の始まり。
飲み物とパンを片手に、この家の主であるロイロの対面へと座り、それを頬張る。
朝にしか聞こえてこない鳥の声に耳を澄ます静かな時間。ティゼルはこの時間が好きだった。
父、ライゼルの元を離れてから数年。ロイロとの生活にも慣れてきていた。
実の祖父のように接してくれるロイロとの生活はティゼルにとって夢にまで見たモノであったことに違いないが、いつまでも迷惑をかけてはいられないという気持ちも同時にあった。
食事を済ませ、家を出る。
ティゼルの住むこの村は、三方を森に囲まれた小さな村だ。この国で最も栄えている聖都まで行くのにも村の馬車だと一週間はかかってしまうだろう。道の状況次第ではそれ以上かかるような辺境の村になっている。
それ故に村民は少なく、ティゼルと一番近しい歳を上げても、二倍くらいの差があった。
つまり、この村にティゼル以外に子どもと呼べる存在はおらず、常日頃から暇を持て余しているのだ。
それ故にティゼルが遊び場に選んだのは森。
ロイロには危険だから森に入るのはやめろ、と何度も言われているのだが、暇を潰す手段がここしかないためその言いつけを無視して森へ入っている。
大自然を相手に遊び、育ってきた。
ティゼル本人は嫌な恩恵だと考えているが、その身体能力の高さのおかげで自由に動き回れている。
朝の森の中は不気味なほどに静かで、命の気配を感じさせない。
しかし、途端に奥の方へと踏み込み、足音を鳴らせば――
「いた」
その音に反応を示し、顔を出してくる動物たち。
彼らがティゼルにとって唯一の友達であった。
言葉を交わすことのない、気軽な関係として付き合っていける彼らはティゼルにとってこれ以上ない存在だ。
自身の胸元くらいまである兎との競走や、巨熊との組手、二つの尾を持つ犬に跨り森を駆け回る。
それがティゼルにとっての日課だった。
「お前たちはいいよな、何も考えずにいられてさ」
そう言うと横を走る兎が「何を言っているんだ」というふうな表情で語りかけてくる。
無論、ティゼルは動物の言葉などわからないが、小さな頃から過ごしてきたからか、なんとなくのことは読み取れた。
「せめて、普通の人間に生まれてたらな……」
そう言って空を見上げても自身の境遇は何一つ変わらない。
揺れる犬の背の上で、ティゼルは大いに自身の血筋を呪った。
◆
早起きのせいかいつもよりも早く村へと戻ったティゼルの前に立ったのは、この村唯一の医者を務める男だった。
父、ライゼルとの面会を申し込まれたのだ。
当然のようにティゼルは断ったのだが、押しの強い医者に腕を引かれ、高台にある小さな診療所にやってきていた。
診療所、と言えど最低限の部屋数は確保されており、入院患者なども受け入れられる。
しかし、小さな村で、村人全員の家を訪問して回る村医者なため、入院を選ぶ者は少ない。
この診療所に入院している患者はたった一人。
ティゼルの父、ライゼルだ。
「――様子だけ聞いたら帰ります」
「まぁ、そう言うな。 父親なんだ、少しくらい話をしてやれよ」
「今更アイツと話すことなんてないですよ」
「そう言わずによ、俺の顔を立てると思って」
この村で唯一、医者という職業に着いている男――ダロスはその職業故、村人たちからの信頼も厚い。
当然、それはティゼルも同じで、ダロスには色々と世話になっている。
そう言われてしまうと断ることも難しいが、やはりどうしても父親と会うというのは気が乗らなかった。
ティゼルの様子をその表情から察したのだろう。ダロスはため息混じりに後頭部を掻くような仕草を見せると、半ば強引にティゼルの手を引いた。
無理やり振りほどくことも可能だったが、そこまでしてはダロスに対して申し訳ない。
「……顔だけ見たら帰ります」
「おう、それでも構わん」
病院と呼べるほど大きくもない診療所。流行病のときには病床が足りずに苦労したという話を何度も聞かされた。
風邪などを引いたことのないティゼルには無縁の場所ではあったが、事ある毎に検診だと言ってここに連れてこられていた。
足取りが重たくなるほどに陰鬱な場所だと思ってしまうのはここに父親であるライゼルがいるからだろう。
ため息をつくティゼルをダロスは静かに見ていた。
「……そんなに会いたくねぇか?」
「そりゃあ、そうですよ。 俺はアイツの復讐の道具じゃない」
「復讐ね。 そんなこと考えてなかったと思うな。 アイツはただ、不器用だっただけさ――」
病室の扉が開く。
カーテンが閉め切られた部屋はとても暗く、肺に取り込む空気は冷たく、重たい。
病室というよりは普通の部屋のような作りになっていた。
ベッドの上に人影はなく、窓際にある椅子に腰掛け、机と向き合う草臥れたような男がいた。
「ライゼル、お客さんだ」
「ダロス……俺は別に――」
白髪混じりの茶色い髪。どこか神聖さを感じさせるものの、濁りきってしまった青い瞳。無精髭を生やした口元は驚愕のあまり丸くなっている。
言葉を忘れたように口を開閉させていると静かに涙を流した。
「ティ……ゼル!」
「っ……」
「少しくらい会話してやれ」
背中を押され、部屋の中に一歩踏み出す。
憎々しくダロスを見つめたが、特に気にした素振りもなく椅子を用意し、ティゼルの横に座った。
「ティゼル! お前は、お前だけは絶対に勇――」
「ライゼル。 お前、そんなのでいいのか」
「……ダロスさん、俺やっぱ帰ります」
部屋を飛び出そうとしたその時、ライゼルの震えた声が耳を打つ。
こうなる前は父として慕っていたはずだ。勇者の孫としての誇りがあったはずだ。どうして、こうなってしまったのだろう。
自問するティゼルの中に、答えは既に出ている。
(勇者なんて……)
そう内心で呟き、部屋を後にしようとするティゼルに声をかけたのはダロス……ではなかった。
「ティ、ティゼル、あの……な俺は、お前に――」
「うるさい。 俺は勇者になんてならないし、お前の言う通りになんて生きてやらない。 もうここに来ることもない」
そう吐き捨てるとティゼルは足早に診療所を後にした。
幼少の頃から洗脳のようにティゼルに教育を施してきたライゼルを見兼ね、ロイロが二人の間に割って入った。
憔悴しきった様子の幼いティゼルを見たロイロは年甲斐もなく怒ったそうだった。
育児を放棄し、無理な教育を押し付けるライゼルからティゼルを引き剥がし、その病みきった思考の治療と称し、隔離した。
家に着くと、橙色の目に染み込む寂寥感のある光がロイロを照らす。煙草を吹かし、その煙をじっと見つめるロイロがティゼルの姿に気がつくと、様子を察したのか小さく笑った。
「ライゼルと、話をしたか?」
「……いや、する前に飛び出してきたから」
「そうだったか。 ……ティゼル、少し話をしよう」
椅子に座り、優しく瞳を閉じたロイロと向き合う。
その口から語られたのはライゼルの話だった。
「ライゼルは、勇者の息子として期待されていた。 当然じゃな、かつて魔王を封印し、世界を救った勇者……ユーゼルの血を引く男なのじゃから」
昔は聖都の大聖堂と呼ばれる場所で勇者として育てられていた。
偉大な父の背を追いかけ、いずれ自身もそうなるのだと、父の成せなかったことを成し遂げ、その背中を追い越すのだと思っていた。
物心ついた頃から剣を握り、血の滲むような努力をしてきた。同年代とは頭一つ抜き出た才覚があるのだと、そう思っていた。
しかし、ライゼルは女神に愛されてはいなかった。
女神の寵愛を一身に受けていたユーゼルとは違い、ライゼルには何一つ才覚と呼べるものはなかった。
「ライゼルの気持ちを理解できない訳ではない」
「……」
「その髪、その瞳。 ユーゼルと同じだ。 間違いなく、お前は女神様に愛されている」
暗くなり始めた窓ガラスに映る自身の姿。
目を逸らしたくなってしまうほど、その姿はティゼルが勇者たり得る存在なのだと主張していた。
空を映し出したような澄み渡る蒼い髪。満月のように丸い、黄金の瞳。その整った顔立ちからは物語に伝わる勇者ユーゼルの面影を感じさせる。
「思えばライゼルはティゼルのお祖母様に似ているのだろう。 しかし、あいつは理想に生きられるほどの実力がなかった」
「祖母に……?」
ロイロの言い方に妙な引っ掛かりを覚えたが、そこを聞く間もなく続けていく。
「だからと言って、幼いティゼルに教育……いや、理想を押し付けたことの理由にはならないがな。 子に夢を見せるのが親の役割だ。 夢を押し付けるのはただの傲慢に過ぎない」
幼きあの頃、口を開けば勇者になれとしか言わなかったライゼル。
最初の頃こそ、ティゼルとて勇者になるのだと夢に見て、憧れていた。自身の恵まれた血筋にも感謝し、その幸運を大いに喜んだ。
しかし、次第にそうした感情も薄れ、ティゼルの胸中には、囚われたようにその事しか言わない父親の醜さと、父をそうさせてしまった勇者への恨めしさが渦巻いていった。
勇者の血筋への喜びはいつしか呪いへと変わり、夢を抱くこともなくなった。
「じゃが、しかし、ライゼルをあそこまでしてしまったのは儂らの責任でもある」
「そんなことは……」
「どうか、ライゼルを許してやってはくれないか」
ゆっくりと頭を下げたロイロを見て、ティゼルは押し黙る。
ライゼルの境遇など、ティゼルにとっては無関係のことで、だから今更親子としての関係を修復することなどできるわけがない。
ただ、それでも、もう一度だけ言葉を交わすくらいはするべきなのだと、そう思った。
「……明日、会いに行ってみるよ」
「本当か。 それは、よかった。 きっとライゼルも喜ぶ」
安心したように笑ってみせたロイロ。
その笑顔を見ながらも、少しだけ不安な気持ちに襲われるのは仕方のないことだろう。
実の父親に会うだけだというのにこんな複雑な感情を持たなければならない不自由さを、胸の奥へとしまい込み、誤魔化すように頬を緩めた。
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