四冊目 また会う日まで

四冊目 また会う日まで-1

 彼女は、白いTシャツにデニムのワイドパンツというラフな格好で、のんびりと歩いていた。心地よい風の中、組んだ両手を頭の上に押し上げて、体をぐっと伸ばした。


「んー、いい天気」


 ふと、道の向こう側にある、年季の入った古民家が目についた。木造の二階建てで、瓦屋根がなんとも風情がある。二階の窓の外には、小さな可愛らしい植木鉢が並んでいる。窓や扉のガラスは元々なのか、年数を重ねたからなのか、少し曇っていて、それがまたいい味を出している。


「あそこ、見たことがあるような……」

 彼女は車が来ないことを確認して道を渡り、近くでその古民家を観察した。そして、軒下につり下げられている看板を発見した。


「えっと、『ものかきや』?」

 引き戸には、開店というプレートもあり、何かの店であることは分かったが、どういう店か見当もつかない。入ろうか迷っていると、足元に三毛猫がすり寄ってきた。しゃがんで、もふもふの毛並みを撫でていると自然と笑顔になった。この店の猫なのだろうか。


「おい、おぬし、ここで何をやっておるのじゃ」

「わっ!」

 もふもふに夢中になっている間に、仁王立ちした少女が真横に立っていた。赤い着物を着たその少女は彼女の顔をじっと見つめた。


「む? おぬし、もしかして……。まあよい、店に用か? ほら、入るのじゃ」

「え、いや、あたしは」

 彼女が何か言うより早く、少女に腕を引かれて、店の中に入った。この少女、見かけによらず、なかなか力が強い。


「桜子さん、おかえりなさい。あれ、そちらはお客様ですか?」

「うむ。拾った」

 拾われたことになっているらしいが、反論する余裕もなく、彼女は店内いっぱいの本に圧倒されていた。そして、赤い着物の少女が楽しそうに店内を歩いている。その様子を見て、彼女の記憶の中から、長い紐で引っ張られるように、似た風景が呼び起こされた。


「あたし、ここに来たことがある!」





 柳は、店に入るなり大きな声でそう言った彼女を、にこやかに奥の席へと案内した。

「二度目のご来店ありがとうございます。どうぞ、こちらへ」

「わー、メニューたくさんあるね。ここって喫茶店? なの?」

「半分正解です。ブックカフェなので、本が読める喫茶店、と言ったところでしょうか」

「へー。じゃあ、このバウムクーヘンを」

 彼女はメニューを指さして、にっこりと注文した。桜子が、彼女の腕をつついて、聞いた。今日は朱色の地に、扇の模様が大きく施された着物だった。バレッタには大きな花が一つ咲いている。


「プレーンとチョコがあるのじゃ。わたしはプレーンがいいと思うのじゃが」

 桜子は自分がプレーンのバウムクーヘンを食べたいだけのようだが、彼女はおすすめをされたと思い、プレーンを注文した。


「あ、あと紅茶もお願いします。このキャラメルので」

「はい、かしこまりました」

 柳は、切り分けたプレーンバウムクーヘンと、紅茶をテーブルに運ぶ。テーブルに置いただけで、キャラメルの甘い香りが立ちのぼる。


「すごいキャラメルの香りがする!」

「こちらは香りも味も評判のフレーバーティーです。ストレートはもちろんですが、お好みでミルクを入れても美味しいですよ」

「いただきます!」

 ミルクポットからミルクを回し入れてから、彼女はティーカップを傾けた。美味しい! と言いつつバウムクーヘンにも手を伸ばし、美味しい! とまた言っている。


「ところで、おぬしは何か用があったわけではないのか? 店の前で何をしておったのじゃ」

 桜子がバウムクーヘン用のフォークをひらひらとさせて尋ねた。ちゃっかりと席に座り、一緒にティータイムをしている。彼女は、桜子の質問に、口の中にあったバウムクーヘンを慌てて飲み込んだ。


「怪しいことはしてないよ! ただ、久々に帰国して、近くを散歩してたら、なんか見たことがある建物だなって思って。そうしたら、可愛い猫ちゃんがいて」

「ほう」

「あ、あたしちゃんと名乗ってなかったよね! お菓子と紅茶が美味しくてつい」

 彼女は、いそいそと鞄の中から名刺を取り出して、両手で柳に差し出した。


朝野あさのひとみ。普段は向こうの旅行会社で働いてるんだ」

「ご丁寧にありがとうございます。私はここの店主の柳と言います。先ほど帰国、とおっしゃっていましたが、普段は海外で生活を?」

「うん。たまにこっちでも仕事あるけど、ほとんど向こう。今回は、おばあちゃんの七回忌で長めの休みを取って帰ってきたの」

 七回忌、という言葉に柳は控えめに微笑み、そうでしたか、と答えた。


「ということは、おぬし、帰国子女というやつじゃな!」

「うーん、帰国子女とはちょっと違うかも? 今は向こうが主だしね。それに、行ったり来たりしてるから、どっちが本拠地やらって感じ」

「むむ?」


 ひとみは、あっけらかんと言うが、どういう状況なのかよく分からない桜子は首をかしげた。バウムクーヘンをまた一口食べてから、ひとみは付け加えた。

「あたし、小学校途中まではこっち、小学校後半と中学は海外、高校はこっちに戻ってきて、大学は海外、就職もそのまま海外、って感じなんだ。なかなか面白いでしょ?」

「う、うむ」


 思わず桜子は体を後ろに反って、たどたどしく相槌を打った。そんな反応には慣れているのか、ひとみは気に留めることもなくバウムクーヘンを食べている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る