一冊目 離れがたき対-3
*
「のう、柳ー、紅茶が飲みたいのじゃ」
「藤川さまが戻ってこられたら、って言ったじゃないですか。桜子さんもそれでいいと」
「こんなにかかるとは思ってなかったのじゃ」
桜子がぷくーっと頬を膨らませている。
ここから家まで距離があるのか、はたまた依頼をすることを悩み始めてしまったのか、桜子が痺れを切らすほどには、莉乃の戻りは遅かった。
そのとき、扉から鐘の音がした。
「すみません! 遅くなっちゃって」
息を弾ませた莉乃を、物書き屋のドアが軽やかな音と共に迎え入れた。
「お待ちしておりました。藤川さま。どうぞこちらへ」
さっと接客モードに切り替えた柳は、先ほどと同じ席に案内し、紅茶を用意するため、のれんをかき分けた。
「ごめんね、桜子ちゃん。待たせちゃったよね」
「なぜ遅かったのじゃ」
桜子は呟くように問いかけた。依頼することを迷っていたのなら、あまりいい思い出ではない可能性もある。莉乃にとっても、物にとっても。
「依頼したい物、奥の方に仕舞ってたから、引っ張り出して。そしたら片付けを始めたって勘違いされて、ついでに色々押し付けられちゃったの」
えへへ、と頬をかいた莉乃は、嘘をついているようには見えない。桜子は自分の思い過ごしだったことにホッとした。
「ならば、よいのじゃ」
「どうぞ、アールグレイです」
「え、でも」
「こちらはサービスです、ご遠慮なく」
柳は、ティーカップと依頼のための用紙を合わせて、莉乃の前に置いた。
莉乃は手に持っていた紙袋から白いヒールを取り出した。
「依頼したいのは、この靴です」
全体が純白で仕上げられていて、爪先の部分にだけ、薄紅色の花たちが彩を咲かせている。上品な雰囲気で、ドレスにも似合いそうなヒールである。
「素敵な物ですね」
「ありがとうございます。えっと、この用紙に書けばいいんですか」
「ええ。見た目の特徴、どこで買ったのか、どういうときに使うのか、気に入っているところはどこか、など物語を書くうえで必要な情報を、お願いします」
教えたくないことは、無理に書く必要はありませんが、と柳は柔らかに微笑んで、そう補足した。
「これ、プレゼントでもらったんです。なので、どこで買ったとかは分からなくて。すみません」
「いえいえ。分かる範囲で大丈夫ですよ」
莉乃が用紙を書いている間、見られていると書きづらいだろうと、柳はカウンターで待つことにする。
「あの、どれくらいで出来上がるんですか?」
「二、三週間ほどですね。出来上がり次第、ご連絡します」
莉乃が書く手を止め、振り返って聞いてきたので、柳はカウンターの端に座しているアンティークの電話を指さして答えた。
書き終わりました、という莉乃の声を聞いて、柳は再び席へ戻った。
「よろしくお願いします」
莉乃から書き終わった用紙を差し出された柳は、丁寧にそれを受け取って、穏やかながらも力強くその言葉を口にした。
「藤川さまのご依頼、物書き屋が店主、柳が承りました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます