一冊目 離れがたき対-3



「のう、柳ー、紅茶が飲みたいのじゃ」

「藤川さまが戻ってこられたら、って言ったじゃないですか。桜子さんもそれでいいと」

「こんなにかかるとは思ってなかったのじゃ」

 桜子がぷくーっと頬を膨らませている。

 ここから家まで距離があるのか、はたまた依頼をすることを悩み始めてしまったのか、桜子が痺れを切らすほどには、莉乃の戻りは遅かった。


 そのとき、扉から鐘の音がした。

「すみません! 遅くなっちゃって」

 息を弾ませた莉乃を、物書き屋のドアが軽やかな音と共に迎え入れた。


「お待ちしておりました。藤川さま。どうぞこちらへ」

 さっと接客モードに切り替えた柳は、先ほどと同じ席に案内し、紅茶を用意するため、のれんをかき分けた。


「ごめんね、桜子ちゃん。待たせちゃったよね」

「なぜ遅かったのじゃ」

 桜子は呟くように問いかけた。依頼することを迷っていたのなら、あまりいい思い出ではない可能性もある。莉乃にとっても、物にとっても。


「依頼したい物、奥の方に仕舞ってたから、引っ張り出して。そしたら片付けを始めたって勘違いされて、ついでに色々押し付けられちゃったの」

 えへへ、と頬をかいた莉乃は、嘘をついているようには見えない。桜子は自分の思い過ごしだったことにホッとした。

「ならば、よいのじゃ」

「どうぞ、アールグレイです」

「え、でも」

「こちらはサービスです、ご遠慮なく」

 柳は、ティーカップと依頼のための用紙を合わせて、莉乃の前に置いた。


 莉乃は手に持っていた紙袋から白いヒールを取り出した。

「依頼したいのは、この靴です」

 全体が純白で仕上げられていて、爪先の部分にだけ、薄紅色の花たちが彩を咲かせている。上品な雰囲気で、ドレスにも似合いそうなヒールである。

「素敵な物ですね」

「ありがとうございます。えっと、この用紙に書けばいいんですか」

「ええ。見た目の特徴、どこで買ったのか、どういうときに使うのか、気に入っているところはどこか、など物語を書くうえで必要な情報を、お願いします」

 教えたくないことは、無理に書く必要はありませんが、と柳は柔らかに微笑んで、そう補足した。


「これ、プレゼントでもらったんです。なので、どこで買ったとかは分からなくて。すみません」

「いえいえ。分かる範囲で大丈夫ですよ」

 莉乃が用紙を書いている間、見られていると書きづらいだろうと、柳はカウンターで待つことにする。


「あの、どれくらいで出来上がるんですか?」

「二、三週間ほどですね。出来上がり次第、ご連絡します」

 莉乃が書く手を止め、振り返って聞いてきたので、柳はカウンターの端に座しているアンティークの電話を指さして答えた。

 書き終わりました、という莉乃の声を聞いて、柳は再び席へ戻った。

「よろしくお願いします」


 莉乃から書き終わった用紙を差し出された柳は、丁寧にそれを受け取って、穏やかながらも力強くその言葉を口にした。


「藤川さまのご依頼、物書き屋が店主、柳が承りました」

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