一冊目 離れがたき対-2
「お待たせしました。アールグレイと、レモンのレアチーズケーキです」
「わあ、美味しそう!」
小さな花が描かれたお揃いのティーセットとプレートに乗ったケーキを見て、女性はぱあっと顔を輝かせた。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
「はい。あの、えっと、少し聞いてもいいですか?」
「何でしょう」
「あの貼り紙に書いてあることなんですけど」
そう言って指さされた壁には、柳が書いた一枚の白い紙が貼ってある。そこにはシンプルに、ある一文が書かれている。
“物の想いをお書きいたします”
「物に込められた想いを、知れるってことですか」
「ええ、正確には物の想いを、ですが」
「? 何か違うんですか」
「まあ、少し」
女性の疑問に、柳は少し驚いたような、困ったような笑顔を浮かべた。そして、柔らかく問いかけた。
「あなたには、想いを知りたいと思う、大切な物がありますか」
「私は――――」
「やーなーぎー」
桜子が日当たりのいい、窓の近くの席に座り、足をぷらぷらとさせている。待ちくたびれた、と言われているようだ。
「すみません、桜子さん。アールグレイです」
「うむ。そこのおぬし、まずは紅茶を飲むのじゃ。そのような難しい顔をしておっても良いことはないぞ」
「そう、だね」
「紅茶を飲んで、心を落ち着けて、それでも気になるのなら、依頼について教えてやるのじゃ。……柳がな!」
得意気にこちらに丸投げをしてから、桜子は紅茶を一口。つられて、女性も紅茶をそっと口にした。眉間に少し寄っていた皺や無意識に力が入っていたらしい肩もほぐれたようだった。
「……教えてください。大切な人からもらった、大切な物があるんです」
「かしこまりました。では、改めて自己紹介から。私はこの物書き屋の店主、柳と申します。そして、今あそこに座っているのが」
「桜子。ここの大家じゃ」
柳の言葉を引き継いで、桜子が悠然と笑いかけた。
「大家さん……?」
桜子の言葉に眉をひそめている女性から、問うような視線が送られているのは気付いたが、柳は気付かない振りをして、穏やかに微笑んだ。
「お名前をお聞きしても?」
「あ、はい。私は藤川です。藤川
「藤川さま、まずは先ほど手に取っていただいた本を少し読んでみてくださいますか」
「はい」
莉乃がパラパラと本の冒頭を読み始める。何ページか進んだところで、ハッとした表情になった。
「ここに出てくる『私』ってメガネのことですか。これ、物が主人公の話ってこと……?」
「ほう、おぬしも理解が早いのう」
桜子が感心した声を上げ、柳も頷いて肯定を示した。
「その通りです。物の想いを書く者、それが物書き屋です。藤川さまの大切な物の想いを、その本のように書かせていただきます」
「物の想いなんて、どうやって」
莉乃は不思議そうに柳を見つめてくる。その表情が不審や懐疑的ではなさそうだと判断して、柳は詳しい説明のために口を開いた。
「その物全般の、紀元や歴史、背景、ご依頼の物自身の色やモチーフの寓意などを調べ、そして、その持ち主つまり依頼者の方からお話を聞き、様々な情報から導き出して、物を主人公にした物語を書くのです」
「情報……」
「例えば、そのメガネの話ですと、メガネがどのようにして生まれたのかという歴史や、フレームの色やレンズの形、何年愛用しているのか、などですね。分かりやすいところで言うと、赤色は情熱、青色は冷静、黄色は元気、などの共通イメージを元に作っていきます」
「なるほど……凄いですね」
莉乃は柳の説明に納得したようで、感嘆の目を向けてくる。
柳はほっとしつつ、ケーキもどうぞと莉乃にフォークを示して勧める。莉乃は左手でフォークを持つと、チーズケーキにそっと突き立てた。口に運ばれたケーキが莉乃を笑顔にした。
「美味しい」
「それは何よりです。依頼の物についての情報を書いていただきたいので、用紙を持ってきますね。少しお待ちください」
「あの、お代はどのくらいなんでしょうか……」
くるりと背を向けた柳は、莉乃に訊ねられて再びくるりと半回転した。
「お代はいただきません」
「え?」
「その代わり、条件はあります」
「条件、ですか」
「本は二冊作るのですが、一冊はもちろんお客様に。残りのもう一冊を、ここの本棚に収めていただくこと、それが条件です」
先にお伝えすべきでしたね、と柳は申し訳なさそうに眉を下げた。書いてもらいながら説明をと思っていたが、やはり代金のことは気になるものである。
莉乃は目を大きく開けて、自分を取り囲む本棚と柳を交互に見比べている。物を主人公に据えた、物目線の物語。柳が書いたその物語がここの壁を埋めつくしているのだ。
「ここにある本、全部あなたが書いたんですか! 凄い……」
「ありがとうございます」
莉乃の素直な称賛を受けて、柳は、はにかみながら礼儀正しく頭を下げた。
桜子がとことこと莉乃の席までやってきて、おもむろに莉乃の手元にある本を指さした。
「おぬしの依頼した本も、それと同じように、この店の本たちの中の一つになるのじゃ。悪くないと思わぬか?」
「うん。そうだね、桜子ちゃん」
「ちゃん!? むぅ、まあ良いか」
依頼が決まったことを桜子と柳が目線で確認しあう。柳は用紙を取りにカウンターへ、桜子は莉乃の袖を引っ張り、問いかける。
「おぬしは何を依頼するのじゃ?」
「お願いしたい物、家にあるの。一旦取りに帰ってもいい?」
「うむ、では待っていてやるのじゃ」
「あ、お代ここに置いておきますね」
食べかけのケーキを大きな口で食べ切ってから、ぱたぱたと物書き屋を出た莉乃を、柳と桜子は並んで見送った。
「上手く騙ったのう、柳」
「語った、の間違いではないですか」
桜子の意図的な言い間違いに、柳は笑顔のまま語尾を強めた。桜子は、莉乃の座っていた席の向かいの椅子に少し背伸びをして座ったところだった。
一瞬、睨み合いのようになったが、視線のぶつかり合いに負け、柳はため息と共に肩の力を抜いた。桜子に敵うはずがない。頬杖をついてニヤリと笑う桜子は、どこか楽しそうである。
「理屈っぽく、長々と話しておったのう」
「仕方ないですよ、ああいう説明が一番納得してもらいやすいんですから」
「本当のことを言うても良かったんじゃがな、わたしらが
付喪神。それは、物がこの世に百年在り続け、命と人の姿を得た者のこと。
人の姿をして、人の世の中で、人と同じように暮らしている。人の姿を得ることを、開化とも言う。開化した付喪神は、物が壊れない限り、永い時を在り続け、年を取ることもない。そういうものたち。
「私は、万年筆の付喪神で、桜子さんはこの家そのものの付喪神なんですよ、って言うんですか? だめに決まっているじゃないですか」
「江戸から残る家の付喪神じゃぞ。わたしは偉いのじゃ! と言いたくなる時もあるのじゃ」
桜の木が使われた二階建ての木造建築、きっと歴史的価値も高い。明治に作られた万年筆の柳とは年季が違う。桜子がむやみに付喪神のことを言わないのは、柳も分かってはいるが、一応諭しておく。
「そういう訳にはいかないですよ」
「分かっておるわ。まあ、万年筆のおぬしは語ることが本分じゃからのう。客には上手く語るのじゃよ」
桜子に艶やかに微笑まれて、柳は分かっています、と答えた。
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