一冊目 離れがたき対

一冊目 離れがたき対-1


“物の想いをお書きいたします”


 紅茶のいい香りが満ちている店内に、そう書かれた貼り紙はひっそりと存在している。

 その貼り紙が目に留まる者は、心惹かれる者は、きっと、何かを探している。


「物に込められた想いを、知れるって本当ですか」

 そう問いかけたロングヘアが似合う女性も、その一人。


「ええ、正確には物の想いを、ですが」

「? 何か違うんですか」

「まあ、少し」

 首を傾げた女性に、店主は柔らかな笑みを浮かべ、そして問いかけた。


「あなたには、想いを知りたいと思う、大切な物がありますか」

「私は――――」





 紙とインクと、優しい木の香りがする。

 

 二十帖ほどのその店内は、扉や窓以外の壁が、床から天井まで本棚になっている。本棚に整列した本たちが中にいる者を見守っているかのよう。ゆったりとした木目が見える柱や床は、かなり年季が入っているが、丁寧に手入れがされている。

 アンティークのテーブルと椅子が本棚の傍、部屋の中央にもいくつか置かれている。そのテーブル席とテーブル席の間に、パーテーションのように、背の低い本棚がそっと立っている。


 店内の奥、風に吹かれる花が彫り込まれた木製のカウンターテーブル、ここに店主が居る。


「今日はいい天気ですね」


 ふと本から顔を上げて窓の外を見た、二十代半ばの若い店主――やなぎは、誰に言うでもなくそう呟いた。

 柳はいつものように、白シャツに茶色のストレートパンツを身にまとい、腰には深緑色のカフェエプロンを着けている。

 再び目線を手元の本に戻し、茶色い瞳は紙の上の文字を辿る。俯いて目にかかりそうになった、瞳と同じ色の前髪を人差し指で横に流した。



 ――カラン



 扉についた銅製の小さな鐘が来客を教えてくれる。柳は組んでいたすらりと長い足を解いて、立ち上がった。

「ようこそ、物書き屋へ」


 穏やかな微笑みとともに、柳は客を出迎える。入ってきた女性は、店内をきょろきょろと見渡している。七分袖の、淡い黄色のリネンワンピースがふわりと揺れる。


「えっと、あの、ここは……?」

「ブックカフェになります。店内の本を読みながら、紅茶やスイーツを楽しんでいただけます。よろしければ、お好きな席へどうぞ」

「は、はい」

 メニューにはたくさんの紅茶の名前と、もう半分はスイーツがラインナップされている。印刷のように整った字だが、一文字一文字手で書かれている。


「たくさんあって、迷っちゃいますね。おすすめは何ですか?」

「そうですね、こちらのチーズケーキとアールグレイは相性がいいのでおすすめです」

「じゃあ、それをお願いします」

「かしこまりました」


 柳は、本はお好きにどうぞ、と言い残してカウンターのさらに奥、キッチンに向かう。が、キッチンへと続くのれんをかき分ける前に、赤い着物の少女が顔を出した。

桜子さくらこさん」

「おお、また客が来たのか」

 桜子は、本を吟味している女性に近づいていった。


「おぬし、何を注文したのじゃ?」

「え、えっと」

 女性は急に話しかけられて、固まってしまった。無理もない。いきなり十歳ほどの少女が、その年齢にしては不相応にも見える、赤地に白と黒の花が艶やかに咲いている着物を着て目の前に現れたのだ。しかも、しゃべり方は古風で、混乱するのは当然のことだろう。

 しかし、桜子はお構いなく畳みかけるように問いかける。


「ムースか? チーズケーキか?」

「えっと、チーズケーキを」

「ふむ。なかなかいい選択じゃな」

「あ、ありがとう……?」

 女性はよく分からないままにお礼を口にしたようだった。およそ年齢にはそぐわない着物と話し方だが、桜子のその余裕のある雰囲気が違和感をかき消している。

 この本が面白いのじゃ、どれのこと? と本棚を前に意外にも二人の話が弾んでいるのを見て安心し、柳はのれんをかき分けた。


「むっ、柳!」

「何ですか?」

 すぐに呼ばれて、柳は再びのれんの向こうから戻ってきた。


「わたしも紅茶飲むのじゃ」

「お客様と同じ、アールグレイでいいですか?」

「うむ」

 桜子の黒いおかっぱ頭が満足そうに頷いた。左の耳のすぐ上に付けているバレッタは、今日は蝶が留まっているような、白いリボンだった。

 柳は、キッチンへ入ると、ケーキと紅茶をテキパキと準備する。

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