二冊目 助演の誇り-6



「それで、今日はどこへ行くの?」

 菫は待ち合わせ場所にすでに立っていた相馬にそう声をかけた。後ろに見える車が気になり、半分くらいそちらに意識が向いていたが。


「今日は、お察しの通りドライブを。どこへ行くかは着いてからのお楽しみだ」

「それは楽しみね」

 菫は後ろのドアに手を伸ばしたが、やんわりと相馬に止められ、助手席に促された。相馬はさっと反対側に移動して、ハンドルを握った。


「なんだか新鮮だわ。雪さんのときは後ろだから」

「まあ、後ろの方が見つかりにくいからな。念のため、しばらくは顔伏せておいた方がいい」

「分かってるわ」

 顔を伏せつつ、菫は隣で運転する相馬をちらちらと見ていた。正面を向いている相馬でも、さすがにその視線に気づき、苦笑いを浮かべた。


「どうした?」

「不思議。ここって特別感があるのね。相馬がほんの少しかっこよく見えるわ」

「ほんの少しか」

「ええ、ほんの少し」


 手厳しいな、と言いながらハンドルを握り直す相馬の耳がほんのり赤くなっていたのを、菫は見逃さなかった。相馬に対してかっこいいなんて言ったのは初めてだったかもしれない。

 気づけば、見慣れた景色がどんどん後ろに遠ざかっていた。窓の外に見える人もまばらになってきた。


「そろそろ窓を開けてもいいんじゃないか」

「そうね」

 菫は、助手席の窓を開けて気持ち良さそうに目を細める。飛ばされそうになった帽子を取り去って、黒髪が風を受けて艶やかになびく。


「綺麗だな」

「ん? 今何か言った?」

 相馬の呟きは、風の音にかき消されて菫には届いていなかった。菫はもう一度聞き返したが、なんでもない、と返されてしまった。


 しばらく風と遊んでいた菫は、何かに気づいたように肩を揺らした。そして、相馬の方を振り返って問いかけた。


「ねえ、今日の目的地って海?」

「ばれたか」

「外を見ていれば気づくわ」


 潮風の当たる駐車場に車を止め、二人は砂浜へと歩き出した。砂浜に人がおらず、どうしてかと聞いたら、親戚の所有地だから貸してもらったという。わざわざ人のいない海辺を用意してくれたことが嬉しかった。


「デートで海なんて、青春映画みたいね」

「ご不満か?」

「いいえ」

 一歩踏み出すたびに、砂が靴の形にへこんでいく。潮風が髪をさらって、頬を撫でていくのが心地いい。ふと、菫の中にある疑問が浮かんできた。


――この場所も、前の彼女と来たのかしら。


 しかし、菫はこの疑問を、前を歩く相馬の背中に投げかけることはしなかった。出来なかった。


「映画なら、海に向かって好きだーとか叫ぶところだよな。さすがにそれは目立つから、告白みたいなこと、してみるか」

 振り返った相馬は、ここでの練習案をあげていく。菫はそれには答えず、どうすべきか、俯いて考えていた。不審に思った相馬が近づいてきたところで、菫は意を決したように顔をあげた。


「迷惑なら、もうやめるわ」

「え?」

「私に協力したことで、前の彼女のことを思い出させているなら、もう……。この海も、その子と」

 相馬は、表情を変えずに瞬きを一つしただけだった。


「それじゃあ、それっぽく跪いてみるか。言葉は、そうだな。君の笑顔が何よりも大切で――」

「ちょっと、聞いてるの!」


 菫の言葉など聞こえていないかのように、告白の演技をし始めた相馬に、思わず声が苛立った。その声に、相馬は深呼吸をしてから、立ち上がった。膝に付いた砂を払うと、じっと菫を見つめた。


「じゃあ、本当の言葉を」

 その瞳は今までにないほど真剣なものだった。菫は自分の息が詰まるのを感じていた。


「園田が、俺をみているのが新鮮なんだ。高校のときから、いつも前しか、演劇のことしかみていなかったからな。それでも俺は……ずっと園田をみていた。昔も、今も」

「……っ」


 相馬の言葉が、演技などではないことは考えなくとも分かった。相馬はずっと、”すみれ”でも”御園”でもなく、園田と呼んでいた。高校時代のまま、台詞に本音を隠して隣にいたのだ。


「で、でも――」

 菫は、何か言いかけて口をつぐんだ。以前、柳に『自分にするか』と問われて、そのときは雰囲気に圧されて答えられなかったが、今ははっきりと菫自身分かっていた。

 相馬でないと、だめなのだ。他の人では、だめだ。


「私は……」

 たった今、気づいたことを言葉にするのは、難しかった。胸の鼓動もいつもよりうるさくて、思考の邪魔をする。それでも、どう言おうかと考えていると、手が差し出された。


「手、繋ぐか?」

 菫は小さく頷いて、その手に自分の手を重ねた。前に繋いだのとは、全く別ものだった。この暖かさを、心地よさを、どう記録したらいいか分からなかった。記録、などと考えたくなかった。これは演技のためじゃない、自分のための想いなのだから。





「お疲れさまでした」

 すみれは、ドラマのイメージショットの撮影を終えて、スタジオをあとにした。雪野の姿を見つけ、少し自慢げに笑いかける。


「撮影、予定より早く終わったのよ」

「そう。お疲れさま。着替えたらすぐに車に来なさい。話があるから」

「……分かったわ」

 硬い表情の雪野に違和感を覚えつつ、すみれは早々に着替えを済ませ、いつものように車の後部座席に乗り込んだ。運転席に座る雪野は、上半身をひねって、すみれに向かい合う。


「すみれ、相馬という男から離れなさい」

「どうして名前を! それより離れるって……?」

 雪野の深く長いため息がエンジンのかかっていない車内の空気を一層重くした。


「関係者の間で噂が出てきている。そこまで広がってはいないし、決定的ではないから、今のうちに、離れなさい」

「そんな……」

「恋愛ドラマ出演の前に、熱愛の噂なんてご法度。分かるでしょう」

 押し黙ってしまったすみれを見て、雪野は頭を抱える。


「練習をしてみれば、なんて軽率な提案をした私にも責任がある。ごめんなさい。だから、相馬くんには、私から言っておいたから」

「!?」

 すみれは、目を見開いて前の座席にしがみついた。反論しようにも、言葉は喉の奥に引っかかって出てこない。何を、言おうとしているのだろう。


「もう会わないように。さっきの撮影を見た限り、恋の演技は大丈夫そうだし」

「……」

「いい?」


 すみれは、俯くようにしてゆっくりと頷いた。







「ただいま……」

 返事のない部屋に菫の呟くような声が吸い込まれていく。そのまま、仰向けにベッドに体を投げ出した。見回せば、自分の名前の影響で、紫や青の小物が部屋の多くを占めている。本棚には、演劇に関する本や漫画、DVDがぎっしりと。その横にある段ボール箱には今までもらったファンレターが詰まっている。そして、丸テーブルの上には、最近受け取った台本が読まれるのを待っている。


「雪さんの目は、ごまかせないわね……」

 雪野の言うことは正しい。恋の演技を理解し、実践出来るようになったのなら、それはもう引くべきなのだ。噂などもってのほか。本気になった、自分が悪い。


――――本当に?


 それは、本当に悪いことなのか。誰かの隣にいたいと思うことが、そんなに悪いことなのか。御園すみれでなければ。もし、園田菫なら。きっと。


「!」

 考えが深みに入っていった矢先、電話が着信を告げた。ベッドから起き上がり、声を整えてから、応答した。


「もしもし」

「こんばんは。夜分遅くにすみません。物書き屋の柳です。ご依頼の本が出来上がったので、ご連絡致しました。また、ご都合の良い時にお越しください」

 柳の言葉に、預けていた鏡のことが頭に浮かんだ。役作りに、“御園すみれ”に必要な、あの鏡。


「……しばらくは仕事が忙しくて、行けそうにないわ」

「分かりました。いつでも、お待ちしています」

 そう言い残して切れた電話をベッドに放り投げて、また思考を閉ざした。





「いつ取りに来られるかは分からないそうです」

 柳は、すぐ後ろに立っていた桜子にそう告げた。聞き耳を立てていたらしい桜子は、神妙な面持ちで頷いた。

「そうか」

「来ないと思ってますか? あの鏡は役作りで使っている物だとおっしゃっていました。きっと大切な物ですよ」

 柳の言葉にも表情はほぐれず、桜子は、うむと零した。

「忙しくとも、時間を作ってここに来ていたやつがなあ……まあ、来たらよいのう」

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