二冊目 助演の誇り-5



「こんにちは……」

「わっ、本当にいらっしゃった」


 客を迎えるには、およそふさわしくない言葉とともに、柳は本棚の後ろから顔を出した。本の整理をしていたので、両手に本が抱えられている。菫が不満気にこちらを見る。


「何よ、来たらまずかったのかしら?」

「いえ、そういうわけではないんです」

 柳は慌てて持っていた本を置き、顔の前で手を振って訂正した。


「実は、桜子さんがついさっき、園田さまが来る気配がするとか言って出掛けていったんです」

 菫は、店に入ってから桜子を探してきょろきょろしていたが、いないと聞いて、肩を落としていた。菫は前回とは違う柄のショッピングバックを胸の高さまで上げて、柳に見せた。


「今日も可愛い洋服持ってきたのに。残念だわ」

「渡しておきましょうか」

「でも、捨てられたら悲しいし……」

「大丈夫ですよ。桜子さんが物を粗末にすることはあり得ませんから」


 付喪神である桜子は、人よりも物を大事に扱う。そこは絶対的に信頼できる。柳は内緒話をするように人差し指を口元に当てて、微笑んだ。


「この間の洋服も、大事にハンガーにかけてましたよ」

 菫は一瞬、息をのんだあと、嬉しそうな笑みを浮かべた。それは手のかかる可愛い妹をもつ姉のようだった。ショッピングバックを柳に預けてくれた。


「せっかくだから、おすすめの紅茶をお願いできる?」

「かしこまりました。執筆と、私の単純な興味のために、少しお仕事のことを聞きたいのですが」

「女優のこと? いいわよ」

 柳が紅茶を淹れている間、菫は足を組んで座り、テーブルに頬杖をついて待っていた。目線は窓の外へぼんやりと向けられている。その様子だけで美しい絵になっている。


「お待たせしました。どうぞ、アップルティーです」

「わあ、とてもいい香り。りんごってこんなに香りが出るのね」

 菫の素直な感想に、柳は少し得意気に話し出した。


「このアップルティーは、ポットに茶葉と一緒にりんごのスライスを入れて蒸らしたんです。そして、カップにもりんごを」

 柳が指さすままにカップの底を見ると、いちょう切りされたりんごと目が合った。


「贅沢に使っているからこそなのね」

「はい。味の方にもひと工夫を。どうぞ、飲んでみてください」

「あら、甘い」

 柳はその反応に満足そうに笑みを深めた。味の違いに的確に気付いてくれる客は久々で、柳の顔には営業ではない本心からの楽しげな笑顔が浮かんでいた。


「蜂蜜を入れてみました。りんごと蜂蜜は相性がいいので。ちなみに、園田さまはシナモンはお好きですか?」

「ええ、好きよ」

 その言葉を聞き、柳はティースプーンでシナモンパウダーをすくい、ふわりと回し入れた。


「本当に贅沢なティータイムね」

 紅茶を飲みながら、菫は、女優という仕事においての信念、雪野や周りの役者仲間のこと、やりがいや苦労することなど、柳の質問に答える形で色々なことを話してくれた。


「自分じゃない人物になるってやっぱり難しいですか?」

「役作りは人それぞれやり方があって、台本を見てすぐに理解して“なれる”人もいるわ」

「園田さまはどうやるんですか?」

「私は、行動から入るわ。まず動いてみてから、彼女――その役がなぜそう動こうとしたのか、気持ちを考えるの」

 柳は、どこか腑に落ちたように何度か頷いた。視線を合わせて、話の続きを促す。菫は柳が何を聞きたいのかを察したらしく、口端を上げた。


「そう、今回依頼した鏡は、まさに役作りで使っている物よ。表情や動きをチェックするの」

「今は鏡なしで、役作りをしていると」

「まだ台本は受け取っていないの。今はそのドラマのために、デートの研究をしているわ」

「デートの研究……?」

 よく分からないまま、柳は菫の言った言葉を繰り返した。菫はくすりと笑ってから捕捉をした。


「恋愛の経験がないから、同級生に練習をお願いしてるのよ。ただ、もしかすると前の彼女のことを思い出させて、迷惑かけてるのかもしれな……」

 菫は、いつの間にか言わなくていいことまで言ってしまったことに気づき、バッと顔を上げた。前のめりになって、柳に詰め寄ってきた。


「今言ったこと、忘れて」

「相手の方に迷惑をかけているかも、というところですか」

「そうよ」


 冷静でクールに見られる外見に合わせて、そう行動しようとしているが、悩み、揺らぐところがとても人間らしい。使い方があらかじめ定められている物とは違う、人の不安定さに、柳は笑みを浮かべた。

 ふいに柳は妖美な表情になり、菫の黒髪を一筋その長い指先ですくい上げた。視線を落とし、そのまま髪に口付けでもしそうな所作に、菫は固まってしまう。


「では、私にしますか」


「え」

「私なら、迷惑になることもありませんよ」


 菫は驚いて柳の顔を見つめ、その妖しげな深い瞳に魅せられて、目が離せなくなっている。無意識のうちに頷いてしまいそうになり、でも、すぐに我に返り、後ろに身を引いた。柳は追うことはせず、するりと髪から手を離した。


「冗談ですよ」

 そう言う柳の雰囲気はいつもの店主のそれに戻っている。菫は小さく息をついた。


「小さな大家さんで手一杯ですから」

 柳はにこにこと笑い、真意は見せない。菫はそわそわと腕時計に目線を落とし、立ち上がった。


「もう行かなきゃいけないわ。紅茶ごちそうさま」

「いえ、こちらこそ色々な話が聞けて良かったです。もうすぐ本も完成しますので」

 菫は、足早に物書き屋をあとにした。




 客のいなくなった店内で、柳は自分用に淹れていた甘いアップルティーを口に運ぶ。女優という職業に興味を引かれて、その真似事をしてみただけ。


「違う人物になる、というのも面白いですね」


 柳は、ティーカップを片付けると、店内の奥にある、執筆室に入った。そこには、一組のテーブルと椅子、インク棚。テーブルの上には原稿用紙と、菫から預かった手鏡が置いてあった。


 手鏡の傍には人差し指ほどの大きさの、小さな者がふよふよと浮かんでいる。百年未満の物たちは、人の姿形はあるが、小さく、人には見えない。付喪神は彼らの姿を見ることは出来るが、通常、声は聞けない。彼らのことをツボミ、と呼ぶこともある。


「演技、というのは面白いものですね」

『一回してみただけで分かったような口を聞かないでちょうだい』

「ふふ、すみません」


 柳は、そのツボミと会話をすることが出来る。桜子いわく、特異な能力らしく、それを活かそうと物書き屋を始めたのだ。


「もう少し、お話し聞かせてもらえませんか?」

『仕方がないわね』


 ツボミたちから話を聞いて、本にする。これが、物書き屋の仕事である。


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