二冊目 助演の誇り-4



「練習、今日のつもりだったのだけど、色々と仕事が入っちゃったのよ」

 すみれは、相馬に断りの電話をかけていた。念のため、誰かに聞かれないようにスタジオの廊下の端の方で、顔にかかった髪もそのままに。


『そうか。その仕事は夜遅くまで?』

「いえ、夜、というか夕方頃には終わると思うわ」

『それなら、今日は夜景を見に行くのはどうだ?』

 電話の向こう側で得意気に笑っている相馬の顔が浮かんだ。すみれは相馬の提案に、その手があったか、と感心していた。


『なるほど、その手があったか。って思ってるだろ?』

「! ええ、思った、わよ」

 言い当てられたことに少し悔しさもあったが、相馬が嬉しそうだったから、別にいいかとすみれはそれ以上何も言わなかった。


『じゃあ、またあとで』





仕事終わりに相馬に連れられて来たのは、街が見渡せる高台だった。

「わあ、綺麗」


 人は少ないが見える夜景は輝いていて、隠れた名所、といったところだろうか。光の道を作っている車にも、そびえ立つビル群の光にも、そこに人がいる。見知らぬ誰かのいる証である光が、一つの夜景を作り上げている。あの街の中にいては、この景色は見えない。


「あ、そこつまずきやすいから気を付けて」

 相馬が手を差し出し、すみれが手を重ねる。何年もそうしてきたかのように、自然な動作だった。二人は顔を見合わせて、満足そうに笑う。恋人の演技に慣れてきた。


「それにしても、こんな穴場みたいな所よく知ってるわね」

「ああ、前のときによく来てたんだ」

「前のとき?」

 こてんと首をかしげたすみれを見て、相馬は一瞬だけ、演技を忘れて、しまった、というような顔をした。しかしすぐに取り成して質問に答えた。


「前に付き合ってた彼女が、ここがお気に入りでな」

 すみれは、自分が息を飲んだことに気づいた。この自身の反応が演技の延長なのか、よく分からなかったが、二人の間に流れた沈黙が嫌にうるさかった。


「へえ、彼女がいたの。だから、デートのこともよく知っていたのね。練習も完璧に出来るわね」

「ああ」

 すみれは、ふと自分が知らない本当のデートというものに、興味が湧いた。演技をする際、感情は想像で補っていくが、実際の体験からくるものには敵わない。


「ねえ、その彼女とはどこに行ったの?」

「色んな所に行ったな。それこそ、映画館、動物園、プラネタリウムとか。遊園地にも行ったし。公園でただ話しただけの日もあったな」

 相馬は指折りデートスポットを挙げていく。特に嫌な顔をせずに答えているのは、すみれがただの興味だけでなく演技の参考として聞きたがっていると分かっているからだろう。


「そんなに仲が良かったのに、別れちゃったのね」

 すみれは心底不思議そうに呟いたが、言い終わってから、しまった、と思った。相手に聞きすぎて失敗したことは、今までも何度かあった。そっと相馬の顔を見ると、眉を少し下げて笑うだけだった。


「俺のせいなんだ」

 相馬は輝いているビル群から目線を上げて、星の気配のない空を見つめた。


「言われたんだ、その彼女に。『相馬くんは私のことを好きなわけじゃない。私じゃない誰かをみてる』って」

 すみれも空を見上げてみるが、やはり星は見えない。相馬は目を細めて、見えない星をみようとしているようだった。


「その通りだった。でも、何も言えなかった。傷つけたのに、言い訳すら出来なかった」

 なんと声をかけたらいいのか分からずに、すみれは口を開けては閉じてを繰り返している。ふいに、頭に手が乗せられ、そのまま帽子ごとぐしゃぐしゃと撫でられた。


「こんな話は参考にならないよな。さあ、もう帰ろう」

 帰り道を歩き出す前に一瞬見えた、微笑む相馬の顔が演技でも見たことがないほど切なかった。すみれは、その背中に呼びかけたが、小さな声は届く前に消えてしまった。


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