二冊目 助演の誇り-7



 一週間ほど経ったある日、菫が物書き屋に訪れた。少し疲れた様子で、目にも力がない。


「お待ちしていました、園田さま。お忙しい中、ありがとうございます」

「ええ」


 桜子は少し離れたところから様子を窺っていたが、目が合っても前ほどの勢いはない。心配になったらしく、桜子は柳の隣に並んだ。そして、柳の手から本と鏡を引き取り、菫の前に持っていった。


「ほら、依頼した本と、預かっておった鏡じゃ」

「ありがとう、桜子さん」

 菫は、受け取った本の表紙に視線を落とし、そこに記された文字をそっと指でなぞった。『助演の誇り』とある。


「どうぞ、読んでみてください」

 菫は椅子に座り直して、表紙をめくった。その手は緊張からか、力が入り過ぎているようにも見える。




~・~・~・~・~・~・~・~

 あたしは、目の前を通っていく人たちの真似をするのが好きだったの。嬉しそうな人、悲しそうな人、怒っている人、怒られている人。色んな人が色んな表情をしているのが面白くて、真似して遊んでた。


 ある日、あたしを見つけた綺麗な子が、他に目移りすることもなく、笑顔を浮かべて言ったの。


「これにするわ」

 それから、ほぼ毎日あたしに向かって、色んな表情をしていた。一瞬で変わる彼女の顔は、見ていて全然飽きなくて、すごく美しいと思ったの。

そのうち、彼女が女優を目指しているのだと知った。手伝いがしたいなって思った。輝く彼女の姿を見てみたくて。



「違う! こんなのじゃないのよ!」

 思ったような表情が出来ないと、彼女は怒りをあらわにした。それは、自分自身への怒り。手伝いなんて、生易しいものじゃだめだって、そう感じたの。あたしが、彼女のライバルになる。


 猛特訓の末、女優を名乗るようになっても、彼女はあたしでの稽古を欠かさなかった。本番の直前まで、あたしを相手にしてる。そして、口癖のようにこう言うの。


「まだまだ、これからよ」




 そう。あなたは、まだ途中なの。ちゃんと、分かってるでしょう。あたしというライバルを踏み台にしていくんだから。

 あたしに、その先の景色を見せなさい。あたしを、連れていきなさい、すみれ!

~・~・~・~・~・~・~・~



 途中を飛ばしつつも、読み進めていたすみれは、冷水を浴びせられたかのように背筋を伸ばした。そして、居ても立っても居られないというように、立ち上がった。


「私、行かなきゃ、言わなきゃならないわ」

 バタバタと店を出ていこうとするすみれに、柳は落ち着いた声音で語りかけた。


「園田さま、いえ、御園さまの物語の続きが、輝くものであると願っています」

 すみれは、深くお辞儀をしてから、物書き屋をあとにした。その目は力強く、前を向いていた。




「あいつに前を向かせるために、わざと厳しい台詞を選んだか。さすがは女優の鏡じゃのう」

「そうですね」

 物書き屋の二人は、穏やかな表情で、今回の客を見送った。







 物書き屋を出たすみれは、すぐに相馬に電話をかけた。


『はい、もし――』

「今、どこにいるの?」

『え? 今は、この間待ち合わせしたあの駅のホームに』

「すぐに行くわ、待ってて」


 返事を待たずに電話を終わらせると、すみれは駅のホームに向かった。言われた所に着いたはずなのに、相馬の姿が見当たらない。すると、電話が着信を告げる。


『こっちだ。反対側』

 その声の言うように反対側のホームに視線を移すと、電話片手に手を振っている相馬が見えた。すみれが気づいたのと同時に、相馬はこちら側に来ようとしたが、それを止めた。


「このままで」

『分かった。……もう会わないんじゃなかったのか』

「雪さんから、どう聞いたの」

『練習の相手として不十分。もう会う必要もない、会わない。そう聞いた。園田からの伝言だと』


 内容はだいたい予想していたが、相馬の強張った声を聞いて、喉の奥が締め付けられるような感覚になった。が、いっそこのまま嫌われた方が楽かもしれない、とすみれは考えていた。その思考を遮るように、でも、という声が聞こえてきた。


『でも、園田が言ったわけじゃないだろ』

「え」

『園田は、自分が言い出したことを、他の人からの伝言で終わらせるようなやつじゃない』

 一点の曇りもなく、信じてくれることがどれほど嬉しいことか、言葉に出来るほど、すみれは余裕がなかった。


「ええ。そうよ。ありがとう。……でも、もう会わないのは、本当」

『そうか』

 線路を隔てた向こう側にいる相馬の表情は、よく見えなかった。すみれはそれに少しほっとしていた。顔を見てしまったら、決心が鈍るかもしれない、と。


「私は女優なの」

『ああ』

 周りの騒音は不思議と聞こえず、相馬とすみれ自身の声だけがクリアに届いていた。


「私を“園田”と呼んでくれる人がいるのなら、私はこの先女優の“御園すみれ”として進んでいける。……私は、御園すみれよ」

 一方的で身勝手なことを言っていると、すみれは分かっていた。その罪悪感から、言い終わると同時に背を向け、相馬を見ることが出来なかった。そのまま、通話を切ろうとしたとき、優しい声が耳朶に触れた。


「…………がんばれ、園田」

 弾かれたように振り返った途端、目の前を電車が通過した。再び向こう側が見えたときには、相馬の姿はなかった。目の奥が熱くなり、視界がぐにゃりと歪み出した。が、すみれは自らの手のひらで頬を叩き、それを無理やり止めた。


――今、ここで、私が、泣く資格はない。


 すみれは、しっかりと前を見つめる。前だけを見つめる。





 たくさんの照明がセットを照らし、輝く虚構の世界を作り上げている。その世界で生きる、多くの人がその出番を待っている。

長い黒髪を一本の三つ編みにして、肩に流している彼女もその一人。これから、初めて恋に落ちる女性の人生を生きる。彼女は、紫色の鏡を手に最終確認をしている。


「御園さん、出番です!」

「はい」

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