三冊目 赤い記憶

三冊目 赤い記憶-1

「暇じゃー」


 桜子は畳に寝転がり、手足を投げ出す。店舗である一階は、テーブルやカウンターなど、洋風なものもあるが、二階の桜子の自室は和物が占めていた。壁側にある鏡台は、漆塗りが施されていて、風格がある。鏡を覆うための赤い布がよく映える。


「むんっ」

 桜子は体を起こして、鏡に向かって変顔を披露してみせるが、すぐに飽きて、また寝転がった。


「そんなに暇なら、箪笥の中を整理したらどうですか。また増えたでしょう」

 襖を開けて、柳が顔を出す。別々に自室はあるが、隣合っているうえ、隔てるものが襖一枚となれば、声も物音も丸聞こえである。


「むー、増えておらぬ。……それほどは」

「やっぱり増えてるじゃないですか」

「うるさい」


 桐のいい香りのする箪笥は、桜子でも届く低めのものだった。両手で取っ手を握り、手前にゆっくりと引いていく。赤い、紅い、朱い着物が引き出しの中を染め上げていた。色とりどりの花があしらわれたものや、市松模様、縞模様など、様々ある。今日身に付けているのは、深紅の生地に黄色い花が大きく咲いているものだった。


「そろそろもう一つ必要かのう」

 桜子はそう呟きながら、押し入れの戸を開けた。中にはハンガーにかかった洋服、もといゴスロリが二着。ハンガーにかけたまま置けるように、押し入れの中を柳が改良したのだった。目の前の悩みに蓋をするように、押し入れの戸をそっと閉じた。


「ところで、おぬしは何をしておるのじゃ」

 柳の部屋に顔を出し、そのまま入っていく。柳は、文机に向かって、何かを書いている。深緑の座布団の上に、姿勢よく正座している。いつもの白シャツやストレートパンツなどは、同じように改良した押し入れの中に仕舞われていて、部屋には物が少なく、すっきりしていた。


「紅茶帳です。最近見つけた茶葉を記録してるところです」

 机に広げているのは、薄茶色の布地が表紙になっているノート。背の部分は和綴じになっていて、柳は一目見て気に入ったらしい。もうすぐ二冊目が必要になってきそうである。


「おぬしは本当に紅茶が好きじゃな」

「はい。紅茶は、茶葉を運んでいる最中に、船の中で発酵してしまったのが始まりともいわれるんですよ。偶然から生まれたなんて素敵じゃないですか?」

「うむ、まあ、面白いとは思うが。本当に柳は紅茶のこととなるとよくしゃべるのう」


 会話の間も手を止めることなく、柳はさらさらと書き進めている。桜子は、柳の肩越しにそれを見ようとするが、なかなか上手くいかない。腹いせに柳の背中に全体重をかけてもたれかかる。


「それだけ飲むなら、いっそ体から紅茶が出るようになるのではないか」

「ああ、それいいですね」

「なっ」

 流されると思っていた軽口に賛同されて、思わず体から紅茶を出す柳を想像してしまった。かなり変だった。うん、気持ち悪い。


「冗談ですよ。私も暇ではあったので、普段乗らない冗談に乗ったんですが、思ったより面白い反応で」

「むぅー」

 悪戯っ子のように笑う柳に、桜子は悔しそうに、だがどこか楽しそうに声をあげた。







 その翌日、桜子は店で一番日当たりのいい椅子に、反対向きに座っていた。背もたれに顎を乗せて、体重移動を上手く利用して前後にカタカタと動いている。


「今日は予約入ってないのか?」

「ここしばらくはないですね」

 カウンターに腰掛けている柳は、その手にボールペンを持ってはいるが、それを使うこともなく、持て余している。来客のない物書き屋は、とても静かだった。


「あー、暇じゃー」

 静寂に飽きた桜子は、駄々をこねるように両腕をバタバタと動かした。ふと、何か思いついて、動きを止めた。そして、柳に視線と一文字で訴えてくる。


「ひ」


 柳は意図が分からず、しばらく首をかしげていたが、合点がいったようで、頷き返した。再び桜子が口を開く。


「ひ」

「ま」

「なの」

「です」


 リレーするように一文字、一言ずつ声を発していく。すばらしい以心伝心具合だと、柳は自負したが、桜子は何やら不満そうだった。


「そこは、『じゃー』と言うところじゃ!」

「えぇー」

 理不尽なお叱りに、柳は不平の声をあげる。そして、また静けさが店を包み、桜子が椅子をカタカタと揺らし始める。


「暇なら、書庫整理でもしますか?」

「えぇーえー」

 今度は、桜子が不平をもらす。考えを巡らせた柳は、あるものの存在を思い出した。


「じゃあ、カヌレ食べます?」

「かぬれ?」

「御園さまが、無事に撮影が終わって、そのお礼だと持ってきてくださったお菓子です」


 桜子の顔がぱあっと輝く。椅子から飛び降りて柳を急かしている。すみれが持ってくるお菓子は、桜子にとって珍しいものが多く、今回も初めてのスイーツが食べられる! とうきうきしているのが目に見えて分かる。


「じゃあ、準備しますね」

「柳からお菓子を提案してくるとはのう。暇なのもたまには良いな」

「新しい紅茶の味見も兼ねてますからね。今度のは――」

「あー、うむうむ」


 柳がぺらぺらと語り出す前に桜子に話の腰を折られた。少し不服な柳だが、まあ慣れっこなのですぐに準備に取りかかった。

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