二冊目 助演の誇り-2



 物書き屋を出たすみれの耳に、着信を告げる音色が届いた。鞄から取り出して見ると、雪野マネージャー、の文字。


「はい、もしも――」

「今、どこにいるの! 今日は打ち合わせがあるって言ったでしょう」

 応答すると、間髪入れずに鋭い声が飛んできた。すみれは歩きながら、ここから近い大通りを答え、そこに向かって歩き出した。


「すぐにそっちへ向かうから、そのまま打ち合わせに行く。いい?」

「ええ」

 十分もしないうちに、見慣れた車がすみれの前に停まった。周りの目を気にしながら、すばやく体を滑り込ませて一息ついた。


「ありがとう、雪さん」

「今度の恋愛ドラマの主役は、大事なチャンスなんだから、しっかりね。前にも言ったけど、恋の演技の研究・練習をしてみるのはどう?」

「そのことなんだけど、練習相手を頼めそうな人がいるわ」

「だれ?」

「高校の同級生よ、演劇部の。大丈夫、口は堅いし信頼できる」



 赤信号で止まったタイミングで、雪野は指を顎に当ててしばらく考えていたが、青に変わったことに気づいてハンドルを握り直した。


「分かった。すみれがそう言うなら」

「ありがとう」





「というわけで、演技の研究のために協力してほしいの。相馬そうま

 すみれは人通りの多い駅前を待ち合わせ場所に指定した。目的地に急ぐ人たちは、周りに誰がいるかなどは気にしない。意外とばれないものだ。


「久々に会ってそれか。園田らしいな」

 帽子とマスクを付けて目の前に立つ元同級生に、相馬は苦笑しながら頬をかいた。すみれの奔放さに慣れている、といった様子だ。


「俺でいいなら、協力する」

「ありがとう。ええっと、今は大学四年、になるの?」

「いや、一浪したから三年。そっちは、活躍して忙しそうだな」

「ええ。でもこれからよ」

 相馬は肩をすくめて、それを返事として話を本題へと戻した。


「それで、どこに行くんだ? 最初のデートは」

“デート”をわざとらしく強調して尋ねた。すみれは、マスク越しでも分かるくらい得意気に笑ってみせた。


「調べたのよ。三館っていうのがあるんでしょう」

「さんかん?」

「知らないの? デートスポットの定番、映画館・水族館・美術館のことよ」

 自信たっぷりに解説をするすみれを、ぽかんと見ていた相馬だったが、堪えきれず声を上げて笑い出した。


「ははっ、それどこ情報だよ」

「なんで笑うのよ」

「園田、今まで付き合ったこと、ないだろ?」

「そうよ。だから、練習が必要なんじゃない」

 あくまでも堂々と言うすみれに、相馬は呆れの混じった微笑みを向けてくる。


「そうだな。分かった。その三つなら、水族館だな」

「即決ね。何か理由でも?」

「映画は、観たら園田が演技のことしか話さなくなる」

「確かに」

「美術館は静かすぎて、練習には向かない。水族館ならカップルが結構いるから、参考にもなるからな。それと」

 一度言葉を切った相馬は、いたずらっぽく笑った。すぐ横を通り過ぎた小学生と同じような、わくわくした顔をしている。


「俺が水族館好きなんだ」

 おそらく、もう練習は始まっている。協力する、と言ったところから、相馬は少しずつそういう演技を入れてきている。さすがは元演劇部部長。

「いいわ。行きましょ」

 感心していることを悟られないようにそっけなく言うと、すみれは、くるりと駅に背を向けて歩き出した。


「どこに行くんだ? ホームはあっち――」

「水族館遠いでしょ? 長時間電車に乗るとさすがにばれちゃうのよ。だから、ね」

 駅前のタクシー乗り場を指さして、ウインクを飛ばした。

「お、おお……」






 タクシーを降りて、すみれは両手を空に向けて体を伸ばした。長い黒髪は帽子に仕舞われているが、そうでなければ海風になびいてきっと綺麗なのだろう。

「私、水族館に来るの小学校の遠足以来かもしれないわ」

「それじゃあ、楽しまないとな」


 相馬は、歩きざまにすみれの手を取り、そのまま入り口へと連れて行く。あまりにも自然で、すみれは一瞬思考が停止したが、すぐに手の温度や力の入り方、思考が止まったことも含め、頭の中の引き出しに記録していく。


「何が見たい?」

「王道で、ペンギンとアザラシを見に行きましょう」

「了解」

 最初に二人が向かったペンギンのエリアは、視覚的な効果もあり、少し寒さを感じた。すみれは、周りにいるカップルを観察し、甘えてみることにした。


「ねえ、ちょっと寒いから、くっついてもいい?」

 答えを聞くよりも早く、腕を絡ませて体を密着させる。相馬の顔を上目遣いに見ると、目を見開いて驚いていたが、すぐに真顔になり親指を立てた。なかなか良い評価をもらった。


「次は無邪気に、はしゃぐ感じはどうだ?」

「分かったわ」

 アザラシやアシカのいるエリアでは、可愛い、やばい、を連呼しつつ、相馬の服の裾を引っ張ったりしてみた。すみれの中にあるギャルのイメージを使ったのだが、これは、そこそこだったらしい。

 次はどんな感じにしようかと歩いているとき、すみれと相馬はイワシの水槽を見ながら、ぽつりと呟いた。


「あら、美味しそう」

「美味しそうだな」


 思わぬシンクロに、顔を見合わせて吹き出した。そこから何故か、美味しそうな魚探しになってしまった。

「あ、カニだわ!」

「おおー、足長いな。このカニ」

「そりゃそうよ、タカアシガニって書いているもの」

 ふと、相馬が少し離れたところにある水槽を見て、すぐに視線を外した。その視線の先を、すみれも追ってみた。


「何かいた? ……ああ、エイね」

「さすがに、あれはないよな」

「美味しいわよ」

「!?」


 肯定の言葉は予想外だったのか、驚いた相馬はすみれとエイを交互に見比べている。エイは、その顔に見える裏側をこちらに見せながら優雅に泳いでいる。


「雪さんが、ああ、私のマネージャーさんがね、そういう珍味とかが好きなのよ。たまに私にもくれるの。当たり外れがあるんだけど」

「へえー」

「なんだか、お寿司が食べたくなってきたわー」

 相馬も笑って頷こうとしたが、踏みとどまり、すみれに人差し指を突き立ててきた。びっくりして、相馬の指を見つめて寄り目になってしまう。


「違うだろう。これは、デートだぞ」

「はっ、そうだったわ」

「どこに行きたい?」

「ええっと、カフェで一休みしたいわ~」


 当初の目的になんとか軌道修正して、二人は水族館に併設されているカフェに入った。家族連れもいるが、やはりここにもカップルがたくさんいた。周りのテーブルの上と、メニューを吟味して注文したのは、一番デートらしい、パンケーキ。

 しばらくして、水色のエプロンを身に付けた店員がクリームたっぷりのパンケーキを運んできた。三つのベリーとうたっているだけあって、見た目も華やかだ。一口切り分けて、口に運ぶとベリーの甘酸っぱさとクリームの甘さが広がって、すみれは笑みと共に満足そうに頷いた。


「けっこう美味しいわよ。食べる?」

「いや、甘いものは得意じゃないから」

 その言葉が本当ではないことをすみれは知っていた。演劇部への差し入れのシュークリームで誰よりも喜んでいたのは相馬だったのだから。つまり、これは演技。どう答えるべきか考えていると、相馬は優しく微笑んで自身の口元を指さした。


「ここ、ついてるぞ」

「え、嘘っ」

 反射的に口元に手をやったが、特に違和感はなかった。


「こっちだ」

 すっと反対側の唇の端に相馬の人差し指が触れ、クリームをすくい取っていった。クリームはそのまま相馬の口の中に収まった。


「やっぱり甘いな。俺はこれで充分だ」

「なっ」

「ん?」

「なるほど!」

 相馬の行動に感嘆して、すみれは思わず声を上げた。正直怒られるかと思った、と呟いた相馬はほっとしつつ、苦笑していた。


「演劇バカだな、本当」

「あら、今更よ」

 結局パンケーキは二人で分けて完食した。美味しいものは分け合った方が美味しい。


 一回目のデートは、記録を増やすことが出来たし、まずまずの収穫だったと、すみれは満足気に頷いた。

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