四冊目 また会う日まで-4
*
「今回は、自己紹介をしてみましょう!」
ひとみは伊達メガネを中指で押し上げると、高らかに言ってみせた。柳と桜子が拍手を返すと、ひとみは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、まずあたしがお手本で言ってみるね。『あたしの名前はひとみです。チョコが好きです。黄色が好きです』を英語で言うと、My name is Hitomi. I like chocolate. I like yellow.」
「おおー」
桜子が口を開けたまま固まっている。柳も、ひとみの流暢な英語に感心させられた。以前、単語を聞いたときも全く違う発音に驚いたのだが、文章になると、さらに違いが浮き彫りだった。同時に、なんだかわくわくしてきた。
「名前と、好きな食べ物・好きな色、それぞれ考えて、英文作ってみよう! 言ってみよう!」
「分かったのじゃ。好きな食べ物は、スイーツじゃな! 色は、赤かのう」
「私は、食べ物、というより飲み物ですが、紅茶で。色はそうですね、緑にします」
それぞれ内容を考えたところで、ひとみがそれを英語にしていく。こほん、と咳払いの真似をしてから言葉を紡ぎ出していく。
「まずは、さっちゃんね。My name is Sakurako. I like sweets. I like red. 頑張って!」
「まいねーむ、いず、さくらこ。あいらいく、スイーツ。あいらいく、れっど」
「うーん、可愛い!」
一所懸命リピートしているのだが、どうしてもひらがな口調である。ただ、その見た目と相まって可愛さは三割増しだ。
「次はナギーの番ね。My name is Yanagi. I like tea. I like green.」
「マイネーム、イズ、ヤナギ。I like ティー。I like グリーン」
「お、いい感じ! ちょっともう一回言ってみて。口の形を意識して」
柳は口元を指先で二、三度伸ばしてから、もう一度自己紹介に挑戦する。今度はいけるような気がする。
「マイネーム、イズ、ヤナギ。I like tea. I like green.」
「上手い! ナギーすごい!」
「あ、ありがとうございます」
柳は頬をかきながら、はにかんで応えた。一方、桜子は柳だけが褒められていることにすねてしまい、頬をぷくーっと膨らまし、体を揺らしている。
「ちょっと、休憩しようか」
なおも頬を膨らましている桜子に、ひとみは励ますように声をかける。顔をのぞき込むようにして、にこにこと笑いながら。
「桜子って名前、可愛いけど英語だと言いにくいよね。ひとみは言いやすくて助かっているんだ」
そういえば、とひとみは何か思い出したらしく、手を打った。
「ひとみって名前、おばあちゃんが付けてくれたんだ。瞳が綺麗だったからって」
「素敵ですね」
「ちょっと恥ずかしいけど、やっぱり嬉しいな」
ひとみは、目を細めて祖母へ思いを馳せる。それを察した桜子が、袖を引きながら、話を促した。
「仲が良かったのか?」
「うん。家は遠かったけど、小学生の頃は毎年夏休みに遊びに行ってて、楽しかったなあ。でも、海外行ってからはなかなか遊びにも行けなくて。高校はこっちだったけど、部活が忙しくてね。少し顔を出すくらいだったな……」
今年が七回忌、ということは高校卒業前後で亡くなったということだろう。ひとみは、当時を思い出してか、その顔に弱々しい笑みを浮かべていた。
「そうか、そうか」
桜子は多くを言わず、ひとみの腕をぽんぽんと叩いた。
*
今回の授業は、何にしようかなーとひとみが呟いていたので、柳がすっと小さく手を上げる。
「あの、道案内の仕方を教えていただけませんか」
「ナギーから提案とは珍しいねー」
「実は、前に道を尋ねられたんですが、全然答えられなくて」
頬を人差し指でかきながら、へにゃりと笑う。ほとんど答えられず、身振りでどうにか伝えたが、無事に辿りつけたのかは分からない。もし次に同じようなことがあったら、答えられるようにしておきたい。
「なるほど。確かに、なんだかんだ一番使う状況かもね。よし! じゃあ、これを使ってみよう」
ひとみは、鞄の中から箱に入ったキャラメルを取り出した。中身を全部テーブルに出して、空になった外箱を真ん中に置いた。
「何をしているんですか?」
「まあ、見てて」
ひとみは、箱を起点として、まっすぐにキャラメルを二列に並べていく。
「箱が駅として、このキャラメルの間が道ね。指を現在地にして、道案内をするの」
「なるほど、面白そうですね」
柳は、ひとみの授業方法に感心して、ふむふむと頷いた。桜子はというと、紅茶を片手に見学していた。今日の紅茶は、ダージリン。マスカットフレーバーともいわれる爽やかな香りが特徴で、紅茶のシャンパンの異名をもつ。ストレートティーがいいと言ったのだが、桜子はミルクにこっそり手を伸ばしている。
「じゃあ、まずここ」
ひとみが人差し指をキャラメルとキャラメルの間に置いた。駅に向かうには、左に曲がり、そしてまっすぐに進まなければいけない。
「こういうときは、簡単にTurn left and go straight.って感じかな」
「ターンレフト、アンド、go straight」
「うーん、いい感じなんだけど、やっぱりRの発音が難しいかー」
ひとみが言うには、LとRの発音が一番難しいところらしい。どう説明したら、とひとみは頭を悩ませていたが、とりあえず授業を進めることになった。
「次はナギーが場所を指定してみて」
「はい。では、ここで」
「まっすぐ行って、二つ目の角を右、って感じだね。何て言うか分かる?」
柳は机に置いていた人差し指を引き上げて、顎に手を当てて考える。先ほどひとみが言っていた文章を思い出す。
「真っ直ぐ行く、はGo straightですよね。そのあとは、角……」
「角は、cornerね。だから、Go straight and turn right at the second cor……あれ?」
道順を指で辿りながら答えを言っていたひとみは、途中で首をかしげた。いつの間にか角の数が変わっている。よくよく見ると、桜子の頬が動いている。
「あ! さっちゃんキャラメル食べてる!」
「む、ばれてしまったのじゃ」
「道が変わってしまいましたね」
「もうー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます