四冊目 また会う日まで-4



「今回は、自己紹介をしてみましょう!」

 ひとみは伊達メガネを中指で押し上げると、高らかに言ってみせた。柳と桜子が拍手を返すと、ひとみは嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、まずあたしがお手本で言ってみるね。『あたしの名前はひとみです。チョコが好きです。黄色が好きです』を英語で言うと、My name is Hitomi. I like chocolate. I like yellow.」

「おおー」


 桜子が口を開けたまま固まっている。柳も、ひとみの流暢な英語に感心させられた。以前、単語を聞いたときも全く違う発音に驚いたのだが、文章になると、さらに違いが浮き彫りだった。同時に、なんだかわくわくしてきた。


「名前と、好きな食べ物・好きな色、それぞれ考えて、英文作ってみよう! 言ってみよう!」

「分かったのじゃ。好きな食べ物は、スイーツじゃな! 色は、赤かのう」

「私は、食べ物、というより飲み物ですが、紅茶で。色はそうですね、緑にします」

 それぞれ内容を考えたところで、ひとみがそれを英語にしていく。こほん、と咳払いの真似をしてから言葉を紡ぎ出していく。


「まずは、さっちゃんね。My name is Sakurako. I like sweets. I like red. 頑張って!」

「まいねーむ、いず、さくらこ。あいらいく、スイーツ。あいらいく、れっど」

「うーん、可愛い!」

 一所懸命リピートしているのだが、どうしてもひらがな口調である。ただ、その見た目と相まって可愛さは三割増しだ。


「次はナギーの番ね。My name is Yanagi. I like tea. I like green.」

「マイネーム、イズ、ヤナギ。I like ティー。I like グリーン」

「お、いい感じ! ちょっともう一回言ってみて。口の形を意識して」

 柳は口元を指先で二、三度伸ばしてから、もう一度自己紹介に挑戦する。今度はいけるような気がする。


「マイネーム、イズ、ヤナギ。I like tea. I like green.」

「上手い! ナギーすごい!」

「あ、ありがとうございます」

 柳は頬をかきながら、はにかんで応えた。一方、桜子は柳だけが褒められていることにすねてしまい、頬をぷくーっと膨らまし、体を揺らしている。


「ちょっと、休憩しようか」

 なおも頬を膨らましている桜子に、ひとみは励ますように声をかける。顔をのぞき込むようにして、にこにこと笑いながら。


「桜子って名前、可愛いけど英語だと言いにくいよね。ひとみは言いやすくて助かっているんだ」

 そういえば、とひとみは何か思い出したらしく、手を打った。


「ひとみって名前、おばあちゃんが付けてくれたんだ。瞳が綺麗だったからって」

「素敵ですね」

「ちょっと恥ずかしいけど、やっぱり嬉しいな」

 ひとみは、目を細めて祖母へ思いを馳せる。それを察した桜子が、袖を引きながら、話を促した。


「仲が良かったのか?」

「うん。家は遠かったけど、小学生の頃は毎年夏休みに遊びに行ってて、楽しかったなあ。でも、海外行ってからはなかなか遊びにも行けなくて。高校はこっちだったけど、部活が忙しくてね。少し顔を出すくらいだったな……」

 今年が七回忌、ということは高校卒業前後で亡くなったということだろう。ひとみは、当時を思い出してか、その顔に弱々しい笑みを浮かべていた。


「そうか、そうか」

 桜子は多くを言わず、ひとみの腕をぽんぽんと叩いた。





 今回の授業は、何にしようかなーとひとみが呟いていたので、柳がすっと小さく手を上げる。

「あの、道案内の仕方を教えていただけませんか」

「ナギーから提案とは珍しいねー」

「実は、前に道を尋ねられたんですが、全然答えられなくて」


 頬を人差し指でかきながら、へにゃりと笑う。ほとんど答えられず、身振りでどうにか伝えたが、無事に辿りつけたのかは分からない。もし次に同じようなことがあったら、答えられるようにしておきたい。


「なるほど。確かに、なんだかんだ一番使う状況かもね。よし! じゃあ、これを使ってみよう」

 ひとみは、鞄の中から箱に入ったキャラメルを取り出した。中身を全部テーブルに出して、空になった外箱を真ん中に置いた。


「何をしているんですか?」

「まあ、見てて」

 ひとみは、箱を起点として、まっすぐにキャラメルを二列に並べていく。


「箱が駅として、このキャラメルの間が道ね。指を現在地にして、道案内をするの」

「なるほど、面白そうですね」

 柳は、ひとみの授業方法に感心して、ふむふむと頷いた。桜子はというと、紅茶を片手に見学していた。今日の紅茶は、ダージリン。マスカットフレーバーともいわれる爽やかな香りが特徴で、紅茶のシャンパンの異名をもつ。ストレートティーがいいと言ったのだが、桜子はミルクにこっそり手を伸ばしている。


「じゃあ、まずここ」

 ひとみが人差し指をキャラメルとキャラメルの間に置いた。駅に向かうには、左に曲がり、そしてまっすぐに進まなければいけない。


「こういうときは、簡単にTurn left and go straight.って感じかな」

「ターンレフト、アンド、go straight」

「うーん、いい感じなんだけど、やっぱりRの発音が難しいかー」

 ひとみが言うには、LとRの発音が一番難しいところらしい。どう説明したら、とひとみは頭を悩ませていたが、とりあえず授業を進めることになった。


「次はナギーが場所を指定してみて」

「はい。では、ここで」

「まっすぐ行って、二つ目の角を右、って感じだね。何て言うか分かる?」

 柳は机に置いていた人差し指を引き上げて、顎に手を当てて考える。先ほどひとみが言っていた文章を思い出す。


「真っ直ぐ行く、はGo straightですよね。そのあとは、角……」

「角は、cornerね。だから、Go straight and turn right at the second cor……あれ?」


 道順を指で辿りながら答えを言っていたひとみは、途中で首をかしげた。いつの間にか角の数が変わっている。よくよく見ると、桜子の頬が動いている。


「あ! さっちゃんキャラメル食べてる!」

「む、ばれてしまったのじゃ」

「道が変わってしまいましたね」

「もうー」


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