六冊目 愛しい名前-2



 柳は、灯に連絡をして、話を聞きたい、と言った。すると、ある喫茶店の場所を告げられた。

「分かりました、行きます」


 言われた喫茶店の外開きの扉を開けると、軽快なカランカランという音が響いた。アンティークな物で統一された店内には、ゆったりとしたオルゴール調の音楽が流れていた。ぐるりと店内を見回して、奥の席に灯を見つけた。


「灯さん」

「ああ、わざわざ来てもらってすまない。休憩中で外に出ていたからな」

「すみません、休憩中だったんですね」

 出直そうと一歩後ろに下がった柳を、灯が目線で止め、手招きして椅子に座らせた。


「気にするな。何を飲む? お、メニューがなかったか」

 灯は片手を上げてカウンターの奥へ声を飛ばす。


「マスター、メニュー頼む」

 すぐに、四十代半ばの男性がメニューを片手に歩み寄ってきた。黒いバリスタエプロンに、蝶ネクタイをしめた彼はこの喫茶店の店主なのだろう。いかにもなその服装よりも、口元にたたえた絵に描いたような見事な口髭に目を奪われた。


「メニューをどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 じっと八の字の髭を見ていたことに気づかれていたかもしれない。柳は、にこやかに渡されたメニューに視線を逃がす。


「それにしても、灯さんが誰かを連れてくるなんて珍しいですね。本部の方ですか?」

「俺が友人のいない寂しいやつみたいな言い方をするな」

「そこまでは言ってないですよ、一応」

「んん? もしかして」

 少年の見た目をしている灯に敬語で接している、そして本部のことを知っている、つまりここのマスターは。


「ああ、こいつは付喪神だ。ミルのな」

「ミルってコーヒーを挽く道具、でしたよね。あ、じゃあ前に灯さんの言っていた専門家ってこの方ですか」

 柳は目を輝かせてマスターを見る。柳にとってのコーヒーの先生の、先生がきっとこの付喪神だ。


「灯さん、そんなこと言ったんですか。持ち主がやっていた喫茶店を継いだだけで、専門家なんておこがましい」

 口髭をいじりながら謙遜する姿の後ろには、積み重ねた努力と自信が垣間見えるような気がした。灯が、メニューを指さしつつ、ブレンドがおすすめだと教えてくれた。


「では、このオリジナルブレンドを一つ、お願いしてもいいですか」

「はい。少々お待ちください」

 にこやかに注文を受け取ると、マスターはカウンターの奥に戻っていった。


「……それで、聞きたいことっていうのは、本部のことか?」

 灯が頬杖をついて、柳がここへ来た本題を持ってきた。そのつもりで来たのだが、いざ直球で言われると少し緊張してきた。


「は、はい」

「そうか、興味を持ってくれて嬉しい。勧誘したからには、きちんと説明をする責任があるな。詳しく話しておこう」

 灯がそう前置きを口にすると、胸ポケットからトキが顔を出した。まあ、お前も聞いとけ、とトキに言うと、柳に目線を戻した。


「付喪神統括本部には、四つの課が存在する。このピンバッチの色で、どの課に所属しているか分かるようにしているんだ」

 灯は首をひねって襟に付けた丸いピンバッチを見せた。水滴をそのまま閉じ込めたような輝きをもった、黄色のピンバッチだった。柳は気になっていることを問いかけた。


「能力を持った付喪神は、本部にはたくさんいるんですか?」

「ああ。それなりにいる。能力といっても様々だがな」

「それと、その……」

「記憶がない者たちのことか?」

 言いよどんでいると、灯に言われてしまった。記憶がないことが不自然なこと、と言われてから、そのことが気になって仕方がなかった。灯は頬をかきながら、少し申し訳なさそうに言った。


「紛らわしい言い方をしたな。そいつらは、管理課とは別の課で働いている。もちろん、興味があるなら案内するが、出来ればお前には管理課に来て欲しいと思っている」

「管理課は情報の管理がお仕事、でしたよね」

「ああ。管理課は主に情報を扱っている。付喪神、そして、もうすぐ開化するであろう物のことを調べて、資料としてまとめることが俺たちの仕事だ。本部にはいくつも資料室がある」

 柳は、その仕事風景を想像していたが、運ばれてきたコーヒーの香りに意識が向いた。


「いい香りだろう」

 灯が柳の心の内を読んだ言葉を発した。柳は素直に頷いた。口にしたコーヒーはその香りに負けないくらい力強い味がした。


「マスターはいい仕事をするな」

「常連の灯さんにそう言ってもらえると、嬉しいですよ」

「管理課の仕事は、やることも多い。こういう息抜きは必要だからな」

 灯はコーヒーカップを顔の高さまで上げて、マスターに礼を示す。柳はぽつりと言葉を零す。


「話を聞いただけでも、管理課って、とても根気のいる仕事ですね。調べてまわって、まとめて、管理して。大変ですよね」

「ああ。正直手が足りていない。そこで、お前の出番だ、柳」

「どういう、ことですか?」

 そこで自分の名前が出てくる意味が分からず、柳は聞き返した。


「開化したやつの情報は、そいつから直接聞けばいいんだが、もうすぐってやつには、話が聞けないから、周りから情報収集するしかない。そこを、お前が直接話を聞ければ、効率が格段に上がる」

「なるほど、そういうことですね」

 柳は、自分がスカウトされた理由をようやく理解し、何度も頷いた。柳が興味を持っていることを確認した灯は、さらに話をしていく。


「他にも管理課では、付喪神そのものについても調べているんだ。例えば、開化したときの人の姿は、特に思い入れのある元の持ち主の姿に似るという法則を見つけたりしたな」

「なんとなくそうかと思っていましたが、やっぱりそういう法則があったんですね!」

 柳の見た目は、桜子に出会う前の、元々の持ち主だった男性に似ている。正確には、その男性の若い頃の姿に、である。彼は毎日のように万年筆を使ってくれていた。

 灯は、感動をそのまま言葉と態度に出す柳の様子に、気分を良くして、また一つ管理課のもつ情報を話した。


「あと面白いのは、七歳未満の人間の子どもで、まれに、ツボミを見ることが出来るやつがいるってことだな」

「え、見えるんですか!? えっと、ちょっと整理させてください」

 耳を疑う新情報に、柳はボールペンとメモ帳を取り出し、元々知っていることとたった今聞いたこととを書き出していく。


「ツボミは、付喪神からは見えるけれど、普通は話すことは出来ない。人からは見えないし、もちろん話すこともできない。で、合っていますよね……?」

 まとめていく過程で自信をなくしていった柳は、ボールペンを手にしたまま灯に確認を取る。


「ああ、合っている。その後半に、こう付け加えると完璧になるってことだな。『七歳未満の人間の子どもは見えることもあるが、話せはしない』と」

 いまいち納得していない柳に、灯は頭を回転させて言葉を探ってくれている。砂糖も入れていないコーヒーを、スプーンでくるくるとかき混ぜている。


「あれだ。人間の親が、よく子どもが何もないところをじっと見ているとか、言うだろう。あれはだいたいツボミのことだ。小さいから子どもの目線に入りやすいのかもな。もしくは……」

 ふと、灯の電話が着信を告げた。すまない、と断ってから灯はそれに応えた。


「はい、管理課の灯だ。……相談者? 分かった、本部に戻る。は? どういうことだ。こっちに向かっている? ここの場所を教えたのか。……いや、まあいい。ああ。分かった」

 電話を終えた灯は苦い顔をして、すっかり冷めたコーヒーを飲んだ。


「すまない、管理課に相談したいとか言ってきたやつらが、ここに来るらしい」

「そういうことでしたら、お邪魔になってしまうので、私は帰りますね」

「どこに帰るんだ」

「それは……」

 柳が答えられないと分かっていて、灯は聞いてきたらしい。一拍あいて、灯は意地が悪い質問だったと思ったようで、言い直した。


「言い方が悪かったな、お前も協力してくれないか」

「私に出来ることがあれば、ぜひ」

「ああ、助かる。頼む」

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