四冊目 また会う日まで-2

「それにしても、ここに来たのいつなんだろう? 高校生のときならもっとはっきり覚えてそうだから小学生?」

 考え事をしながら食べていると、当然手元が狂う。カランカランと甲高い音を立てて、フォークがひとみの手から滑り落ちた。


「あっ」

「大丈夫ですか? 新しいものをお持ちしますね」

「ごめんなさい。すぐ拾うか、ら……」

 ひとみはフォークを拾おうとして、椅子から下りて膝をついた。低くなった目線では、見え方が変わる。本棚と本棚の少しの隙間を見て、またしても長い紐で記憶が引っ張り出された。


「ちょっと来て。あれ、名前聞いたっけ?」

「む、桜子じゃ」

「桜子ちゃん、こっち来て」

「む!?」

 紅茶を飲もうとしていた桜子の手を、無理やり引っ張り、さっき見た本棚の隙間に座らせる。ひとみはそこから近いところにしゃがんでみる。


「なんなのじゃ!」

「次はこっちに来て」

 たいした説明もせずに、どんどん呼び起こされる記憶の通りに、桜子をも巻き込んで動いていく。何せ、記憶の中には赤い着物の少女がいるのだ。


「そう、こうやって、かくれんぼして、それから追いかけっこになって……それで」

「走るな、と怒られたのじゃったな」

「え?」


 桜子はあくびをしつつ、ひとみの言葉の続きを取った。驚きながらも、芋づる式に出てくる記憶の続きを再現することに専念した。そうして、カウンターの前まで来た。手招きで柳を呼び、カウンターの前に立たせる。


 ひとみは、しゃがんで、記憶が言うように、斜め上を見上げた。そこで、はっきりとその場面を思い出した。



 ――ひーちゃん、また一緒に取りに来ようね。



「おばあちゃん!」

「む?」

「あたし、おばあちゃんとここに来た。それで、おばあちゃんが何か預けたんだ!」

 やっと、記憶を掘り出したひとみは、満足そうに息をついた。が、すぐに新たな疑問が湧きだしてきて、うーん、と唸った。


「ここって何? ただのブックカフェ?」

 ひとみの質問に、桜子はゆるゆると首を左右に振って、わざとらしくため息をついた。


「まったく、仕方がないのう。柳、説明するのじゃ」

「はい、分かりました。……その前に、テーブルの方に戻りませんか?」

 流れるように了承した柳だったが、カウンターの前でしゃがんだままのひとみ、本棚に隠れるようにして立っている桜子を見て、苦笑いを浮かべた。


 何事もなかったかのように、椅子に座り直したひとみは、フォークが新しいものになっていることに気づき、柳に礼を言う。

「ありがとう」

「いえいえ。ここは物書き屋。依頼を受けて、物の想いを本にしているんです。物をお預かりして、私が執筆をしています」

 柳からの詳しい説明を聞き、ひとみはしばらく眉間に皺を寄せていた。が、自分の中で納得がいって、パッとそれが消えた。


「つまり、おばあちゃんがここに何か物を持ってきて依頼して、それがまだここにあるってことだ!」

「ずいぶんざっくりまとめたのう」

「あれ、間違ってた?」

「いいえ、合っていますよ。だいたいは」

 祖母の忘れ物と、この七回忌のタイミングで巡り合ったのは、何かの縁かもしれない、そうひとみは考えていた。ひとみは椅子から立ち上がり、勢いよく頭を下げた。思い立ったら即行動。ひとみの長所であり、短所でもある。


「帰国している間に、その忘れ物をおばあちゃんのところに持っていってあげたい。探してくれませんか!」

「うむ。よいぞ、探してやろう」

「本当!」

「じゃが、その代わり……」

 桜子がニヤリと楽しげな笑みを浮かべている。何が交換条件にくるのかと、息を詰めて待っていると、予想とはずいぶん違うものがきた。


「その代わり、外国の言葉を教えるのじゃ!」

「へ?」

 間抜けな声とともに桜子を見つめ返したが、それ以上の説明はないようで、ひとみは困り顔のまま答えた。


「あたしが出来るの、英語くらいだけど……」

「それでよい。探している期間、おぬしがここに来て、わたしに英語を教えるのじゃ」

「家庭教師みたいなことですかね。私も、外国に少し興味があります。おばあさまの物は責任を持って探しますので、ご迷惑でなければ、お願いできませんか?」

 桜子の要求に加えて、柳の丁寧なお願い、ここまで言われて断る理由もなかった。それに、柳の淹れる紅茶はとても美味しい。


「分かった。あたしで良ければ英語の家庭教師するよ。桜子ちゃん、外国人にモテそうだしね」

「ふふふ、そうかのうー」

 桜子は頬に両手を当てて、にんまりとする。ひとみは、赤い着物、そしてその顔を見て、それにしても、と呟いた。


「本当に、あのとき一緒にかくれんぼした女の子にそっくり。娘さん、だよね?」

「何を言っておる。それはわたしじゃ」

 顔を両手で抱えたまま、桜子はひとみに向かって言ってのける。ひとみは真剣な表情で桜子の顔をじっと見つめ返した。だが、すぐに力の抜けた表情に戻った。


「またまたー。何言ってるの。あのとき私が小三くらいだったから、十五年くらい前……いや、お母さんだいぶ若いな」

 頭の中で年齢の計算をしている、ひとみは眉間に皺を寄せた。その様子を見て、桜子はため息をついた。


「まあ、よい」


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