六冊目 愛しい名前-6



 柳と灯はブースを離れて、『関係者以外立ち入り禁止』のプレートの奥に進んだ。事前に打掛の彼女からここを教えられていて、集合場所と決めていた。当の彼女たちは、関係者のパスの数が足りず、職員と書かれたものを付けたために、ツアー客につかまってしまった。


「ここで少しあいつらを待ちながら、時間をつぶすか」

「……はい」

 力なく頷いたあと、柳は長い長いため息をついた。壁に背をつけたまま、ずるずると崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。そして、頭を抱え、またため息。


「どうした?」

「いえ、あの、怒鳴ったりしたの初めてで、ちょっと罪悪感が……」

 灯は、きょとんと目を丸くして数回瞬きをしたかと思えば、声を上げて笑い出した。


「ははっ、お前、反省するの早いな。根は変わらないか。はははっ」

「……」

「あー、笑って悪かった。じゃあ、戻るか? 桜子のところに」

 しゃがみ込んだ柳の顔を、笑みを口元にだけ残して、灯は静かな目でのぞき込んできた。


「いえ。それとこれとは別です」

 少し不機嫌を滲ませた声で答えると、柳は勢いよく立ち上がった。


「……反抗期ってところか」

 灯は手で口元を隠して、小さく呟いた。その原因を作ったのは灯自身だということは棚に上げて、面白がっている声音だった。







「はあ、話が長かったわ。あの人」

 しばらくして、打掛の彼女が疲れた様子で柳と灯の待つ場所へと現れた。


「お疲れ、他のやつらは?」

「さあ。まだつかまってるんじゃない?」

「薄情だな」

「あなたたちを放っておくわけにもいかないでしょう。何か調べるにも職員の私がいないと」

 さらりと言ってのけるのは、信頼しているのか、ただ単に興味がないのか。その口調からはよく分からなかった。


「例の物を見る前に、情報をくれないか?」

「あら、まだ行ってなかったの?」

「ちょっと色々あってな。まあ、こっちの話だ」

 柳は決まりが悪そうに、俯いた。彼女は気になる素振りは見せたが、それ以上踏み込みはしなかった。


「ふーん。情報は必要になると思って、ファイルを持ってきてるわ。調べてほしいのは、十八年前に寄託された茶器よ」

「すみません、寄託って何ですか?」

 見学にきた生徒が先生に質問をするように、柳は手をあげて質問をした。この質問は予想していたのか、彼女は一つ頷くと解説を始めた。


「寄託っていうのは、物の所有権を所蔵者に留めたまま、博物館で保管・展示などを行うことよ。寄贈と違うのは、所有権が持ち主にあるっていうところね」

「なるほど、勉強になりました。ありがとうございます」

 すっかり生徒のようになった柳の横で、灯は顎に手を当てて黙り込んでいた。打掛の彼女と柳からの視線に気づき、口を開いた。


「桜子が人を連れてここに来たのは偶然か? 依頼がどうとか言っていただろう」

「物の想いを聞きたいということですね。もしかして、あの女性が持ち主ということでしょうか」

「なんのことか分からないけど、茶器の持ち主の名義は今年七十九歳になる男性よ」

 ファイルの細かい文字に目を凝らしながら彼女はそう付け加えた。


「仮にあの人間が関係あるとしたら、年齢的に孫ってとこか。本当に血縁者なら、直接話を聞いた方が早そうだが……まあ、無理だな」

 その女性はおそらく桜子と一緒にいる。灯が訪ねていっても、まともに相手をしてくれないだろう。柳はもってのほかだ。


「……すみません」

「謝ることじゃない。人に聞けないのなら、付喪神なりの方法でやるさ」

 灯はまっすぐに柳を見据えて、緊張感を持たせる声音で言った。


「万年筆を使って、茶器から話を聞け。柳、お前の初仕事だ」

「わ、分かりました」

 柳は固い動きで首を縦に動かし、答える。物書き屋以外で執筆をするのは初めてだった。しかも本部の仕事として書く、ということにどうしても緊張してくる。


「そう緊張するな。俺も手を貸す。何か必要なことはあるか?」

「そう、ですね……。執筆には時間もかかりますし、周りに人がいるのはまずいかもしれないです」

「それはそうだな。閉館後に入ることは出来るか?」

 彼女は、話について行けず、文字通りお手上げ状態だった。あとでちゃんと説明する、という灯の言葉にとりあえずは納得をして、問いに答えた。


「適当な理由作って、上に交渉してみるわ。少し時間をちょうだい」

「分かった。それまでは本部の資料を探ってみるとするか」

「はい」


 パタンと音を立ててファイルを閉じた彼女は、天井、つまりは三階を指さして言った。

「まずは、茶器を見ていってよね」

「ああ」

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