第2話 こんにちは、世界。


 


 


 空にはひとかけらの雲も見えず、緑はまぶしく、地面には木漏れ日が揺れている。そんな初夏の昼下がり。




『こんにちは、赤ちゃん。』


 赤ん坊が生まれた時、ある母親はそう声をかけたそうだ。…………なら、この場合は……。









「……こんにちは、私?」   



 のぞきこんだ水たまりから、黒目がちで黒髪の、黒い服を着た、10代前半ほどの少女が見返してくる。垂れ目のせいだろうか。よく言えば優しそうな…悪く言えば頼りなさそうな、そんな顔をしていた。状況的に自分の顔だということは分かるが、問題なのはこの濡れた子犬のように哀れな顔に、ことだった。 


 少女は立ち上がり、辺りを見回す。公園だった。遊具は少なく、寂れた印象を受ける。砂場の土も固まっており、普段から人気のない場所なのかも知れなかった。少女はしばしの間瞑想し、そうかと思えば辺りをうろうろと徘徊したかと思うと、諦めたようにポツンと置かれたベンチに腰を下ろし、頭を抱えた。



「…………うん。なるほど?つまり……あれだ……あれだ!!」



 少女はこのありえない状況に、仮説を立ててみた。



(…………もしかして、もしかすると、私、生まれ変わった??)



 少女がそんなぶっ飛んだ発想をしたのにも、一応理由がある。



「私……確か、成人していたはず。」



 少女には、おぼろげな記憶をたどり寄せる。



「うん、してた。してたわ。ついでに社畜してたような気もする……。」



 そして、まあまあいい歳だったような気もする。



「それが黒髪ロング前髪ぱっつん少女……ゥッ古傷が……。」



 ………それでもまあ、それだけなら、若くて未来ある新たな人生を歩んでいこうとか、そんな前向きな気持ちにもなったかもしれない。幸か不幸か、前世のことはあまり思い出せないし、死んだ感覚もなかった。



(だけど…。だけどねぇ…。だけどね??)




「…人間じゃないってどういうこと……!?」



 そう。

 今世、少女は人間じゃなかった。

 いや、見た目はまんま人なのだが…。どうやら、に生まれ変わったらしい。突如前世(?)の記憶を思い出した少女であったが、それまでの記憶を失ったわけではなかった。つまり、呪具人形師黒羽宗因作の作品であり、核に込められた製作者の呪力を動力として稼働する、呪具人形――黒羽稀子、としての分の記憶が存在していた。



(いや、何が????呪具人形って何??髪伸びるの?夜中に歩くの?????自問自答したい。気の済むまで自問自答したい。)





 けれど悲しいことに、状況はそれを許してくれなかった。少女がこの公園にいる理由。それは、この公園がいわゆる、公園だからだ。



 ズズ…と背後で何かが蠢く気配がする。

 そしてケタケタ…と甲高く嗤うこえ。

 振り向くと、口の裂けた芋虫みたいな化け物が腹を捩りながら笑っていた。



「…こういうのって…夜に出てくるのが定説じゃないの?」



 しかし、この身体の経験なのだろうか。怯える心とは裏腹に、勝手に武器を掴んでいた。



「ひえ」



(なんなの?武器が五寸釘ってなんなの?藁人形なの?リーチなさすぎない?五寸釘刺すの?そんな腕力ない!…と思うんだけど!)



「うわわわわわ!」  



 無意識で動く手足。

 五寸釘を中空に放ったと思いきや、右手が振りかぶっていた。五寸釘を平手ですか!?と青ざめたところで、目に飛び込んできたのは燐火の煌き。右手に集まったと思ったら、徐々に形を形成して……(そうだと思った、そうだと思ったけど!)……金槌の形になった。



「いやあああああああ」

「ビヤァァァアァ」



 芋虫の化け物は断末魔の叫びを上げながら爆散した。



(ええええええまってーーーーー!破片が!肉片がぁぁぁぁっていうか!五寸釘必要だった!????)



「……」



 身体に着いた肉片を無心で摘んでは放り投げる。

 少女の心はとっくに泣いてるのに、身体には涙の機能がないようだった。




(いつの間にか死んでいて。いきなり始まった人生はまさかの人外…。もはや世界線も違わない?私、前世で相当なことやらかしたのでしょうか…。因果応報にしてもハードモードすぎませんか?)



「あははははは…蒼いなあ………。」



(拝啓、顔の思い出せないお母さま。人間って、本当に途方に暮れると、空を見上げるものなのですね。)













■■■



「………………。」



 訳もわからぬまま、突如襲ってきた化け物を爆さ……退治してから三十分ほど経ったとき、後部の窓が全部黒塗りになった白いワゴン車が公園にやってきた。 


 そして稀子は車に乗せられ、揺られること一時間ほど。到着したのは山奥の工房のような場所だった。記憶は、自分の「生家」だと言っている。そこで機体の汚れを落とし、大きな食堂のような場所で一人、椅子に座って呆けていた。



「よー!お前、蛆妖怪退治したんだってな!もろに肉片浴びるとか、油断してたんじゃねーの?」



 そう言って向かいの席に座ったのは、稀子と同じ服、色合い、年齢のようにみえる男の子…の機体だった。黒いツンツンした髪に、人懐っこそうな猫目の彼は、まだ自我が芽生えてない稀子にも積極的に話しかけてきたらしい。そう、稀子の「記憶」が言っていた。



 稀子は自分以外の人形が視界に入ったのをいいことに、改めて観察するが、やはり人間にしか見えなかった。表情だってくるくる動くし、瞳だってガラス玉のようには見えないのに、怪我をしても血は流れないし、破壊されたってコアが無事なら元通り。呪具人形とはそんな存在らしい。



 (元)日本人の性で、困ったときには曖昧に笑ってしまう。するとその様子を見た少年……(確か名前は、暁音だったかな……)は目を見張った。



「驚いた。まだ自我が芽生えてなかったんじゃないのか?」

「うーん、それがつい先程メバエマシテ…」

「へー!よかったな!」



 そう言って暁音は背中をばんばんと叩いてきた。



(いた……くはない。)



 この身体になり、稀子は痛覚というものを失ったようだ。感覚はあるが、痛覚はない、というのは元人間からするとなかなかに不思議な体験だった。



「いやー、お前、いつまで経ってもデクの棒だからさー。そろそろスクラップかなって噂してたんだよ。良かったなー!」

「…。」



(あと少し、記憶を…いや、自我を得るのが遅れていたら…廃棄処分だったということ?…いや、大丈夫だったんだから、大丈夫だ。)



 いや、うん。大丈夫か……?それって役立たずは殺されるってことだよね……?と、稀子は浮かべた笑みが引き攣るのを感じた。先程蛆妖怪に対峙したときとは、別の恐ろしさだった。



「俺は信じてたぜ!お師匠様の作品のお前が、出来損ないのはずがないってさ!」



 そう言ってにかり、と屈託なく笑う顔に返せたのは、やはり引き攣り笑いだけだった。



「ま、自我が芽生えたんなら、これからは本格的に修行だな!」

「修行?」

「俺たちは人形なんだから。妖退治の修行に決まってるだろー?」



(いや…そんな常識私は知らない……。)



「あ、美哉ねーさん!槐兄さん!こいつ、やっと目覚めたんだよ!祝ってやってよ!」



 美哉、槐と呼ばれた二機が近づいてくる。やはり二機とも、同じような色合いだったが、背格好は十六、七ほどに見えた。



「へえ!おめでとう!賭けは私の勝ちだね!」

「なんだ、つまらない。」

「?なんか賭けてたのか?」

「ああ。来月までに稀子がスクラップになるか、ならないか。」

「あははは。そいで、美哉姉が勝ったんだな。」

「今回は俺の勝ちだと思ったんだがなあ。」



 あははは、と朗らかに笑う三機を見ながら、稀子はさらに口角が引き攣っていくのを感じる。



「良かったな!稀子!」

「あ、あははは……そ、ソウダネ……あははは……。」









 ――稀子は、思った。




 え、ちょっと待って?辛すぎない?死んだ自覚もないのに、いつの間にか生まれ変わっててまさかの人外?……だって、前世の私は日本という平和な島国で生まれ育ち、アニメや映画、漫画や小説、ゲームといったジャンルまで幅広く二次元を嗜んで来た普通のしがない社会人(20代女性)だった、ような気がするのだ。詳しくは思い出せないが、平凡に生まれ育って平凡に幸せに暮らしていた記憶がある。


 そして全くもって実感はないが、おそらく私は死んだのであろう。死因はさっぱり記憶にないが、私の周りで泣いていた誰かの記憶がある。歳若く先立つなんて、親不孝者だ。本当に悪いことをしたと思う。


 しかしながら同時に、黒羽宗因作の呪具人形としての記憶もあるのだ。


 …………ちょっと何を言ってるのか分からないかもしれないが、わたしもよく分かっていない。え?呪具人形って何?死んだことも転生?したことにもすでについていけないんだけどそもそも人間じゃないなんて、なんてこったい。どういう事だってばよ。


 分からなかった。分からない事だらけであったが、しかし、二次元と二次創作を幅広く渡り歩いて来た私の長年の勘が告げていた。



────もしや…………これが噂のトラ転…………?



 トラ転、正式名称『トラック転生』とは。

 転生を題材とした小説や漫画作品に数多く登場する『トラックに跳ねられて死んだら転生していた』という設定を分かりやすく単語化させたものだ。



 さて、ここで状況の整理をしよう。

 全く見知らぬ場所。

 呪具人形としての記憶。

 突如見えるようになってしまった「妖怪」、「霊」という存在。



 ――あっ、これはトラ転しましたわ。しかもアレだわ。わりとシリアス目な世界線のやつぅ。死と隣合わせなやつぅ。だってさっき通った資材置き場っぽいところにあきらかに強い力を加えられてひしゃげた機体とか、ねじれて目玉飛び出てる機体とか、あと裂傷だらけの機体とかいろいろあった!あったもん!!見たもん!!!





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