第30話 たとえ明日がなくとも




 


 きもちわるい



 「……。」



 ぱしゃん、と鏡に水をかける。また姿が映らないうちに、と少年は湯船に移動した。

 

 波稲はいねは、妖、怨霊退治……ときに呪詛などを幅広く行う祓い屋として、古くから続く名家ではあるが、界隈では所謂「成り上がり」と言われる部類だった。家自体は平安の世から続いているが、長い間、取り立てて腕が良くも、名が知れているわけでもなかったのだ。


 それが……関東、いや天下に名を轟かせ、波稲にあらずんば祓い屋にあらず、などと小っ恥ずかしいことを正気で言いはじめ、それが自他共に認められるものになったのは、明治の世に入ってからだ。


 それも幕末の動乱から維新までという、ほんの短い期間で。


 その理由が、

 これ、

 だ、










―――きもちわるい



 ぱしゃ



「…………。」







 盛者必衰。


 この数十年で、波稲宗家は落ちぶれた、と言われている。前当主の妻は入水自殺。前当主は突然の病死。現当主は色と賭け事、酒に溺れ、夫人は精神退行により、ろくに会話が出来ないという。さらに当主の弟は、怪しげな術の開発に余念がなく、死者が出ているとの噂もあった……。


 こうも見事なまでに、転がり落ちていくか、と周囲を感嘆させるほどの凋落ぶりである。


 ――呪詛を受けているのでは?

 ――虚な神と契約したのでは?

 ――祟られているのではないか?


 様々な憶測、推測がされたが、本当のところは誰にも分からない。これまでの横柄な態度や歴史の浅さ、僻み妬み嫉妬などから波稲には敵が多かった。だから気の毒に、と思う者よりも、ほれ見ろ、と指を差して笑う者の方が格段に多かったのである。




 ぱしゃ

 ……ぱしゃ、

 ぱしゃぱしゃばしゃ

 ばしゃバシャバシャバシャ!!!


 どぼん……



 

 広大な敷地に、贅を尽くして建てられた屋敷。

 改築、増築、また改築、建て替え、それらを繰り返してきた屋敷は継ぎはぎだらけだ。


 似ている、と少年は思った。





 (おれと……にてる。)



 



 この、継ぎはぎだらけの身体と似ている





■■■





 自室の前。いつもなら、電気がついているはずなのに、今日はまっくら。



「…………。」



 嫌な予感がするなあ、と少年は思った。危ないとかではなく、面倒くさい方向に。



『あ、坊ちゃん!歯磨きはまだしないで下さいね!』



 風呂に行く前に、少年の側仕えである少女から言われた言葉である。今日は自分のので、まあ、何か用意してあるのだと思う。


 サプライズ好きのくせに、気を回しすぎるところのある少女は、『ケーキ用意しよう!あ、でもお風呂の後は歯磨きしちゃうから、二度手間になっちゃうか。先に言っとこ!』とかなんとか思ったのだろう。それから、『ん?でもそれじゃあサプライズにならないな……よし、ここはいっちょやりますか!見よ!私の全身全霊を込めたサプライズを!』とかも思ったのだろう。多分。


 その結果が、これだ。


 障子を開ける。

 部屋に入る。

 月明かりが薄く、室内を照らす。

 数歩先の闇に、横たわる………………




「………………。」

「………………。」



 あー、めんどくさっ!


 と、少年は叫びたくなった。わかってる、わかってるわかってるわかってる!!どーせ、おれが驚くことを考えていて、そうそう驚かないよなあ、どうしたら驚くかなあ……とかなんとか考えていたら過激な方へ進んでいったのだろう。あー、だけど、これは、嫌だなあ、嫌なこと思い出すなあ。でもなあ、悪気ないんだよな……。


 

 電気を付ける。

 室内がうつしだされる。

 数歩先に、少女が横たわっていた。

 ガラス玉の瞳は開かれたままで、何も写っていない。口もとには血……のように見せかけた何か。はは、稀子は血、流れてないでしょ、と笑ってやりたかったが、嗤えなかった。胸元に紙。『助けたかったら箱をあけて!』……馬鹿だなあ。



「はー……。」

「……………………。」



 オマエ、おれが今どういう気持ちでいるか、分かる?といって思い切り揺さぶりたい衝動に駆られる。けれど同時に、どんな形であれ頑張って考えてくれたんだなあ、とも思って、感情がぐちゃぐちゃだ。呑気に死体ごっこしている額にデコピン(強)を食らわせてやりたい。


 アホヅラを見やる。

 傷ひとつない、綺麗な顔だ。

 ひびがはいっていたり、

 苦悶に歪ませていたりしていない。

 ……いつも通りの、「     」な稀子の顔。

 …………………………アホヅラだけど。

 


「…………。」

「…………。」



 徐々に、先程まで身のうちを焼き焦がしそうなほど、荒れ狂っていた焦燥感やら孤独感やら絶望感が薄れていくのを感じる。



 ――まだ。

 ――――まだ、。だから、稀子に怒るのは筋違い、だ。



 …………とりあえず、早くこの茶番を終わらせよう。



 卓上に置かれた箱をみる。底が抜けていて、まあ、つまり、何かを覆い隠している。食べ物……というか十中八九ケーキだよな、何で普通のサプライズにしてくれなかったかな、歯磨きとかどうでもいいこと気にしないで、こちらのメンタルの方を気にしてくれよ、と少年は思ったが……まあ、言っても仕様のないことだった。少女は少年の心のうちなど知りようもないし、今後も知ってもらうつもりもないのだから。


 

 かぽ、



『お誕生日、おめでとう!坊ちゃん!!』



 小さなホールケーキ。

 少し歪なのは手作りだからだろう。

 


『後ろを見て!』



 もう、どうにでもなれ、と頭を空っぽにし、指示のまま振り返った。



「ドッキリ〜だいせいこう〜〜〜」

「……………………。」



 いや、意味わからん。

 というか、最初から意味わからん。

 稀子は、長い黒髪を全て顔の前に持ってきて、口もと意外を全て隠している。胸元には藁人形。何故混ぜた。そして何故、仮にも人の誕生日でそれをやろうと思った。頭のネジ外れてるよなあ…………。

 けれど……悔しいけれど……こんなくだらないことなのに、少女の楽しそうな様子を見ていると、勝手に気分になってしまう。



(俺もたいがいだよなあ…………。)



 このアホヅラに対して。


 ………………もう全てがどうでもよく思えてきて、とりあえず胸元からスマホを取り出し、




 パシャ




「えっ、ちょっと!何で写真とったの!?」

「アホヅラ記念。」

「ええ!?け、消して!」

「やーだね。」



 くらえ、ストリーム



「ちょ、ちょっと!!やめてったら。」

「はは、誕生日プレゼントなんでしょ?」

「いや、そういうんじゃないの!」

「ほらほら、ポーズとらなくていいの?」

「……たしかに。ちょっと、そっちの画角からとってくれる?」

「やるんかい。」

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