悪魔はモリーから離れて天使の体内に飛び込んだ。

 そこでは、絶対神が天使に仕掛けた自爆装置の〝殻〟が溶けようとしている。

 食料を求めて宇宙を放浪する神は、地球に到達するはるか以前、己れの能力の限りを尽くして巨大なエネルギーを結晶化することに成功した。だがそのエネルギー塊は保存には有効だったが、少量ずつ取り出すことが困難で〝食用〟には利用できなかった。大量破壊兵器としてしか使用法がなかったのだ。だから絶対神は、生命に満ちた星に降り立ってそこで生物を〝栽培〟する道を選んだ。そして自らが作り出したエネルギー結晶を、天使の自爆装置として転用した。

 人を絶対神の下に集めるには、天使たちが数多く人間と接触して〝奇跡〟を見せ続ける必要がある。どんなに教会がシステム化して組織として洗練されても、奇跡を語る者が現われなくなれば神を敬う心は衰えていくからだ。

 だが一方で、人間との深い接触は必然的に絶対神の正体を暴露する危険をともなう。そのジレンマを回避したのが、天使の自爆装置だった。絶対神は一体の天使を失うよりも、己れの仮面をはがされることを恐れていた。絶対神と天使の正体に人間が気づいた時、彼らを天使とともに処分する――それが神が選んだ解決法だったのだ。

 だから絶対神は、〝絶望〟によって溶解する〝殻〟に破壊的なエネルギー結晶を押し込み、極秘裡にすべての天使に埋め込んだのだ。

 だが当の天使は自爆装置の存在を知らされていない。

 天使の体内で全てのカラクリを見抜いた悪魔は、覚悟を決めた。

〝皮肉なことだな。天使を守って滅ぶかもしれんとは……〟

 すでに殻の一部が溶けだし、薄くなっていた。まばゆい光が透けて漏れ出す。天使の身体は内側から輝きはじめた。

 天使に襲いかかろうと身構えていたジゴロと警官が、異変を察して退く。

 天使は光り輝く自分の乳房を見おろしてつぶやいた。

「な、なによ、これ……」

 悪魔の声が腹の中からひびいた。

『憎むな! ヒトに絶望するな! まだ間に合うかもしれん!』

「な、なによ⁉ 悪魔が私の中に⁉」

『これ以上ヒトを憎めば、神が仕掛けたエネルギーが爆裂する!』

「なによ⁉ 何を言っているのよ! 出ていってよ!」

『おまえは消滅するぞ!』

「出ていって!」

 殻の一部に針で突いたほどの穴が開いた。そこから膨大なエネルギーが噴出し、天使の身体を貫く。

 天使は仰け反って叫んだ。

「ぎゃぁぁぁ!」

 天使の胸から噴き出した細い光の筋は廊下の壁に衝突し、一瞬で屋敷の半分を蒸発させた。そのまま夜空を切り裂いていく。

 光の進路に人間はいなかったために、壊されたのは建物だけだった。

 ぽっかり開いた穴の先に星が瞬いている。

 人間たちは争う手を止めて、ぼんやりと空を見上げた。

 天使は苦悶の表情を浮かべて身をよじっていた。

「なによこれ……なんでこんなことが……」

 エネルギーの噴出は、瞬時に止まっていた。悪魔がエネルギー塊の穴を自らの霊でおおい、かろうじて暴走を食い止めていたのだ。

 それは悪魔が持つすべての力を振り絞らなければならない、捨て身の作業だった。

『憎むな……人間たちを許せ……』

 苦痛に満ちた悪魔のうめきを聞いた天使は、自分の体内で起こっている事態を悟った。

「悪魔が? なぜ悪魔が私を救けようとしているの?」

 悪魔はさらにつぶやいた。

『財布を……財布を拾え……』

 天使は光に裂かれた傷の痛みに耐えながらも、悪魔の命令に従った。

「拾ったわ……。どうすればいいの?」

『財布を開いて、傷口に押し当てろ……』

「いいわ」

 悪魔は霊の防御をわずかに緩めた。そこから漏れ出す光がふたたび天使を貫く。が、体外に出た光は財布の中に吸収されて外部を破壊することはなかった。

 悪魔は一気に決着をつけるべく、天使に命じた。

『いったん死んでもらう』

「なんですって⁉」

『爆弾のエネルギーを財布に吸収させる。身体が裂けるだろう』

「そんな……」

『おまえはすぐに私が再生する。この爆弾が炸裂すれば、どのみちおまえは消滅する。街中が巻き添えをくらって蒸発する。もはやこのエネルギーは誰にも制御できん。廃棄するしかないのだ……』

「そんな……信じられない……」

『現実を見ろ。絶対神はおまえの体内に――いや、おそらくはすべての天使にこの危険なエネルギーを仕込んでいる。そんな神に従うのか? それとも、身を挺しておまえを生き長らえさせている私に賭けるか……今、ここで選べ……』

 悪魔が、暴走しようとするエネルギーと必死で戦っていることは感じられた。嘘や脅しではありえない。しくじれば街中が消滅するということも大げさだとは思えない。

「でも……」

『時間がない……私の力も限界だ……』

「分かったわ……あなたを信じる。やって!」

『財布を胸に押し当てろ!』

 悪魔はエネルギー結晶を包んだまま天使の身体を突き抜けた。

 天使は真っ二つに裂けた。

 しかしその寸前、悪魔はエネルギー塊を財布の中に押し込んでいた。

 それはほんの一瞬、爆発したように輝いたが、あっという間に財布に呑み込まれていた。

 天使の手から財布が落ちる。

 その上に引き裂かれた上半身が崩れて、さらに下半身が折り重なった。

 悪魔は再び実体化した。黒いタキシードは皺ひとつないが、冷や汗が浮いた表情は青ざめ、肩で激しい息を繰り返す。

 ジゴロが尋ねた。

「何があったんですか?」

 悪魔はそれでも、笑った。

「ゴッドの悪巧みを打ち破った……」

 警官がうめく。

「でも、天使が……死んじまったら、やれないよ……」

「安心しろ、今、よみがえらせる」

 ジゴロは首をひねった。

「なんだと? 悪魔が天使を? なんでわざわざ俺たちの敵を?」

「恐れることはない。この天使は、我々の力の強大さを知った。絶対神の本性も思い知った。しかも、いったんは私の財布の力を体内に受け入れた。もはや逆らうことはなかろう」

 警官がつぶやく。

「それじゃあ、もう天使ではなくなるのですか?」

「その通り。この女はゴッドの呪縛から解き放たれるのだ。だからもう、おまえたちにはこの女を犯す理由はない」

 警官は肩を落とした。

「つまらない……」

「おまえには別の女を与えよう。だが、天使は――いや、この女は私のものだ。私は約束したのだ。この女を復活させて私の妻に迎える、とな」

 作家とその妻、そして信者とセールスウーマンが悪魔の傍らに集まった。

 ジゴロが悪魔に言った。

「やっぱりあんたは、俺たちを天使と戦わせようとしていたんだな」

 悪魔は答えた。

「状況がたまたまそうなっただけのことだ。そして幸い、今回は私の力が勝った。だが、これからはそうもいくまい。ゴッドは私が本格的に反撃を開始したと判断するだろう。近いうちに全面戦争が始まるだろう……」

 信者がつぶやいた。

「あなたは神と戦争を?」

 悪魔は全員を見回してうなずいた。

「だがそれは、おまえたちにはどうにもできない宇宙の定めだ。おまえたちはよく戦った。私が望んだ以上に働いてくれた。これからはおまえたち自身の望みに従って暮らしていくがよい」

 全員が穏やかな表情でうなずいた。

 悪魔はひざまずくと、天使の胸から下を廊下に横たえ、上半身を並べた。裂けた傷口を密着させると、その上に両手をかざす。悪魔の手のひらから放たれた淡い光は天使の傷口に吸い込まれ、そこを塞いでいった。

 天使の胸に呼吸が戻った。目が開く。

「私は……?」

 悪魔は言った

「もはや天使ではない。おまえは絶対神の下僕ではない」

「あなたは……?」

「私は悪魔だ。もっともそれは、絶対神が一方的につけた名にすぎないがな。そして私は、おまえの夫だ」

「夫……」

 天使はゆっくりと身を起こした。神のエネルギーで引き裂かれた胸のあたりを手で探る。

 悪魔はほほえんだ。

「傷口など残ってはおらぬ。おまえかこれから、私の伴侶としてこの地上で暮らすのだ」

 が、天使の顔には苦悶の表情が浮かんだ。

「私……なんだったんだろう……。今まで私がしてきたことに、どんな意味があったのですか? 天使とは、何だったのでしょう……?」

「知りたいか?」

「はい」

 悪魔はわずかな間をおいてからゆっくりと語り始めた。

「天使という種族は、もともと我々と同じ原始の神々のひとつだった。食料の供給地を求めて宇宙の彼方から飛来したゴッドは、当初は穏やかな神の仮面をかぶっていた。その当時、地球は数多くの神々が存在することが当然の世界だった。新しい神が一人増えることなど何の問題もなかったのだ。だがゴッドはヒトを人間に変え、疫病と暴力をはびこらせた。そして己の勢力を広げるための戦略として、土地の神々との融和を企んだ。そうすれば、汎神教を倫理の規範としてきた者たちにも〝絶対神〟が受け入れやすくなるからだ。そうしていつの間にか取り込まれてしまった神々が、すなわち天使と呼ばれた。我々から見れば、天使とはゴッドに魂を売り渡した裏切り者だ。絶対神による支配の先兵、あるいはその命令のままに人間を操る手先――いわば堕落した悪魔、つまり〝堕悪魔〟だと言える」

 天使がつぶやく。

「私が悪魔と同じ種族……? ではあなたは……悪魔とはいったい何者なのですか⁉」

 悪魔は優しく天使の髪をなでた。

「焦ることはない。おまえの世界は今、一つの価値から別の価値へと移った。たった一つの価値を見るだけでは、この世のすべてを理解することはできん。相反する価値に善悪のレッテルを貼ることも虚しい。絶対神はすべてではない。悪魔もすべてにはなりえない」

「でも私は……私がこれまでしてきたことの意味を知りたい……」

「ゆっくり考えることだ。私と共にあれば、時間は与える。おまえが望むならば、永遠に」

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