その日の朝刊には、女子短大生の死亡記事が載っていた。

 セールスウーマンは、その記事を得意げに見せたジゴロに新聞を突き返した。

「轢き逃げって書いてあるわよ。殺人じゃないわ。私は『殺して』って言ったのよ。それに、この人があんたの女だったっていう証拠はあるの?」

 ジゴロは弁解がましく口ごもった。

「だって、本当に殺したんだぜ……夜中に公園の陰で待ち伏せして、金属バットで殴ったんだ。なのに轢き逃げだなんて……俺にだってどうなってるのか分からねえんだよ。きっとまだ息があって、這って車道に出ちまったんだよ……」

 セールスウーマンにはジゴロが演技をしているようには見えなかった。

〝そうか、お財布で確かめればいいんだ〟セールスウーマンはドレッサーから財布を取り出した。手に掴んだとたんに、ジゴロの心の声が頭に響きわたる。

〝どう言ったら信じてくれるんだ……本当に殺したのに……こいつと違って締まりのいい身体をしてたのに……滅多に拾えねえ名器だったのによ……なんで轢き逃げなんかになっちまったんだろう……〟

〝失礼なやつ。私は締まりが悪いって言うの? でも、どんな女でも死んじゃったんじゃ敵じゃないわね。許してやるわよ、嘘じゃなかったんだし〟

 セールスウーマンはジゴロをなぐさめるように言った。

「でも、よかったじゃない。轢き逃げなら警察に捕まる心配はないもの。きっと悪魔が守ってくれたのよ。あなたが気に入ったのかもね。ねえ、お金を出してみて」

 ジゴロは自信なげにうなずいて財布を取った。恐る恐る開いて、目を伏せる。

「何にも入ってねえ……」

 セールスウーマンは財布を奪った。中から札束を出して、ジゴロに押しつけた。

「お駄賃よ」

 ジゴロは金を受け取ったが、表情は暗かった。

〝畜生……人殺しまでしたのに、なんてこった……〟

 セールスウーマンは微笑んだ。

「そんなに簡単にはいかないわよ。あきらめないでね。それより、どんな気持ちだった?」

「何が?」

「この女を殴り殺した時。恐かった?」

〝そりゃあ恐かったさ……でも、あの気持ちは……〟

「悪くはなかったな……。なぜだか、勃起しちまってな。突っ込むより、ずっと感じたぜ……」

 セールスウーマンはかすかに首をかしげた。

〝あら? こいつ、こんなに素直だったかしら? 今まで嘘ばっかりだったのに、べらべら本心を明かして……。もしかして、これもお財布の力なの⁉〟

 ジゴロは昨夜の記憶をたどっていた。

 暗がりの木の陰で息をひそめる緊張。ミニスカートの短大生の後ろ姿。バットを振り降ろす瞬間に振り返った女。頭蓋骨が砕ける手応え――。

 次々と変わる映像が、セールスウーマンの脳にも流れ込んだ。そして女の頭を砕くと同時にジゴロの下腹部にふくれ上がった性的快感が、激しい怒涛となってセールスウーマンの脳髄に押し寄せる。

「あ……」

 セールスウーマンは財布を落とした。同時にジゴロの上に身体が崩れる。

 セールスウーマンを抱き止めたジゴロはつぶいた。

「おまえ……」

「愛して……我慢できない……」

 ジゴロも殺人の快感を思い起して、すでに一物をふくらませていた。セールスウーマンのブラウスを引き裂くようにして乳房をむき出させると、床に押し倒した。

 セールスウーマンの背に落ちていた財布が当たった。

 獣のように高ぶったジゴロの激情が、財布を通してセールスウーマンの脳に注ぎ込まれる。

「いやあ……すごい……」

「いいぜ……」

 ジゴロの中では、自分が殺した短大生と貪り合った記憶と、その女を殺した蠱惑的な感触が渦を巻いて混じり合い、一度も味わったことのない快感を作り上げていた。それはジゴロにとっても初めて経験する想像を絶した喜びだった。

 セールスウーマンはたちまち昇りつめて意識を失った。


          *


 気がつくと、セールスウーマンはベッドに横にされてた。きちんとネグリジェに着替え、羽毛の布団をかけられている。

〝帰ったのかな……あいつ……〟

 いつもなら、セックスを終えたジゴロは長居はしない。だが、キッチンに人の気配があった。

「気がついたか?」

 キッチンから顔をのぞかせたのはジゴロだった。手に、コーヒーのポットを持っている。

 ジゴロは照れ隠しのように笑った。

「コーヒー入れたんだ。飲めよ」

 セールスウーマンには信じられなかった。

〝こいつが自分でコーヒーを入れたですって⁉ 人が変わったみたいじゃない。それとも、コーヒーで毒でも盛る気⁉ お財布! 心を読まなくちゃ!〟

 セールスウーマンは動揺を気取らせないようにゆっくりと言った。

「ねえ、あのお財布は?」

 盆に二人分のカップを載せて現われたジゴロは、いぶかしげに答えた。

「枕元にあるぜ」

「あら、本当だ」

 セールスウーマンは財布を取った。

 ジゴロの心に激しい緊張が感じられた。

〝うまく入ってりゃあいいがな……コーヒーなんて入れたこと滅多にないもんな……〟

〝うそ⁉ コーヒーの味を心配をしてるですって⁉ 何よこいつ、すっかり可愛くなっちゃって……童貞の高校生みたいじゃない……〟

 しかしセールスウーマンは、テーブルに出されたコーヒーをすすって微笑んだ。

「おいしいわよ」

 ジゴロは内心で胸をなで下ろしていた。

〝よかった〟

 そして、にやりと笑った。

「さっきの、すごかったぜ。見直したよ」

「私も感じた。すっごく……」

 ジゴロのつぶやきが聞こえた。

〝こんな使い古しに熱くなるなんてな……人を殺したからなんだろうか……〟

〝そうよね、こいつが人殺しだからあんなに燃えたんだわ……。だからこいつもすっかり舞い上がって、ガキに戻っちゃったんだ……〟

 セールスウーマンはカップを置いて、もう一度財布から金を出した。

「上げるわ」

「さっきもらったぜ」

「これは、次のお仕事の分。だから……」

 セールスウーマンは心の中で続けた。

〝もう一人殺して〟

 ジゴロは心の中でうなずいた。

〝もう一人殺そう〟

〝あんたが今まで抱いてきた女を、みんな殺すのよ〟

〝俺が抱いてきた女を、みんな殺そう〟

〝みんな殺したら、誰でもいいから他の女を抱いて。そして、そいつも殺して〟

〝みんな殺したら、誰でもいいから他の女を抱いて、そいつも殺そう〟

〝そして私を愛して〟

〝そしてこいつを愛そう〟

〝あなた、私の言いなりね〟

〝俺はこの女の言いなりみたいだな……〟

 セールスウーマンは微笑んだ。

「あなた、悪魔に愛されるわ」

「おまえには及ばないよ」

「どうかしらね」

 ジゴロは夢からさめたように言った。

「でも、おまえはどうして悪魔に?」

「分からない。でも、どうでもよくなくて? お金もあるし、愛し合えるんだから」

「本当の愛し方も分かったことだし、な」

 二人は目を見つめあって唇を重ねた。

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