三日ぶりにセールスウーマンのマンションにやってきた自称・ジゴロは、ベッドを出るとすぐにバスルームに入った。出てきた時にはブランド物のジャケットに巧妙に計算された〝隙〟を作り、街にたむろす次の獲物を〝狩る〟支度を終えていた。

 ようやくほてった身体が冷めて息を落ち着かせたセールスウーマンは、素肌にガウンだけをまとってソファーに座った。

「もう行っちゃうの?」

 ジゴロはセールスウーマンの目を見ようともしなかった。

「満足したろう?」

「でも……」

「ダチに会う約束があるんだよ」

「……女でしょう?」

 ジゴロは初めてセールスウーマンの目を真正面から見つめて、優しくささやいた。

「ばかだな、俺が本当に惚れてるのはおまえだけさ。他の女を抱くのは金のためだ。分かってるじゃないか。何度も言ってるだろう、俺の部屋で一緒に暮らそうって」

 セールスウーマンは目を伏せた。

〝私が猫アレルギーだからじゃないのさ……。猫とは一緒には住めないって分かっているから……〟

 セールスウーマンは、ジゴロが決して自分の部屋に女を連込まないことを知っていた。理由は単純だ。部屋に出入りする女が増えれば、かち合う危険も増えるからにすぎない。ジゴロはその〝ねぐら〟で、街で拾った白いメス猫と暮らしていると言っていた。

「じゃあ、誰に会うのよ……」

「だからダチだって。金を借りてるんだ。麻雀の負けが込んでな」

「うそ……」

 ジゴロは哀しげにつけ加えた。

「嘘じゃねえよ。どうせ返せやしねえが、顔だけは見せねえとな……。行かなかったら、今度は半殺しどころじゃすまねえ……。まともな身体のうちにおまえを抱いておきたかったのさ」

 セールスウーマンはジゴロを見つめ、不意に涙をにじませた。

〝今度は『半殺し』か……嘘だって分かりきっているのに……〟

「……いくら要るの?」

 ジゴロがぐいと身を乗り出した。

「百万! いや、十万だっていい。とりあえず返す気があるんだって見せれば、もう少しは待ってくれるよ」

「待ってて」

 セールスウーマンは力なく立ち上がると、タンスの上に乗せたトランクの鍵を手探りで外した。

〝いくら渡そう……あまりたくさんあげたら、なかなか帰ってこないし……〟

 セールスウーマンは振り返らずにつぶやいた。

「明日、また抱いてくれる?」

「いいぜ」

 その返事の近さに、セールスウーマンははっと身をすくませた。

 ジゴロはすぐ後ろに立って、セールスウーマンの頭越しにトランクに手をのばしていたのだ。

「やめてよ!」

「いいじゃねえか、金があるんだろう?」

 ジゴロは力まかせにトランクをひっぱり出し、テーブルにのせた。セールスウーマンの許しも請わずに蓋を開ける。

 とたんにジゴロは息を呑んだ。

「な、なんだ、この金は……⁉」

 トランクの中には化粧品のサンプルではなく、札束がびっしりと詰まっていたのだ。ジゴロには、そんな大金を見た経験はなかった。

 セールスウーマンは溜め息をもらしてソファーに腰をおろし、すがりつくように言った。

「要るだけ持っていって。でも、かならず明日また来てね」

「ああ、もちろんだとも」

 ジゴロは答えたが、すでに意識はセールスウーマンには向いていない。目を輝かせて鷲掴みにした札束を数えている。

 セールスウーマンは涙を落とした。

〝気持ちを知りたい……こいつの本当の気持ちを……〟

 ジゴロは言った。

「おまえ、何かヤバイことしたのか? 普通じゃねえぞ、こんな大金」

 たしかにこれまでは、一度に十万以上の金を渡したことはない。渡したくとも、セールスウーマンの収入では無理だったのだ。ジゴロの方でも、それが限度だとあきらめていた。

 セールスウーマンは投げやりに答えた。

「恐い?」

 ジゴロはセールスウーマンを見つめた。

「俺が、か? とんでもねえ。金は金だ、多いに越したことはねえさ。でも、どうやって……?」

「アダルトビデオに出たのよ」

「とぼけるんじゃねえよ。今時、たかがAVでこんなに稼げるもんか。成金の爺いでもたぶらかしたのか?」

 金づるなら俺がしぼり取る――ジゴロはそう言っているのだ。

 ジゴロは札束を放すとソファーに座り、セールスウーマンの肩を抱き寄せた。もう一方の手でガウンを開き、股間に指先を這わせる。

 セールスウーマンは身体をくねらせた。

「だめよ……」

 ジゴロはセールスウーマンの耳元でささやいた。

「ほら、またこんなに濡れてるぜ。なあ、教えろよ。この金、どうやって手に入れたんだ?」

「今夜、帰らないでくれる……?」

「教えるならな……」

「うん……」

 セールスウーマンの頭では血が沸騰しはじめていた。

〝だめだわ……逆らえない……どうして私、こいつに触られるととろけちゃうんだろう……〟

 ジゴロはしばらくセールスウーマンの身体をまさぐり続けた。セールスウーマンは身をゆだねて快感に呑み込まれる。頭の中心に赤い炎が渦巻き、理性は片隅で窒息しかけていた――。

 極限まで固くなった乳首の先に、ジゴロの小指の爪が軽く食い込む。脳髄に真っ白な稲妻が駆け抜ける。

 意識が消えた……。

 と、ジゴロの手が止まった。

 我を取り戻したセールスウーマンはつぶやいた。

「やめないで……」

 ジゴロは冷静に言った。

「見せろよ、その財布」

 セールスウーマンはうるんだ目でぼんやりとジゴロを見つめた。

「え?」

「財布だよ。金が出てきたっていう、財布」

 セールスウーマンは驚きに目を見開いた。

〝いやだ! 私、しゃべっちゃったんだ……。こいつに身体をさわられていると、わけが分かんなくなっちゃうから……なんてばかなんだろう……〟

 しかし、もう隠し通すことはできない。

 幸い、あの財布から金を出せるのは自分だけだということは友人を使って確かめてある。ジゴロの目の前で金を出す〝魔術〟を見せつければ、自分が棄てられる恐怖から逃れられるかもしれない――。

「いいわ、見せてあげる。でも、あとで可愛がってね」

「一晩、じっくりな」

 セールスウーマンはガウンの前をかき合せると、ドレッサーの引き出しの鍵を開いて長財布を出した。

「このお財布から出てきたのよ」

 唐突に、ジゴロの声が部屋中に鳴り響いた。

〝こいつ、馬鹿じゃねえか? こんなちっこい財布にあれだけの現金が入るわけねえじゃねえかよ〟

〝何よ、この声⁉〟

 はっと身を震わせたセールスウーマンを、ジゴロは不思議そうに見つめた。ジゴロは何もしゃべってはいない。なのにセールスウーマンの頭には、また声が聞こえた。

〝本当にいかれちまったのか? それならそれでいいがな。あの金かっさらっておさらばするまでよ〟

 セールスウーマンは気づいた。

〝間違いないわ。こいつの声よ……まさか、こいつの考えてることが分かるの……⁉ それに、お金はあるし……私の望みが全部かなったんじゃない!〟

 ジゴロは声に出して言った。

「財布って、そんなに小さいのか? 空っぽみたいじゃねえか」

 セールスウーマンはジゴロの目の前で財布を開いて見せた。無造作に札束を取り出してジゴロの膝に投げ出す。

「ほらね」

 ジゴロは目を丸くした。

〝何だと⁉ 百万はあるぞ!〟

「まだ出るのよ」

 セールスウーマンは次から次へと札束を取り出す。

 驚きに声を失ったジゴロは心の中で悲鳴を上げていた。

〝あ……あ……そんな……〟

 セールスウーマンは笑いながら言った。

「ほらね、いくらでも……」

 ジゴロのひざの上には、たちまち千万円ほどの現金の山ができあがった。

 ジゴロは震える声で言った。

「ほ……本物なのか……? 手品かなんかの小道具じゃねえのか……?」

 セールスウーマンは財布をジゴロに渡し、ドレッサーから貯金通帳を取り出してきた。ジゴロはしきりに財布の中に指を入れている。金が現われないことに苛立っていた。

 だがジゴロの内心の悪態は、セールスウーマンには聞こえなかった。

〝そうか、お財布を持っている時しか、こいつの心の声は聞こえないのね〟

 セールスウーマンは取り出したばかりの現金を床に払い落とし、ジゴロのひざに座った。ジゴロの指先から財布を取り上げ、通帳を開く。

「ゼロの数、数えられる? 五億円よ。何回も銀行に通って機械で入金したの。一度も異常はなかったわ」

〝本物なんだ……なんとか金を出す方法を聞き出さなくちゃ……こいつをぶっ殺したってかまいやしねえ……この財布さえあれば……〟

 セールスウーマンは予測もしなかったジゴロの言葉に小さく身をすくめた。

〝なによ、殺すだなんて!〟

 もちろんジゴロは、セールスウーマンのかすかな震えの意味には気づかなかった。セールスウーマンのガウンを開いて乳房をなでまわしながら耳元にささやく。

「俺たち、大金持ちじゃないか……」

〝私を殺す……? まさか……?〟

 セールスウーマンの耳たぶをジゴロの舌がなめ上げる。

〝こいつにしゃべらさせるにゃあ、この手しかねえもんな。気が狂うほど可愛がってやるぜ、淫乱オバン。用が済むまでは、な〟

 ジゴロの指がセールスウーマンの太股を開く。

「俺も金を出してみてえよ……」

〝用が済むまで、ですって……? そんな……本気なんだ……。こんなに尽くしてきたのに……お金のために私を殺そうだなんて……。いいわ。いいわよ。それなら私にだって考えがあるんだから。どんな汚い手を使ってでも、あんたを私だけのものにしてみせるわ!〟

 セールスウーマンは言った。

「お金、私しか出せないのよ」

 ジゴロの指がぴたりと止まった。

「なぜ?」

「知らない。でも、そうなの」

〝隠す気かよ。セックスしか頭にないババアくせに、気取ってんじゃねえよ。本当にぶっ殺してやろうか……〟

〝これが、こいつの本心……〟

 セールスウーマンは身体を堅くしながら決心した。

「でも、方法はあるわ」

「方法? 俺にも出せるのか?」

「殺して」

 ジゴロが息を呑む。

〝は? 何言ってんだ、こいつ。殺せって、誰を……?〟

 セールスウーマンは軽いため息をもらした。

〝私を殺したら、何も手に入らないんだから。どっちが主人なのか、はっきり思い知らせないとね〟

 そして、言葉にした。

「私ね、このお財布、悪魔にもらったの。あなたも悪魔に気に入られれば、使えるようになるかもね」

〝悪魔だと? ふざけるんじゃねえ〟

 セールスウーマンは微笑んだ。

「信じられない? でも、現にこうやってお金が出てくるでしょう? こんなお財布、悪魔の他に誰が持っているっていうの?」

〝とぼける気かよ……。そうか! 俺には財布が使えなくたって、こいつにたっぷり出させりゃ同じじゃねえか!〟

 セールスウーマンはさらに笑った。

〝消えなさい〟

 金は消えた。

 それに気づいたジゴロは、セールスウーマンをはねのけて立ち上がった。

「ばか! お、おまえ、なにやったんだ⁉ 元に戻せよ!」

 セールスウーマンは肩をすくめた。

「だって、こんなに現金があったって邪魔なだけでしょう? お金はいつだって銀行から引き出せるんだもの」

〝畜生! そうだ、印鑑! 五億あれば充分だ!〟

「お、おまえ、通帳の印鑑はどこに……」

「印鑑? 何年も前になくしちゃった。でも、カードがあるから平気よ」

〝くそ、暗証番号を聞き出さなくちゃ……〟

 ジゴロの指がまたうごめき始める。

「カード、出せよ……」セールスウーマンは、ジゴロの手の甲に思い切り爪を立てた。「いてえ!」

 ジゴロが引っ込めた手を、セールスウーマンが握って引き寄せた。

  セールスウーマンは、爪の跡からにじむ血をぺろりとなめた。

「ごめんね。でもカードは渡さないわよ、あなたには」

 ジゴロはすねたように鼻を鳴らす。

「だってよ……」

「ねえ、やってみない?」

「な、何をだ?」

「悪魔とお友達になるのよ。私みたいに」

〝くそ、このアマ、俺に何をやらせる気だよ……、でも、それが本当なら……〟

「できるのか、俺でも? 本当に、金が出せるのか?」

「たぶんね」

〝欲しい……金を出せるようになって、この財布が欲しい……こいつをぶっ殺してでも……〟

「何をすりゃあいいんだ?」

 セールスウーマンは心からの微笑みをジゴロに向けた。

「だから、殺すのよ。若い女を。あんたが今まで可愛がってきた、お気に入りの女たちを」

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