4
ドアのチャイムが鳴ったのは〝早朝〟だった。
午前一〇時――ジゴロにとっては、かつてセールスウーマンと共に味わった〝唯一無二の快感〟を、夢で反芻する時刻だ。
寝呆けまなこでベッドを出たジゴロは、インターホンの受話器を取った。
「どなた?」
「あの……神のお話しをさせていただきたくて……」
女だ。
疲れているらしく張りは欠いていたが、若そうな声だった。
よくある、宗教団体の布教員に違いない。いつものジゴロなら有無を言わせずに追い払う。しかし今朝は、まだ昨夜の苦い記憶が残っていた。
ジゴロは尼僧を牙にかけるべく、教会と名がつく場所に手当たり次第に電話をかけたのだ。しかし、犯すに足る若さを持つ尼僧がどこにいるかは見当もつかなかった。
〝尼さんが犯せないなら、信者でもいいさ〟
ジゴロは軽い気持ちでドアの鍵を外した。
目の前に立っていたのは、二〇才にも満たないような娘だった。安物の古着を身につけていたが、若さに輝く素肌のみずみずしさは損なわれていない。華奢だが〝女の身体〟は出来上がっている。だぶだぶの衣服を通しても、豊かな乳房と引きしまった腰がうかがえた。
しかも、娘は一人きりだ。
信者はぱっと笑みを広げた。
「こんにちは。話を聞いていただけますか?」
今までずっと門前払いをくわされて意気消沈していたのだろう。信者の心からの笑顔は、ジゴロの寝呆けた意識を目覚めさせた。
〝すげえ美人じゃねえか……しかもしまりのよさそうな身体だ……それに……〟
その信者の顔立ちはセールスウーマンに似ていた。
目鼻の一つ一つを取れば明らかに形が違っているのだが、顔全体の雰囲気がなぜかセールスウーマンを思い起させる。
〝まさか……姉妹か?〟
思わず言葉が口を突いた。
「君、お姉さんがいる?」
信者は無邪気に首をひねった。
「はい? 一人っ子ですけど……? 何か?」
「いや、ちょっと君に似た知り合いがいてね……」
〝そりゃあそうだよな。そんな偶然、あるわけがないさ〟
「はあ……」
信者は、居心地が悪そうに尻込みした。
ジゴロは信者の全身を改めて値踏みし、かすかな笑みをもらした。
〝どっちにしても、この身体なら犯す価値はある〟
「君、どこかの教会の人だろう? 俺、神様の話が聞きたかったんだ。ちょうどよかった、中に入りなよ」
信者はさらに身を引いた。
「いいえ、私はここで。お宅に上がることは許されていないんです」
「気にすることはないさ。友達――ってことにすりゃあいいじゃないか」
「でも……」
「それじゃあ……こんにちわ。こうして顔を合わせて挨拶もした。もう立派な友達だよ。そんなに汗をかいてさ……休んでいきなよ」
信者は恥ずかしそうに顔を伏せ、レースの縁取りのハンカチで額を押さえた。
「一人で回っていたもので……」
「一人で? 普通は何人もで組んで歩くんじゃないのか?」
「ええ。でも私、まだ慣れていなくて……いつもみんなの足手まといになってしまうんです。だから自分だけで練習するつもりで、教会には内緒で……」
〝そりゃあ好都合だ〟
「とにかく入りなよ。あと一分もしたら、立ったままミイラになりそうな顔をしてるぜ。冷たいものでも飲んでいきな」
信者の喉はぐびりと下がった。
「でも……」
ジゴロはためらう信者の腕をつかんで中に引き入れた。
「いいじゃない、友達なんだから。熱中症の予防さ」
強引に部屋に引き込まれてソファーに座らされた信者は、居心地悪そうに揃えたひざに両手をそえた。〝借りてきた猫〟に例えられる状態だ。
本物の猫――モリーは、そんな信者を遠巻きに眺めていた。この部屋に〝女〟が入ることは極めてまれなのだ。
ジゴロは冷蔵庫から缶入りの麦茶を運ぶために、キッチンの前に居座ったモリーを足で押しのけた。
「ベッドで寝てろって。まだ起きるのは早いぜ」
足にすり寄るモリーを無視したジゴロは、グラスに移した麦茶をテーブルに置いた。部屋着のポケットには、冷蔵庫の中に隠してあった悪魔の財布が忍ばせてある。
「まず飲んでからだね。時間はあるんだろう?」
信者は伏し目がちに答えた。
「やっぱり、今日は帰ります。明日にでも、またみんなと来たいんですが……」
ジゴロは信者の目を見つめて答えた。
「俺は今、話が聞きたいんだ。いいだろう? それが目的で来たんだから。さあ、飲んで」
ジゴロは悪魔の財布を握った。信者の困惑が聞こえる。
〝どうしよう……教会に黙って来たの、やっぱりまずかったかな……男の人の一人住まいだったなんて……しかも猫がいるなんて……猫なんて大嫌い……本当に悪魔の使いみたいよね、あのツンツンした目つきって……〟
ジゴロは腹の中で笑った。
〝そうさ、この猫には悪魔が棲んでいる。だからおまえは、もう帰れない。これから俺に犯され、殺されるんだ〟
そう考えたとたんに、体温が急激に上昇する。神の下僕の美人――すぐにでも飛びかかりたい衝動を押さえるのも、今は喜びだった。
ジゴロは平静を装った仮面を脱ぎ捨て、欲望をむき出しにして信者を見つめた。小さく舌なめずりしながら麦茶のグラスを押し出す。
「神様のことを知りたいんだ。君に教えたいこともある」
信者が目を上げた。表情が凍りついた。
「私に……何を……?」
「おそらく、一度も経験したことのないことだ……」
信者はおびえをあらわにした。
〝いや……変なことされるのかしら……〟
〝とんでもない、誰でもやってるただのセックスさ。死ぬほど良すぎて、本当に死んじまうのは普通じゃないけどな〟
ジゴロの薄い唇に冷酷な笑みが浮かんだ。
と、財布からいきなり別の人物たちの思考が流れこんできた。
〝この部屋か?〟
〝若い娘が入りました。急を要します〟
〝踏み込もう〟
〝しかし令状が、まだ……〟
〝うむ……〟
警官だ。玄関口近くで迷っている。
警察はひそかにジゴロの身辺を調査していたのだ。自宅にまで迫っていたことは驚きだった。
たとえ悪魔に守られているとしても、警官の前で人を殺すわけにはいかない。信者が騒げば、彼らはためらいを捨てて飛び込んでくる。
財布の力で信者をコントロールすることはできる。〝自分の意志〟でベッドに入らせることもたやすい。たとえ警察が踏み込んできても、それなら難癖をつけられる筋合いはない――。
だが相手の意志を財布の力で曲げてしまったなら、強姦にはならない。警官に見張られながらでは、もちろん殺すこともできない。合意の上でのありきたりのセックスで、セックスを越える快感が味わえるはずはなかった。
機会はまだある。
信者の頬は強ばったままかすかに震えていた。
ジゴロは不意にほほえんだ。
「……なんてことを言われると思って、恐がっているのかい? 遊び人に見えても、俺はそんな男じゃないよ。恐いなら、無理にとは言わない。でも、また都合のいい時に来てほしいな。なるべく早く。他の人と一緒でいいからさ」
信者も詰めていた息をもらして、笑顔で応えた。
〝よかった……びっくりしちゃった……〟
「ありがとうございます……私の方から押しかけてきたのに……」
「いいんだ。これで友達が増えたんだから」
「じゃあ、今日はこれで……」
「忘れ物。お茶だけは飲んでいきなよ」
信者はうなずいてグラスを空にしてから立ち上がった。
〝この方……見かけよりずっといい人なんだわ……ばかね、訳もなく疑ったりして。私ってまだまだ未熟なのよね……だからみんなの邪魔ばかりしているんだわ。人を心から信じることができなかったら、神様にご奉仕なんかできっこないのに……〟
ジゴロは玄関のドアを開けて信者を廊下に送りだした。
刑事たちが廊下の端で身を隠した気配があった。姿は視界に入らなかったが、その声ははっきり聞こえる。
〝女が出てきます〟
〝何事もなかったようだな……〟
〝女に職質しますか?〟
〝警戒されてはまずい〟
〝しかし、彼が本当に連続殺人犯なんでしょうか……?〟
〝分からんな……とにかく、君は女を尾行しろ〟
信者はジゴロにぺこりと頭を下げた。
「ご馳走になってすみませんでした。明日にでも、みんなと来ます」
「待ってるよ」
〝いい人なんだわ、本当に……〟
ジゴロは信者の内心の言葉に舌打ちした。
〝この俺が――恐るべき連続殺人犯が、『いい人』かよ……。こんなに人を小馬鹿にした話があってたまるか。ちくしょう、この高ぶりをどうすりゃいいんだ……期待させやがって……サツさえ出しゃばらなけりゃ思うまま切り刻んでやれたのに……〟
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