4
そこに降り注いだのは、神の声だった。
『天使よ、悪魔に惑わされるな。私のもとに帰るのだ』
天使は、半分が消え去った廊下の先に輝く星を見上げた。とたんに目を輝かせて、自分の髪にかかった悪魔の手を振り払う。
「神よ! ようやくお出ましになられたのですね! 私を救けてください」
悪魔は首をひねった。
「神だと? さっそく戦争を初めようという気か?」
神は応えた。
『悪魔よ。おまえの力はよく分かった。私とて、無謀な戦いは避けたい。そこにたむろす人間どもは、おまえにくれてやろう。だが、天使は私のものだ。貴様ごときに譲るわけにはいかない』
天使が叫ぶ。
「神よ! もう私は飛べません。悪魔の手で飛ぶ力を奪われました。お願いです、救けに来てください!」
悪魔は笑った。
「神よ、おまえの大切な天使がこう言っているぞ。さあ、私の前に姿を現せ。おまえが望むなら、ここで決着をつけてもよいぞ」
神は言った。
『私は、無駄な戦いは行なわない。貴様ら悪魔は、どうせ滅びる運命にあるのだからな』
悪魔は神の真の意図を悟った。
〝悪魔が滅びる……だと? ただの強がりか? だが、もし裏付けのある言葉なら……それは地球そのものが滅びるということを意味する。奴め、我々とともに地球を消滅させようと決心したのか? さっきのようなエネルギー結晶が作り出せるのだから、単なる脅しともいえない……〟
そして、問いただした。
「おまえは――絶対神は、地球を破壊しようと企んでいるのか⁉」
『地球は近いうちに神の国となる。その時悪魔は、住みかを失い消滅するのだ』
悪魔は己れの直感に確信を抱いた。
〝答えをはぐらかしおったな。天使に真意を見抜かれたくないのか。ならば、この場でゴッドの企みを暴きだすのみ〟
悪魔は言った。
「おまえにはまだ分からんのか。我々悪魔の住みかはこの地球そのものだ。海底に漂う微生物の一匹から高山で風に揺れる草の一本の中にまで、我々は棲んでいる。我々が共存できぬ生物はただ一種――おまえたちが地球を征服する兵士として創り出した〝人間〟だけだ。その我々を消滅させるには地球そのものを――」
神は語気荒く悪魔の言葉をさえぎった。
『私は地球の征服などを考えてはいない。ただ、人類が愛に満ちた暮らしを行なえる天国をこの地上に実現したいだけだ』
「人類だと? 笑わせるな。貴様が生存を許すのは、貴様との契約を結んだ一握りの〝人間〟だけではないか。絶対神の名によって少数の人間を幻惑し、他のすべての生物を踏みにじらせる――それが神の行いのすべてだ。我々悪魔は、そんな暴虐は許さない」
そして悪魔は心を決めた。
〝もはや猶予はない。戦いの時だ〟
神は返事をしなかった。
天使が星に向かって尋ねた。
「神よ……そうなのですか? あなたは、この地球を滅ぼそうと……そのためにこの世に降り立たれたのですか?」
やはり返事はなかった。
悪魔が代わって答える。
「ゴッドとは、死んだ生物から抜け去る生命エネルギーを食らう寄生生物だ。その実体は宇宙の放浪者にすぎない。だから奴らは、食料を補給する惑星に無数の死をもたらす。だが、充分な量の生命を宿していない惑星を根絶やしにしたところで得られるエネルギーは知れている。だから奴らは次の旅に備えて、食料補給の効率を高めようとする。この地球にも同じことをした。ヒトの異常繁殖をうながして生命エネルギーを最大値に近づけ、〝宗教〟という武器を用いて互いに殺しあうように仕向けた。その結果が、今だ……地上には何十億という人間がはびこった。そして、自滅に向かおうとしている……」
悪魔の言葉におびえを隠せずにいた天使が、ぽつりとつぶやいた。
「神の教えが、武器……?」
悪魔はうなずいた。
「地球の荒廃を願う絶対神が『人間には地球を治める責任がある』と説いたからこそ、大地と一体だった我々は抹殺された。地球という生命集合体の命を危機に追い込んでいった。そして今、人類の総数は上限に達してもはや拡大は望めない。その数が限界に達したということは、すなわち大規模な〝収穫〟が始まる合図だ。ヒトは再び、絶滅に近い災厄に見舞われる」
驚きに目を見開いた天使は、空を仰いだ。
「神よ! それは本当なのですか? お答えください! 神よ!」
神は答えた。
『悪魔に幻惑されるではない』
天使はすがるように言った。
「事実ではないのですね?」
悪魔が冷たい笑いを浮かべながら言った。
「ならば、人類の歴史がなんであったのかここで説明してみろ。なぜ人間は人間を殺す? おまえが人間を作ったというなら、なぜこれほど愚かな生物を設計したのだ?」
神が言った。
『人類が私の創造物でなければ、いったい他の何だというのだ。貴様こそ説明してみるがよい』
「ヒトは地球という生命体が生み落とした子供だ。我々は、この子供の成長を見守る子守だ。だが貴様は、幼い子供たちの性質を無理やりねじ曲げてしまった……」
『ふん、ならばなぜ私が――神が地球を滅ぼそうとするのだ? 貴様の理屈が正しいなら、せっかく騙しててなずけた下僕を失うことになるではないか?』
「人類は貴様の下僕ではない。単なる食料だ。そしてその食料は地球が養える数を越え、もはや生命エネルギーが急増する余地はない。だから貴様は一気に人類の生命エネルギーを収穫し、次に餌食にする星に飛ぼうというのだろう⁉」
神は反論しなかった。
悪魔はさらに言った。
「私は許さん。決して貴様の勝手にはさせぬ」
天使が言った。
「お答えください! それは真実なのですか? 悪魔が正しいのですか⁉」
神は言った。
『天使ともあろう者が、神の言葉を疑うのか?』
「しかし……」
『よかろう。今、そちらに迎えにいく。そこで待て』
悪魔は天使にささやいた。
「まだ絶対神を信じるのか?」
天使は、悪魔の視線を避けるようにうつむいた。
「私はこれまでずっと、そうして生きてきたのです……いまさらそれを……」
「私が身をもって絶対神の欺瞞を証明したのに、まだ理解できぬのか?」
「でも……」
「絶対神はおまえの身体の中に、幾つもの街を消しかねない自爆装置まで仕込んでいたのだぞ。そんな恥知らずを信じるのか?」
「でも、神はまだ私を必要とされています……」
「それは、天使は容易には得られないからだ。天使の数が減れば、〝人間〟を食料に変える効率が悪くなる。それだけのことだ」
「でも、さっきのエネルギーが爆発していたら私も消滅していたのでしょう? なのになぜ神は、そんな危険なものを天使に仕掛けたのですか?」
「自爆エネルギーが解放される時には、当然無数の人間が巻き添えにされる。何も知らずに蒸発させられる人間が吐き出すエネルギーを得られるなら、天使ひとりを処分しても損失とは限らない。万一爆発が誤解を招いて核戦争にでも発展すれば、大気圏内にさらに多くの生命エネルギーが放出される。絶対神は、自分が損をするような選択はしない」
「私は人類を滅ぼす手段にすぎなかったと……?」
「何度もそう言ったはずだ」
その時、夜空に輝く星の一つが急速にふくれ上がり、ぐんぐんと近づく巨大な光の玉となって彼らの視界を塞いだ。
光の玉が動きを止めると、警官が呆然とつぶやいた。
「すげえ……UFOじゃないか……」
神の言葉がとどろいた。
『天使よ、この光の中に入れ』
天使は悪魔の腕にすがりついた。
「どうしよう……?」
「行きたいのなら、行け」
「止めないの?」
「私は、心を縛らない。選ぶのは、おまえ自身だ。しかし今のおまえは、もはや神に洗脳された〝天使〟ではない。絶対神のもとへ帰っても、おそらく苦しむことになるぞ」
「どうしよう……」
神が声を荒げる。
『早く入るのだ!』
天使はなおも悪魔を離さなかった。
「断ったら?」
「私が絶対神を追い払う」
「できるの?」
「方法はある」
「危険じゃないの?」
「もはや戦いは避けられない」
「恐い……」
「さあ、選べ」
「あなたを信じていいの?」
「それはおまえが決めることだ。悪魔は『自分だけが正しい』などとは、決して言わない」
「そんな……」
「己れで考え、選ぶのだ。そして、その選択に責任を負え」
天使は小さくうなずいた。
そして神の光球に向かって叫んだ。
「質問があります! 私は何だったのですか⁉ 私は人類を滅ぼす道具にすぎなかったのですか⁉ 答えてください!」
神は答えた。
『神を疑うな。試そうとするな。ただひたすらに信じ、従え』
天使はかすかに肩を落とした。
悪魔が小さな笑いを噛み殺してつぶやく。
「また逃げおったな」
天使は意を決して顔を上げた。そして光球に向かってきっぱりと言った。
「帰ってください! 私は残ります!」
『悪魔に魂を奪われたのか⁉』
「その通りです。私は悪魔に心を奪われました」
悪魔は命じた。
「神よ、立ち去れ!」
『断ったら?』
「後悔することになる」
『思い上がるな!』
悪魔は、UFOを思わせる光球の中で新たな自爆装置のエネルギー結晶が溶けはじめたことを感じた。天使の中にあったエネルギーの数十倍――いや、数百倍もの威力が感じられる。炸裂すれば、一国が滅びかねない。
それでも悪魔は、依然としてほほえんでいた。
「馬鹿の――いや、〝神〟の一つ覚えか……」
悪魔はおもむろに財布を取り出した。その内部では、天使から取り出したエネルギー結晶が沸騰している。
悪魔は、光球に向かって財布を開いた。
「これが宣戦布告だ!」
開いた財布からエネルギーの奔流が光となってほとばしる。光球を正面から捕らえたエネルギーの怒涛は、爆発寸前の光球を夜空の彼方に押し飛ばした。
星空の中に、不意に月ほどの大きさの輝きが生まれ、すぐに消滅した。
悪魔は無表情に言った。
「神よ、悪魔の力を思い知ったか?」
神は何も答えなかった。気配も消え去っている。
天使がつぶやく。
「神はもうやってこないのでしょうか?」
悪魔は厳しい表情で答えた。
「今は立ち去ったようだ。だが、近いうちに必ず戻る。飢えているだろうからな。奴らは人類を――いや、地球を消滅させなければ次の星には飛べないだろう。もはや我々も、戦いから逃げるわけにはいかぬ。その日に備えて、一刻も早く力を貯えなければならない」
天使は悪魔の腕を抱きしめて身を寄せた。
「ご一緒します」
「つらい戦いになるぞ」
「ええ」
二人は穏やかにほほえみ合った。
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