仕掛けられた罠②

 その後すぐに、ジークはエレベータに乗り込み2階の医務室を目指していた。


 するとそこで、腕の中のアイシャが額に大粒の汗を流しながら

「ごめん……迷惑、かけた」と小さな声で呟いてきた。


 それにジークは

「お前は何も悪くない。俺がもっと用心しておくべきだった。奴が何もしてこない訳がないだろうに……」と苦虫を噛み潰す様に答える。


「ううん。うひも……気がゆふんでひた」


 そんなアイシャの苦し気な声を聞くと、ジークは黙り込んだ。


――早く、彼女を助けなくては


 そう思い、いつもはそれ程気にならないエレベーターの遅さに苛立ちを感じずにいられなかった。


 やがて、目的の階へと着くと、すぐ目の前には大きな自動ドアが現れる。そして、そこを潜ると広大な空間が広がっていた。そこには大量の椅子が備え付けられ。正面にはカウンターが置かれている。さらに、その奥には長い廊下が続き、多くの部屋へと繋がっていた。そこは、まるで病院の待合室の様だった。


 するとそこで、廊下の奥からストレッチャーを引きずり、医師と思われる白衣の男と看護師らしき女が現れた。


「彼女をここに」


 ジークは医師に促され、アイシャをストレッチャーへと乗せる。


 そして、彼女は奥の部屋へと運ばれていった。ジークもそれに同伴する。


 彼女はストレッチャーからベッドに移されると、血を採られ点滴を打たれていた。


 すると、彼女の顔色はほんの少し良くなったような気がした。


 そこで、ジークは枕元から彼女に問いかける。


「アイシャ、どうだ?」


「うん、まだ辛ひんやけど……すこひ、楽になった」


 彼女の呂律は依然として回らない。それに、まだ体温も高い様だ。


 すると、彼女を診てくれていた医師が問いかけてくる。


「こんな症状を私は見たことがない。何が原因かわかりますか?」


 それにジークは一言「毒だ」と答える。


「毒ですか?」


「ああ。ヒュドラの毒を彼女は浴びてしまったんだ」


 それを聞くと医師は驚いていた。


「なんでそんな物を!?」


 しかし、それには答えられなかった。代わりにジークは

「とりあえず、血清かなにかはあるか?」と問いかける。


「いえ。そんな猛毒に対する血清なんてここにはありません。恐らく、総合病院であれば……。一先ず聞いてみます」


 だがそこで、ジークは医師を止めた。


「いや、そんな時間はない。一刻を争うかもしれん。一先ずは俺の方で処置させてもらう」


 そう告げると、ジークは彼女の頭を持ち上げる。


「何をするつもりですか?」


 医師はそう問いかけてくるが、それには答えずジークは

「アイシャ。少し我慢しろよ」と告げて彼女の首筋に牙を立てた。


 その行動に医師は唖然とし、当のアイシャは目を思いっきり見開き、驚愕していた。


「ちょ、ちょ、ちょっと!? なにしとんっ――!?」


 アイシャは頬を赤らめながら、ジークから身をよじり離れようとする。だが、ジークに押さえつけられ身動きが取れない。


 そして、彼女から次第に艶めかしい声が漏れだす。


「んっ……んんっぁっ……///////」


 やがて、ジークは彼女の首筋から牙を抜き、口を離した。すると、噛まれていた個所から血が滴り落ちる。


「ドクター、ガーゼを」


 ジークは何食わぬ顔でそう要求した。


 すると医師は慌てて、戸棚から消毒液とガーゼを取り出し、彼女へと処置を施していく。


 その最中、ジークは医師に告げた。


「とりあえず、毒はあらかた抜けた。しかし、完全には抜け切れていない」


「なら、どちらにせよ血清を打たなくては……! 搬送の準備を……」


 だが、ジークはまたもや医師を引き止める。


「血清の代わりとなる物なら、ここにある」


「え? それはどういう――」


 医師はまだ質問の途中であったが、ジークはそれに取り合わず、自身の右手人差し指を爪で傷つけた。すると、指から黒い血がゆっくりと滴り落ちていく。それをアイシャの口元へと運ぶ。


「えっ? ちょっ! また、なにしとん……!?」


 彼女は困惑気味に言うが、ジークはそれに構わず、

「いいから、飲め」と命令し、彼女の口の中に指を押し込んだ。


 それに彼女は驚くと共に少しむせる。


「ちょっォゴッ!!!? アグっっっ!!!!」


 そして、少しばかりの抵抗を試みるが、次第に大人しくなり静かにジークの指から流れる血を吸い上げていた。


「んんんっっ…………///////」


 不満と恥ずかしさが同居したような眼差しで。




 

 その状態で、10分ほどが経過した。ジークは昨日の内に体内で作り上げた抗体を、現在アイシャに吸わせている。それで彼女の体内にも抗体を増やそうとしていたのだ。ただ、彼女の体に合うかどうかが懸念点であった。


 しかし、今のところ拒否反応などは見られない。それにジークは安堵した。


 そして医師はジークに彼女の事を任せて、どこかへ行ってしまった様だ。今この部屋にいるのはジークとアイシャの二人きりである。


 そんな彼女の顔色は大分よくなり、呼吸にも乱れはなくなっている様に見えた。なにより、彼女は落ち着いた表情になっている。


 そこで、ジークは彼女の口から指を引き抜く。それに、彼女は少し口惜しそうな表情を浮かべ指先を目で追いかけていた。


 だが、

「具合はどうだ?」とジークに問いかけられると、彼女は我に返る。


「あっ……、うん。体が軽くなってる」


 彼女はそう答えると、ゆっくりと上半身を起こして見せた。そして、彼女はベッドから立ち上がろうとする。だが、上手く立ち上がれるずによろけ、転げ落ちそうになってしまう。


 それをジークは支えた。


「っジーク、ごめん……」


「まだ無理をするな」


 ジークはそう言い聞かせると、彼女をベッドに座り込ませる。


 すると、彼女は頷きつつも、苛立ち混じりにポツリと呟いてきた。


「ラジエルの奴、とんでもない事をしてくれたわね」


 それにジークは頷きつつ、

「ああ。まさか、俺のカバンをマンションから持ち去り、中にヒュドラを入れ込んでいたとは……。迂闊だったとは言え、流石にこれ以上の狼藉を許せはしない」と語気を強める。


 そしてジークは彼女に背を向けて、病室から立ち去ろうとした。 


 そこでアイシャが、不安気な表情で

「まさか……、ラジエルの奴を直接懲らしめに行くつもり?」と問いかけてくる。


 それにジークは首を横に振った。


「問い詰めるだけだ。大事にするつもりはない」


 ジークは、そう言い残すと彼女の返事を待たずに病室を去っていく。


 そんな中、ジークには懸念している点があった。


 袋や引き出しに仕込めばいいものの、わざわざジークのカバンを用意したという事は、周到な計画が練られたものだろう。それが、危害を加えるだけとは考え難い。他にも何か仕込んでいる可能性が十分に考えられる。


 ジークはそれを突き止めなければならない。そして、奴にこれ以上好き勝手させるわけにも……。


 そう考えながら、ジークは教室へと向かって行く。




 そして彼は、自身の教室へと辿り着くと勢いよく戸を開け放つ。


 教室は授業中という事もあり、非常に静かなものであった。しかし、それ以上に重々しい空気でもある。


 その原因は背広に身を纏った物々しい雰囲気の天使と悪魔達。そいつらは、ジークの席を取り囲み何かを調べ上げていた。それは、ジークのカバンと周囲に飛び散った液体。


 そして奴らは部屋に飛び込んできたジークを見るなり、詰め寄ってきた。


「ジークさんですね? 我々はこういう者です」


 詰め寄ってきた連中の中で、一番年老いた初老の男性が懐から何かを取り出し、ジークに突きつけてきた。


 それは、先程アリシアにも見せつけられた手帳とよく似ている。というよりも、記載されている情報が違うだけで全く同じものであった。


 つまり、彼らは治安局の者であったのだ。


 そこでジークは、おおよその察しがいったが

「……治安局が俺に何か用でも?」と問いかける。


 すると、初老の男とは別の男が声を荒げてきた。


「こんなにも決定的な証拠があって、白を切るつもりか?」


 それにジークは毅然とした態度で答える。


「何かした覚えはない。強いて言えば、得体の知れない物をカバンに入れ込まれたくらいでな」


 次いで、ジークはエレクの方を睨みつけた。


 奴は無表情を装ってはいたが、内心この状況を心底楽しんでいるのだろう。奴はそういう天使だ。そして、奴の真の目的はジークを治安局に拘束させる事にあったのだ。


 ジークは奴のそんな態度と目的に怒りよりも、呆れが勝る。


 ただ、そんなジークの心情はいざ知らず、先程の男からの追及が成された。


「とぼけるのも大概にしろよ! このカバンは貴様の所有物だろ。その中から、ヒュドラの残骸も見つかっているのだからな」


 彼はそう言い放ち、ジークへとカバンの中の死骸を見せつけてくる。何匹も押し込まれた白色の蛇の死骸を。


 するとそこで、再度初老の男が告げてくる。


「ジーク・サタン殿。あなたを魔獣の所持及び、傷害の容疑で現行犯逮捕します。詳しいお話は、署で訊かせていただきますよ」


 それを合図に、連中はジークの腕を掴み上げ、手錠をかけてきた。


 最早言い逃れは出来まい。それに、下手に抵抗すればジークの立場はさらに危うくなるだろう。


 そう思い、ジークは抵抗もせず、ただされるがままであった。


 やがて、拘束されたジークは連中に外へと連れて行かれる。


 その最中、廊下でアリシアとすれ違った。彼女も、この騒ぎを聞きつけてここまで来たのだろう。


 そんな彼女は、どこか申し訳なさそうに、何かを伝えようとしてきた。


 しかし、彼女は何も言えずに口を噤んでしまう。


 そして、彼女の姿はエレベーターの扉が閉ざされると同時に消えていく。

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