25話 アイシャの想い
その頃、アイシャは虎から解けた糸を手繰り、ある一室の前にまで辿り着いていた。
彼女の目の前には、両開きの扉がある。和風な外観と内装にしては似つかわしくない西洋式の扉。そして、何となくだが、その部屋の中からは他の部屋とは違い、重苦しい空気が漂って来る。
ただ、アイシャは固唾を呑みながら扉に手を掛けた。
――この先には、何かが待ち受けている……。魔獣? それとも、奴の罠?
アイシャはこの先で待ち受けるものの事を考えて、手を強張らせている。
しかし、それをすぐさま振り払う。
――うちは、ミーシャを助ける為にここにいるんやよ! そんなうちが、怯えててどうすんの! それに、こんな姿をジークに見られたら笑われるやん!
そして、アイシャは自身にそんな事を言い聞かせながら、勢いよく扉を開け放つ。
するとその瞬間、彼女は自身の目を疑う。
その先には洋式の大広間が広がっていた。それも、煌びやかなシャンデリアが天井からいくつもぶら下がり、大理石の床を明るく照らし出す。そんな空間が。
また、そこにはたくさんの丸机と椅子が整然と並べられ、机の上にはワインやらシャンパンやらケーキやらが置かれていた。
まるで、パーティー会場の様な異質な空間であるが、そこに座る連中は皆生き物ではなく、奴の糸で編まれた人らしきものである。その数およそ50体は超えているかと思われた。
――これは……!? やっぱり、ラジエルによって仕組まれた罠!?
アイシャは身構えていたが、その奇妙な光景を前に少したじろいでしまう。
しかし、そいつらはアイシャが部屋に入って来た事などお構いなしに、正面を見つめたまま身動き一つ取らない。
アイシャはただただ、唖然とするしかなかった。
だがその時、不意に声がかかる。
「遅かったじゃないか。君が来るのを随分と待ちわびていたよ」とエレクの声が。
そして、その声は入り口から最も遠い場所。このパーティー会場のメイン席と思われる壇上から聞こえてきた。糸人間に気取られ、今まで気づけずにいたが、奴もこの空間にいたのだ。
奴はそこに鎮座し、アイシャを下卑た笑みで見つめている。
さらに、奴の隣にはミーシャの姿もあった。純白のドレスを着せられ、その上から全身を糸で絡めとられる彼女の姿が。
それを見た瞬間、アイシャは驚きつつも
「ミーシャ!!? 大丈夫!?」と彼女に問いかける。
それに対し、彼女は何かを口にしようと必死にもがいていた。しかし、糸によって口を押えられている所為か、それは声にはならない。
そんな彼女の姿に、アイシャは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
ただすぐに、ラジエルの奴を睨みつけ
「ラジエル!! これは、一体何の真似なん!?」と問い詰めた。
すると、奴は笑みを漏らしながら、答えてくる。
「フッ、見ての通りさ。披露宴と言ったところだよ。僕とミーシャ君のさ」
また、奴は続けて
「ねぇ、ミーシャ君?」とミーシャに同意を求める様に問いかけると、糸で操りミーシャの首を無理やり縦に振らせてきた。
その光景にアイシャは怒りを露わにする。
「ふざけるのも大概にして! うちらを馬鹿にして、あんただけは絶対に許さない!!」
そして、彼女はたまらず鎧を目の前に作り上げると、ラジエルに向けて飛びかかっていった。
しかしそこで、ラジエルは片手を宙に掲げだす。
すると、先程まで椅子に座り込んでいただけであった、糸人間共が急に立ち上がってきた。それも、一斉にアイシャの方へと体を向けて。
その光景は、まるでゾンビの大群に目を付けられた人間さながら。
そして、それを前にアイシャの足も思わず止まる。
「ッ……!?」
彼女はこの異様な光景に恐怖を覚えると共に、委縮させられていた。
一体一体は大した事がなくなとも、流石にこの数を一度に相手にするのは厳しい。そう思わざるを得なかったのだ。
すると、奴は挑発混じりに問いかけてきた。
「おいおい。さっきまでの威勢はどうしたんだい? まさか、怖気づいたのかな?」
それは図星でもあったが、アイシャはそれにより元の調子へと戻れた。彼女は恐怖や悲観的な考えをかなぐり捨て、奴に向けて言い放つ。
「ッ!! どこまでも、ムカつく奴やね! こんな小細工でうちを止められるなんて思わん事やよ!」
そして彼女は、鎧に自身を抱きかかえさせると、奴の下へと向かって行く。
それに対し、ラジエルは相変わらずの下卑た笑みを浮かべながら
「そうかい。なら、見せてもらおうかなぁ。君の勇姿をね」と告げてくる。
それを皮切りに、糸人間共は一斉に彼女を抱きかかえる鎧へと襲い掛かってきた。体を左右に揺らしながら、進行を止めるべく。
するとすぐさま、一体目が鎧の前に立ちはだかってくる。それに続いて、糸人間は前方や左右からも迫り来ていた。
それらを鎧の剣で次々と薙ぎ払ってやる。
ただ、その間にも奴らは間髪入れずに迫り来ていた。3体同時に倒してやったとしても、すぐさま後続が鎧に纏わりついて来る。始めの内は何とか凌げてはいたが、徐々にそれも厳しくなってきた。一体一体をちまちま倒していたところで、奴らの猛追を止められはしないのだ。
そして次の瞬間、鎧は四方を取り囲まれ、完全に動きを封じられてしまう。すると、糸人間から解けた糸が、鎧の腕を避け彼女の体へも襲い掛かってくる。アイシャの体をきつく締め上げるべく。
また、最初は腕や足にだけ纏わりついてきた糸であったが、それが徐々に全身へと行き渡っていた。
「ウグゥッ……!!!」
まるで、蚕の糸の様に。そこで、彼女は鎧の腕から地面へと滑り落ちていく。それと共に、彼女は地面に横たわらされ身動き一つ取れなくなってしまう。それどころか、肌に食い込んでくる糸は、彼女の体を圧し潰さんとする程の力であった。糸が肉を裂き、至る所から血が噴き出してくる。
すると、その様子を見たミーシャが、必死にもがき何とか声を発してきた。
「お姉ちゃん! 私の為に、もう無理をしないで!」
また、彼女は必死にもがき糸から抜け出そうとするが、それは叶わない。
そこでアイシャは、苦し気な声ながらも、
「それは無理なお願いやよッ! うちはあんたを助け出す! 何が何でも!」と彼女に言い聞かせる。
それに、彼女は瞳に涙を浮かべつつ、問いかけてきた。
「なんで、私の為にそんな……。お姉ちゃんは私が呪いを引き継いだ事を気にしているから?」
ただ、アイシャはそんな彼女の言葉を一蹴する。
「あんたに呪いがあるかなんて関係ない! それ以前にうちは、あんたが好きやからよ!」
はっきりと、大きな声で言い切ったアイシャ。
すると、ミーシャは理解できないと言いたげな瞳で、またもや問いかけてくる。
「!? なんで……? 私は昔からお姉ちゃんに生意気言ったり、迷惑をかけてきたというのに……」
「確かに、あんたは内に対しては生意気で、手料理にもダメ出ししてくる。だけど、あんたはいつもうちを想ってくれてた。うちが困っている時には手を貸してくれたり、心配してくれたりしてくれた。自分の事よりもうちの事を優先してくれていた。そんな、あんただから、好きになったんよ!」
そして彼女は語気を荒げ、さらに続ける。
「なんでそんな事も分かんないの! いつもそう! あんたはうちに気を使い過ぎてか、一人で悩みも抱え込もうとする。もっと、うちは頼って欲しかった! 一緒に悩みを抱えさせて欲しかった!」
そこで彼女は、ハッとした表情を見せると共に彼女へと謝罪してきた。
「ごめんなさい……」と。
だがアイシャは、首を横に振る。
「謝らんでももいい! だけど、これからは一緒にその悩みも全部抱えさせて!」
するとその時、二人のやり取りに水を差す様にラジエルが告げてきた。
「泣かせてくれるじゃないか。けど、君達にこれからなどないさ。これ以上、無駄な抵抗をするならね」
奴は告げるや否や、糸をさらにアイシャへと食い込ませてきた。
「ッウグ……!!」
最早、体に感覚などない。
だが、アイシャはそれに抗い、動かせぬ体へと鞭を打つ。
彼女は、糸の隙間から腕だけを必死に動かし、鎧をラジエルの下へと無理やり進ませていた。纏わりついてきた糸人間共を引きずりながら。凄まじい速度で、鎧は着実に奴の下へと向かっていく。
そして、遂に鎧はラジエルとミーシャの下、二人が座るメイン席の前にまで辿り着くことが出来た。机を挟んだ向かい側には、奴の眼前がある。
しかし、奴はこの状況に焦る素振りすら見せず、むしろ愉しんでいる様にも見えた。
また、奴は随分と余裕そうな態度で
「へぇ、僕の力には及ばないが、随分と遠くまで動かせる様だ。よく、ここまで辿り着かせる事ができたね。それだけは、褒めてあげるよ」と告げてきたのだ。
それに、アイシャは苛立ちを募らせつつも、鎧を操る指先に力を込めた。
正直、アイシャの体は痛みにより、感覚すらなくなっていた。だが、それでも奴の眉間を叩き割るだけの余力はまだ残っている。
そして彼女は、靄を手繰り鎧を高く飛び上がらせると、奴の頭上から剣を振り下ろさせた。剣は確実に奴の顔面を捉えている。
だがそれでも、奴は避けるどころか微動だにしなかった。不敵な笑みを浮かべたまま。
それにアイシャは疑問を抱くが、今更鎧を止められるわけもなく、そのまま剣を振り下ろさせた。
すると、剣が奴の顔面を切り裂く直前、突如として頭上のシャンデリアから、無数の糸が鎧目掛け襲い掛かってきた。
そして、糸は剣を握る腕に絡みついて来る。それによって、剣は奴の眼前擦れ擦れの所で止められてしまった。いくら力を込めたところで、剣はこれ以上押し進められない。
さらにその直後、ラジエルの腕からも無数の糸が飛び出し、鎧の体を絡め取っていった。
そこで、奴が腕を払うと鎧は糸に操られ地面へと力なく転がり落ちていく。
その光景に奴は白々しくも
「いやぁ、惜しかったね。もう少しで、殺されるかと思ったよ」と告げてくる。
露ほどにもそんな事は思っていないだろうに。
アイシャは始めから、奴に弄ばれていたのだ。奴の力なら、糸人間共をわざわざ使わなくとも、鎧の動きを完全に封じる事は出来た筈だろう。だが、敢えてそれをせずにアイシャのもがき苦しむ様を愉しんで見ていた。
それに気が付くと、アイシャは悔しさ混じりに言い放つ。
「ック……。どこまでも、舐め腐った奴やね……! あんた、碌な死に方をしやんよ!」
すると、奴は椅子から立ち上がり、不服そうに答えてきた。
「舐め腐っているだって? それは、心外だね。僕はもっとも効果的な手段を選んでいるだけだよ。誰しも、獲物を目の前にすると油断が生じるからね。それに、始めから伝えてあった筈だよ。この屋敷の至る所に僕の糸が仕掛けてあるってね。それへの警戒を怠った君の怠慢が招いた事さ」
奴はもっともらしい事を言ってはいるが、この場を設けた事やミーシャにドレスを着させた事などは明らかに奴の趣味だ。アイシャの気持ちを逆なでして、奴自身のちっぽけなプライドを満たすための。まさに、奴は小物であった。
アイシャはそう確信し、ラジエルに突きつける。
「そう、あんたの事がよーく分かった。あんたは、そうやって自身を正当化する事で、罪悪感から逃れているだけだって。自覚があるんやろ? 自身より強い者には卑怯な手を使っているって事や、自身より下に見ている相手には弄ぶる様な手を使っているって事に。そして、それを後ろめたくも思っている。プライドだけは、いっちょ前やからな」
すると、ラジエルの表情は険しいものとなった。その表情から、奴が明らかに不快感を抱いている事が容易に窺える。痛い所を突かれたが故に。
そして、奴は苛立ち混じりに話をすり替えてきた。
「さっきから聞いていれば、随分と勝手な事を言ってくれるじゃないか……。君は自身の立場を理解していないのかい?」と。
次いで、奴はゆったりとした足取りで近づいてくる。寝ころんだまま身動きの取れない彼女の下へと。
そして、奴はアイシャの傍に屈みこむと、髪を乱暴に掴み無理やり起き上がらせて来た。
「まったく、口だけは達者で困るよ。君も、ジーク君も……。だが、お互い無様な最期でもあった」と告げながら。
それにアイシャは怪訝な表情を見せ、眼前のラジエルを睨みつける。
「どういう事……?」
すると、奴は急に高笑いを浮かべてきた。
「ハッハッハ!!! すでに、ジーク・サタンは死に絶えているんだよ。残るは、アリシア=ミハイルのみとなった。しかし、彼女一人程度ならどうにかなる」
それを聞いたアイシャは、瞳を揺らめかせ動揺してしまう。
「そんな、嘘や……!? ジークが殺されたなんて……」
彼女はラジエルの言った言葉を到底信じる事は出来なかった。
しかし、奴は自信満々に告げてくる。
「嘘ではない。僕の糸が彼を仕留めたからこそ、僕はこうして君の前にいるのさ」と。
そして、奴は続けて語り掛けてきた。
「君にも見せたかったよ。彼の惨たらしい姿を。腕や足はひしゃげ、内臓が飛び出している姿を。君はそれを見てどんな顔を見せたのか、とても興味がある」
それを聞いた途端、アイシャは我を忘れ
「このクズ野郎がッ!!!!!」と鬼の様な形相で怒声を上げた。
さらに、そこで彼女は腕を振り払い、奴の体に覆いかぶさっていく。その動きは、とても全身を縛られているとは思えない程、機敏で力強い物であった。
それに、ラジエルは気圧され
「ッゥえ!?」と情けない声を上げながら、彼女が馬乗りとなる事を許してしまう。
そして、アイシャは奴の首筋目掛け、歯を思いっきり突き立てようとする。
だがその直前、奴は隙間に右腕を潜り込ませ、何とか首だけは守ろうとしてきた。
けれど、アイシャはそんな事などお構いなしに、奴の右腕に迷わず噛みついていく。
その直後、奴の右腕には深くアイシャの歯形が刻まれ、そこから奴の血が服へと滴り落ちていった。
その痛みにラジエルは顔を歪ませ、訴えかけてくる。
「ウグッ……!!! 止めろ! 離せ! こんな事をした所で何の意味もないんだぞ!」
また、奴は必死にアイシャを引き離そうと、体に膝蹴りを入れたり顔面をはたいたりともがいてもいた。
だがそれでも、アイシャは奴の腕に噛みついたまま、放そうとはしない。
そこで奴は、
「ッチ!! 舐めるなよ!!」と叫ぶと同時に、左腕から一筋の糸を伸ばしだした。
そして、奴は糸を彼女の体へと突き入れてくる。
「ッゥアッ……!!?」
悲痛な声を漏らすアイシャの腹には、無慈悲にも小さな穴が空けられていた。そこから、ラジエルの下へと血が滴り落ちていく。奴の血ではない、アイシャの血が。それに伴い、彼女が腕に噛みつく力も徐々に弱まっていった。
すると、その光景を前にミーシャが悲鳴を上げる。
「そんなッ――嘘ッ!!!!!?」
嗚咽混じりの悲鳴。それが木霊すると、ミーシャは椅子から崩れ落ちていった。アイシャの痛々しい姿に絶望した表情を浮かべながら。
そして、ラジエルはそんな二人の様子に満足気な表情を浮かべだす。次いで、奴はアイシャを横に払いのけると、右腕を抑えつつ言い放った。
「はぁはぁ……だから言っただろ。無駄な足掻きだと。君はここで、ただ野垂れ死んでいく運命なんだよ!」
また、奴はその場で起き上がり、左腕の中に無数の糸を作り上げる。
「だが、ただ野垂れ死ぬだけでは生ぬるい! 僕にしてくれた仕打ちを思えばね。君には耐えがたい苦痛を与え、あの世へ送ってやるよ」
ラジエルは、力なく地面へと横たわるアイシャに向けて、今にも糸を放とうとしていた。
アイシャにもミーシャにも、当然それを止める術などない。彼女達は、それを歯を食いしばりながら待ち受けるしかなかった。
しかしその時、ガタンッという音が周囲に鳴り響く。
それと同時に、シャンデリアや電気スタンドなどの照明類が一斉に光を落とし、辺りは真っ暗闇となった。
急に訪れた暗闇。それによって、ラジエルの攻撃は止まってしまう。奴の放とうとした糸は急に光を失い、重力に従って地面へと落ちていく。
そこで、ラジエルは取り乱しつつ、辺りを見渡していた。
「ッチ、停電か……! こんな時に……! アリシアの仕業か!?」
しかし、辺りにアリシアらしき者の姿はない。ただその代わり、奴は暗闇の中で別の影を見た。この部屋の入り口に佇む影。暗闇で、はっきりとは見えないが、そのシルエットだけで分かる。アリシアの影ではない事は。そして、その影は――
するとその時、周囲に明かりが灯り始める。足元を薄っすらと照らすだけの光。室内に非常灯が灯り始めたのだ。
それと同時に、入り口に佇む者の正体も明らかとなった。短い黒髪に紅く鋭い瞳を持つ少年。体の至る所には、傷口を糸で塞いだ跡のある少年。誰がどうみても満身創痍の状態であるのは明らか。しかし、それにも関わらず、彼はとてつもない威圧感を放っていた。
「ジーク……、サタン……!?」
エレクは殺したと思っていた彼の登場に、その目を疑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます