26話 集う者達
エレクは、目を見開き戸惑いを露わにしている。そして奴は、しばらく固まったまま呆然とジークを見つめていた。この状況がどうしても信じられないと言いた気な目で。
だが、一方のジークは、奴のそんな姿を冷めた目で睨み返しているのみ。
そこで、奴はやっとジークの存在を受け入れられたのか、言葉を詰まらせながら問い掛けてきた。
「な、なぜ!? 君がここにいる!? 君は確かに、この糸で殺した筈だが……!?」と。
それに対しジークは、毅然とした態度で答える。
「死体は確実に処理しとくべきだったな? 貴様の怠慢が招いたのだ」
すると、奴は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ、さらに問いを重ねてきた。
「ッ…………。大体、どうやってここがわかった!?」
それには
「貴様への怒りが、俺をここまで導いた」とだけ告げ、左腕を繋ぎ合わせている透明な糸を奴へと見せつけた。
そこで、奴は全てを理解したのか、不快感を露わにしてきた。
「ッ……そう言う、事かい。僕の糸を手繰って、ここまできやがったのか……」
それにジークは頷きつつ答える。
「ああ。さながら、アリアドネの糸と言ったところか? 貴様のお陰で、迷わずには済んだ」
また、それと同時に彼は
「そして、貴様はここで仕留める」とも告げた。
そして次の瞬間、ジークは奴の下へとゆっくり歩み出していく。その動きは非常にゆったりとしたものであった。体を左右に揺らしながら、おぼつかない足取り。
だが、その姿でさえエレクの目には、鬼神の如く映っていた。
奴はジークに酷く怯えていたのだ。いくら、手負いとは言え真っ向勝負では絶対に敵わないと。
そこで、奴は慌てふためき
「おい! く、来るなよ! こっちには人質がいるんだぞ!」と言い放ってくる。
次いで、奴は左腕の中に無数の糸を作り出し、アイシャに突きつける様な素振りを見せてきた。
しかしジークは、それに構わず奴の下へと進んでいく。
その様子に、エレクはさらに取り乱す。奴は、体を仰け反らせながら、糸をアイシャの下へと近づかせていた。
「ッおい! 聞こえているのか!? 本当にこの女を殺すぞ! それでもいいのか!?」
そんな勧告にも、ジークは何の反応も返さない。
するとエレクは、遂に痺れを切らす。
「これは、脅しではないんだぞ!」
そう叫ぶと、エレクは左腕を振り上げ、糸を一斉にアイシャへと向かわせた。
だがその時、
「斬烈波!!」と叫ぶ声が部屋中に響き渡る。
すると次の瞬間、ジークの後方より3本の衝撃波が現れた。それらは、大気を切り裂く様な凄まじい音を上げながら、エレクの下へと勢いよく向かって行く。
そして、衝撃波は瞬く間の内に、糸を全て切り裂いていった。
それにエレクは酷く驚かされる。
「何ッ!? この力は!?」
ただ、奴が疑問を口にしている暇はなかった。先程放たれた衝撃波は、糸を切り裂いただけでは止まらず、エレクの体をも切りつけようとしていたのだ。3方向から取り囲む形で。
そこで、エレクは苦し気な表情を見せながら後方へと飛び退いていく。それと同時に斬烈波へ向けて糸を放った。すると、糸は易々と切り裂かれてしまうが、衝撃波の軌道を逸らす事は叶った様子。そして、衝撃波はエレクを捉える事は出来ず、天井と床と壁にそれぞれが、当たり勢いを失っていく。
その光景にエレクは安堵の表情を見せると同時に、ジークの後方を睨みつけた。
するとそれに応える様に、彼女が姿を見せる。
アリシア=ミハイル、彼女は左腕に刀を右肩にミレイを担ぎながら、エレクの前に姿を現したのだ。
そして、すぐさま彼女はエレクに語り掛ける。
「ごきげんよう、エレク。随分と危ない事に首を突っ込んでいる様ね。色々と話が聞きたいから大人しく、投降してくれる?」
それに対し、エレクは奥歯を噛みしめながら
「ッ……!! この、死にぞこない共が!! 今すぐ、ここで殺してやる!」と吠え散らかしてくる。
それと同時に、奴はこの部屋の至る所から無数の糸を出現させてきた。それは、シャンデリアや天井や壁などの至る所から。奴とミーシャ以外の全てを貫くべく、飛び出てきたのだ。
「ッ! 厄介な糸ね!」
アリシアはそう呟くと、ミレイを守りつつ、向かい来る糸を刀と斬烈波で切り裂いていく。
一方、ジークはアイシャの下へと急いで駆け寄り、彼女を抱きかかえた。そこで、ジークは体内魔術を掛ける。
――バイタル・アクセラレーション ハーフブースト
そして、彼女が受けていたであろう糸を、その身で一身に受けた。
しばらくの間、ジークの身には糸が襲い掛かってくる。それと共に、鈍く鋭い痛みが走った。だが、それもしばらくすると完全に止んだ様子。
そこで、ジークは背中に突き刺さった糸を引き裂きながら周囲を確認する。すると、辺り一帯は変わり果てた光景となっていた。先程まで広がっていた華美絢爛なパーティ会場は、蜘蛛の巣の様な糸が張り巡らされ、まるで長年放置された廃墟の様になっている。また、周囲の視界は非常に悪く、アリシアやエレクの姿は視認できない。
ただそんな事よりも、今はアイシャの容体の方が気になった。
ジークはすぐさま、周囲の糸を切り裂いて、彼女を床に横たわらせる。そして、彼女の体を見回した。
彼女の腹からは依然として真っ赤な鮮血が流れ出ていたが、他に傷はみられない。どうやら、糸はジークの体を突き破りはしなかった。
それに、辛うじて彼女の意識はある。
彼女は息も絶え絶えに、苦し気な表情でジークを見つめ返してきた。そんな彼女に対し、ジークは語り掛ける。
「アイシャ、遅くなって済まなかった」
すると、彼女も謝罪を述べてきた。
「ジーク……。ごめん……うちじゃ、何の役にも立てやんかった……」
それにジークは頭を振る。
「いいや、お前はよくやってくれたさ。よく、あいつの足止めをしてくれた。お前の行為は決して無駄なんかじゃない」
そこで、アイシャは虚ろな目でありながらも、笑みを見せてきた。
「珍しく、気の利いた事を……言ってくれるやない」
ただ、それにもジークは首を横に振る。
「いや、本心からそう思っているんだ。だから、お前はあと少しだけ頑張ってくれ。すぐに終わらせてくる」
ジークは彼女に優しく言い聞かせる。するとアイシャは、おもむろにジークへと手を伸ばし、頬に触れてきた。
「うん……もう少しだけ頑張る。だから、手を貸して……」
それを聞くと、ジークは力強く頷き、彼女の手を握る。
「ああ、任せろ」
そして、ジークはアイシャの腕を離し、ゆっくりと立ち上がった。それと同時に、どこかにいる筈のアリシアに向けて言い放つ。
「アリシア! お前なら無事だろ? この鬱陶しい糸を蹴散らしてくれ!」
すると、ジークの後方より返事が返ってくる。
「今、そうしようと思っていた所よ!」
そして、たちまち彼女の斬烈波が周囲の視界を切り開いていく。
やがて、斬烈波はこの部屋の奥にまで届くと奴の居場所も明らかとなった。奴の姿はは壇上にある。しかし、先程まであった苦し気な表情はどこにもない。奴は、元の蔑んだ表情へと戻っていた。その要因は、奴の左腕に抱えられたミーシャの姿。エレクは、またしても人質をとってきたのだ。
その姿に、ジークは呆れ果てると共に、嫌味を放つ。
「また、人質か……。それしか芸がないのか?」
すると、奴は開き直り
「はっ! 何とでも言うがいい!! 君たちに構ってやる暇などない。このまま、僕を見逃すというなら、命までは取らないで置いてやるよ!」とふざけた事を告げてきた。
しかし、ジークはそれを一蹴する。
「それが交渉の条件になるとでも? お前がミーシャを殺せば、飼い主との契約は破綻するんじゃないか?」
ただ、奴はそれを聞くと急に笑い出す。
「はははっ……。ああ、そうだよ。だが、君たちにただで捕まるのも癪だからね。僕を捕えようとするなら、この女を殺して君達に深い絶望を与えてやるよ」
そう告げると、奴は糸を彼女の首に巻き付けてきた。それと共に、声も出せないミーシャが苦し気な表情を浮かべ出す。
その様子にジークは、苛立ち混じりに言い放つ。
「そこまで堕ちていたとは……。惨めだな」と。
そして、アリシアも言い放つ。
「最低ね。同じ天使として恥ずかしい限りだわ。あなただけは、絶対に許さない!」
しかし、二人はそう告げはしたものの、奴のその発言により手出しが難しくなってしまった。奴は追い詰められた事により、自棄になっている。今の奴なら、本当にそうしでかねないと思わざるを得なかったのだ。
すると奴は、勝ち誇った様な笑みを浮かべ
「そうだよ。そのままジッとしているんだぞ? 僕がここから出ていくまでな」と言い放ってくる。
そして、奴はミーシャを抱えたまま、ゆっくりと後ろに下がり出した。出入口はジーク達が抑えている筈だが、奴の事だ。どこかに抜け穴を用意しているのだろう。
その様子をジーク達は、歯がゆい思いのまま、ジッと睨みつける事しかできない。
しかしその時、突如として奴の背後より黒い靄が浮かび上がった。そしてそれは、一瞬で鎧の形を成していく。
それにエレクは
「ッなに!?」と驚き、酷く取り乱す。
想定外の事態。ジーク達ですらアイシャの鎧が現れる事など予見していなかった。
そして、奴はすぐさま前方へと飛び退こうとする。
だが、奴が躱すよりも早く、鎧の剣は眉間を捉え振り下ろされていた。
そこで、エレクは咄嗟に右の掌で受け止めてしまう。
すると、エレクの掌は抉れ、激しく血が飛び散っていく。
「グゥッ……!! アイシャ・アスモデウスッ!!! ふざけた真似をッ!!!! 宣言通り、君の妹は殺すッ!!!」
奴はそう叫ぶと、左手を僅かに動かし糸を操る素振りを見せくる。奴は今にもミーシャの首をへし折ろうとしてきたのだ。
だが勿論、この機を逃すジーク達ではない。
すでに、ジークとアリシアは奴のすぐ傍まで駆け寄っていた。
そして、すぐさまジークは懐へと入ると、ミーシャの首へと伸びていた糸と奴の左手を切り裂いて見せる。
「アグアアアアアッ!!! いてええええええッ!!!!! いてぇなァッ!!!!!!」
奴の断末魔と共に左手は体から切り離され地面へと落ちていく。それにより、ミーシャの体も奴の魔の手から解放された。そこでジークは、一先ず彼女の確保を優先させる。ジークは彼女を抱き寄せると同時に、奴から距離を取ろうとした。
しかしその時、奴は深手を負っていたにも関わらず、
「ウグアアアアッ!!!! させるかよォッッ!!!!」と叫びつつ頭上から糸を撃ち放ってきた。
すると、鎧の体は再び縛り上げられ、地面へと崩れ落ちていく。それと共に、ジークとミーシャの下にも鋭く細長い糸が無数に迫り来た。
それには、意表を突かれる。左手を落とせば奴の戦意が削がれるだろうと思い込んでいた。だが、奴は思いの外、意地をみせてきたのだ。
そして、ミーシャの身を糸から守るだけの時間はすでになかった。
しかしそこで、後方より凄まじい突風が吹き荒れる。アリシアの放った斬烈波。それは、3本に別れ、ジークの身を少し傷つけながらも、糸を確実に切り裂いていった。
また、それだけに止まらず、斬烈波は勢いよく奴の下へと向かっていく。奴が、それから逃れる事などできやしない。
「くそおっ!!! なぜ!? なぜ、この僕がこんな目に!! 合わなければいけないんだよぉ!!!!?」
奴は必死に顔を覆い、自身の犯した悪行を省みる事もなく、身勝手な事を漏らしていた。
ただ、それも空しく、奴は全身を切り裂かれていく。
「グハアアアアッ!! ウグゥアアアアアッ!!!!!」
奴は腕や足、胴体から血を流し膝を突いた。そして次の瞬間、奴は遂に地面へと倒れ込む。
ジークと同様に痛ましい姿。
それでも、奴は地に伏せながら、すぐ目の前まで迫りきたジークとアリシアを睨みつける。それと同時に、奴はアイシャの方を一目見てきた。
「ウグアッ……! いつの間に!? いや、それ以前に彼女からここまで靄は延びてはいなかった筈だぞ!? 一体どうやって僕の背後に鎧を作り出したんだ!?」
エレクはそんな疑問を口々に呟いている。
確かに、奴の言う通り、真っすぐ靄が伸びていたのなら、誰でも気が付く筈だ。
しかし彼女の靄は、エレクの下へと真っすぐ向かっていたのではない。靄は糸を伝い天井裏へと延ばしていた。それを彼女は、気取られない様にジッと地面に倒れ込んでいたのだ。
エレクはそれに気が付くと、苦し気な表情を浮かべ呟いた。
「クッ……。そう言う事かッ!? 僕の糸は、またしても利用されたのか!? ふざけた真似をッ!」
ただ、奴は悪態を吐くだけ。最早、万策尽きたのか、寝ころんだままジーク達を睨みつけているのみ。
長きに渡る奴との戦いに、ようやく終止符が打たれたかの様に思われた。
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