1章 忍び寄る糸が意図するものは……

1話 いつもの朝と学園への道すがら

 カーテンのない大きな窓からは薄明かりが漏れこんできている。広い部屋であるにも関わらず、ベッドが一つポツンと置かれているだけ。そこはどこか物悲しい空間であった。

 そんな中、バスローブ姿の少女が部屋へとゆっくり入り込んでくる。そして、彼女は腰まで伸びた細く艶がある薄紫の髪を揺らしながら、音を立てないようにベッドの傍らまで忍び寄ってきた。

 すると、彼女はベッドに横たわる人物を覗き込むと艶のある声で

「ふふふ、可愛らしい寝顔ですわぁ」と囁いた。

 そこにいたのは、スヤスヤと規則正しい寝息をたてるジーク。彼はとても綺麗な寝相で、寝返りすらうたない。

「こんなに気持ちよく眠っていると起こすのが申し訳なくなりますわ」

 少女は独り言を呟き、しばらく彼の寝顔を眺めていた。

 だが、次第に彼女は肌寒さを覚える。

「さむっさむっ、このままでは風邪を引いてしまいますわ」

 彼女は身を縮こませながら呟く。今は秋口であるが、朝方にバスローブ一枚でいるのは流石に体が堪えるらしい。するとそこで、彼女は何かを閃く。

「んー、そうだわ」

 そう呟きながら、彼女はベッドの端に手を掛けジークの隣に腰かけた。

「これは致し方ないことなのです。それに、気持ちよく眠っているジーク様が悪いのですからね?」

 彼女は勝手に人の所為にすると、それを免罪符に意を決した。そして、少女は布団を半分ほどめくりあげ、中へと潜り込もうとする。

 だがそこで、布団は突然大きくうねりを上げ彼女の体をのみ込んだ。それと同時に彼女は仰向けに寝転ばされる。

 彼女は急な事態に唖然としていたが、すぐに事態を把握することとなる。彼女に馬乗りとなったパンイチ姿のジークの存在を目にして。

「いつも言っているが……。寝込みを襲うなら、もっと上手くやれ」

 彼は少女の上に跨り、ため息混じりにそう告げる。そして、ジークは左手で彼女の体を押さえつけ、鋭く尖った右手を彼女の喉元に突き立てていた。それは、あと数センチで彼女のきめ細やかな肌を抉っていたであろう距離。

 そんな命の危機であったにも関わらず、彼女は

「ああんっ、ジーク様、大胆ですこと……///////」と嬉しそうにしていた。

 そこで、ジークは気が付く。布団越しにも伝わってくる大きくて柔らかな感触に。ジークは左腕で彼女の胸を押さえつけていたのだ。 

 しかし、ジークはその様子に深いため息を漏らすと、彼女の体から退き地面に足を付けた。

 それに、少女はなぜか残念そうに

「あ、あら? 続きはよろしいのですか?」と問いかけてくる。

 そこで、ジークは彼女の問いかけを適当にあしらう。

「ああ、腹が減った」

「もう、連れませんことぉ。でも、わかりました。朝ご飯の支度をしてまいります」

 彼女は口を尖らせつつそう言うと、はだけたバスローブを直し足早に部屋を出ていく。

 それは、まるで嵐のようであった。しかし、ほぼ毎日あんな起こされ方をしていたため、彼にとっては慣れた光景でもある。

 ああ見えて、彼女は本家よりジークのお世話をするために遣わされていた侍女であった。だが、ジークは彼女についてほとんど何も知らない。

 本名、身分、出身、天使か悪魔か人間かもわからない。本家でも彼女を見たことはなかった。分かっているのは彼女がミレイという名前を使っているという事と、18歳を自称している事だけ。そして、彼女の本来の目的はジークを監視、監督することなのだろう。 

 ただ、仕事は適確かつ迅速であったため、今朝のように仕えるべき主にちょっかいを掛ける事がなければ、文句は何一つない。

 ジークはそんなことを考えながらも、壁と一体になったクローゼットから制服を取り出した。ジークが着る制服は学ランと呼ばれているタイプの制服である。学園では天使と悪魔によって制服の種類が違う。悪魔は学ランとセーラー服であり、天使は男女共にブレザーとされていた。

 彼は制服に身を包んだ後、廊下へ出てリビングへと向かった。リビングは寝室よりもさらに広く、優に50畳はある開放的な空間であった。しかし、ここにあるものは、この空間に対し明らかに小さな4人掛けのテーブル一式と巨大なエアコンだけである。テレビやソファーなどの家具は一切ない。空間のほとんどが死んでいるような部屋であった。もったいない事この上ないが、ジークも好き好んで広い部屋に住んでいる訳ではない。ここは学園側がジークのために用意したマンションの一室である。それも、100階建ての高級タワーマンションであり、一階層一世帯の入居が想定された作りになっている為、広大な空間なのであった。

 そして、ジークがテーブルへと着くと、ちょうど朝食が出来上がったらしい。ミレイが食事を運んできた。今日はスクランブルエッグとソーセージにトーストである様だ。ジークはフォークを掴むとそれらにかぶり付いた。テーブルマナーなど気にすることなく。

 すると、ミレイは向かい側に腰掛け、

「お味はいかがですか?」とジークに感想を求めてきた。

 それに、ジークは答えようとするが、

「ああ、美味しい。だが……」と言葉を詰まらせる。

 味に対しては文句の付け所はない。ただ、彼女の格好に気が散ってしょうがなかったのだ。彼女はエプロンしか身に着けていなかった為。しかも彼女は、明らかにわざと豊かな谷間を見せつけ様と前屈みになっている。

 ジークはそれに目を逸らしながら「はしたないぞ」と窘めた。

 しかし、彼女はジークに挑発的な態度をとってくる。

「とか、おっしゃいつつも気になるのでしょう? さっきから視線が嫌らしいですよ?」

 ジークはその態度にいい加減煮えを切らし問い詰めた。

「お前……、主従関係をわかっているのか?」

 だが、ミレイは

「勉強不足かもしれません。ですから、わたくしに手取り足取り教えてくださりますか?」と胸元の布をヒラつかせながら答えるのであった。

 ジークはそれに対し

「こいつ……」と呆れて物を言い返す気にもなれないのである。

 なんでこんな奴を魔王は使用人として寄こしたのか甚だ疑問でしかなかった。

 だが、そんな彼女との生活は、すでに3ヶ月も経っていたのだ。特に、天使共の陰謀に繋がる情報を得られぬまま――


 やがて、食事をとり終えると彼らは学園へと向かおうとしていた。

「ジーク様、お荷物お持ちしますね」

「ああ、助かる」

 ミレイからの申し出を聞き、ジークは学生カバンを手渡した。彼女もジークのお供として学園に付き添い、授業を受ける。この学園に通う生徒の半数くらいが彼女の様な付き人を従えていた。そして勿論、ミレイは品のない恰好ではなく、きちんとした露出の少ない給仕服に身を包み、肩から斜め掛けされたボーチを腰に携えていた。彼女も、さすがに外での身のこなし方等の分別は弁えている。

――と思った俺が馬鹿であった。

 ジークがオートロック機能が付いた玄関の扉を開こうとした。

 その時、ミレイは彼の腕に抱き着き、それを静止してきた。

「ジーク様、いけません。わたくしの仕事ですので」

 そう言ってくると、彼女はジークの腕に抱き着いたまま扉を開けてきた。そして、二人はその状態のまま玄関を潜り抜けていく。

 すると、すぐ目の前は、どこぞの高級ホテルを思わせる煌びやかなエレベーターホールへと繋がっていた。そこには、10機ものエレベーターが備わっており、ボタンを押せば必ずと言っていい程すぐさま乗れる。

 そして、到着したエレベーターへと乗り込むが、未だに彼女はジークの腕を離さない。

「腕を離せ。そろそろ疲れてきた」

「えー、そんな重たいですか?」

「重いと言うか、面倒くさい」

「えー、それはそれで酷いですよー。でも、冷たくされるのも嫌いじゃありませんわ……///////」

 彼女は恍惚とした表情でそう告げてくる。

 だが、ジークはそれを無視し、無理やり腕を引き抜いた。

「ああん、もうイっちゃうんですかぁ?」

 彼女が何かを言っていたような気はしたが、ジークはそれに取り合わずエレベーターのパネルへと手の平を翳し“1F”と書かれたボタンを押す。すると、エレベーターは一瞬のうちに70階もの高さを下り、一階エントランスへと辿り着いた。

 そこも相当広く華美な装飾が施されている。そればかりか、コンビニや飲食店なんかのテナントも多く入り込んでいた。

 ただ、ジーク達はそれらには脇目もくれず、すぐさま正面玄関から表へと向かう。

 すると、すぐ目の前に大きなロータリーが広がっており、そこにはタクシーやら黒塗りの高級車やらが数台待機していた。

 そこで、ミレイは右手を上げ、タクシーを呼び寄せる。

 そして、ジークは目の前に停車したタクシーの後部座席へと乗り込んでいく。それと共に、「学園へ」と運転手の男に告げた。

 すると、運転手はジーク達を睨みつける様な素振りを見せたが、すぐに目を逸らし、ただ頷いていた。また、運転手はミレイが乗り込むのをミラーで確認すると、すぐさま走り出していく。 

 ジークはその態度に疑問を抱くが、彼の左頬に刻まれた“1023”という数字を見て納得する。彼は『人間』であった。それも、この自治区によって管理されている人間だ。

 人間が悪魔や天使にこの様な態度を取れば、最悪処刑もありえる。しかし、ジークは彼を責める気になどなれなかった。それは慈悲などではない。

――先の大戦の主戦場とされた人間界は多くの大地で激しい戦闘が繰り広げられた。それにより、人類は4分の3もの犠牲を払うこととなったのだ。さらに、ほとんどの土地は天使や悪魔に取り上げられ、自由をも奪われた。

 そこで、ジークは車窓から流れる景色を見た。巨大なビルや工場の間を車は走っている。この土地はかつて人間の物だった。しかし、今や全てが天使と悪魔の所有物だ。勿論、物だけでなく人も。このビルや工場の中では多くの人間が天使や悪魔のために働かされている。半ば強制的に。

 天使と悪魔のお偉方は人類の保護と謳ってはいたが、人類から見れば我々は侵略者としか見えない。当然、彼も我々のことを快く思っていないのだろう――

 

 やがて、車はビル群と工場群を抜けて海に掛かった巨大な橋の上を渡っていく。そのすぐ隣にはモノレールも走っている。そして、向かう先には巨大な島とその上に整然と佇む巨大な建築物が見えた。その建築物は異様で、中心に見える5本の細長いビルを覆う様に巨大なコンクリート塀が建てられている。それはまるで、要塞の様な頑強な造り。

 学園にしては異質な建造物であったが、これがジーク達の通うフロンティア学園の姿である。ここに、およそ1万もの悪魔と天使が通っていたのだ。

 そしてジークは、この光景を前に、思わず心の声を漏らしてしまう。

「何か有力な情報が転がっていればいいが……。碌でもない事ばかりでは敵わん」

 すると、ミレイは両腕を広げ慈愛に満ちた笑みで

「泣きたくなったら、わたくしの胸をお貸ししますからね?」と言ってきた。

 しかし、ジークはそれに対しそっぽを向き、

「ほんとに、これ以上碌でもない事が増えたら敵わんな」とため息を漏らした。

 そんなことを話しているうちに、タクシーは学園前のロータリーへと停まる。

 そこで、ジークは運転手に真っ黒なカードを見せ、それをスキャナーへとかざす。このカードは“特使証”と呼ばれ、天魔共同自治区内に外交や就労や留学目的で滞在する予定のある天使と悪魔に配られる身分証明証兼マネーカードの役割を担っている。そして、この特使証で支払った生活費や交通費などは共同自治区が肩代わりしてくれるといったものであった。

 当然、人類が発行できないものであったため、彼からはあまり良い顔をされない。

 そして、二人は車から降りるとタクシーは猛スピードでこの場を走り去っていった。

 ジークはそれを尻目に目の前の学園へと向かう。やはり、近くで見ると壮観かつ威圧的な佇まいである。立ちはだかる壁はあまりにも高く、よじ登る事はできそうにない。さらに、その壁の周囲にも数人の見回りがいるのだった。

 そして、ジークとミレイは一先ず学園内に入るため、唯一の出入り口であるゲートへと向かった。

こちらにも当然の如く厳重な警備が施されている。ゲート前には屈強な悪魔と天使が10体も目を光らせていた。ゲート前に作られた天使と悪魔による長蛇の列を監視する様に。 

 どうやら、ちょうどモノレールが学園前駅に到着した所らしく、今が一番混雑している様であった。

「あらら、タイミングが悪かったですね」

「ああ、とりあえず並ぶか」

 ジークはそう言うと最後尾へと並ぶ。

 列には多種多様な悪魔と天使がいる。人型の者もいれば、馬の様な図体や大柄の獅子の様な者。さらには、最早形という概念のないゲル状の者や零体の者まで千差万別であった。そんな者たちが律義に列を成し並んでいる光景はまさに魑魅魍魎である。

 そんなことを考えていると、前にいた骸骨男がジークの存在に気が付いたらしく、こちらへ振り向いてきた。しかし、その骸骨は骨を小刻みに鳴らし、酷く怯え出す。

「あ、ジーク様……! 今まで気づかずに、も、申し訳ありません! どうぞ前へ」

 骸骨は震えた声でそう言うと、ジーク達に順番を譲ってくる。そして、その様子に気が付いた他の悪魔達も彼に倣い道を開けてきた。

 サタン家は魔界の中では一番の名家であると同時に畏怖の対象でもあった。だから、こんな風に恐れられたり、順番を譲られたりするのは日常茶飯事である。

 ジークは正直この光景を快くは思っていなかった。だが、魔王の息子と言う立場は本人の意思ではどうにもできない。それに、彼らの行いを無下にするのはそれはそれで失礼なことだ。

 ジークは不本意ながらも多くの者を抜かし悪魔の先頭に立った。前には天使達しかいない。天使は当然の如く悪魔の習わしなど意に介さないため、ジークのことなど素知らぬ顔であった。だがむしろ、こういう態度の方が好ましいとさえ思うのである。

 やがて、列の先頭へと到達した。そこで、ゲート管理官に特使証と生体認証などの確認が取られる。それで、やっと学園内に入ることが出来た。ここまで厳重な警備が施されているのは、学園設立当時に不審者にが侵入する事件があったためだ。

 それはさておき、学園内部は壁に囲われているにも関わらず、非常に明るい。それは学園内の壁や街頭や地面からと無数に照明が付けられていたのと、壁一面には鏡が張られていたお陰であった。さらに、地面と上空はほぼ全面がガラス張りで、それぞれ空とライトアップされた海がよく見える。それにより、開放感も十分にあった。しかし、上空に関して言うことはないが、地面は海面に吸い込まれそうで少し恐怖を覚える。

 ただ、ガラスは強化ガラスであり、魔術にも耐えうる代物であるらしい。

 そんなガラス張りの床をジークとミレイは正面に聳え立つビルに向かい歩いていく。そこが、学園の校舎に当たる場所であったのだ。そこまでは、3分ほど真っすぐ進めば到達できる。

 そして、壁の外からは5本ものビルに見えていた建造物であったが、実際は5階部分まで正五角形で一つに繋がっていた。その正五角形の頂点から細長い建物が同じ高さで5本、天に伸びている構造であったのだ。その高さは20階にも及ぶ。また、この建物を上から見ると、正五角形の底辺が正面ゲートと向き合う様に建てられていた。やはり、校舎にしては異質な建物。

 ただ、そこにばかり目が行くが、向かう途中にも目を見張る物体がある。それは、ガラス張りの奇妙な噴水だ。海中からくみ上げた海水を断続的に吹きあげ、5本の水の柱を作り上げている。それは、正面のビルを模していた。その噴水は確かに綺麗で圧巻だが、周囲は海水の所為で磯臭い。

 ところが、そこでジークは遠巻きに、不振な動きを見せるブレザー姿の人物を目にしてしまう。そいつは、目がくらむ程に眩い天使の輪と、神々しい輝きを放つ白い翼を携えた女天使。さらに、肩まで伸びた金色の髪が光沢を放ち、一層彼女を明るく照らしている。

 その所為で、人の往来が多い場所であるにも関わらず、そいつのことは一目でわかった。 

 また、ただでさえやたらと目立つのに、彼女は噴水を通りがかる人物を睨みつけているのだ。異質じゃないわけがない。

 そして、ジークはそいつをよく知っていた。いや、この学園の学生なら知らない者などいない。三大天使、天界3大名門家が一つ、ミハイル家の長女アリシア・ミハイルである。

 そして、彼女が探しているものは―― 

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