5話 迫り来る脅威

 その後、教室へと戻ったジーク達は3限目の授業を受け終わり、放課後を迎えることになった。それと同時に、アイシャとミーシャの二人は足早に教室から出ていく。その行動の速さは、エレクが呼び止める間もない程。

 

だが、彼は焦る素振りや、追いかける素振りも見せない。ただため息を漏らし、筆記用具などをゆっくりカバンに仕舞い込むだけで。その内に何を秘めているかは読み解けない。しかし、ミーシャを諦めたわけでもないのだろう。彼は何かを企んでいる。

 

ジークは椅子に腰かけ様子を窺っていると、不意に後方から声を掛けられた。 


「わたくしは夕飯を買ってから帰りますが、ジーク様はどうされます?」

 

ミレイがそう問いかけてきたのに対し、


「俺も少し寄るところがある」と答えるジーク。


「あら、そうなのですね。遅くなりそうですか?」


「そうなるかもしれん」


 ジークはそう告げつつ、エレクを目で追う。彼は、ちょうど教室から立ち去ろうとしている所であった。


 そこで、ジークは席を立つ。


「俺は先に行く。飯は先に食っててくれて構わないから」


 そう言い放ちながら、足早にジークも教室を後にしていく。


 するとその最中、

「はぁい……、わかりましたよー」

と答えるミレイの不服そうな声が微かに聞こえてきた。


 しかし、今は彼の後を付けることに集中する。ジークは彼の動向を監視するのと、あわよくば彼の裏にいる者達へと近づくため、尾行することにしたのだった。

 



 エレクは大勢の学生と共に校舎を出ると、ゆったりとした足取りでゲートを潜り抜け、ロータリーへと出ていった。すると、黒塗りのリムジンが彼の前で停まる。どうやら、エレクは自身が所有するリムジンで送迎されているらしい。そして、彼は後席に乗り込むと、すぐさま走り去って行ってしまった。


 そこで、ジークも急いでタクシーに乗り込み、リムジンを追いかけるよう指示を出す。


 それに対し、運転手の人間は怪訝な表情を見せたが、一応指示には従ってくれた。


 リムジンは学園へと繋がる橋を抜け、高層ビル群と工場群が立ち並ぶ、車通りの多い通りをひたすら走り抜けていく。 


 やがて、煩わしい程に広がっていたビル群と工場群の姿も見え無くなっていた。その代わりに、周囲は雑木林に取り囲まれる。また、道幅はあるものの、長いこと補修されていなかったのか所々アスファルトがめくれあがっていた。さらに、進路は右に左に大分入り組んだ造りになっている。そのため、車通りもない。


 ジークは雑木林に入っていく前に、運転手にリムジンとの距離をかなり開けさせるよう指示を出した。一応、後を追っているつもりだったが、リムジンの影も形も見えやしない。


 それに、この先に何があるのかも知らなかった。周囲の光景からは建造物があるとも思えない。


 そこで、ジークは運転手の男に問いかけた。


「この先に何があるか知っているか?」


「いやぁ、なんもないと思いますよ。なんて言ったって、少し行けば『不浄地帯』に出ますからね」


 彼はそう答えてきた。『不浄地帯』とは、先の大戦で広大な荒れ地や焼け野原となったまま、復興もされず放置されている地帯の事を言う。人間界にはそう言った土地が数多くある。いやむしろ、天魔共同自治区みたいな、かつての都市の面影や草木を残す地の方が珍しいまであった。


――それはさておき、エレクはそんな場所に何をしに行くつもりだ? 

 ジークは奴の住居がどこにあるのかを知りはしない。だが、こんな辺鄙な場所に居を構えているのも不自然だ。もしや、尾行に気づかれたのではないかと考える。


――俺を撒こうとしているのか? それとも、人気のないところに誘い込もうとしているか?


 しかし、ここで尾行を止めるつもりはない。


 やがて、道は右と左の二手に分かれた。そこで、ジークは車を止めさせ車外に出る。

二つとも似たような道だった。そして、どちらにもタイヤ痕が残っている。


 ジークはその跡に手を当てた。


――五感強化【ファイブセンス・アクセラレーション】


 少しして、ジークは二つの痕跡を調べ終えると車内へと戻り、


「右だ。微かに熱が残っている」と指示を出す。


 すると、またしても分かれ道が現れる。ジークは再度痕跡を調べながら、リムジンを追いかけていく。そんなことが何度も何度も繰り返された。


 そして、しばらく進むと舗装もされていないような狭い林道へと出た。そこは、最早車が通るような道ではない。草木生い茂る荒れ果てた道。どちらかというと、獣道に近い。


 その光景にジークは道を間違えたかもしれないと思っていた。運転手もまた不安そうな表情。


 しかし先を抜けると、かなり開けた場所へと出た。それも、雑木林の中に忽然と現れた学園の敷地並みに広い空間であった。それは、林を切り開き造られた広場である様だった。地面には大量の砂利が敷かれている。さらに、この広場の奥には巨大な建築物も確認できた。それは、全体を石垣に覆われた荘厳な屋敷。見るからに怪しげなその屋敷は物々しい雰囲気で見る物に威圧感を与えていた。また、屋敷には石垣よりも高い場所から広場を見渡すことのできる物見櫓(やぐら)らしき物も見える。さらに、屋敷へ入るには正面に見える重厚そうな両開きの鉄門を潜る必要がある様だ。そしてその真下には、あのリムジンが止まっていた。どうやら、リムジンは門が開くのを待っている様子。


 そこで、ジークは運転手に通りまで後退させるように指示した。次いで、彼はおもむろに携帯番号が書かれた紙を運転手に手渡し


「何かあったら連絡してくれ。それと、金は待機させている分も支払う」

とだけ告げて車から降りる。


 それに対し、運転手は何か言いたげな表情であったが、ジークは全く取り合わずに雑木林の中へと入り込んでいった。そして、雑木林の中から屋敷の周囲を窺う。


 ちょうどリムジンは動き出し、鉄の門を潜り抜け、中へと入っていくところだった。リムジンが通り抜けた後、門はゆっくりと閉まり、その正面には門番が二人付いた。


 また、石垣の周りにも警備の者が数名巡回している。それと、物見やぐらにも人らしき者の姿があった。かなり厳重な警備の様だ。夜間ならともかく、日中の接近は厳しい。これで、広場に身を隠せる物があるなら接近のしようもあるのだが。


 ところが、広場は見渡しがいいこと以上に厄介な問題があった。それは、リムジンが入り込むと同時に張られた無数の透明な糸。広場には、目を細めなければ分からない程に細い糸が隙間なく張り巡らされたのだ。それも、一本一本を目で追って行くと、屋敷を完全に覆い込んでいる事が窺えた。まるで、糸で出来たドームの様に。


 これは間違いなくエレクの天の御加護であり、侵入者検知用か排除用のトラップと言ったところであろうか。なんにせよ、回避は不可能に近い。


 そして、なんでこんな厳重な警備を施す必要があるのか? それと、ここがなんであるのか? どうにも、きな臭い。


――屋上での電話……、あいつは急かされていた。それに、あいつは会話を盗み聞かれたことに焦っている筈。早急に何らかのアクションを起こしてくるだろう。


 ジークはそう確信し、ここでエレクを張り込むことにしたのだった。




 あれから、3時間くらいが経過していた。日は傾き始め、雑木林には鬱蒼とした気配が漂い出す。しかし、エレクが動き出す気配はなく、屋敷からも何ら動きがない。この3時間で得られた情報はほとんどなかった。一つあるとすれば、ジークの尾行がバレてはいないという事だけ。


 それでも、ジークはまだ張り込み続ける。彼は一晩中でもこの林の影に身を潜めるつもりであった。だが、これ以上運転手を待たせ続けるのも忍びないと思い、一先ずタクシーへと戻ろうとした。


 するとその時、ジークの携帯に着信が入る。


 ジークが画面を確認すると、そこには知らない番号。しかし、このタイミングでの電話に少し嫌な予感を覚え、急いで電話へと出る。


「なんだ?」


「はぁはぁ、あ、ジーク!? よかった通じた!」


 それはアイシャの声であった。そして、彼女は声を押し殺しつつも、まくし立てるように話しかけてきた。どうやら、彼女は相当焦っている様子。


 そこでジークは、嫌な予感を確信へと変えた。


「何があった?」


「今、追手に追われてて、何とか身を隠しているんやけど……」


 ジークは会話を交わしつつも、急いでタクシーへと戻る。


「どこにいる?」


「今、えっと、橋の下に隠れてて……ここはどこやっけ?」


 彼女は電話越しに誰かに問いかけている。おそらく、ミーシャだろう。ということは、まだ彼女も無事ということ。


「あ、そっか。港の方。倉庫街。入り口に日の宮倉庫って書いてあったらしい」


「なんでそんなとこに? もっと人気の多いところに行け」


「そうしたいんやけど……。回り込まれたり、建物の中に隠れても、なぜかすぐに見つかってしまうんよ。そんで……気づいたらこんなとこにいたの!」


 それを聞き、ジークは不振に思いつつも、彼女たちが人目のつかないところに誘導されていることを察した。


「相手の人数は?」


「かなりの数やと思う。それに、相手には手練れっぽい天使もおった。私の魔術がほとんど効かんような……」


「そうか。で、『治安局』には通報したのか?」


「うん。けど、悪戯電話と思われてるかも……」


 『治安局』とは、天魔共同自治区内における警察組織の様な存在であった。主に、天使や悪魔のいざこざの対処を専門とする組織である。だが、彼女の話によると転々と移動しているため、悪戯と思われるのも無理はない。


 そこで、ジークはタクシーへと辿り着いた。そして運転手に


「大至急、日の宮倉庫へ向かってくれ」と告げた。


 運転手は散々待たされた挙句、戻ってきて早々そんなことを言われたものだからキョトンとしていた。しかし、ジークは語気を荒げ命令する。


「早くしろ!」


 運転手はその態度に不満を述べたそうにしていたが、一応は従ってくれた。


 そして、ジークは話を電話の内容へと戻す。


「今すぐ向かう」


 彼女はそれを聞くと驚いていた。


「え? 来てくれるん?」


「は? お前はそのために、連絡してきたんじゃないのか?」


「え、だって、あんたは何かあってもなくても連絡しろって言ったやん。それに、こんなこと信じてくれるのは、あんたくらいしかいないと思ったから……」


 彼女は歯切れが悪そうに答えてくる。


 それに対し、ジークはため息を漏らし

「助けは必要ないのか?」と問いかける。


「それは必用やけど……、こんな危険なことにあんたを巻き込めない」


「そうか。なら、俺は勝手にこの件に首を突っ込ませてもらう。連中の正体を知りたいからな」


 ジークがそう告げると、アイシャは押し黙ってしまった。


 そこで、ジークは


「とりあえず、着いたら連絡する。それまでは何とか耐えろ」

と言って一方的に通話を切ろうとした。


 しかし、彼女はそれを制止してくる。


「待って。このまま繋いでてもいい?」


 その声はとてもか細い。詳しい状況は分からんが、二人は相当怖い思いをしたのだろう。


「構わんが、気の利いたことは言えんぞ」


「知ってる。やけど、その方が安心できるから」


 アイシャは弱々しくもそう答えた。


 すると、普段無口なミーシャが震えた声で口を挟んでくる。


「ねぇ、お姉ちゃん。私の事はもういいよ……。お姉ちゃんだけでも……」


「馬鹿言わんといて! あんたを見捨てるなんて死んでもできやん」


 アイシャはそう力強く答えたところで、二人は急に会話を止めた。


 それに、ジークは訝しんでいると、彼女から

「ちょっと、黙るね」と早口で告げられる。


 すると、急に電話の向こう側は慌ただしくなった。


 電話越しでは状況がわからんが、足音と荒い呼吸、それに衣擦れの音だけが聞こえてくる。それは、彼女達が追手から身を隠すために移動している音だろうか。そこから、緊迫した状況が伝わってきた。


 ジークはその音にも耳を傾けつつ状況を整理する。


――エレクが話していた足の付く策とは、この現状でほぼ間違いはないだろう。だが、二人を追いかけている連中は何者だ? それに、エレク自身は屋敷から出ていない。自身では直接手を汚さないつもりか? なら、指揮を執るとはなんだったのだ? 

 また、アイシャ達を誘導するにしても、そう簡単な話ではない。建物の中に隠れられたり、予測のつかない動きをされた場合対処ができない筈だ。しかし、いとも簡単に彼女達を誘導できている。まるで、彼女達の動向が手に取るように分かっているかのような動きで。


 そこで、ジーは一つの可能性を思い浮かべる。


――もしや、施した細工というのは発信機のことか!? 


 しかし、それは現実的ではない。あの一瞬でそんな目立つものを取り付けられるとも思えない。それに、アイシャは全身を隈なくチェックしたと言っていた。なら、見つかっていないのもおかしい。だとすると、奴の能力。糸が発信機の代わりを担っているとか……?


 ジークは考え事をしていたが、不意にアイシャに話しかけられた事で我に返る。


「ねぇ、聞こえてる?」


「ああ、聞こえてる。無事か?」


「今はね。橋の上から話し声が聞こえてきた時はヤバいと思ったんやけど……。何とか倉庫までは移動出来たんよ。それに、内側からカギも掛けられたで、時間稼ぎにはなりそう」


 彼女は少し落ち着きを取り戻した声でそう言う。


「そうか」


 ジークはただ一言そう答えると窓から外を見た。


 徐々に赤い夕陽も色を失っていき、夜の闇が周囲を包み込もうとしている。そんな中、タクシーは市街地へと戻ってきていた。多くの車の間を縫い、猛スピードで走り抜けていく。目的地まではそう遠くはない。


「こっちはもう少しで着く」


 すると、アイシャは再び震えた声となり問いかけてきた。


「ねぇ……今更やけど、あんたならこの状況を切り抜けられるの?」


「さぁな。相手次第だ」


 それに対しアイシャは乾いた笑いを漏らしながら不満を述べる。


「あはは……何とも言えん返事やね……。嘘でもそこは任せろって言うところやと思う」


「言っただろう。気の利いたことは言えないって」


「そう、やったね。でも、怖くはないん?」


「ああ俺の心配はいらない。それより、自分たちの身を案じてろ」


「あはは、言えてんね。けど正直さ、私はあんたの事をいつも斜に構えてる捻くれた奴だと思ってたんよ」


「その評価はあながち間違いではない」


 その答えにアイシャは、再び乾いた笑いを漏らす。


「あはは、自覚はあったんやね。でも、あんたって意外と優しかったんやって気づかされた」


 それに対し、ジークは否定を入れる。


「それは気のせいだ。この危機的状況が幻想を抱かせているだけだ」


「そうなのかな? でも、幻想でもいいから私のお願いを聞いて欲しい」


 その言葉は妙に引っかかった。まるで、最期のお願いをするかのような言い方であったから。


「……何を言っている?」


 ジークがそう問いかけるのに対し、彼女は力強く言う。


「私の事はいいから、ミーシャだけは助けてあげて欲しい。それと――」


 しかし、彼女が何かを言いかけたその時、電話越しにキィィィィンッと甲高い金属音が鳴り響く。それも、金属が電動のこぎりの様な物で切り裂かれている音。


「おい? どうした? 大丈夫か!?」


「ごめん……。ここまでの様やね……。気づかれた……」


 彼女は力なく答える。それと、傍からはミーシャのものと思われる嗚咽も聞こえてきた。


 そして次の瞬間、多数の足音が迫りくる音と怒声が電話越しから鳴り響く。


「おい? おい! どうした!?」


 ジークは必死に呼びかけたが、通話はそこで途絶えてしまった。


 車は工業道路へと入り込んでおり、倉庫街はすぐ目の前に広がっていたが、一足遅かったようだ。


「……ッチ」

 ジークは苛立ち混じりに舌打ちを吐き、携帯を仕舞い込む。

 

 それと同時に、ジークは両手を力強く握りしめる。


――エレク。お前は作戦が順調に進んでいると思っているんだろうが……、そう甘くはいかんぞ。二人が連れ去られる前に必ず助け出してやる


 ジークは静かな怒りと共に心の中で誓いを立てた。

 

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