第31話 バックスピンスクラッチ

 頭をしこたま打ったらしい。失神のようなブラックアウトから、ジーンとしびれた頭が徐々じょじょに回復してくる。


 入間イルマだ。


「何すんだよ火馬ひま!」


 取り巻きが一緒だった。にらみつけてくる三人にかっぱらが立つ。めんどくせえ上にめんどくせえの上塗うわぬりだ。


 入間がのろのろと立ち上がる。俺に激突されて、完全にひっくり返っていた。これ見よがしにパンパンと砂を払う動作が嫌味いやみったらしい。


「すまんな、入間。よく見てなかった」


 立ち去ろうとするが、きにはばまれた。


「悪かったよ、入間。あやまってんだ……」


 言い終わる前に腹にパンチを喰らった。きょを突かれて、息が止まった。横隔膜おうかくまくがせり上がり、呼吸ができない。力の抜けた時に突き刺さるみぞおちへのパンチは実に苦しい。俺は身体をくの字に曲げて、呼吸を整える。


「なにすんだ……よ!」


 俺は入間の顔面にパンチを叩き込んだ。入間は立ったまま、俺のこぶしをまともに喰らう。ポケットに手を突っ込んだまま無表情だ。目深まぶかにかぶったヘアバンドの下の目が動き俺を見る。なんとこいつは俺のパンチを喰らって目をつぶらなかった。


「いてーな」


 俺は入間と向かい合う。こいつとはバチバチやってはいたが、ここまでまともにやりあうのは初めてだな。三体一さんたいいちか。勝ち目は1ミリもないが、引く気も1ミリもない。


 なぜならそれだけ鬱憤うっぷんが溜まってたからだ。俺は完全に頭にきていた。


「お前バカだろ」


 いきなりローキックを食らった。全く見えない。流れるような膝蹴ひざげりが腹に突き刺さった。警戒していたので、さっきほどダメージはない。だが一瞬動きは止まった。そのすきに背後から取り巻きに両腕を掴まれて、動作をふうじられてしまった。


 空手からてをやってるだけのことはある。正面からでは流石さすが太刀打たちうちできない。


「火馬ぁ」


 入間が顔を近づけてきた。


「お前がぶつかってきたから一発入れただけだぜ。おあいこなんだからすっこみゃよかったんだよ」

「わざとじゃねえんだ、あそこまでやられる筋合すじあいはねえな」

「こっちにも体面たいめんってもんがあんだ」


 入間が俺のみぞおちをパンパンと拳で打つ。軽くだ。だが、腹にひびく角度だ。


「三対一なのに突っかかられたら、そこまでめられてんのかとこっちもみがつかねえだろ。そういうのはサシんときにやれよ」

「そん時はそん時だぜ。お前らが三人がかりで俺をぶちのめしてみろ。お前らが一人でいる時をねらってやり返してやるぜ。順繰じゅんぐりに一人づつだ。覚えとけよ」


 俺は横の二人をチラ見して言った。取り巻きが膝で俺の尻をどついた。かなり痛い。が、痛いだけできはしない。


「お前ら校内では常に二人以上でつるんどくんだな。一人になったらやるぜ」

「だから……そういうのだっての」


 再び、みぞおちに一発喰らった。さっきより力を込めて。腹筋に力を入れてるものの、ズシンと内臓に響く。思わず顔をしかめた。


「まあちょうどいいぜ。お前には用があったんだ」

「?」


 入間が俺の耳元に唇を近づける。そしてささやいた。


「お前、由葉ゆばに何したんだ?」

「はああ!?」


 なんでこいつの口から沙希さきの名前が出てくるんだ? どいつもこいつも沙希、沙希、沙希、だ。そして誰もが俺を悪者にする。俺は完全に逆上した。


「お前らの知ったこっちゃねえだろうが!」


 怒りで身体がふくれ上がる感覚だ。両腕をあげたら、取り巻きどもがあっけなく吹き飛んだ。飛びかかろうとする俺の腹に、入間が前蹴りを叩き込む。


 そんなへなちょこ蹴りが効くかよ。


 俺がものともせず前に出ると、入間のまゆが寄った。油断してんじゃねえよ。その顔めがけて右腕を振りかぶって、叩き込む。


 と、そのつもりが……。


戌上いのがみ!」

ろう!」


 割って入った朗が、俺のパンチを喰らってひっくり返っていた。


「だ……だめだよ二人とも……喧嘩けんかはダメ」


 かなりまともに入った。ガツンとした感触が拳に残っている。どこの骨に当たったのだろう。コンクリを殴ったような感覚があった。俺は朗に大怪我をさせてしまったのではないかときもが冷える感覚を味わっていた。すっと顔から血の気が引く。


「あいたたた……」


 ところが朗はひょっこりと立ち上がった。ほおはおさえていたが、どこを殴ったのかわからない。全く跡が残っていない。


 俺は狐につままれたような思いだった。


「火馬、てめ……」

「待ったまった、入間くん……そして只野ただのくんも仁志ひとしくんも」


 入間とその取り巻きをせいして朗が言う。


「おちついて、学校で喧嘩はダメだよ。ね。ほら火馬くんも謝って」


 朗が俺の頭を掴んで無理やり押さえ込む。力を入れたと思えないのに、なぜかけることができない。


「はい、これでおしまい。おあいこだから、これで仲直りってことで……はいシャンシャン」


 あっけに取られる双方の前で、二回拍手すると、朗は俺を引きずってその場を離れてしまった。


「お、おい朗……」


 そんな俺の顔を見てため息をつく。


「ダメだよ、火馬くん。あんな風に人をなぐろうとしちゃ……」


 あ? 殴られたのは俺だぜ? それに一発しか返せなかった。どう考えても俺が損している。


「あんな思いっきり殴ったら大怪我しちゃうよ」


 お前はピンピンしてるじゃねえか。


「ぼくは身体が頑丈がんじょうだからいいけどさ」


 とりガラみてえな身体して何言ってんだこいつ……。とはいえ、俺はきもが冷えた。頬骨ほおぼねくだいたんじゃないかってくらいの感触だった。まあよくよく考えれば、高校生のパンチで骨が砕けるわけはないんだが、錯覚さっかくとはいえそれくらいの感触がしたんだ。思い出したらまた血の気が引いてきた。


「まあはたかれてたから、少しくらいはたき返してもいいと思うけどさ……。入間くんもあんなに手加減してたんだから、火馬くん、本気になっちゃダメだよ」

「ああ? あいつがそんな玉かよ。遠慮なく腹を殴りやがって……」


 俺は腹をさすりながら、悪態あくたいをつく。


「火馬くん頭打ってたでしょ?」


「あ、ああ。それがどうした」

「だから入間くん、頭をはたかなかった。あれで入間くん、気が回るんだよ」


 あ? 入間が? ほんとかよ、にわかに信じられねえ。


 そんな俺の前で、なぜか朗がクスクス笑い始める。


「それに、入間くんには火馬くんをはたく理由があると思うよ」

「ああ? なんだと!? ふざけるな、いくら朗でも……」

「入間くんはね、由葉さんのご近所さんなんだ。小さい頃から知ってて、幼馴染おさななじみらしいんだよね」


 それがどうした……と一瞬思ったが、あっとなった。


「これ以上は僕の口からは言えないけどさ」

「な、な、な……」


 入学以来、入間が俺に突っかかってくる理由って……。


「だから火馬くん、入間くんを許してやってよ」


 俺はすっかり毒気どくけを抜かれてしまった。

 入間のやろう、沙希にホの字だったのか!

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