第20話 対決2

 俺は飛びかかり、十字架を振りかぶる。そいつの胴体目掛けて突き出す。


 ――シュボウッ


 とっさにそれを払ったそいつの右手が、一瞬にして蒸発する。


「グギャUUUUAAAAAアァAGUFUグAAaaaa!!」


 そいつが全身をよじって叫び声をあげる。

 勝機しょうき

 俺はとどめとばかりに、十字架を叩きつける。狙いは心臓だ。


 ――バフッ


 布を振り回す時のような音とともにそいつは霧になる。俺は勢いのままつんのめる。ガンッと音がして星が飛んだ。コンクリ壁で頭をしたたかにぶつけたのだ。


「あがが……い……いてェ……」


 額の皮膚がこすれ血がにじんでいる。だが、それどころではない。おれは振り返ってそいつと対峙たいじする。

 そいつは身体を抱きしめるような姿勢でじっとしていた。うなだれて髪の毛におおわれた顔は見えない。隙だらけだぜ化け物。


 俺は雄叫びを上げて十字架を叩きつけた。が、感触がない。俺は戦慄せんりつした。

 そいつの身体に大穴が開いていた。俺の手がすっぽりと通り抜けている。


「ぬがあっ!」


 俺は手を引き抜いて再び、十字架を叩きつける。が、触れる寸前にそいつの身体に大穴が開き、俺の手は通り抜けてしまう。そいつは身じろぎもしない。俺は吠えながら、何度も繰り返す。だが、なんの感触もない。俺は手でなぎ払う。手が通り過ぎる。


「くおの!」


 俺は顔面に叩きつけた。


 が、顔面がぐにゃりと変形し、半円はんえんの穴が開く。さっきから、こいつは一歩も動いていない。それどころか指一本動かしていないのだ。ストップモーションのように動きを止めている。


 まるで空中に投影された絵のようだ。そのことがいっそう悪夢的恐怖に俺をいざなう。


 俺は飛び退いて距離を取った。この場から逃げ出したいが、逃げ道はそいつでふさがれている。おれはじりじりとそいつの周囲を移動しながら、路地ろじへの逃げ道を目指す。だが、甘い目算もくさんだった。


「ふう…………」


 そいつが顔を上げた。俺は身震いした。

 そいつはボロボロだった。身体がいびつにねじ曲がり、さっきまでピンピンだった黒のスーツが、体液で汚れ、立っているのが人の形とは一見わからないくらいだ。


 そして顔だ。


 目がめくれ上がり、牙をき出し、口で呼吸をしている。ごおごおと荒い息づかいがここまで聞こえてくる。


 獣だ。


 が、その異形いぎょうの目の奥に、理性の光が見えた。それが何より恐ろしかった。


「ごあ」


 そいつが口を開いた。そして何かを考えるように中を見つめる。


「ぐあ。ぐおおうあ。ぐが」


 しばし、があがあ、鳴いた後、あー、と声を上げた。それは人間の声だった。


「これでよし……と」


 人の声だが顔はまだ獣。俺は全身が凍りつき、動くこともできなかった。

 その身体が動いた。

 勝手に動いたのだ。もっと言えば、弾き飛ばされて、コンクリの壁に激突した。背中から衝撃が横隔膜おうかくまくに届き、俺は呼吸ができなくなった。必死で胸郭きょうかくを動かすが、ショックが筋肉から随意ずいい運動を奪う。あえいでも喘いでも空気が肺に入らない。全身を脂汗あぶらあせがつたい、身体が冷たくなる。


「まさかそんな隠し球を用意してたとはね……油断したよ」


 獣の顔が近づいてくる。いや、少しずつ、人間の顔に近づいている。ただ、さっきまでの作り笑いは消えていた。明らかな敵意の炎が瞳の奥に燃えている。


「きみをにえにするといったが、あれはやめだ」


 無くなったはずの右手首から何かが生えていた。尖っていて真っ白だった。きれいな白だ。その色は見たことがある。どこで見たかは言いにくいのだが、外出中、駅のホームから見下ろした線路の上だ。


 それは骨だ。

 とがった骨が俺を狙っている。


「きみはみせしめに使うことにしよう」


 震えが止まらなかった。目から涙がにじむ。腰が完全に抜けて立ち上がることができない。逃れようもなく死神が近づいてくる。俺はこれから化け物に生きたまま引き裂かれ、生命を絶たれるのだ。こんな最後が待っているとは、思いもよらなかった。


 ナンジャ。

 お前はこんな恐ろしい化け物と戦っていたのか。もし知っていたら、俺ももう少し覚悟を決めたかもしれないのに。

 もう少し力になってやれたかもしれないのに。


 そいつが右腕を振りかぶった。俺は目をつむった。

 その時、まぶたを貫いて閃光せんこう網膜もうまくを焼いた。


「うぎゃああーっ!」


 これは俺の叫び声だ。身体がしびれる。心臓が止まりかける。この衝撃を俺は知っている。何度も浴びた。とんでもない攻撃だが、今はまさに天の助け。俺は見上げた。


 フェンスの上に立ち、腕を組み、こちらを見下ろしている小さな姿。



「う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」



 それが身体をくの字に折り曲げる。片膝を内股に足でしなを作り、拳を握りしめた両腕を腹の前でクロスさせる。



「ナンジャーーーーーー!!」



 全身を弾けさせ、両手両足を広げ、拳を天に突き上げる。右の拳にはつえ。手足でエックスの形を描く。


 ナンジャだ。良い名乗りだ。ノリノリだ。た、助かった。


「ようもわらわの子分をなぶってくれたのじゃ」


 杖でポーズをとる。誰が子分だ。いや子分でいい。助けてくださいナンジャ親分。


「くらえ必殺のおぉ~~……」

 ナンジャがバトンよろしく杖を回す。


「サンダーーーーーー!!」


 ひねりのない技名とともに、閃光が炸裂さくれつした。


「グガアアアアアアアアア!」

「ぐわあああああああああ!」


 後者は俺の悲鳴だ。そりゃそうだ。ここまで接近していたら、雷のトバッチリは受ける。止まるな俺の心臓。二度も三度も死んでたまるか。


「ナンジャーサンダーじゃ」


 どうでもいいが語呂ごろが悪い。あとでかっこいい名前をつけてやるから、とにかくこの場をなんとかしてくれ。


「どうにか間に合ったようじゃの。あと一秒遅かったらおぬしを死なせとった」

「い、一秒……」


 ギリギリにもほどがあるわ。俺は寝そべったまま、ナンジャの足を見た。体が痺れて立てないのだ。

 ナンジャは緑色のクロックスをいていた。そのまま見上げる。ラクダ色のハーフパンツに、カラシ色のダボT。そしてドブネズミ色のバケツ帽をかぶっている。


 ナンジャ殺しの俺コーデやんけ。買った記憶がない。どうしたんだよそれ。


「服が汚れそうだから借りてきたんじゃ。おかげで遅れてしもうた」


 キリリとした横顔で言い放った。そうか俺の命は服より軽いか。ナンジャのキメ顔に突っ込む気持ちも起こらない。まあ、助かっただけよしとしよう。


「ナンジャ~~~~…………」


 杖を振りかぶると放電が周囲を照らす。バチバチと燃える火花で、ナンジャの顔が美しい。まさに救いの女神だ。


「サンダーーーーーーーーー!!」

「グガアアアアアアアアア!」

「んぎゃおおおおおおおお!」


 また俺ごとかよ。ちょっと褒めようとしたらこの始末。これには俺も突っ込まざるを得ない。


「おひ……はんは…………ひひはへふほほほ…………」


 舌がレロレロでツッコミにならなかった。全身がげ臭い。大丈夫か俺の身体。

 とはいえ、俺の横には黒炭こくたんのような化け物の姿。よろよろと立ち上がる。ボロボロだ。俺と違って直撃だからな。威力は段違いだ。


「ほう。まだ立てるかなのじゃ。度胸は買うが、その程度の血能けつのうでわらわの前に現れるは無謀千万むぼうせんばん


 やけぼっくいが背をピンと伸ばすと、フェンスに立つナンジャと視線が並ぶ。そんなバカな。そこまで背は高くなかったはず。見るとにょろりと背が伸びていた。ふたたび三日月が浮かぶ。笑ったのだ。恐ろしい光景だ。

 だがナンジャは余裕の笑みで見返し、杖を前方に伸ばす。


「天上の蜜。地の黄金。ゆごてもちてひらきたもう。しずく、受けたり。花、咲きたり。そはくしびのせん。あれはなちたり」


 杖が輝く。放電が髪をなびかせ、すそをゆらす。クソダサコーデに包まれながら、ナンジャが美しすぎる。そんなナンジャはろくなもんじゃない。俺は尻でにじって必死に距離を取る。



「ナンジャーーーサンダーーーーーー!!」



 ナンジャががなった。


 結局それか。その技名じゃあ、さっきのくそカッコいいポエムが台無しだよナンジャ。そして結局俺も巻き込むのね…………。

 俺はもう慣れっこの電撃を浴びた。途切れていく意識に、もうあらがう気はなかった。




 失神は一瞬だった。


 耳がボーッとなって聞こえづらかったが、身体はちゃんと動く。周囲を見渡すと、ナンジャがフェンスに張り付いてキョロキョロしていた。


「倒したのか」


 ナンジャが飛び上がって振り向いた。

「き、急に声をかけるななんじゃ。驚いたんじゃ。怖いんじゃ」


 さっきまで化け物と戦ってたくせに、声かけた程度で怖がるなよ。


「さっきのあれはどうなったんだ」


 ナンジャがうーんと眉を寄せる。俺はコキコキと肩を鳴らす。


「逃げられたようじゃ。しぶといのう」

「おいおい、それじゃあなんにもならんじゃねえか」

「それは心配いらん。あそこまで、身をがれたんじゃ。まともに動けるようになるまで一年か二年か、十年か……」

「……ほう、それはそれは……」


 不確定要素とはいえ、しばらくの安全は保証されるわけか。だが……。


「消し炭にするつもりだったんじゃが、おぬしに稲妻がれたせいかのう」


 口をへの字に結び、杖で頭をかくナンジャ。バケツ帽がぴょこぴょこ揺れる。


「でもまあ、思った通りの雑魚じゃった。一発当てただけでもうヨレヨレじゃ」

 嬉しそうに笑う。俺は立ち上がり言った。尻の砂を払う。

「そりゃ、俺が一撃くれてたからじゃねえか。俺のおかげだ」


 呆れたような表情で俺を見るナンジャ。口がぽかんと開いている。はあとため息を吐く。

「おぬしが? あるじに? 冗談は顔だけにしとくのじゃ」


 俺はチェーンの引きちぎれたネックレスを手の上で転がした。

「まあ、俺も半信半疑だったがな。十字架を持ってて助かったぜ。てきめんに効いた。かあちゃんありがとう」


 思い出して震えがきた。一秒遅れていたら死んでいた、というナンジャの言葉が嘘ではないリアルさで迫ってきた。俺は額の冷や汗をぬぐった。


「なーにを言ってるんじゃ。やつらに十字架が効くわけなかろう。嘘つけなんじゃ」


 なんだと?


「十字架など効かぬ。ただやつらはかつての迫害の記憶が強く、十字架というシンボルを魂の根っこの部分から憎んでおるんじゃ。それはもうアレルギーレベルの嫌悪感を示すんじゃ。その反応を見て、吸血鬼は十字架に弱い、という迷信が生まれたんじゃろうな。とはいえ……」


 ナンジャがくふふと笑った。


「それをつけておらねば、おぬし、今ごろ、土虫どむしえさじゃ。助かったの」


 笑い事じゃねえ。ただその話はあとだ。


「だが、現に、手がバーっと粉になって……」


 しげしげと見つめる十字架をナンジャが覗き込んできた。


「やはり何もないんじゃ。魔力も何も感じん。これはただの鉄のアクセじゃ」

「いやいやいや、俺は確かに……」

「嘘じゃなければ、夢でも見たんじゃ。恐怖で動転どうてんしてたんじゃ」


 ハァ? そんなわけが……。と思ったが、電撃バシバシ浴び続けたので、自分の記憶に自信がなくなってくる。


「どうなってんだ??」


 俺は腕を組んで頭をひねったが、らちがあかない。俺は考えるのをやめた。

 とりあえず当面の危険は去ったのだ。そのことに胸を撫で下ろした。

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