第5話 影との戦い 1

 幼女を風呂に叩き込むと、汚れた服を洗面所で流す。


「おい、小便たれ。着替えはここにおいとくぞ」

「い、言うななのじゃあ……」

「身体は隅々まで洗え。また部屋を汚されちゃかなわん」

「わらわに身体をみがかせてどうするつもりなんじゃあ……」

「やかましい! くだらないこと言ってないで、頭もよく洗えよ!」


 まったくどいつもこいつも、俺の周囲の女たちときたら……。俺は白いブラウスを持ち上げる。

 よく見ると薄汚れていた。昨日の泥がところどころ染みになっている。幼女なので臭いはさほどではないが、どうも何日も風呂に入っていないらしかった。

 本当に、なんだというのだこいつは。

 俺は汚れ物を叩き込むと、洗濯機を回した。


「ふい~~~~~~~~」


 ほどなく幼女が目を細め、タオルで頭をきしながら台所に来た。ホカホカと湯気が立っている。ぶかぶかのTシャツは俺のだ。


「良い湯じゃった。苦しゅうない」


 ずいぶん気持ちよさそうだな、てめえ、立場がわかってんのかおい。

 幼女は勝手に冷蔵庫を開けると、牛乳パックを手に取り、直接口をつけてぐびぐびやりはじめた。


「おい、ちゃんとコップに入れて飲め。口飲くちのみは行儀ぎょうぎが悪いぞ」

「ぷはー」

「あと歯を磨いたのか。歯ブラシがおいてあっただろう」


「口うるさいのじゃ……」

 幼女がジト目で俺を見上げる。


「お前はわらわのママなのかなのじゃ」


 カチンと来た。俺は羽交はがめにすると、幼女の口に歯ブラシを突っ込みかき回した。


「ママですよー。さあ歯磨きしましょうねえ、ゴシゴシゴシゴシ」

「むぎぎもごごんがが」

「ハミガキでお前の言葉遣いもきれいになるといいなあ」

「わ、わかりましたなのじゃ……」


 息も絶え絶えの幼女を解放すると、俺はキッチンに向かった。


「なにを作ってるのじゃ」

「あ?」

「ご、ごめんなさいなのじゃ……何をお作りになってますのじゃ……」

「パスタだ」


 家に帰ることを急ぎ買い物を忘れたため、ありあわせで夕食を準備せざるを得ない。


「パスタ!?」


 コンロを覗き込む幼女。材料を見て顔をしかめる。


「なんなのじゃこれは」

「うるさい、これしかないんだよ」


 茹で上がったパスタを、バターを引いたフライパンの上で、解凍した冷凍たらこと絡める。皿によそい刻み海苔をかける。カップスープを添えて完成だ。


「な、なんじゃ、これがパスタなのか! 具がないではないか!」

「嫌なら食うな。いただきます」


 俺は箸で食う。幼女にはフォークを渡してやった。幼女はパスタをフォークに絡め、クンクンと匂いを嗅ぎ、いやそうに口に運ぶ。


「な、なんじゃこれは!」


 なんじゃ、が多いなお前は。お前の名前はこれからナンジャだ。

 ナンジャはフォークで皿からかきこむように、パスタを頬張っている。一気に皿を空にするとスープを飲み干して天井を仰ぐ。


「う……美味いのじゃ……」

「それはなにより」

「お……おかわりくれぬか……」

「ほらよ」


 明日の弁当がわりに作り置きしたパスタをナンジャに与えてやる。むさぼるとはこのことだ。ハヒハヒ言いながらあっというまに皿を空にして、足りなさそうだったので俺のも分けてやる。


「これはなんなのじゃ」

「たらこスパゲッティという。日本の伝統食とパスタのマリアージュだ」

「たらことはなんじゃ」

「タラ……魚の卵だよ」


 そういうとナンジャは顔を青くさせた。


「さ、魚というと、あのヌメヌメして生臭く、死んだ目をした……」


 まあ、台所に来るときは大体死んでるな、魚。


「キャビアみたいなもんだ」

「キャ、キャビアか! うん! あれは良いものじゃな!」


 高級食材の話をしたら一気に機嫌が治った。現金なやつだな。


「満腹なのじゃ……」


 ナンジャは背もたれにもたれて、腹を叩いている。満足したようで何より。ちなみに俺はたらこスパゲッティは世界一美味いパスタだと思っている。


「ところでナンジャ」

「ナンジャとはなんじゃ」

「お前の名前だよ、俺がつけた」

「わらわはナンジャなどという名前ではない!」

「じゃあなんだよ」

「う…………」

 ナンジャは口籠くちごもった。


「魔法使いは、本当の名を敵に知られるわけにはいかんのじゃ……」


 魔法使いとは……。また大層たいそうな設定をぶっ込んできたなこのガキ。


「ならお前の名はナンジャだ。呼び名がないと俺がめんどくさい。小便たれとどっちがいい」

「どうせならもっと可愛い名前がいいのじゃ。チッコリーとかトロベンチカとかお花み……」

「や・か・ま・し・い」

「はいいぃ」

 ナンジャは震え上がって黙り込んだ。


「それで? お前は何者なんだ。そしてなぜ俺を殺そうとした」

「そ、それは……おかしいのじゃ、わらわの能力に間違いはない……なのにおぬしは…………」

「俺が?」

「おぬしはいったい何者なんじゃ……」

「俺はただの男子高校生だよ! 俺のことじゃない! お前のことだよ!」

「わ……わらわは見ての通り魔法使いじゃ」

「見てわかんねえよ」

「ほんとうにわからんのか……やはりわらわの勘違かんちがいじゃったか……」

「勘違いで土に埋められちゃ、たまらんのだがこっちは」

「じゃがおぬしは、おなごを襲っておったろう」

「は?」

「あの丘の木の上で、じゃ」

「はああ?」


 けやきの上の黒い影、真っ黒い獣。確かにあれは……。


「あれか……あれは俺じゃない……」


 俺は思い出してハッとなった。


「そ、そういえば女……襲われていた女はどうなったんだ」

「それは問題ないのじゃ。わらわが介抱かいほうして、記憶もいじっといた。いまごろ日常に戻っておるであろう」

「それはよかった」

 俺は目頭めがしらを指で押さえ、考え込んだ。


「つまり……お前はあの影を追っていたってことか」

「なのじゃ」

「あれは欅の上で俺と目があった。それで俺を追いかけてきた。追いつかれようとした時……」

 ぶつかり合った影を見た。なるほど。


「あれを追い払ったのはお前か、ナンジャ」

「……じゃな。じゃが、わらわはあれをおぬしじゃと思ったのじゃ。なぜなら……」


 ナンジャは唇を閉じ、うーんとうなり目を細め、困った顔で俺を見ると、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。


「わらわの勘違いじゃったのかのう……」

 足をバタつかせ、うんうん唸るナンジャが何を思い悩んでいるのかサッパリわからない。


「そうじゃ、もう一度試してみるのじゃ!」

 というとナンジャは杖を取り出した。


「今度は全力でいくのじゃ」

 あのヘンテコな木の棒だ。


「くらうのじゃ!」

 ナンジャは杖を振り下ろし俺に向ける。


「てあ! てい! とりゃ!」

 渾身こんしんの力でナンジャは杖を振り回す。変なダンスがしばし続く。


「はあはあはあ……どうやらわらわの勘違いじゃった……」

「それは最初からわかってんだよ」

「あやうく人殺しになるところじゃった……」

「さらっと言うな物騒ぶっそうなことを!」


 本当に危ないところだった。幼女に埋められるなんて、無念であの世にも行けねえぜ。


「それで、お前は誰なんだ、どこの何者なんだ?」

「わらわは……」

「おっと記憶を消すとかそういうのはナシだぜ。この家はいたる所に防犯カメラが仕掛けられてあり、記録データはクラウド保存され、セキュリティーサービスが定期的にチェックすることになっている。お前が何かすれば警備員が飛んでくるぞ」


 無論、口から出まかせだ。自分を守るため、念のため、嘘で保険をかけておかねばなるまい。横文字を並べておけば幼女など赤子あかごの手をひねるようなものだ。


 魔法使いなどと信じたくもないが、ナンジャはあの影を追い払っている。何かあるのは確実だろう。


「わらわは……」

 ナンジャはためらいがちに口を開いた。


「わらわはとある講社こうしゃの一員なのじゃ、せ、正確にはまだ一員ではないんじゃが……代々一族の生業なりわいというか、おきてに従って生きる運命というか、そういう家系に生まれたのじゃ……」


「説明が回りくどい」

 ピシャリと言うと、ナンジャが黙った。


「わらわは……」

「生業とは何だ」

「わらわは…………」


 その時だった。ドーンと何かが落ちて、俺は椅子から飛び上がった。屋根がぐらぐらと揺れる。

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