第6話 影との戦い 2

「来たのじゃ」


 ナンジャが杖を持って立ち上がる。


「これでおぬしの無実は確定じゃ」

「そんなことはわかってんだよ!」


 ガラスとびらを開けて、ナンジャが夜に飛び出した。俺もつられて追いかけてしまう。


「ついてくる必要はないのじゃぞ」


 非力ひりきなくせに足が速い。というか何だこの速さは。全力疾走しっそうなのに追いつけない。俺はきびすを返し、自転車にまたがる。

 あっという間にあの丘にたどり着く。ナンジャの前に黒い影がうずくまっている。

 黒い、熊のような大きな影だ。ナンジャが小鹿に見える。

 俺は恐怖も忘れ、ナンジャをかばおうと追いすがる。

 が、俺の手が届く前に、影がぐうっとふくらみ、ねるようにナンジャに襲い掛かった。

 その時だ。

 ナンジャが杖を空に向け、振り下ろした。



 シュボウッ!



 白い稲妻が影を撃った。空気が焼け、オゾンの匂いが鼻を突く。影は半身はんしんをいくつかの肉片にくへんに引きちぎられ、ころがり退ける。引きちぎられた大小の肉片に稲妻がまとわりつき、焼き尽くすまで続く。

 な、なんだこれは。これをナンジャがやったというのか。


「最初の一撃でいんを打つ。刻印こくいん彼奴きゃつさいなみ続ける……」


 飛び退いた影にナンジャがつかつかと近づいてゆく。恐れも知らず、傲然ごうぜんと。


「印から逃れるには、かえち、すなわち、わらわを殺すしかないのじゃ」


 再び杖を振り下ろす。影はからくもそれを避ける。影がまた膨らむ。いびつなはねを生やし、よれよれと飛び去る。


にがさぬのじゃ」

「おいコラ!」


 飛び上がろうとする、ナンジャの頭を鷲掴わしづかみにし、引き戻す。これは実に見逃みのがせない状況になっていた。


「ななななんじゃ」

「うるさい、なんだあれは」


 地面にはまだ、稲妻をまとってのたうちまわる影の肉片が転がっている。


「お前は俺にこれをやろうとしたのか」

「し、心配ないのじゃ、人間にはかぬ、家でみせたじゃろう」

「あーん?」


 見る間に稲妻は肉片をおおい尽くし、次々と消し炭に変えてゆく。

 ナンジャはそう言うが、俺の頭に引っかかるものがある。


 俺が受けた電撃はなんだったんだよ。


「もういいじゃろう、わらわは追うのじゃ」

「……俺も行く」

「死んでも知らんのじゃ」

「毒を食らわば皿までよ」


 巻き込まれたとはいえ、この顛末てんまつ。知らずにおけるか。

 ナンジャは自転車の荷台にだいに飛び乗った。俺の肩に手を置いて立ち上がったまま。


GOゴーなのじゃ」

「おい……」

 俺はしょうがなく、自転車を発進させた。


「妙なやつじゃな、自分から来ておいて、なぜ逃げたのじゃ……それにわらわはそんなに強い印を刻んだ覚えはないのじゃが……」

 走りながら、ナンジャが呟く。


 印とは、前日、俺が追いかけられた丘の前で影と交錯こうさくした時につけたものらしい。その印から逃れるため、ナンジャを追った影が、なぜか逃げている。ダメージも大きすぎるのだという。


「ま、加減を間違えたのじゃろう」


 ナンジャが杖を振った。

 雷光らいこう夜闇よやみつらぬく。半身を引きちぎられ、いびつな翼でよろよろ飛ぶ影に避けることはできない。

 ナンジャが自転車をおり、距離をめる。

 落ちた影が、背中を丸める。引きしぼられた翼がネジのようにねじれ、さきでナンジャを襲う。


「しゃらくさいのじゃ」


 影の攻撃は、残らず杖に打ち落とされ、ナンジャはすたすたと散歩のように歩を進める。


に落ちぬことはままあるが、これ以上、手間かけさせられるのはごめんじゃ」


 ナンジャの全身が燐光りんこうをまとう。暗闇に光り輝いてゾッとするほど美しい。


「おぬしは、わらわが何者かと問うたな。わらわは魔法使い。この世のことわりを正すもの。そして……」

 ナンジャの杖が光り輝く。高電圧の気体が電離でんりし、まばゆい光を放つ。プラズマだ。


「時にこのように害獣がいじゅう退治を引き受けておる。土地での呼び名はクルーニクス……」

 ナンジャが杖を伸ばす。プラズマが放電し、稲妻を放つ。稲妻が影を撃ち抜く。


「わかりやすい名で言うとバンパイヤキラーじゃ」


 雷光が影を包み、おおい尽くす。やがて光は消え、ずみが残る。その消し炭も崩れ、風に吹かれる。後には何も残らなかった。


「ぬしらに罪などない。いずれ……」

 ナンジャが目を伏せると、燐光が消える。


「わらわもまたちりに返るであろう」


 一件落着いっけんらくちゃく……が、俺はナンジャの首根っこをつかんでめ上げる。てめえふざけんじゃねえ。


「な、なにするんじゃあ」

「それはこっちのセリフだ、みろこのザマを!」


 俺の乗っていた自転車が黒焦くろこげで、煙が立ちのぼっている。杖からの放電で焼かれてしまったのだ。俺に直撃していたら火傷やけどじゃ済まない。


「死ぬとこだっだぞおい!」

「死んでも知らんとわらわは言った!」

「……言ってたな」


「ほらあ!」


 ナンジャは泣きながら抗議する。だが俺は容赦ようしゃ無くめ上げ続ける。


「人間にはかないと言ってただろう」

「あー……直接は効かないんじゃ……じゃが間接的かんせつてきにはそのう……」

「つまり昨夜の雷はやはりお前の仕業しわざということか……」


 俺はナンジャの細い首をきゅーっと締め上げる。


「死ぬとこだったじゃねえか!」

「かんべんなのじゃー!」


 ナンジャの叫びは天まで届いた。


 散々しかり飛ばされて泣き疲れたナンジャをおぶって家へとたどり着く。感電死させれられかけた俺に慈悲じひはないが、泣く子と地頭じとうには勝てん。しょうがない。軽いしな。

 玄関をくぐるとちょうどピーピー音が聞こえた。洗濯機の乾燥が済んだ合図だ。


「おら、洗濯が終わったぞ。今後こういうことがある時はちゃんとパンツをくんだぞ」

「夜だからどうでもいいのじゃ。どうせ見えんし」


 こいつは俺のTシャツ一枚でドタバタ走り回っていたのだ。ツッコミを入れようにも非常事態で、指摘する場合ではなかったのだ。


「とにかく洗濯物を回収しろ。シワになる前にたたんどけ」

「まったく口うるさいのじゃ……」


 ぐずぐずと泣きながら、とぼとぼ洗面所に向かうナンジャ。

 ふう、俺は疲れた。ナンジャがどいたら風呂に入ろう。その時だった。


「ウギャーーーー!」

「ど! どうした!」


 ナンジャの悲鳴ひめいに慌てて俺は洗面所に向かった。すわ、あの影か! と思ったらナンジャが俺のパンツを広げてワナワナ震えている。


「お、おぬし……おぬしというやつは…………」

「な……なんだ?」

「おぬしのパンツとわらわの服を一緒に洗濯したというのか!」


「…………………………あー…………………………」


「お主の不潔ふけつなパンツと一緒に洗濯されて、わらわはもう服など着れぬ! お気に入りのワンピじゃったのにぃ………………」


 はいはい、お前が着ているTシャツも散々、俺のパンツと一緒に洗濯しましたよ。大体、いちいち洗濯物を分けてたら…………


「水道代がもったいねえじゃねえか!」


 俺はナンジャを叩き出して、服を脱ぎ、風呂場のドアを開ける。

 そして空っぽの風呂桶ふろおけを見て呆然とする。あのガキ、風呂を上る時に桶のせんを抜きやがった……。


「水道代……」


 水道代もそうだが、全裸でカラの風呂桶を見下ろす気分のせつなさったらないぜ。

 あーあ。

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