第14話 WMにようこそ

 俺は朝から、玄関先だ。


 石壁いしかべに埋め込まれた御影石みかげいし表札ひょうさつをトンカチとノミで砕いているのだ。カンカンと迷惑な音が響くが、近所に気を配る余裕がない。


「うるさいのじゃあ」


 ナンジャがぼさぼさあたまで眠い目をこすりながら出てきた。Tシャツいっちょだ。おいおい、女の子がそんな格好かっこうで外に出るな。


「なにやってるのじゃー」

「表札をけずってんだよ」

「そんなことしても無駄なのじゃ。住宅地図で調べればパツイチなのじゃあ」


 住宅地図とかよく知ってんなオイ。


「それでもよう……しないより少しはマシかも知れんだろうがよう……」

いしに水というやつなのじゃあ……ふわあ」


 悪気のひとかけらもないナンジャに、怒りのほのおなどとうに燃え尽きている。俺は泣きそうだ。こいつのせいで、どんどん俺の命が危なくなってるのだが、キレる気力ももはやない。


 それにこいつは俺の命綱いのちづなだ。


 実に不本意なことだが、吸血の化け物とやらに対抗たいこうするにはこいつの力を借りるしかない。何としても、こいつを手元に置いておかねばならぬ。命がけだから俺も必死よ。ガシガシ表札を削って手がしびれてしまった。あんがいかてえなこれ。

 ある程度、文字が削れたところであきらめる。残りは表札屋に頼むことにしよう。名前が読めなきゃ上出来じょうできだ。


 家に戻ると、ナンジャが居間いまのクッションに埋もれていた。うつせでむにゃむにゃ言っている。大型のヨギボーだ。すっぽりと埋まってる。

 俺はナンジャにバスタオルをかけてやり、紅茶をれる。濃い目に淹れようかと思ったが、考え直して薄めに淹れる。温めたたっぷりのミルクで割り、砂糖を入れ、シナモンパウダーを軽く落とす。


 それをすすりながら、煮上にあがった鍋にパスタを落とし、菜箸さいばしでかき回す。で上がるまでに、レタスをちぎり水にさらす。千切せんぎりスライサーでニンジンをけずり、パプリカは薄切り、トマトはくし切り。ツナ缶を乗せてサラダの出来上がり。

 茹で上がったパスタをフライパンでタラコとからめていると、ナンジャが起き上がってきた。


「おなかすいたんじゃ」

「これでも飲んでろ」


 甘いミルクティーをカップで渡す。


「む、ちょうどいい濃さなのじゃ。おぬしなかなかできるのうなのじゃ」

「これ、テーブルに並べてくれ」

「えーなのじゃ」

「飯抜くぞ」

「えーなのじゃ」


 ナンジャに皿とサラダを運ばせて、大皿にタラコスパゲッティをよそう。


「わーいなのじゃー」


 ナンジャが大皿のパスタの大半を自身の皿によそってしまう。そんなこったろうと思って、フライパンに分けておいた。俺はそっちを皿によそう。


「おい、野菜も食え」

「うるさいのじゃ」

「野菜とらないと便秘になるぞ」

「いいのじゃ。レタスなんて芋虫いもむしのエサなのじゃ」

「まあとにかく食え」


 サラダを無理やりナンジャの皿によそう。


「トマトがぐちょっとしてるんじゃー」

完熟かんじゅくトマトだ。美味いぞ」


 ナンジャがいやそうにサラダを口に運ぶ。一口食べて、表情が変わる。


「……なかなかうまいのじゃ」


 ナンジャがもりもり芋虫のエサを喰らう。そうだろうそうだろう。秘密はピエトロドレッシング。俺はこれしか買わない。


「まんぷくなのじゃー」


 ナンジャがテーブルから離れ、ヨギボーに飛び込む。しがみつきながらうーんとうなって身をよじる。幸せそうだなこのガキ。


「ほれリンゴ、切ってやったぞ」

「おなかいっぱいなんじゃ」

「口の中、油だらけだろ。りんごで綺麗にしろ」


 俺はフォークに刺したリンゴを、ナンジャの口に押し込む。


「大きいんじゃー。もっと薄く切るのじゃー」

贅沢ぜいたく言うな馬鹿野郎。食ってすぐ寝ると牛になるぞ」

「非科学的なこというななのじゃー」


 こ、このガキが非科学的というのか。自称、魔法使いが。ナンジャはしゃくしゃくと口を動かしながら、目を閉じる。ふう。俺はソファに腰掛けてテレビをつける。

 ワイドショーが爆発事故を報じていた。改装中のテナントビルが、謎の爆発で、壁に穴が開いたらしい。現場には火の気がないのに、内部のコンクリ壁がところどころ焼け焦げていて、放火の疑いもある、と。ほう。実に不思議な事件だな。


「おいナンジャ」

「むにゃむにゃなんじゃー」

「お前の大活躍がテレビでやってるぞ」


 ナンジャの頭を膝に引っ張り乗せ、目を指で開いてやる。むいーと顔をそむけようとするが、手のひらでがっしりと顔をおさえる。


「知らんのじゃ」

見覚みおぼえあるだろ? 大きな穴だ。すごいなあナンジャは」

「暗くてよく覚えとらんのじゃ。どうせ証拠もないし。それにわらわは世のため人のため害獣退治をしたのじゃぞ。壁に穴が空いたくらいで、責められるいわれなどないのじゃ」


 ピンポンが鳴った。なんだろう。玄関のとびらを開けると警察官が三人立っていた。心臓がね上がった。


「あああああの、ななななんのごようでしょう」

火馬ひまさんですかあ、表札ね、あれどうしたの?」

「いい、いたずらされたのかなあははは」

「近所の人が、あなたが朝からカンカンやってたって」

「ききき聞き込みですか。ちょっと思春期の情緒じょうちょ不安定で家族が嫌いになっちゃって発作ほっさ的にですねえへへへへへ」

「ところでねえ、火馬さん。昨日の夜、あなたどこにいましたか」


 実にストレートで実にクリティカル。おお神よ。警察にすべてを知られているのか。ドキドキ動悸どうきがヤバイ。


「ええと、買い物して、えー、カラオケとか、あー」

「この荷物、火馬さんのですよねえ」


 見覚えのある紙袋。昨日寄ったアパレル店の手提てさぶくろではないか。し、しまった。中に入っているのは、ナンジャが着替える前のワンピースに違いない。昨日、ビルの中に忘れてしまっていたらしい。これはアウツ。ツーアウツ。


「そそそれがなぜわたしのだと?」

「あなた昨日この店でお買い物しましたよねえ。ご記憶ですか?」


 警察官がレシートをひらひらする。しまった。店でポイントカードを作ったのだ。それで住所を突き止められたのだ。スリーアウツ。ゲームセット。


「あーーーーーーーー…………」

「間違いない?」

「…………はぃ」

「じゃあねーちょっとねーお話をねー署のほ……」


 鏡もないのに顔が青ざめていくのがわかる。これはカツ丼コース。天気の良い日曜日の朝からなんてことだ。


「えー……………………」


 突然、警察官が紙袋をこちらに渡した。


「はい?」


 俺は受け取る。


「では忘れ物、確かに届けましたよ」

「気をつけてくださいね」

「では我々はこれで」


 俺は玄関先まで出た。突如とつじょ豹変ひょうへんしてパトカーに乗り込む警官たちに、大声で礼を言う。


「お巡りさん! ありがとうございました! 忘れ物わざわざ届けていただいて、本当に助かりました! 感謝します!」


 不自然なほどの大声だ。聞き込みされてパトカー横付けにされては、近所でうわさになるのは間違いない。姿は見えないが、様子をうかがってるご近所さんの気配をビンビン感じる。なので、わざわざ近所に聞こえるような大声を出したのだ。ひとまずこれで、この場はしのげるであろう。



「ふう~~~~~~~~~~~~」



 どっときた。俺は玄関に崩れ落ちる。


「や……やばかった…………」


 ひざをついてうずくまる俺のひたいから、あせが玄関マットにぽたぽたしたたる。ポリはヤバい。リアル社会では吸血鬼なんぞよりよっぽどヤバいわ。社会的に終わる。

 安堵あんどしてるのにガタガタ身体の震えが止まらない。その手からナンジャが紙袋を取り上げる。


「ポリスなどもののかずではないのじゃ」


 ナンジャの催眠術だ。人生最大のピンチだった。すくったのもこのガキなら、まねいたのもこのガキだぞ。可愛い顔して疫病神やくびょうがみめ。どうしてくれよう。


「うかつよの。おぬし、これはお気に入りと言ったはずなんじゃ」

「そうか、忘れてたぜ。いろいろ荷物が多かったからな」


 ナンジャがころころと笑う。


「あるじも近くにいたであろうに。顔を見てやりたかったのじゃ」


 おそらくな。ナンジャが餌をいて、相手が食いつくまで、ほんの一時間といったところか。まさか相手も、ナンジャがあそこまで足が早いとは思いもよらなかっただろう。


 そしてあの挑発ちょうはつ

 その気なら鉢合はちあわせもあったのではなかろうか。


「こないだの話の続きなのじゃ。ざつな奴はやっかいといったじゃろう」


 ナンジャがアイス食いながら、途中で寝てしまったときの話か。


「ああそうだな。いまいちピンとこない」

「奴らは知性もあり、理性もある。そやつらが知性も理性もある相手に相対あいたいする場合どうすると思うのかなのじゃ?」

「……まあ、慎重しんちょうにやるな」

「その通りじゃ。奴らの狩りは慎重かつ周到しゅうとう。本来、殺すこともまれなんじゃが、殺す場合、痕跡こんせきはなにも残さぬ」

「なるほどつまり……」


「そうじゃ、いカスを残す奴は、ぞんざいかつ傲慢ごうまん。人を人と思わず、人を人と恐れぬ大胆不敵だいたんふてきな奴なのじゃよ。猛獣がいるぞと人に知らせ、それでも生き抜く自信があるのじゃ」


 ナンジャの言葉を聞きながら、俺は目頭めがしらんだ。


「そんな奴に啖呵たんかって大丈夫なのかよ」

「平気じゃろ? 眷属けんぞくの能力はあるじの能力に比例するんじゃ。わらわはの、あれの十倍は強いぞ?」


 それは前に聞いた。ナンジャも絶対の自信があると言うことか。

 なら俺はせいぜい、ナンジャの尻に隠れ続けることにするわい。


「それにしてもおぬし、まさかなりそこないに抱きつくとはのなのじゃ」

「なりそこないだなんて言うなよ」

「おかげで珍しいことになったのじゃ」

「?」

「狩りとはな、相手に気づかれぬよう、近づいてゆくもんなんじゃ。ここまで相手を露骨に挑発する、こんなことは普通やらんのじゃ。おぬしがバカやったせいで、わらわも乗せられてしもうた」


 ナンジャはヨギボーにどっかと身体をあずけ、足をパタパタする。


「ふふっ。それにしてもおぬしのおかげでこんどの仕事はおもしろいのじゃ」

「俺は面白くねえよ!」

「なにするんじゃーっ!」


 大人しく聞いてりゃ好き勝手言いやがって。俺はナンジャを肩にかつぐと鯖折さばおりに決める。アルゼンチンバックブリーカーだ。ナンジャの口から悲鳴がれる。


「おかしかったんだよ。俺があんな危ない橋を歩くわけねえ。俺をあのビルの中まで誘導したのは、お前の催眠術だろうが」

「マ、マ、マ、マインドオペレーションと……」

「横文字にしてもカッコよくねえ!」

「ギブなのじゃーーーっ!」


 俺は力を入れた。ナンジャが悲鳴を上げる。


「まあ百歩ゆずって、そっちはいい。だがな。無関係のギャルどもを巻き込んだのは許せねえ! あいつらが死んでたらどうすんだ!」


 ナンジャの身体を回しながら落とし、背骨を膝に叩きつける。ケブラドーラコンヒーロ。メキシカンレスラーのわざだ。


「じ、じなながっだじ、あれがいぢばんでっどりばやがっだのじゃ!」

「ひとつ間違えば大怪我してただろ!」


 俺はナンジャをぎゃくエビにかかえあげたまま二階に上がる。そのいきおいのまま、親父のベッドのマットレスにインプラント式DDTだ。


「でも、ほっといたら被害が増えるだけなのじゃー!」

「だからって誰かを犠牲ぎせいにしていいわけねえ!」


 再びナンジャの身体を抱え上げ、ベッドに背を向ける。そのままリバースデスバレーボム。

 今度は正面からナンジャの身体を抱え込む。

 大技おおわざの予感にナンジャが震え上がる。


「そそそそれだけじゃないのじゃ……こちらはある程度、居場所を知られてるのじゃ、先手せんてを打たねば、状況が悪くなるのじゃ……」

 ノーザンライトスープレックス。


「なにか言えなのじゃ!」

 STOエスティーオー


「わーんなのじゃー!」

 スパインバスター。


 アリウープ。

 キャプチュード。

 ペディグリー。


 シメはやはりジャーマンである。

 決まった。見事な人間きょう。もはやカウントは不要。ナンジャが崩れ落ちた。


怪我けがはしたか?」

「はあはあなのじゃー……」

「怪我がなくとも、注意をしていても、危ない目に合わせるとはこういうことだ」


 俺は今、細心さいしんの注意を払って、ナンジャをスープレックスシティに招待した。怪我をさせぬよう、衝撃を与えぬよう、だが、恐怖を与えるよう。

 事故とは起こるものなのだ。いまも何かの間違いでナンジャは怪我したかも知れないのだ。


「これにりたら今後、誰かを巻き込むようなことはするなよ。俺だけにしておけ」


 はあはあ言いながら、ナンジャが目を細めてる。心なしか口元くちもとゆるんでいるような。


「……ちょっと楽しかったんじゃー」


 げ、俺のやったことは無駄骨むだぼねだったか。安全な恐怖はたんなる娯楽ごらく。これでは室内絶叫系ぜっきょうけいだ。


「またこんどこれやってもゆるすのじゃー……」


 はあはあしながら目を閉じるナンジャ。しまった、優しくもてあそびすぎた。

 何の教訓きょうくんにもならなかった。変な刺激を与えただけだ。俺は幼女とジャレただけかい。


 これには俺もガックリ。

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