第28話 由葉沙希 1

火馬ひまくん、私、手伝ったほうがいいんじゃないかな……」


 俺は初めて使うプラスチック製のフック状器具をホイールにねじ込み、慣れない作業に四苦八苦しくはっくしていた。


「タイヤはひとつ。これ以上、手はいらねえよ」

「でも……私のせいでパンクしたんだし……」

「お前のせいじゃねえよ、タイヤが古いんだよ」


 俺はフック状の器具をホイールに沿ってぐるりと回すとタイヤががれる。よし。剥がれたタイヤの隙間からチューブをす。

 俺の作業を見つめながら、しょんぼりとした顔で肩を落とす由葉ゆば


「俺の代わりに手順てじゅんと部品の位置をきちんと覚えておいてくれ。そして何か間違えそうだったら指摘してきしてくれ。そろそろ自信がなくなってきた」


 そんな由葉にそう声をかけると、パッと顔を輝かせた。


「まかせて」


 俺は物覚えには自信がない。一方、こいつは遠い俺のクラスにまで評判が届くほどの優等生だ。物覚えは良いに違いない。仕事を任せると嬉しそうに由葉は肩を寄せてくる。


 そんな様子をチラチラと横目よこめながめているのが、この店のおっさんだ。


 俺はプロだからタダで仕事はできない、が、道具を貸してやるから自分でやってみろ、と、金を持っていないガキにパンク修理の道具と軒先のきさきを貸してくれた。

 かくいう俺は親父のタイヤ交換を手伝ったことはあるが、自分で直したことはない。それも小学生の頃だ。手伝ったといえば聞こえはいいが、ほとんど見てただけだ。その時の記憶を必死で手繰たぐせる。


 バケツの中にチューブを突っ込む。水の中でチューブをむがなんの変化も現れない。


「仕事ができた。由葉、空気入れを押してくれ」

「うん」

「ゆっくりでいいぞ」

「このくらい?」

「もう少し……」


 由葉が空気入れのハンドルを押し込むと、バケツの中の水に気泡きほうが現れた。かなり小さい。


「でかした。見ろよ由葉」


 由葉がゆっくりハンドルを押し込みながらバケツを覗く。真っ黒いチューブから立ち上る気泡を見て顔を輝かせる。


「やった」


 由葉は嬉しそうだ。


 穴を見つけたらふさぐだけだ。食いつきが良いようにチューブの表面を紙やすりで荒らし、ボンドを塗りパッチを当てる。そしてしばし待つ。


可愛かわいげのねえガキだな」


 店のおっさんが冷えた麦茶をグラスに入れて持ってきた。


「あ、ありがとうございます」

「どうも……」


 受け取ったグラスを一気飲みする。飲むまで気づかなかった。のどがカラカラだ。空のグラスにおっさんがピッチャーから麦茶をそそぐ。

「まごついてプロに泣きつくかと思って見てたんだがな」


「穴を見つめてふさぐだけ。小学生でもできますよ」

生意気なまいきだな。中坊ちゅうぼう


 と、おっさんがグラスに麦茶をそそぐ。


理有りう市までだって?」

「そうです」


 おっさんは腕組みして、うーんとうなりはじめた。俺を見て、沙希を見て、そしてまた俺を見る。そしてため息をついて、俺の首に太い腕を回した。由葉から俺を隠し、耳打みみうちした。


「やっぱこれは、お前の役目だ。あの子をちゃんと家まで送ってやれ。まあ……」


 おっさんが遠い目をした。


「日が変わることはないだろ」


 俺はガレージの軽トラを見た。ガキの俺には大人が何を考えているかわからない。わからないから期待などしない。

 鼻から自分でやるつもりだ。期待も失望もない。

 妙にれしいおっさんが何を考えていたのか、それを知るのは俺が大人になってからだろう。俺はまだ子供なのだ。


 今はこの自転車で身体を二つ家まで運ぶことだけ考えていればいい。

 パンクを直してタイヤに空気をパンパンに入れる。深夜バス用に100均で買ったという空気枕をおっさんがくれ、それを座布団に由葉を荷台に乗せる。

 自転車の二人乗りが道交法違反どうこうほういはんだなんてひゃく承知しょうちだ。だが他に方法がない。俺たちはこうするしかない。


「この辺りのポリはそううるさいこと言わない。ガタガタ言われたら、この子を下ろして歩けばいいだけだ。まあ見つからないのが一番だけどな」


 おっさんに礼を言い、ペダルをむ。


 理有りう市まで50kmを切ってる。急げば今日中に帰れるだろう。坂道なら由葉をサドルに乗せて、俺は走る。大丈夫だ。マラソンランナーなら二、三時間ってとこだ。


 全然平気だ…………。




 久々に昔の夢を見た。


 俺は寝床から身を起こし、分厚ぶあつ遮光しゃこうカーテンの隙間かられる光に目を細めた。


 あれは三年前のことか。もう随分前のことだ。小学生の頃から同じ地元だし、顔くらいは知っていたが、それまであんなふうに沙希と話したことなどなかった。

 沙希と仲良くなったのは高校に入ってからだが、きっかけは間違いなく、中学二年生、あの夏休み終わり頃の出来事だろう。


 ただあのあと俺は高熱を出し寝込んだせいで、ところどころ記憶が曖昧あいまいになっている。そのため寝てる間にこんなふうにリアルに追体験ついたいけんしたことが、記憶なのか夢なのか判断がつかない。


 俺はキッチンに降りてコーヒー豆をく。滅多めったにやらないことだ。親父に覚えさせられたドリップで普段飲まないコーヒーをれた。

 久々のコーヒーは頭がジーンと痺れるようなアロマがあった。カフェインの効果で頭がシャキッとする。そういえばナンジャはどこだ。


 親父の部屋をのぞくとナンジャがまだ寝ていた。手にPS Vitaを握りしめて。


「おい朝だぞ起きろ、台所が片付かたづかねえだろ」


 ナンジャは起きる気配けはいがない。そんなナンジャを小脇こわきかかえると階段をり、キッチンテーブルに座らせる。ナンジャは背もたれに頭をあずけたまま、むにゃむにゃ寝続ける。楽しい夢でも見てるのか、笑顔だ。しっかりと握りしめたPS Vitaを離そうともせず。


 口元にフォークを近づけるとチュルチュルとパスタをすする。眠ってるくせに。

 面白くなってきた俺は皿一枚分完食させた。ナンジャはまだ寝てる。本当に器用なやつだ。


 朝飯をやっつけて、着替えてから居間に降りてもナンジャはまだ寝ていた。再びナンジャを抱えると、親父のベッドに運び、俺は家を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る