第29話 俺は無実

 その日、沙希さきは学校を休んだ。


 優等生の沙希が学校を休むなど、記憶にない珍しい出来事だった。

 昨日のあれが、内心ないしんかなりのダメージだったのかと、俺は気がかりだった。


 俺は中庭で寝転びながらパンをかじっていた。一刻も早く沙希と話がしたい、できるフォローがあればしてやりたい。だけど沙希がいない。

 あの夢のせいだ。沙希が夢になんか出てくるからだ。

 心が空回からまわりするばかりだ。どうにもならない焦燥感しょうそうかんにジリジリと焼けるような思いだ。


 トマトジュースを飲み干して、重たい腰を上げる。そろそろ昼休みも終わりだ。気が進まないが教室に戻らざるをえない。教室のドアを開ける。


 ピリピリした視線を感じる。俺はいて気にめないよう席に向かう。


 女子の刺すような視線。男子の物言ものいいたげな視線。どちらも俺に向かっている。その日は何事もなく学校が終わったが、翌日になっても沙希は休んでいた。


 教室を見回して俺はなんというかいたたまれない気持ちになった。沙希がいないというだけで、何か教室の火が消えたように感じた。俺は沙希の席をじっと見つめてまゆを寄せた。

 そんな様子を見て女子どもが近づいてきた。


「沙希が休んでるんだけど」

「だからなんだよ」

「気分がすぐれないんだって。すごくしずんだ声してた」

「そうか」

火馬ひまくん、何したの?」


「何もしてねえよ! なんで俺に聞くんだよ!」


「だっておととい、二人でいなくなったでしょ?」

「そしたら火馬くんの様子もおかしい」

「何かあったって思うじゃん!」


「知らねえって!」


 女子たちに囲まれて、俺は頬杖ほおづえついてそっぽをむいた。


「生理が重いんだろ」


 頭を現代文の教科書で殴られた。しかも角だ。結構痛いぞ。


「そういうとこ!」


 どういうとこなんだよまったく……。俺は殴られた文句も言わず、離れる女子たちを見送る。


 あの一連いちれんが引き金だとして、原因が俺かと言われたら、まあ俺だろ。だが、俺が悪いかと言われれば悪くない。俺は何もしてないんだよ。勝手に沙希がドツボに落ちただけだ。そして周囲が勝手に落としただけだ。


 俺はなんにも悪くない。なんも後ろめたくない。俺には何一つ反省の余地よちなどないのだ。


 だが俺の気持ちは裏腹うらはらに、授業が始まっても落ち着かない。落ち着きがないのは俺だけじゃない。クラスの連中も同じだった。

 手紙が回ってきた。


『なあ、火馬。お前、由葉ゆばのなんなの?』


 俺は手紙を握りつぶした。授業中だぞ、大人しく先生の話を聞かんかい。


 すると消しゴムが飛んでくる。無視する。ボールペンが飛んでくる。無視する。シャーペン。さすがに飛んでくる方向を見る。英語の辞書が飛んできた。咄嗟とっさはさりが成功する。ふざけるな。


『なんでもねえよ』


 俺は怒って辞書ごと手紙を投げ返した。受け止めやがった。畜生ちくしょう


『ホントに? どっちかがこくったとかこくられたとか、そういうのもないのか?』

『ねえ』

『信じていいんだな』

『信じてもらわなくて結構けっこう。てめえで判断しろ』


 ギッとにらんで、威嚇いかくした。ようやく手紙が止んだ。その手紙が何故かクラスの男子を回る。ところが途中で、女子の手にわたり、一悶着もんちゃく。俺は知らん。俺は関係ない。



 休み時間。


 授業終了のチャイムと同時に女子と男子が一斉に立ち上がる。


れそうだ!」


 俺は機先きせんせいして、廊下に飛び出した。連れション連れションと追っかけてくる男子をくため全力疾走ぜんりょくしっそうである。階段を飛び降りて、渡り廊下を越える。別校舎のトイレの個室に飛び込むと便座に座る。ほとぼりが冷めるまで、今日はここで天岩戸あまのいわとだ。


 と思ってびをした

 俺は便座から飛び上がった。上からのぞかれてる。


「火馬、話がある」


 まさか便所の中まで追っかけてくるとは思わなかった。俺はドアをり上げる。どたりとそいつが床に転がる。便所を出ると女子と男子がにらみ合っている。これはどういう状況なんだ。尋常じんじょうではない。これは本当に一昨日おとといまでの学校なのか。


「火馬!」

だまって!」


 男子に呼ばれ、女子に黙らされる。なんのこっちゃ。これどうすりゃいいんだよ。俺は両者の間に割って入った。


喧嘩けんかはやめろ。同じ学校の仲間じゃないか」


俺は綺麗事きれいごとでこの場をおさめようと思った。


遠回とおまわしはナシだ。俺はさっしのよい方ではない。何か言いたいことがあるならハッキリ説明してくれ」


 人だかりの中心で両手を上げ騒ぎをせいする。その頭をバシンと背後からはたかれた。


「な、何を……!」


 クラスの飯山いいやまというちょっと太めの女子がブルブル震えていた。目に涙を浮かべて。


「そんなこと言えるわけないじゃない!」

「いた、いた、痛い、やめろ」


 飯山が叫んだ瞬間、女子どもがポカポカと俺を小突こづき回し始めた。たまらずけてしまう俺を、足で蹴り転がし始めた。


「やめ、やめ、やめ……パンツが見えるぞ、こら……」


 俺の忠告ちゅうこくなど完全スルーだ。逆上ぎゃくじょうしているらしい。女子にやられては手も足も出ない。俺は学生服に足跡をたっぷりつけたまま、ひいひい言いながら逃げ出した。


 こりゃどうにもならん。三十六計さんじゅうろっけい、逃げるにしかず。


 廊下の全力疾走など初めてやった。クラスメイトを振り切って校舎裏に逃れる。無我夢中で走りのがれた先に、邪魔者がいた。


 俺はそいつと派手に衝突しょうとつして、お互い地面に転がってしまう。


 俺は地面で後頭部を打った。

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