第23話 クソバカ姉妹

 しょうがなかった。


 どしゃ降りの中、高いびきを立てて横たわる鈴子を放っておけず、俺は背負せおって歩く。美鈴もヨレヨレで、まともに歩けそうにない。さいわい、二人のマンションは歩いて5分ほどの近場ちかばで助かった。


 美鈴が玄関前でしゃがみ込み、鍵を探し始めた。スマホから財布から全部らす。らちが明かない。俺は鈴子のバッグをひっくり返して、勝手に鍵を探し当てた。

 想像と違って、きれいに片付いた2LDK。俺はリビングに鈴子を投げ捨てると、玄関先でへばっている美鈴を引きずり込んだ。正体をなくした女はクソ重たい。


 さて、帰るかと思ったら、鈴子がガタガタ震えていた。美鈴も同様だ。


 そりゃあそうだよなあ。ずぶ濡れの服のまま、床に放置させられりゃあ、凍えてしまうに決まっている。やるのか? やってええんか?

 仕方なく俺は二人の服を脱がしにかかった。ボタンを外して、グワーッとブラウスを引っ張ると、二つの女体がゴロンゴロン床を転がる。スカートも脱がせて下着は勘弁してやる。


 勘違いすんじゃねえぞ。下着姿とはいえ、じらいもつつしみもなく、どてんと床に転がる酔い潰れた女どもなど、俺の夢見た光景ではない。オカに上がったマグロのように、ただの肉だこれでは。どうしてくれる。少年のあこがれを打ち砕いてなにが楽しいのだこの姉妹は。


 むくわれないラッキースケベとは心底腹立たしい。


 俺は布団を取りに寝室に向かおうとして足を滑らせた。不意をつかれ、身体が完全に浮き上がり、床に叩きつけられた。なんだこれ、と立ち上がろうと手をついたら、ぬるりとした感触が手に広がる。


 ふ……ふざけんな…………。気がついたら美鈴の吐瀉物としゃぶつに全身まみれていた。


「こ……このアマ…………」


 怒りと混乱にワナワナ震えながら、ジャージを脱ぎ、吐瀉物を処理する。美鈴の身体をきれいにし、ベッドまで運ぶ。床もきれいに拭く。


 全身ゲロ臭え。このまま帰れるわけがない。


 もう俺は知らん。洗濯機が全自動で助かった。ゲロまみれのジャージを放り込むと、浴室のドアを開け、勝手にシャワーを浴びる。腋の下から股間まで奴らのボディタオルで隅々まで洗ってやる。これはボディシャンプーに……石鹸か? シャンプーが二種類、リンスが二種類。コンディショナー? 種類が多過ぎる。二人とも別々に使い分けているようだ。なぜ女というのはこうクソめんどくさいんだ。


 風呂場から上がりドライヤーで髪を乾かす。もちろん全裸だ。当たり前だ。俺の服はゴンゴン回る洗濯機の中だよ。バスタオルを腰に巻くと、おっと忘れていた。鈴子が床に転がったままだ。


 俺が抱き上げると、鈴子が薄目を開けた。俺の姿を見てハッとなる。


「や……優しくしてくれ…………」

「どやかましいわ!」


 鈴子を美鈴のベッドに放り投げると、俺はどっちのかわからんが、もう一つのベッドに潜り込み、さっさと寝てしまった。





 目を覚ましたとき、布団をまくられていた。鈴子が全裸の俺を見下ろして、固まっている。俺はそんな鈴子を見上げる。


「なんか文句あるか?」

「な、ないです」


 俺は夜の間に解けてしまったバスタオルを腰に結び直すと、立ち上がり、バスルームに向かう。小便を済ますと、洗濯槽を開き、すっかり乾いたジャージを着る。


「あ、朝ご飯なんだが」


 俺はリビングのテーブルにどっかとすわり、じろりと鈴子をにらむ。


面目めんぼくない」

「ほんとうだ」


 俺は間髪かんぱつれず言い放つと、茶碗を鷲掴わしづかみにした。白飯をかっ込んでいると、美鈴がトイレから出てきて、俺の斜向はすむかいに座る。


「正直すまんかった」

「まったくだ」


 ガシガシと飯を喰らい、茶碗を鈴子に向ける。


「お、おお……」


 茶碗に山盛りの飯を再びかっこむ。卵焼きがうまい。シャケの切り身がうまい。そして味噌汁がうまい。白米が進む。

 二人がじっと俺を見ていた。


「おねえちゃんおねえちゃん、さっきね、トイレでね、便座が上がってたの」

「うーむ、やっぱり男の子よの。なんぼでもおかわりしてくれ」


 便座? ああなるほど。女は便座を上げたりしないのか。


「料理が上手いな」


 ぽろっと料理を褒めたら、鈴子が天井をあおぎプルプル震える。


「料理が上手でもね、そこまで辿り着かないのよ」

 美鈴のツッコミに熱々の湯呑みを額に押し当てる鈴子。朝のリビングに悲鳴が響く。


「ところで、ナンジャちゃんは元気か」

 そういえばほったらかしだ。まあ食い物は冷蔵庫にあるし心配ないだろ。


「ああ、そういえば服がどうしたとか言ってたな」

「あれはプレゼントだよ。店の売れ残りだし、いつもナンジャちゃんにはかわいい格好見せてもらってるし」

「そうはいかない」

「いいんだよ、また来てくれるかなーって気分になれるし」

「そうか。あいつ、あんまり友達いないし、相手してやってくれるとありがたい」


 味噌汁をすすってると鈴子が涙目でこっちを見ていた。


「少年~~~。結婚してくれえ~~~~~~~」


 なんだよいきなり。


「ナンジャちゃんのおねえちゃんになって寂しい思いをさせたくないんじゃあ~~~」

「べ、別にあいつ、寂しくなんて……」

「ねえねえ。えーと……」

「カイヤ」

「カイヤくん。干支えとはなに?」


 俺は答えた。


「おねえちゃんと同じ」

「ウオラァ! 余計な茶々チャチャ入れるんじゃない!」


 本気の目潰めつぶしが炸裂さくれつし、美鈴がのけぞった。目が真っ赤にれてる。これから仕事だろうにどうすんだよ。


「年上の女房にょうぼうは金のフンドシをいてでも探せと言うだろうが!」

「ワラジだよおねえちゃん」

「は? 嘘だろ。ワラジとフンドシまちがえるか普通?」

「ワラジだよ」

「ほら、カイヤくんも言ってるじゃん」

「としうえのにょうぼうは……ほんとだ」

「おねえちゃん、あたし学校の先生だよ」

「学校の先生ならもう少しつつしみ持たんかい。子供が図々ずうずうしく育つだろうが」

「ガキなんて少し図々しいくらいがちょうどいいんだよ。うまの目を抜く社会の荒波で」

「ところでなんの話してたっけ」


 俺は茶を飲み干して、手を合わせる。


「ご馳走様でした」

「いい食べっぷりだったね~。見てて気持ちよかったよ。ほら、炊飯器がカラ。二人で一日分だよこれ」

「美味かったからな。はしが進んだ。たまには人んちの飯もいいもんだな」

「いつでもおいで。歓迎するよ。今度はナンジャちゃんも一緒に」

「あーあたしも会いたい」

「ああ、ナンジャね。わかった。連れてくるよ。じゃあ、俺、家に帰って学校の用意しないと」

「またな」

「またね」

「ああまた」


 俺は部屋を出てエレベータを降りた。マンションを出てきたところで、鈴子が追いかけてきた。


「帽子」

 ランニングキャップを忘れていた。帽子は普段かぶらないと、こういうとき忘れるんだな。


「そういえばまだ謝ってなかった。昨日はすまなかったな、カイヤくん」

 受け取ろうと手を伸ばそうとしたら、鈴子は腕組みして、帽子を渡そうとしない。


「これは美鈴が用意した。詫びだ」

 封筒を渡された。なんだろう。ピンクの紙が二枚出てきた。



【童貞卒業券 鈴子】

【童貞卒業券 美鈴】



 エロい字体じたいでムード満点に描かれている。俺の指が震える。パソコンで作ったのかよ。よくできてるじゃねえか……。


「やはり昨日のびは言葉だけではとても足りない。よくよく考えたんだが、男子高校生が欲しいものを、わたしたちは他に知らない。これが我々姉妹の用意できる精一杯の誠意だ。受け取ってくれるとありがたい。ちなみにどちらを使うかは好きに決めてくれ。その代わり、事の後、もう一人も選んでくれると姉妹で遺恨いこんが残らな……」


「アホかああああ!」


 俺は手の中で童貞卒業券を握り潰した。


「童貞卒業したくないのか?」

「そりゃした……あのな! 昨日説明したようにだな! 俺はな……!」

「少年、割りきんなさい。たかが粘膜同士の触れ合いだ。少女にとっては大切だが、少年には少女を導く責任がある。そのためのレッスンだと割り切っておけ」

「処女が吹くじゃねえか」

みみ年増どしまなのだ」


 ち、違う。これは罠だ。姉妹の欲望にき込まれてるに違いない。


「し、下心じゃないのか……」

 鈴子があらぬ方を向いて俺の言葉を無視した。


「ど……童貞卒業券だと……」


 膝から力が抜けた。バカだ。バカ姉妹すぎる。中腰の俺に鈴子がキャップをかぶせ、耳元に囁く。


「わたしら姉妹はいつでも待ってるぞ」

 生々しいセリフにゾクっときた。俺が頭を上げると、視界の隅に見慣れた姿があった。ガンと頭を殴られたように感じた。


「あれ?」

 鈴子がぽかんとした声を出した。


火馬ひまくん?」

 由葉沙希ゆばさきがいた。


 ストライプの入った黒い細身のスエットのボトム。トップも黒く、ワイドスリーブのプルオーバーをゆったりと着こなし、黒いキャップをかぶっている。ついでにスニーカーも黒だ。部屋着のようにラフな格好だが、スタイルの良さは隠しきれない。


 そんな沙希が紙袋を胸に、目を丸くしてこっちを見ている。


「さ、沙希か。どうしてこんなところに……」

「それはこっちのセリフでしょ。私、パンを買いにきたの。火馬くん、このマンションから出てきたよね」


 沙希は俺たちの顔を交互に見ると、隣の鈴子に軽く会釈えしゃくをする。


「このことは学校のみんなに黙っててあげるね。火馬くん、朝帰りとか、からかわれるの嫌でしょ?」

「ちょ、ちょっと待て沙希」

「ごめん、早くパンを持って帰らないと、みんな遅刻しちゃう」


 俺は沙希に追いすがる。


「……いつから見てた?」

「さああ~~」


 沙希が顔を上げ、にっこり笑って言った。


「童貞卒業おめでとう」


 俺の目がグルリと裏返った。固まっているすきに、沙希は俺のかたわらをすり抜けて行ってしまった。


「ほほう、あれが……ね」

 鈴子が俺の隣に来て言った。


「写真より全然上玉じょうだまよな。あれは無理目むりめだ。少年、あきらめな……」


 俺の爪がガッシと、鈴子の肩に食い込んだ。


「いた、いたたい、しょ、少年」

「あのさあ、あんたバカでしょう!」


 俺は顔をゆがめて言った。


「こういう時さあ、大人なら『違うんだよ。誤解なんだよ、二人はなんでもないんだ』とか言い訳してくれるもんじゃないの? 嘘でもいいけど、嘘もなにもないじゃんか、この場合さあ。なんで黙ってたの? なんでなにも言わなかったの?」

「あ、ハイ、すまん、すみません」


 ガシガシと鈴子の肩を揺らしながら、勝手に涙が流れていた。


「腕組みなんかしちゃってさあ、沙希のことじっと見つめるだけでさあ。そんな態度とったら誤解しないわけないよねえ! ねえ、なんのつもりなの!?」

「あ、ま~、それはあの、色々……」

「童貞卒業券とかさあ。いい大人のやることなの? 百歩ゆずってそれを許すとしても、ねえ、どうしてこんなタイミングなの? なんでこう間が悪いの? バカなの? 死ぬの?」

「すまん、すみません、悪かった、ハイ」


 ボロボロ泣きながら、肩を揺らす。鈴子は目をキョドらせながら、頭を揺らす。


「思った以上に可愛い女の子だったし、若くてピチピチだし、こんないい子、一生男に不自由しないんだろうな~なんて思ったら、なんかおねえさん、意地悪な気分になっちゃってさ……」



「高校生の女の子相手に、大人が対抗心き出しにしないでくれる!?」



 叫んでいた。


 朝のマンション前で、オンオン泣きわめいて、俺はもう感情のコントロールができなかった。

 鈴子はそんな俺を見て、ハイ、ハイ、と謝罪を繰り返すばかりだった。

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