第22話 バカ姉妹

「だーかーらー」


 俺は借りてきた猫のように居酒屋の座敷でちびちびウーロン茶のグラスをかたむけている。

 外は大雨だ。そして傘がない。上下ジャージの俺は一銭も持っていないのだった。

 通常の雨なられながら家まで帰るところだ。雨音を聞く。これは尋常じんじょうではない。前が見えないどしゃ降りに違いない。季節外れのゲリラ豪雨だ。俺はここで雨宿りするしかない。


「高校生なんだろ? ほれ、先生が目をつむっててやるから一杯くらいやれオラァ」


 ビールのグラスが差し出される。


「いや、真面目な高校生なんで」

けつけ一杯のビールなんて酒のうちに入んねえんだよコラァ」

「トレーニングの途中なんで」

「ノリが悪いんだよテヤァ」


 ちなみに俺を小突こづき回している黒髪セミロングでスーツの女は初対面だ。学校の先生と名乗っているが、俺とはえんもゆかりもない。


美鈴みすず、この子はあなたのお兄ちゃんになるかもしれないのだから、口の聞き方に気をつけなさい」

「はい?」

「そしてナンジャちゃんを妹にするんじゃ……」


 言葉にしみじみ実感が込もっている。本気か? 本気なのか?


「おねえちゃん……。男日照おとこひでりが続いてると思ってたら知らんうちにコーコーセーにこなかけてたのかよ」


 ふう……と頬杖ほおづえをつきながら鈴子すずこがため息をつく。


「男の人の、好きになり方がわからない……」


 ギャハハと美鈴が笑った。鈴子とは、アパレルの店員。美鈴とは鈴子の妹らしい。小学校で先生をしているとのこと。


「いやあ、おねえちゃんにゃあ、ただの婚活こんかついばらの道よな。なんせガチガチのショタコ……」


 ガッシと鈴子が美鈴の喉をつかみ上げる。


「口はわざわいもん……」

「ゲホーッ! ゲッホゲホ!」

「舌はるのかたな!」


 口に手を突っ込んで何をやってるのかわからん。しばし、指を動かすと美鈴がドタバタとトイレに駆け込んだ。鈴子がおしぼりで指をぬぐう。美鈴は戻ってくるとテンションが少し落ちていた。


めちまったよ……」

 胃のアルコールを空にしてきたらしい。


「ガソリンが足りない」

 ジョッキをあおると元に戻った。


「飲んでるか少年」

「飲んでません」


 また小突き回される俺。なんでこんなことになってしまったのか。





「なんじゃー、カンジャはこんなこともできんのかー」


 嬉しそうに庭を走り回るナンジャ。ただし逆さま。ナンジャは逆立ちで走り回っているのだ。


「ぐぬぬ……」

 俺は逆立ちしてはプルプル。グラングランの身体を支えきれず、どたりと芝生に転がる。ケラケラと楽しそうに笑うナンジャ。


「見とれー、こうやるんじゃ」

 助走をつけ、ぴょんと飛び上がると逆立ちを決める。ただの逆立ちではない。片腕だ。


「やっ! ほっ! はっ!」

 そのままぴょんぴょん跳ねる。ワンハンドラビットという技らしい。


「とやー!」

 両手を地面について飛び上がると、宙返りして着地。


「10・00! 胸に輝く金メダル!」

 得点を宣言しY字バランスを決める。


「どうじゃ!」


 振り返ってドヤ顔のナンジャを俺は死んだ目で見つめる。

 スポーツ万能とか運動神経がいいとかそんなレベルじゃねえ。とにかくなんの参考にもなりゃしねえんだよ。こいつは逸材いつざいすぎる。


「ほれやってみい」


 助走をつけてとびあがる。どてんと転がる俺。ケタケタ笑うナンジャ。


「どんくさいのう!」


 俺を笑い者にできて、心底嬉しそうだ。今の俺にはなんの感情もない。

 だがこれは無理だ。ナンジャの真似は無理。俺は地道じみちにトレーニングを積み重ねることに決めた。





 というわけで夜の街に走り込みに出た俺は、この二人に掴まってしまったというわけだ。会った時すでにベロベロだった。間が悪く大雨に降られたため、あえなく連行とあいなったというわけだ。


「まあでも失敗したよ。ショタコンおねえちゃんの当て付けで、小学校の教員になってみたものの、あたし、ガキにはなんの興味もなかったわww むしろ高校教師を選ぶべきだったぜ」


 酔っぱらった大人の女がじとっと俺を見ている。いかがわしい視線だ。


「少年、童貞か?」

「はい、童貞です」

「喧嘩は強いのか?」

「まあそこそこ」


 ギャハハと笑い出す美鈴。


「少年マガジンだ、マガジンwww」


 脈絡みゃくらくがない。喧嘩が強くて童貞だとなぜ少年マガジンなのだ。意味がわからない。だいたい少年マガジンにはラブコメのイメージしかない。


「おっしゃ、大人の階段、のぼるか少年」


 美鈴がブラウスのボタンを一つはずし、黒髪を枝垂しだれさせ、色目をつかう。


「ヤングマガジンになるか?」


「遠慮しときます。僕も素敵な初体験にあこがれてますので。初めては好きな人と初めて同士で」

「オフゥ処女厨てえてえ……」

「絵に描いたような童貞レスやん……百点満点」

「童貞選手権、優勝~」


 かんぱーいとグラスを合わせ、鈴子と美鈴が天を仰ぐ。楽しんでもらえたようでなにより。


「目当ての女子はいるのか、少年」

「…………」

「気になってる女子とか……」

「…………」


 俺が黙っていると、美鈴がヘッドロックをかけてきた。


「何かあったな、吐けよ少年。お前の今夜は酒のさかなじゃ」


 顔面にグイグイと胸を押し付けてくる。欲求不満だなこのねえちゃん。


「よーし、おねえさんがたが、アドバイスをしてやる。他意はないぞ。教育者として少年に正しい道を示してやる責任がある」


 目が爛々ランランと輝いている。説得力がゼロだ。


「写真とかないのか写真は。我々が釣り合いというものを判定してやろう」


 とはいえ、沙希さきとの件は俺も気にかかっている。喉に刺さった小骨のようなものだ。酔っ払いとはいえ、年長の女。少しでも関係改善の手がかりが得られれば、と。わらにもすがる気持ちで、ツーショット画像を見せる。


 二人が黙り込んだ。


「……隙がない。完璧な優等生ルックで、ここまでバッチリ決まってるとか嫌味いやみが過ぎるぜ……」

「色気がね……メガネが愛嬌あいきょうつーか、むしろ武器だろ」

「……それより制服のライン……」

「細身なのにこれは……ひかえめに見積みつもってもE……控えめでな、おそらくもっと……」

「高校生でこれか……末恐すえおそろしや……」

「男子生徒の胸も股間もふくらませてるだろこれ。罪深いったらないぞ」


 二人はチラチラとスマホと俺の顔を見比べている。なんか不愉快だ。

 そして二人は真面目な顔をすると、身を乗り出してきた。


「すべて話せ、聞いてやる」


 俺はこの場を切り抜けるため、そして二人の真面目な様子を信用して、沙希との一件を包み隠さず白状した。

 これまでの関係。付かず離れずの距離。その距離が縮まったメガネの出来事。直後のどんでん返し。そして、ダメ押しのラインメッセージ。


 話の最後に二人が目を白黒させた。


「つつつつまり……ねえちゃん……」

 のけぞる美鈴。目を見開き、身を乗り出す鈴子。


「証拠はあるのか、少年」

 俺は二人にラインメッセージを見せた。眉を寄せる鈴子。


「記憶にない……酔ってたから」

「これがクリティカルに……イタタタタス、ギザイタタス」

「これがとどめを刺した、と。そういうことか」

「ねえちゃんが悪いやんけ。どうすんだよこの始末」


 鈴子がカーディガンを脱いだ。


「おし」

 何がおし?


「罪あらばつぐない。責任を取ることにしよう。寸止すんどめもかわいそうだしな」

「なななにを?」

「責任とって私が少年の童貞をもらってやろう」

「ねーちゃん! ズルいぞ! 姉の不始末は妹の不始末! 責任ならあたしが!」


 わあ、モテモテだな俺。なのになんでこう感動がないんだ。酒臭い女二人に童貞を奪い合われても全然嬉しくないんだ。


「遠慮するな。その子の前であらぬ期待にトンガラシのようなおちんちんをカチカチにさせてたのだろう。少年のパトスは受け止め切って見せる。それがわたしのつぐないだ。DKまでは守備範囲内」


 アラサーが迫ってきた。償いに守備範囲ってなんなんだよ。


「あの女な。あれは少年には高目たかめだよ。ああいう女の子は、年上の社会人にいいように可愛がられてるのがお似合いだ。もしやもうすでに……」


 うわあ、リアルに想像できるなあ。近場ちかばにあんな女の子がいたら、大人の男どもも黙っておるまいよ。即行そっこうで粉をかけて、いろいろ教え込んでしまうに違いない。そんなことになってても童貞の俺に太刀打たちうちできるというのか。


「同年代でもな、男女の年齢には不均衡ふきんこうが存在するのだ。女は頼りがいのある年上の、そしてぐぎぎ、男はぐぬぬ、手懐てなずけやすい年下の女をグハァ……」


 血の涙を流しそうな勢いだ。よっぽど婚活で傷ついているに違いない。まあ、俺はそれどころではないんだがね。


「だからあきらめろ。わたしで我慢しとけ」

「あのですね、さっき言ったように……」

「安心しろ、わたしも初めてだ。処女と童貞。美しい初体験に及ぼうではないか」

「えーっ!」


 美鈴が叫んだ。泥酔でいすい姉妹にも程がある。店の中だぞ、大声に気を付けろよ。


「こ、こないだねーちゃんキスマークつけて帰ってきたやん!」

「あーあれね。なんなのか記憶にないんだわ。気がついたらついててな。まだ跡が少し……」


 鈴子が首筋を見せた。んー? 何か記憶をくすぐるものがあるな……。


「よもや覚えのないうちに初めてをいたしてしまったのであろうか」


 視線を宙に彷徨さまよわせる鈴子。酔いに完全に目がわっている。


「ぜひ確かめなければ」


 俺は襟首えりくびを掴まれて引きずられてゆく。すごい力だ。俺の周りの女はどいつもこいつも……。


 ところが、店を出た途端、鈴子はばったりと倒れてしまった。

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