第3話 親父のお守り

「いってきまーす」

「ちょっとまって灰也かいやちゃん」


 とたとたと足音を立てておふくろ。


「おまもり忘れちゃダメよ」


 手に十字架のブレスレッド。


「俺はクリスチャンじゃねえよ」

「ママだって違うわよ」

「たまにはいいだろう」

「ダメよ、これはね、パパがずっとしてたの。すっごいご利益りやくあるんだから」


 その親父はずっと行方不明だ。生きてるんだか死んでるんだかわかったもんじゃない。


「生きてるわよ」


 こ、心を読むなよ。


「ただちょっと遠くにいて連絡取れないだけ。じきに帰ってくるわ。だからそれまで灰也ちゃんが無事でいますようにって。ね、お守り」

「校則違反だ」


 お袋が泣きはじめた。


「ぱ……パパが帰ってくる前にね……灰也ちゃんになにかあったら、ママね、パパにすっごく叱られる……ママね、パパに合わせる顔がなくなっちゃう…………」


 べそべそと子供のように泣きはじめた。母親の涙に勝てる息子などいようか。


「いってきます」


 げんなりした俺はおとなしく十字架のペンダントを胸につけた。


「ところでまた出張なのか?」

「うんそうなの、また長くなりそうだけど、ご飯とか一人でなんとかしてね」


 と、高校生にはちょっとした額の金を渡される。

 この頭ゆるふわおふくろは、家の外ではバリバリのキャリアウーマンらしい。仕事が忙しく、俺はしばしばほったらかしにされる。何日も帰ってこないことなどザラだ。月の半分は一人暮らしだ。もう慣れたがな。


「さて」


 今日は身体の調子がいい。絶好調だ。


「おはよう、火馬ひまくん」

「おう、沙希さきか。昨日はサンキュ」


 俺は手に持っていたスポドリを投げた。


「え?」


 ナイスキャッチして由葉沙希ゆばさき相好そうごうを崩した。


「間違えてボタンを押しただけだ、やる」


 俺はトマトジュースの缶をすすりながら言った。俺はいつもトマトジュースだ。


「わたしもトマトジュースがいいなあ」


 沙希がれた唇に人差し指を添えて俺の目を見る。

 や、やめれ、こいつは本当に……。俺は慌てて一気にトマトジュースを飲み干す。


「残念だったな、たったいま無くなった」

「うふっ」


 キョドる俺に、沙希は目を細めて耳元にささやく。ち、近いんだよ。


「お礼にデートでもする?」


 だーかーらーおまえはー。



 昼休み。

 おふくろに持たされた弁当は、休み時間に食い尽くしてしまった。だが物足りないので、すうどんでもすすろうと食堂に向かう。


「おっと」


 曲がり角で、誰かとぶつかる。お互い様だから、俺はそのまま通り過ぎる。


「おい火馬ぁ」


 隣のクラスの入間いるまだ。髪を染めたヤンチャ系の、面倒くさいやつだ。幅の広いヘアバンドがトレードマークだ。取り巻きを二人連れている。


「牛乳かかったぞ」


 手にしたパックのストローから牛乳が飛び出したのか、入間の学ランを濡らしている。


「だからなんだよイルマ、出会い頭なんだからお互い様だろ。過失相殺かしつそうさいというやつだ」

「てめ……」


 入間が小首こくびをかしげ目を細める。あーめんどくせえ。背格好は似たり寄ったりだが、こいつはガキの頃から空手をやっている。それで増長ぞうちょうしているのだ。俺はポケットからハンカチを取り出して、胸をいてやった。


「これでいいか?」

「………………」


 目を細めてにらんでくる入間の視線を真正面から受け止める。らすようなことはしない。こちらは譲歩じょうほしてやってんだ。これ以上折れるつもりはない。


「あれ? 火馬くん」


 そこにやってきたパンを山のように抱えた男子生徒。やや背が高く、ひょろりとやせっぽちだ。ボサボサの髪の毛とメガネで目を隠している。絵に描いたようないんキャだ。

 そいつを見て俺はカッとなった。


「イルマ……お前またロウにパシリやらせたのか」


 俺は入間の胸ぐらを掴む。体幹たいかんの強い人間は胸ぐらを掴まれたくらいではびくともしない。入間もびくともしない。


「パンを頼んでこいつが受けた。金は払ってんだ。合意の上だから文句を言われる筋合いはねえな」

「ちょちょっと火馬くん、入間くん」


 ぼさぼさ頭のそいつが気弱な笑顔をして言った。


喧嘩けんかはだめだよ」


 そいつの名は戌上朗いのかみろう。去年俺と同じクラスだった。やせっぽちで病弱なのか、よく学校を休む。おまけに気弱で陰気なのでクラスで孤立しやすい。なぜか俺とは馬が合い、特に親しくというわけではないが、それなりに付き合ってきた。その朗がクラス替えでチンピラまがいの野郎にパシリにされては到底見逃せない。

 そんな俺の怒りにかかわらず、朗は静かに笑う。


「まあまあ、ぼくも今度から言いたいことは言うからさ。今日のところは、これで我慢して」


 朗は俺の胸にパンを一つ押し付ける。大人気のハンバーグパンだ。


「おい! それは俺の!」


 取り巻きの一人、只野ただのが吠える。俺は袋を破き、只野の眼前でハンバーグをいて、これ見よがしに咀嚼そしゃくする。


「この……」

「お金返すからさ……」


 と、朗。

 一歩、前に出ようとする只野を入間が手で制す。

 俺が引いて、朗がなだめた。ハンバーグパンは只野の手に渡る前なので、金を返せばそれでチャラ。入間は何の損もなく、これ以上こじれても、ややこしくなるだけだ。

 こいつはヤンチャだが計算ができる。

 三人はきびすを返し、自身の教室に向かう。その後ろに朗。


「おっとっと」


 朗の腕からパンが一つ落ちる。のぼーっとしたキャラに似合わず、素早く手を伸ばすと、床に届く前に掴み上げる。不思議と抱えたパンの山は崩れない。

 むかっ腹は立つが、朗に言われたらこちらは何もできない。俺はハンバーグパンを飲み込み、食堂に向かう理由もなくなったので、教室に戻った。

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