第32話 由葉沙希 3

「お前はアホなのか?」


「だって……」

「俺が気づいたからよかったようなものの……」


「もー! 言わないでよ、火馬ひまくん……」


「そうはいくかよ。だいたい、女子一人があんなとこでどうするつもりだったんだよ」

「うーん……」


 由葉ゆばは自転車の荷台にだいから俺のシャツをギュッと引っ張って言った。


「どうするつもりだったんだろうね」


 顔は見えないが、声が笑っていた。


「結構けてるんだな、お前。聞いてた話とは全然違うな」

「どんなふうに聞いてるの?」

「クソ真面目まじめってな」

「くそって言葉がよくないかな」

「ほれ、そういうとこだ」


 うふふと笑う由葉。こっちは苦笑にがわらいだ。


 由葉の話はこうだった。電車に乗ってつい、こんなところまで来てしまった。だけどうっかりと帰りの電車賃まで使い果たして、駅前で困っていたという。よく状況がわからないが、本人がそう言うからには余計よけい詮索せんさくは無しだ。


 俺が金を貸せればよかった。せいぜい電車ちんだ。いつもなら持ち合わせないがくではない。俺はバツの悪い思いで頭のサングラスで目をかくす。


 ワンレンズタイプのスポーツサングラスだ。七色なないろかがやくんだぜ。フレームやレンズにスリットやモールドがあって、実にカッコいいぜ。


 来る途中に寄ったショッピングセンターで見つけたんだ。本当は買うつもりなんて全然なかったのに、一目見てすごく欲しくなってしまったんだ。つい買ってしまったんだ。サングラスなんて初めて買ったんだ。


 3000円もした。おこづかいがパーだ。


 というわけで俺は金を持っていなかったのだ。


「でもいいの? 火馬くんどこかに用事があったんでしょ」

「……用事じゃねえよ、気が向いて遠出とおでしただけだ」

「でも…………」


迂闊うかつだった。準備が足りなすぎた。国道をまっすぐいけばいいと行き当たりばったりで自転車をいできたが、どうも道がおかしい。どこかで間違えたらしい」


 俺は冷静に状況を分析した。


「どうせ辿たどけやしねえ。あきらめるにはちょうどいい口実こうじつだったんだよお前は。だから気にすんな」

「…………」


 冷静になれたのは由葉のおかげだ。由葉はしばし黙り込むと、俺の腹をぎゅっとつかんだ。


「どこ行くつもりだったの?」


 くすくす笑いながら、背中にささやく。


「あー…………」


 俺は観念かんねんした。


「海だ」


 海だ。テレビを見て、思いついただけだ。


 一人で海に行こうなどという思いつきも気恥きはずかしければ、あわよくばビキニのお姉さんでもおがめるかな、などという本音も恥ずかしい。


 内心ないしんが読み取られてしまうなど思っているわけではないが、それでも他人の前で心中しんちゅう想起そうきしてしまうことは、なぜか引け目を感じるのだった。


「海!」


 由葉がなぜか大きな声を上げた途端とたん後輪こうりんが乱れた。


「あわ、あわわわわ! あわ!」

「きゃあっ!」


 ハンドルが右に左に暴れる。由葉がとっさにしがみついてくれたおかげでなんとかバランスをたもつことができた。


 あやうく転倒はまぬがれたが、後輪のタイヤから空気が完全に抜けていた。

 パンクだろうか。


「ご、ごめん……」


 勢いよく俺から離れる由葉が、何をあやまってるのか、ここはあえて知らないふりをする。


「いや、助かった。おかげで転ばずにすんだ」


 密着した女子の身体の感触に、俺は平静をよそおうのに必死だった。

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