第33話 猫の尻 ナンジャの尻

「にゃんにゃんにゃんちー! むのむのー!」


 俺は公園のベンチに座って、猫を追っかけ回すナンジャを見ていた。


 飛ぶような動きで猫を捕らえ、暴れる猫を撫でくりまわし、再び猫を解き放つ。そして猫を追う。


「逃げても無駄なんじゃー! ほれかいぐりかいぐりなんじゃー!」


 フンギャアと悲鳴をあげる猫を嬉しそうに撫で回すナンジャ。絵面えづらは微笑ましいが、猫は必死だ。


 俺はカシャリと写真を撮る。


 日差しを浴びて銀色の髪が輝かせる幼女と猫のツーショットだ。猫をいつくしむナンジャの表情は満点だが、猫の凶相きょうそうといつものクソダサコーデが実に惜しい。

 両方そろっていれば、写真コンテストで優勝できる出来栄できばえだったに違いない。


 あー安心する。


 なんか色々めんどくさくなって逃げるように学校を早退した俺に、いつものナンジャは実に救いだ。やらかされたら悪夢だが、見てるだけなら目の保養ほよう。頭からっぽにして、ぼーっと見てられる。


 しなやかな身体が伸び、縮み、人間離れした素早さで、小さな猫を追い詰めらえ、で、離し、そしてまた捕らえる。実に見事で、実に美しい。見ててきない。俺は知らん間にスマホの録画ボタンを押していた。


 逃げる猫が金網フェンスの下をくぐる。ナンジャがすかさず追いかける。だが、フェンスの隙間すきまは20cmもない。たちまちナンジャは挟まってしまった。

 逃げる猫、もがくナンジャ。しばらくジタバタしていたが、じき動かなくなってしまった。時々ヒクヒクしている。


 仕方ない、手助けしてやるか。


「なにやってんだよナンジャ」

「おふゥ、その声はカンジャ……。いづのまにぞごにいだんじゃ……」


 声を掛ける俺に顔を向けることもできない。ゼエゼエと苦しそうに息を吐いている。


 なんだこいつ、俺に気づいてなかったのか。


「サッと出てこいよ、家に帰るぞ」

「うぐぐ、できたらとっくにやってるんじゃ……」

「入れたんだから出れるだろ」


 尻を振ってもがくナンジャ。だが、すぐ動きが止まる。


「イタズラばかりしおって……。お尻ペンペンの刑だ」


 ふざけてお尻ペンペンすると、本気でもがき苦しむナンジャ。これはどうも様子がおかしい。それはそうと丸くて可愛い尻だな。俺の手にすっぽりおさまって実に感触がいい。ついでにもう二、三発ペンペンしてやる。ひあぁとなさけない悲鳴をあげるナンジャ。


「おぬじにがまってるヒマはないのじゃ……。もぐりこんだ拍子にみぞおちにとがった石が当たっとるんじゃ……。息ができないんじゃ……苦しいんじゃ……」


 おうそれは大変だ。とりあえず、このフェンスを上に引っ張って隙間すきまを広げてやれば良いか。

 俺はフェンスの下部かぶをを思いっきり引っ張ると、ぐにゃりと曲がってしまった。


「し、しまった!」


 絵に描いたような器物損壊きぶつそんかいだ。公園の管理に知られたら弁償べんしょうさせられてしまう。

 俺はナンジャを引きずり出すと、フェンスを下にぎゅーっと引っ張り元に戻した。こ、こんなもんでいいかな? それにしてもやわなフェンスだ……。うん? ほんとにそうなのか?


 俺はそう疑問をいだき、うずくまり呼吸を整えていたナンジャをかかえ上げた。


「な、なにするんじゃ」

「おまえ、せたか?」


 ナンジャが軽い。


「なにを……痩せてるどころか、背が伸び……なにするんじゃあ」


 わきに手を入れたまま上げ下げする俺にナンジャがハヒハヒしながら言った。


「あれか? あれをするんか? よすんじゃー、やめるんじゃー、怖いんじゃー」


 肩にかつぎ上げるとナンジャが身体をくねらせる。本気の抵抗ていこうではない。どうやらいつぞやのようなプロレス技を待っているらしい。俺は期待には応える男だ。



「うおらああああ!」



 とっさにとんでもない大技おおわざが出た。ブレンバスターだ。滞空たいくう時間が長い。だが、どうしよう。流石さすがに屋外でこいつを決める勇気はない。俺はそっとナンジャを下ろす。


「本気かどっちかわからなかったんじゃ……おそろしかったんじゃ……」


 ナンジャがカチンコチンに固まっていた。このおびえ方は本物だろう。これで当初とうしょの目的を果たすことができた。


 よし。俺様大満足。


 だが、とりあえずの疑念が消えていない。俺は再びナンジャを持ち上げた。

「外ではやなんじゃー。せめて家まで待つんじゃー。続きはベッドでなんじゃー」


 涙目なみだめのナンジャがなにごとか言っているが耳に入ってこない。腕の中でナンジャをもてあそびながら、重さを確かめている。やはり軽い。筋トレの効果が出ているようだ。

 入間の取り巻きを吹き飛ばし、フェンスをひん曲げた腕力。ありがとう夏生なつお。お前の生徒は順調じゅんちょうに育っているぞ。


 公園の入り口に目をやると、子連れのママがこっちを見ながらスマホを耳に当てていた。なにやら切迫せっぱくしたような表情だ。なんですかお母さん、何か困ったことでもありましたか。


 手助てだすけいりませんかと俺が寄っていくとお母さんが金切声かなきりごえをあげた。必死の形相ぎょうそうで子供をかばおうとする。そのおよんでようやく俺は事態じたいに気がついた。なるほど、俺は幼女をおそっている不審者ふしんしゃに間違えられているのか。


「ち、ち、違うんです。こいつは妹で……」


 説明しながらはたと困った。どう考えても妹には見えづらい。そもそも妹でもなんでもないし。警察が来たらどう説明すればいいのか。このままナンジャを抱えたまま逃げるか。そしたら通報中つうほうちゅうのママの心に大きな傷を残すだろう。


 この事態をどうにかするのは骨が折れそうだ。


 俺の力では無理だ。ナンジャ、頼む。

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