第六話 新録の刀
気持ちが急いている。始めて感じる、なんとも言い表せないこの感情。誰かの命が近くで奪われたのだ。
『怖い……?』
自分の気持ちがどこかでそう感じている気がした。
人々が集結する場所へと足を運ぶ。現場は飛天からほど近い、店が立ち並び、人通りのある場所だった。近くでは事件を全て見ていただろう数本の柳の木が葉を揺らしており、周囲にいる野次馬の恐々とする声に怯えているようにも見えた。
「こんな場所で堂々と人斬りかよ、狂ってんねぇ」
キユウが忌々しそうにつぶやき、視線を群衆に向ける。人々が円になって何かを囲み、見つめる先には地に伏せる女性の姿があった。
土の地面は血に汚れ、身に着けている着物も血に染まり。周囲に蔓延する血の臭いが鋭く鼻を刺してくる。
血に染まった世界。その中で女性は、すでに息絶えていた。
「よろずやの女将さんだ! 息子が、息子が突然襲ったんだよ! 刀でさ! 俺見たんだっ」
野次馬の誰かが被害にあった女性と、その加害者のことを口走る。そのことから息子が母を斬ったという、むごい真実を周囲の誰もが知った。
カルは自分が刺されたぐらいに胸が痛んだ。
「ひどい、どんな恨みで自分の親を斬ったりできるんだよ……」
悲しすぎる真実だ、大切な存在、生み育ててくれた唯一無二の存在を、なぜ。
カルは歯を食いしばる。
倒れた女性は動脈を斬られたのか、出血がすさまじかった。それだけ一刀に力を込め、命を奪わんと斬ったということだ。よほど強く憎んでいたのだろうか。だがどんな理由があるにせよ、許せることではない。
「カル、お前にまだ言っていなかったな。この事件の被害に遭っている奴らのことだ。親子、恋人、家族、親しい友人……それぞれにそんな関わりがあるみたいだぞ。しかも犯人はその片方だ。今回のように息子であったり、な」
「そうか、全くの他人とか、無差別なものじゃないってことか」
先程までは愉快犯と予想していたが、それは違うらしい。しかしそれにはどんな因果があるのだろう。そうだったとするなら無差別よりも悲しいじゃないか、だってそれぞれが“愛する存在”を手にかけている、ということになってしまう。
そんなのって、ないだろ。
胸の苦しさを感じながら、カルが考えている最中だった。少し離れた位置から悲鳴が上がった。どうやら母を殺害し、姿を隠していたよろずやの息子が突如現れ、刀を手に持ったまま逃走をしたらしい。
キユウに「行くぞ」と言われ、彼と共に人混みをかき分け、後を追う。
行動が早かったから追いつくのは容易かった。
徐々に距離を詰められた前を走る男は、たまに後ろを振り返り、自分達を気にしながらも逃げ切ろうと走り続ける。手に握る刀にはまだ拭い去れていない大事な存在の血が息子を追うようにこびりついている。
「くそ、絶対に逃さない!」
カル達はそんな男との距離を次第に縮めていく。逃走する男を見た周囲の人々が、刀を持つ姿を見て「ひぃ!」と悲鳴を上げて避けている。
こんな状況で男がヤケになって人々を斬らなければいいが、という心配もよぎっていた。
「く、来るなぁぁ、来るなよぉぉ!」
とうとう足を止めた男が振り返り、叫ぶ。男を追い詰めたのは周囲を塀で囲まれた行き止まりだ。逃げ場がないとわかり、男は剣術には精通していない雑な構えで刀を持ち、カルとキユウに刃先を向けた。
その表情は恐怖に満ち、血の気が失せて青い。ガタガタと全身を震わせながら赤い血のついた鉄の刀を握りしめている。
その刀に付着した血は男自身の中にも流れているというのに……考えると悲しくて怒りがわいた。
「あんた、なんで母親を斬りやがった! あんたの実の親なんだろっ! なんで切り捨てたんだ!」
カルの叫びに、男は頭が抜けそうなほど激しく首を横に振った。
「ち、ち、違う、違う、違うっ! 斬りたくて斬ったんじゃない、いや違う! 俺じゃない、俺じゃないんだよぉっ!」
わけのわからないことを男は喚く。錯乱しているのか、事実を否定するように頭を振り乱しながら「俺は母を大事に想っていた!」と刀を構えながら叫んでいる。
「き、気づいたら! 刀があったんだ、何かと思ってそれを拾ったらっ……俺は……俺はぁぁっ!」
気が触れたのか、男は刀を乱暴に振り回し、カルに襲いかかってきた。
「タキチっ!」
(おうっ!)
カルが妖刀タキチの柄を握ると鍔下に巻かれた二本の赤い紐が意思を持ってふわりと持ち上がり(任せな!)と威勢の良い声が響き渡った。
刀身を鞘から引き抜くと。現れたのは新緑の葉のような、緑色の輝きを放つ美しい刀身。角度を変えると太陽の光を受けた葉のようなきらめき、離れた位置で様子を見ていたキユウが「ほぉ」と面白がっているような声を上げた。
これは普通の刀とは違う。一つの魂を宿し、意思を持つ刀。振るうと木々を軽く揺らすような、柔らかな風が周囲を舞い、自然の中にいるような清らかな空気が漂い出す。
妖刀タキチ。にぎやかなタヌキの魂宿る、大切な相棒。この刀を握ると先程までの『怖い』という恐怖心は微塵もなくなっていた。
カルはタキチを振るい、男の振るった刃を受け止めた。一般人の攻撃など、剣豪の剣戟を散々受けてきた自分の相手ではない。
受け止めた刀を振り払うと、勢いで男の刀は簡単に弾き飛ばされていた。
「いくぞタキチっ!」
カルは刀の向きを変え、タキチの柄の
みぞおちに攻撃をくらった男は声にならない、かすれた声を上げる。
そしてゆっくりと地面に崩れ落ち、目を開けながら、そのまま気絶した。
「お見事」
成行きを静かに見ていたキユウが「やるじゃねぇか」と満足そうに笑う。
しかしカルは言葉を返さなかった。褒められるのは嬉しいが褒められるような結果ではないと思う。人が一人死んでしまっているのだから。
カルは刀を鞘に納めながら、細い息を吐く。息を吸った時、タキチを振るったことによる自然の風の匂いを感じ、少しだけ沈んだ心が癒されたような気がした。
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