第十四話 黒いモノは何処

 やめてくれ、と願わずにはいられない。きっと今回の事件で大切な人の無惨な姿を見た者は、みな同じ気持ちだっただろう。

 全身が震え上がりそうになるのをこらえ、カルはクウタに近寄った。


「クウタ、クウタっ! 何があったんだよ!」


 肩を支え、うつ伏せの身体をゆっくりと反転させる。着物のあちこちが血に染まっている。原因となっているのは腹部らしい。まだ血が生温かいことから事件が起きて、そう時間は経っていないようだ。


「い、生きている、よな……? クウタ、なぁ、クウタ……」


 祈る気持ちで彼の口元に耳を寄せてみた。静かな室内、自分の心音と震える呼吸が確認を邪魔している。


(大丈夫だ、カル、ゆっくりだ、ゆっくり聞くんだ)


 焦る気持ちを落ち着かせようとタキチの声が響く。カルは自分の耳に気持ちを集中させ、聞こえて欲しい音を探す。


「……う……あ……」


 祈りは届き、クウタの浅い呼吸が聞こえた。


 生きている、よかった! 安堵する一方で医者を呼ばなければと思い、階下にいるキユウを大声で呼んだ。

 キユウは階段を駆け上がり、廊下を抜けて惨状を目の当たりにすると瞬時に状況を察し、また駆け出していた。


 そんなキユウが走り去って、ほんの数秒のことだった。

 カルは自分の背後から何かが動く気配を感じた。後ろを見ないでもわかる、ザワザワとうごめく気配、気味が悪い感覚。明らかに何かがいるが、それは温度を持つ存在ではない気がする。

 だがそいつはクウタを襲った存在なのだと、本能的な勘でわかる。


 カルは膝の上に支えたクウタを動かさぬよう、ゆっくり首だけを動かし、肩越しに後ろをのぞく。

 その瞬間、気配は上へと動いた――というよりも飛んだ、獣のように素速く、飛んだのだ。


 なんだ、あれは! 速すぎる、でも動物ではない。人でもない。例えるなら凝縮したような影、黒い霧状の塊――黒い霞のような“黒いモノ”だ。

 それが、キユウがたった今出て行った戸から、部屋の外へと抜け出てしまった。


「キユウっ!」


 教えなければ。しかし言葉にすることはできなかった。腕の中にいるクウタが声を上げたのだ。息も絶え絶えな姿。彼の命がこのままでは危ないことを表している。


「カ、カル、うっ」


「しゃ、しゃべるな、クウタ、止血をっ」


 カルはクウタの傷の位置を確認する。着物の血の染まり具合からして出血部は腹部。そこを斬られたことで間違いはない。

 手持ちの綺麗な手拭いを取り出し、出血部位を押さえた。周囲を見回すと、床に血のついた小太刀が転がっていた。物言わぬ普通の小太刀だが、クウタを切り裂いたのは己であると鉄の鈍い光り具合が物語っている。


 今までの事件と同じだ、何の変哲もない、すぐそこの店でも売られているような代物。

 クウタはこれで斬られたのか。

 でも誰に? さっきの塊に? 刀も握れないのに?

 考えているとクウタが声を発した。


「カル、違う、これは……自分で、やったんだ……」


 カルは絶句した。


「俺も……何かあった時、のために護身用の小太刀を持ってた……それが、これ……」


 今の状態のクウタに話させたくはない。でも話を聞かなければ真実を知る機会を失うかもしれない。

 苦しい心境でカルはクウタの語りを聞いた。その内容は胸を握りつぶされるように苦しく、けれど愛する者を守るための行動であった。


 クウタはいつも通りに宿で仕事をしていた。スーと談笑しながら客間の片付けや掃除をし、クウタが床の雑巾がけを始めた時だった。

 屈んだ拍子に、着物の懐に忍ばせていた小太刀が床へガタンと落ちてしまったのだ。


『大丈夫?』


 スーが声をかけてくれる中、それを拾った時だ。妙な気配をクウタは感じ取った。それは小太刀から発せられているような気がした。 


 何かと思い、鞘から小太刀を抜き、刀身を見てみる。すると今さっきまでなんの変哲もなかった鉄の刀身は、墨を落としたように黒く染まっていたのだ。

 その不気味な状況にクウタはぎょっとした。闇よりも黒ずんだ小太刀なんて見たこともない。思わず投げ捨てそうになったという。


 だが徐々に身体に変化が起こる。胸の中がモヤモヤとし始め、焦燥感に駆られた。持っている小太刀を振り回したいような、暴れたいような。おかしなものが胸の中から溢れ出ようとし始めたのだ。

 そして一緒に仕事をしていた恋人、スーの姿を見た時、クウタの心には信じられない思いが浮かんだ。


『斬りたい、斬りたい、彼女を――斬り捨てたい。愛する彼女を、斬ってしまいたい――殺せ、殺してしまうんだっ』


 その瞬間、クウタは自分の頬を自分で引っ叩いた。おかしい、何かがおかしい。

 クウタは彼女が近くにいては危険だと察し、スーをキッタと共に外の使いに出し、自分はこの倉庫に身を隠した。ちょうどスーとキッタ以外の者が周囲にいなかったから良かった、と一人で安堵していた。


 だがスーがいなくなった後、抑え難い怒りが脳内に充満し出した。

 知らぬ誰かに「何をしている」、「なぜ女を斬らないんだ」と責め立てられているような。自分の手が自分で動かせなくなるような、声の主に操られるような。


『な、なんだっ、一体誰なんだよ!』


 謎の声は聞こえるのに姿は見えない。捨てようと思うのに、なぜか小太刀は手を離れない。

 クウタは呪いの声に翻弄された。声は何度も『血をよこせ、女を刺せ』と叫び続ける。

 しかしクウタは気持ちを強く奮い立たせ、小太刀を握りしめた。


『そんなに血が欲しいなら、やるよ!』


 このままではスーに手を出してしまう。そんなことは絶対にしたくない。

 そう考えたクウタは自らの手で、自らの腹部を刺した。その瞬間、アハハ、と甲高い子供のような笑い声が聞こえた気がしたが、それから声は聞こえなくなったという。


「クウタ……」


 彼の話を聞き、カルはもう一度足元に転がる小太刀に目を向ける。刃は普通の鉄の色、クウタが語ったような黒い刃ではない、ということは。


 呪刀だ。やはり呪刀なんだ、元凶は。

 ではとり憑いた邪念はもう離れたのか。

 それは、どこにいった?


 カルは室内を見回した後で、あることを思い出し、息を飲んだ。呼吸が震えた。

 先程、この部屋からキユウを追って出て行った、黒い霞の正体は。

 もしや、あれが……。

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